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  2. 2015年08月

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おかえりなさい

エチオピア航空のみでの乗り換えで帰国できるので楽な帰国の途なはずだったが、
エチオピア航空がわけのわからぬ対応(めんどくさいので省略)を繰り返しするせいで、
非常に疲れた帰国の途であり、日本に着いたときにはもはや「想定内」のロストバゲージ(預け荷物が行方不明)。

成田空港に着いた時は、やっと休めるという安堵の気持ちはあったが、
同時に寂しさが強かった。
もはや、あきらめきれるところまで体調が悪かったので、悔しさはなかったのだが、帰ってきてしまった、旅が終わってしまったという寂しさが強かった。

前回の旅で約1年ぶりに帰国したときよりも、今回の半年の旅のほうが、長く遠いところに行っていたような感覚だった。
前回の旅をしたときと、旅のスタイルやすでに持っている考え方が違ったことや、もちろん体調不良のことも大きいと思う。

空港で、「外国人のみなさま、日本へようこそ!」って感じの写真を見て、やけに日本が不思議な国に思えたし、一瞬母国という感覚が(ないわけではないのだが)おかしくなった。
もちろん、どう考えても世界から見たら日本は不思議で個性的な国なのはわかっていたのだが、なんとなく日本に旅しに来たような感覚があった。

けど、それを吹っ飛ばして、一気に僕を母国に引き戻してくれたのは、

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おかえりなさい。

これ見たとき、思わず涙が出た(笑)

やっぱり日本の挨拶っていい。

グッドモーニングや、グッドナイト、ハロー、
代替えできて、同じ感覚の言葉たくさんあるんだけど、

いってらっしゃい、おかえり、いただきます、ごちそうさま、おつかれさま。

このあたり言葉の代替えは特に、外国語にはできないと思う。
i’m home とかgoodjobとか、似た言葉はあったりするけど、やっぱり感覚が違う。

もちろん、その逆で、日本にはない素晴らしい感覚の外国語もあるんだけど・・・
日本人の僕にとって、母国語にしかない感覚の言葉はやっぱり響く。
日本語はそういうものが多いと聞くし、それはやっぱり日本独特の感覚なんだろうなぁ。

入国審査の簡単さと、空港から出るときの簡単に逆に戸惑いながら、空港外へ。

空港から東京駅までバスに乗り、東京駅から電車で神奈川の実家へ。
バスの中から見えた工業地域の夜景とか、東京のきらびやかなビル街とか、同じバスにいた派手な格好した韓流アイドルのおっかけの若い女の子たちを見ていたら、
余計に寂しさが込み上げてくる。
バスを降りても、客引きが大挙して来ることはないし、モノ売りや物乞いが寄ってくることもない。
電車の中では、みんなスマホに夢中だし、何の邪魔もなく家に帰れる。
そんなの、自分の内で自分の感情に浸るしかやることない(笑)

今回は前回の旅と違って、ほとんど誰にも旅に出ることを伝えずに旅に出たし、
体調不良で帰国しているので、しばらく人に会えないため、帰国も知らせることもできない。
そういう寂しさもないわけではないが、他の種類の寂しさがあったと思う。

体調はいつ良くなるんだろうか?日本でどうやって生きていこうか?
そういう不安はもちろん大きかったけど、なによりずーっと楽しみにしていたのは、実家のご飯だった。
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早く帰りたい



メケレは首都アディスアベバよりも晴れ間が多く、街もきれいで過ごしやすかった。

アディスアベバからメケレに着いたのが夜。
そのまま約2日、宿から出ずに過ごす中で、僕はやっと電池が完全に切れた。
動くこと自体がきつくなった。

そしてようやく帰国を決意した。
最後のところで負けた。
精神論だけでどうにかならないときがある、ということくらいさすがに30歳を超えればわかってはいるが、
限界の限界、あきらめても後悔しないところまで行きたかったのだと思う。
そして限界の限界までいってしまった。

