1. Top » 
  2. 2009年09月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • Genre:

世界一周してきました!!

あなたがこの記事を読んでいる頃、私はもう旅の世にはいないでしょう。

遺書か!


9月27日、日本帰国前夜…
いよいよ終わるこの旅を振り返って…



旅に出て11ヶ月が過ぎた。
この旅に出るとき、一人旅はほぼ初めてだった。

アトピー持ちで肌が弱い、コーヒーで下るほどお腹も弱い、枕が変わるとなかなか寝付けない。
海外旅行なんてめんどくさい、英語ちゃんとしゃべれない、優柔不断で決断苦手。

そんな僕が旅に出た理由を今振り返ってみると、
・せっかく地球に生まれんだから、自分の星をできるだけ見たい。見ずには死ねない!
・せっかく物価の高い日本で生まれたのだから旅に出なきゃもったいない!
・未知のものを、たくさん見てたくさん触れてたくさん経験して人生に生かしたい。
・強くなりたい。
・夢を持ちたい。


そんな感じだった。


右も左もわからないまま旅が始まり、あたたかい現地人や旅人との出会いに助けられ、なんとか旅を続けた。

ドキドキとワクワクの連続。
恐怖もたくさんあったし、怒りや悲しみもたくさんあった。
その何倍も喜びや幸せのときがあった。

たくさんの土地を歩き、人や文化に触れて、知らないうちに旅に慣れ、地球に慣れていった。

でも、途中から焦り初めた。
夢が見つからない。
自分が成長しているのかわからない。
ずっと感覚を研ぎ澄ませて、時間があればなるべく外を歩いてたくさんのものに触れ、夜や移動中は、とにかく考えに考えまくった。
でも、これからどうしたいのかがわからない。

自分は「世界一周が夢」というわけじゃなかった。
思いついてパパッと旅に出た。
だから、目的は世界一周じゃなくて、夢や何かを得ることだった。

旅が楽しくても、それが見つからない焦りが途中から出てきた。
そして、途中から、自分の旅を変える選択をした。

ヨーロッパに行かず、その分、中東、アフリカに時間をかけた。
途中、西アフリカ行きも考えた。

それは、できるだけ「予期せぬことが起こりそうな未知の場所」へ行きたかったからだ。
その方が自分に刺激を与えることができると思ったし、旅の大きな醍醐味の一つは、その「予期せぬこと」にあると思う。


日本では、変化が苦手で安定を好んでいた自分にしては、旅の中で本当に考え方が変わったと思う。
変化や未知を楽しむようになった。


その結果、全体としては、北米、ヨーロッパ、オセアニア、東南アジアが省かれ、中南米、中東、アフリカ、インドと「危ない」と言われる場所が中心になった。
僕の旅は、ストイックな旅、休めない旅と言われることもあったけど、旅にリスクはつきもの。
でも、この選択によって、自分の方向性も見え始めたし、旅の充実感が大きくなった。


そして、この頃から「観光」という考えは自分の中から消え、どれだけ学びと吸収ができるかに変わっていった。
遺跡や自然より、人や文化に深く接していくようになった。

最後のインドでは、あまりにも観光に興味がなくなり、一時的に旅への意欲さえなくなった。
あのダージマハルでさえ見ていない。
しかし、多種多様な文化を持つインドと、たくさんの出会いによって、一気に自分の中で変化が起こり、一番学べた素晴らしい時間になった。
旅の最後にボランティアや瞑想修行、チベット文化圏を持ってきたのは本当にいい体験だったし、勉強になった。

振り返ってみると、インドに限らず、僕がこの旅で一番大切にし、一番助けてもらい、一番大好きだった時間が、「人」と接している時間だった。
本当に自分は人が大好きなんだと感じた。
人と接して、人を知っていくことが好きなんだと感じた。
こどももおとなも現地人も旅人も。


どんなことにも人は関わってくるけど、人ととことん接していけることをこれからしたいと思っている。

自分で選んで進んで、作り上げてきた、この旅の道。
11ヶ月という長さは、長くもなく短くもなかった。
最初から、期間を決めての旅で、その中で何をして、何を感じて、何を見出すかが僕の旅だった。
今、思えば本当に起承転結がしっかりとできている、よい旅になった。

ただ、旅も人生も結局は自己満足。
世界一周なんて一年なんかじゃ到底無理!
えらそうにブログを書いてきたけど、僕の旅なんて所詮「世界一周体験」。


っていうか、旅で見たこと、経験したこと、全てが所詮は、「うすっぺらい、体験程度の自己満足」。
でも、自己満足できたかどうかが一番大事だとも思う。


だから、海外の危険や、職を失うリスクを侵してでも、自分で選んで歩いてきた道を、この旅を、今、最高に誇りに思っている。

最高に気持ちいい自己満足。
これでいいと思ってる。

自己満足を抱えて、胸を張って日本に帰れるのは幸せなこと。

ただ、胸を張って帰るだけではダメだとも思っている。


多くの旅人がそうなように、まだ旅をしたいという気持ちがないわけではないが、今はそれよりも早く帰って日本での自分を見つけたい。
日本に帰り、再び旅に出る旅人も多い。
また旅に出ることは、人によっては攻めの選択だけど、今の自分には、きっと逃げになると感じている。
旅には、特に長旅には、旅をした者にしかわからない世界があると思う。
そこにしかないもの、そこに行かないとわからないことがたくさんあると思う。
旅には、ブログにはうまく書き表せないような素敵なこともたくさんたくさんある。
旅は本当に素敵だけど、悪い言い方をすれば、中毒にもなると思う。
だから、僕は当分この世界には戻ってこない。
僕は日本がベースで、日本で生きていくと決めている人間。
外に出て僕はやっぱり日本が一番好きだと思ったし、たいせつな家族や仲間もいる。

だから、ちゃんと日本での自分を見つけたい。
それを見つけて、突き進んで、またいつか旅に出てみたい。
それがいつかになるのかはわからないけど。
おじさんになったらなのか…おじいさんになったらなのか…はたまたあの世への旅となるのか…。

とにかく、これから日本に帰って、頑張り始めて、でも辛くなったときに、この旅のことを思い出して、「あの旅をしてたときは楽しかったのにな」なんてことを思わないように、背