正直なところ、ちゃんと帰国できるかも不安だった。
病院に行けと言われそうなのだが、これまでに3度、南米で病院に行っており、そのたびに処方される薬で体調が悪化。
もはやその経緯を説明するのも大変だし、おそらく同じ結果になることがわかっていたので、病院自体頼れる場所ではなかった。

ジンバブエで一度、帰国を決めたときは、帰国を決めたことで気が楽になったのだが、
今回はそうでもなかった。それくらいきつかった。

最後は、もはや「早く帰りたい」と思うようになっていたし、呻くように言葉に出してしまっていた。
そうなったら、もう帰るしかない。帰りたいのだから(笑)
やっとそう思えたことで、自分で納得できた。

こんな状態になるまで旅をするなんて危険だしバカらしいかもしれないが、
医者にもかかりながら、いろいろ調べるうちに原因はわかってきており、持病から派生したものだろうことはわかっていた。
危険な病気の可能性がないわけではないが、環境を変えること、時間をかけることで治るだろうとは思っていた。
しかし症状が辛すぎた。

メケレからエチオピアの首都へ飛び、乗り換えて、香港で途中降機なしの経由をする日本成田行き。
一番早い翌日の便を取った。

結局、メケレでは何もできなかった。
メケレに来なければ、メケレから首都への航空券代も必要なかったのだが、もはやこれは「旅の継続あきらめ代」として必要だったのだと思う。

またいつか、この町へ来て、ダナキル砂漠ツアーにリベンジすることがあるのだろうか。

二度目のアフリカ旅で、忘れ物ができてしまった。

限界の限界の限界?

エチオピアがアフリカ旅最後の国。
なかなか体調が良くならないので、エチオピアの首都アディスアベバに着き、1週間宿にこもって療養した。

エチオピアは前回の旅のときに、ケニアから陸路で入り、南部の少数民族の村めぐりをして、
とても印象的だった国。
帰国後、よかった場所を聞かれ、必ず挙げていた国。

今回、その南部の民族めぐりと、さらに6年前は入れなかった北部の「ダナキル砂漠」に行く予定でいた。
南部もダナキルも気候や旅の環境が過酷なところ。
南部は交通や宿などインフラが発達しておらず、いつ来るかわからない車を延々と待ちながらヒッチハイクをしたり、学生ガイドを雇ったり、
衛生面でも苦労した。
北部のダナキル砂漠へは、近くの町からツアーで行くが、そのツアーが過酷なことで有名。特に今の時期は酷暑で気温が50度にもなるという話。

どちらも今の僕には、明らかに過酷で、このままでは南部も北部も行けない。
南部へ行くことをあきらめ、彼女と他の旅人が南部へ行っている約1週間、アディスアベバに留まり安静にすることを決めた。

症状は主に皮膚に出ていたが、胃腸にも影響が出ており、自ら数日間の絶食や食事制限も行った。
しかし、体調は回復しなかった。
その理由はおそらく、アディスアベバは約2400mと標高が高く、朝晩の寒暖差が大きいことや、気圧による体への負担が大きいこと、
また、この時期アディスアベバは雨期に入っており、毎日雨で、もともと衛生面で問題があるエチオピアの宿の状態がさらに悪かったためであると思う。
停電が多いことに加え、晴れ間が見えることが少ないことで、精神的にもきつかった。
さらに北部へ出発する前日には原因不明の下痢に襲われた。
もはや北部へ行ってもどうにもならないと思い、やむなく帰国を決意した。

決意しながらも迷ったがどう考えても体調が悪すぎる。
次の町へ辿り着いても、ダナキル砂漠のツアーへ行けるかはまた体調次第になる。
根性で乗り切れるくらいに体調が回復する可能性はある気がするが、ツアーの過酷は生半可なものではない。

迷いに迷うが、
彼女と旅人たちの乗るタクシーを見送る。。。

この旅で実は帰国を決断したのは今回だけではない。
ジンバブエのビクトリアフォールズの町にいた時にも体調が最悪になり、帰国の飛行機を取った。
しかしいざ飛行機を取ると、少し精神的に落ち着き、冷静になり悔しさが先行した。
そこでは悔しさのあまり、飛行機をキャンセルした。
そのあとも体調は不安定なままだったが、なんとかここまで来た。

そうやってなんとかここまで来たことや、あと最後の一箇所だけを残して帰ること・・・
そして、アフリカに彼女を残して帰ること・・・
悔しすぎる。

すでに彼女と旅人たちは北部行きのバスが出発する広場へ出発した。
まだ早朝で真っ暗な部屋に残される。まだ日が昇っておらず、さらに停電していることもあり、本当に真っ暗の朝。
敗北感がすごい。
このまま帰って本当に後悔しないか?
本当に限界の限界の限界なのか?

体調は最悪で、精神的にもかなりやられている状態なのだが、悔しさを感じるときだけは頭がクリアになる。
そしてこの時は一晩中お腹を下し切り、
たまたま体もクリアになっていた。

北部行きのバスの出発時間まで時間がない。

一時的な感情だけで体を無理やり動かした。
帰国するためにまとめていた荷物を持ち、急いで一人でタクシーを拾い、北部行きのバスが出発する広場へと向かった。

不安は大きかった。
この最悪な体調の中、エチオピアで一番日本に帰国しやすい首都から離れること。
そして、いつもなら慣れている14時間のバス移動も今の状態では不安が大きかった。

でも、もはや自分は動けなくなるまで旅を続けないとあきらめられないのだとも思った。
あきらめが悪い。

北部の都市メケレへバスは出発した。
もはや、自分の体を使った人体実験をするような気分だった。

ザンジバル 北の海

ザンジバル島の北へ行くのははじめて。
北の海もきれいと言われていて、観光客が多くいくところ。

ん?「きたのうみ」って、お相撲さんがいたような・・・

北の有名な村はヌングイ。

ヌングイのビーチ
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ちょっと南にあるケンドワのビーチ。
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まあ、これでもかってくらいに、どこもきれいなわけです。

この北のビーチでは、東で見れなかった夕日が見れる。
このきれいな海が赤く染まっていくのは、やはりきれいでした。
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ここヌングイでは、短期旅行で友達が2人来ていて、再会することに。
その縁もなかなかのもの。

前回の旅、本格的にバックパック旅行がはじめるメキシコで出会い、
まだ超へなちょこチキンバックパッカーだった僕のレベルを3段階くらいは上げてくれた女2人旅のうちの一人。
メキシコを一緒にまわり、キューバでも一緒になり、さらにはブラジルサルバドールのカーニバルでも一緒になった。
この時一緒に旅したもう一人が日本で薬剤師をしているため、体調不良の僕のために薬を持ってきてくれた。

もう一人は、これまたブラジルサルバドールで一緒だった、当時大学生だった女の子。
その時は、エジプトに卒業旅行で行ったときに出会ったメンバーに触発されて、一回帰国してサルバドールだけ来ていたみたい。
あれから就職して、数年で仕事辞めて、世界一周したという。

そのもともとバックパッカーだった二人が今回の短期旅行で泊まっていた宿が、

こちら
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こちらはプール。
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手前がプールで奥が海。

こうやって贅沢する短期旅行もいいよなぁ~

そして、彼女たちもバックパッカーなので、こちらの需要をわかりきっており、
僕らの不要となった荷物や、各地で買ったお土産を日本に持ち帰ってくれた。
仏のような人たちでした。

その後、ストーンタウンへ戻り、またまた食い倒れ、ザンジバルから飛行機でエチオピアへ。



ザンジバル ヌングイ 7.24~26
ザンジバル ストーンタウン 7.26~28

ザンジバル 東の海岸 贅沢



ジャンビアーニ村から北へ車で15分ほどで、着く村、パジェ。

ここには、日本人女性が経営する、バックパッカーには少しお高い宿が。
しかしロケーションが最高で、部屋もきれい、料理は“ちゃんとおいしい”日本食。

今回の旅一番の奮発をして、1泊2人で65ドルの宿に宿泊。
(日本だとビジネスホテルの値段が、貧乏旅行だとかなりの贅沢に。。。)
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言葉はいらない美しさ。

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静かだし、宿泊している欧米人らしき人たちも静かな贅沢を求めてやってきている感じ。


昼はまぶしすぎるほどの海を眺めてのんびり。

夜は波の音を聴きながら眠りに落ちる。

まさに贅沢でした。


さらに贅沢ついでに、「死ぬまでに行きたい世界の絶景レストラン」へ。

THE ROCK
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海に浮かんでいるレストラン。

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外も中も素晴らしい眺めでしたが、



夢を壊してしまうと、言うほど“海に浮かんでる感”は強くはない。
浅瀬から歩いていく感じで、その周辺は浅瀬なので潮の満ち引きによってはあまり雰囲気がない。
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けれど、レストランのバックに映るバスクリンは素晴らしく、
レストラン内のテーブルで食事をしながら見る絶景は最高級でした。

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食事の味は、「普通」という評価が多いようでした。



衛生面が良くないところも多く、治安の警戒レベルも高いアフリカ。
だからこそここでの贅沢は天国であり、思い出に残るものになった。


ザンジバル パジェ 6.23~24


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ザンジバル 東の海岸 ビフォアアフター



ローカルの移動手段ダラダラにて、ストーンタウンから東の海岸へ1時間半。
懐かしの村、ジャンビアーニへ。
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そして、懐かしの宿へ。
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この宿は、電気がなく、暗くなると火を灯されたランタンを渡され、
蚊帳のついたボロボロのベッドで眠る。
朝と夕のご飯付きでこれもキッチンなどないため、目の前の海で釣ってきた魚を七輪とうちわでパタパタスタイル。
従業員は掃除係のおばちゃんとオーナーのみで、料理も受け付けもオーナー1人でやっている。

・・・だったはずが!

宿がリフォームされ、電気あり、普通のベッドあり、そして隣にはきれいなBARが建ち、朝夕の食事はそこでとる。
オーナーは現場から引退し隠居。料理を作るシェフ(ハーフパンツにサッカーシャツ着た普通に兄ちゃんだけど)が雇われ、管理人も接客上手のこれまたサッカーシャツ着たおじさんが雇われていた。
どこがとかではなく全体的に清潔感が格段に違うし、料理のレベルの上がり方もアベノミクスのときの株価並み。
料金は物価上昇で上がっていたが、宿のリニューアルでの値上げはまだしていない様子。
もしかしたら、ゆくゆくはさらにきれいになり、値段も上がるのでは?

そんな、応援していた無名のアイドルが国民的アイドルになってしまったときのような嬉しさと寂しさが同居する戸惑いの中、
宿にチェックインするため、宿帳に名前を記入しようとすると・・・

その宿帳が、6年前のものと一緒で、さらっとページをさかのぼって以前のページをめくってみると、
当時の自分の書いたページを発見。
6年前と同じ宿帳をを使っていること自体驚いたが、しっかりと欠落せず自分の書いたページが残っていた。
これは、アルゼンチンの宿で感じた感動に似たものがあった。
自分の残した足跡との再会は、やはり嬉しいものだ。


そして
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海!!
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かつて、この海を「バスクリン」と表現した人がいたが、
しっかりバスクリン。
この日は少し曇っていたから、あまり写真の色はよくない。

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そして、写真ではわかりづらいけど、果てしない「遠浅」。

東アフリカの観光地にやたら出現しだす、出稼ぎマサイ族
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そして、僕のような旅行者が行く土地では、だいたいの場所でいわゆる“すれている”ことが多い、こどもたちも、
この村ではまったく“すれていない”。
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宿はきれいに生まれ変わったけれど、自然と人は変わらぬまま。
観光地として有名になっていくと、人も自然も変わってしまう場所が多いと思うけれど、
ここが変わらないのはやはり「離島」だからなのか・・・

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とにもかくにも、やはりここは自分の中ではアフリカで一番癒される場所。
それは、他の場所がうるさくて、治安が悪いからという反動もあるのかもしれないけど・・・(笑)

まだまだザンジバルのビーチめぐりへ、





ザンジバル ジャンビアーニ 6.21~23


斧を振りかざし激怒する少女!!コノヤロー!!
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・・・に見えるけど、実は、この子がたまたまこの一見斧のように見えそうな重たいポールみたいなのを持ち上げてるときにカメラを向けてしまい、
それを持ち上げたポーズのまま、ポーズをキープしてくれていて、それを知らずに連続で何枚か写真を撮ってるうちに、
女の子の表情が歪んできて・・・。
そのあと、持ってたポールみたいなのを地面に降ろして息が上がっている女の子に謝り続けました。

ザンジバル ストーンタウン

ザンジバルは、僕が世界一、海がきれいだと思っている島。
(沖縄の宮古島周辺も負けてなかったけど)

マラウィ・ンカタベイから移動をし続け、
この旅で一番警戒が必要なタンザニア・ダルエスサラームに2泊し、
高速船に乗りやってきた。


まずは高速船が着くと目の前に広がる町、ストーンタウン。
ザンジバルの良さは、海だけではないところ。
ストーンタウンにはビーチというビーチはない。
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海もキレイではあるが雰囲気はあまりない


イスラム教色の強いザンジバルでは、礼拝の時間を知らせるアザーンが聞こえ、
モスクもあり、服装もムスリムのおなじみのものだ。
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ザンジバルのムスリムはかなり敬虔な印象
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礼拝堂の前で礼拝をするムスリムたち

アザーンはいつ聴いても中東圏の旅を思い出さずにいられない。
イスラム教圏は、イスラム教圏特有の空気がある。
それを際立たせてくれるのが、アザーンが流れる礼拝の時間だ。
礼拝堂の前を通ると、ムスリムでもないのに気が引き締まるし、
町中に響き渡るアザーンを聞くと、自分が遠い異国に来ていることを実感させられる。

ストーンタウンは、細い路地が迷路のように張り巡らされている。
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迷宮都市と言われるモロッコのフェズのようであり、細い路地に動物もモノ売りも商店や食堂が入り混じるインドのバラナシのようでもある。
実際、道に迷うこともあるし、細い路地では商店が並び、チャパティやチャイ(ミルクなし)を売っていたりする。


残念なことに、ちょうどラマダンの時期に被ってしまい、ローカル食堂が軒並み閉まっていた。
しかし、夕方になると、市場や屋台も多く出て、お楽しみの買い食いをすることができた。

以前は工事中で、こんなに大きくなかった印象のフォロダニ公園
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ラマダン中でも夕方頃から屋台が並び、肉から魚介からポテト、クレープ、ケバブと、毎日お祭りの屋台が出ているような感じ。


地元の人たちでにぎわっている市場
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こちらでは食材を買うこともできたし、買い食いもできた。


ブラックアフリカ一色の旅になっていたところに、このイスラム教の町の穏やかさは、ちょっとしたオアシスだった。
次は、ストーンタウンから、世界一きれいな海に癒されに東へ北へ。


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ザンジバル ストーンタウン 6.19~21

マラウィ・ンカタベイ~ ムズズ ~ タンザニア・ムベヤ ~ ダルエスサラーム ~ ザンジバル

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プロフィール

原田 諒二                                     (はらだりょ-じ)

Author:原田 諒二 (はらだりょ-じ)
あの海の向こうには何があるんだろう?
どんな人たちがいるんだろう?
そんな単純な想いを胸に
いろんなものを見て
いろんな人と触れ合う旅の
真っ最中!!

2008年10月21日 世界一周出発

2009年9月28日 帰国

2015年1月2日 世界二周目に出発!!

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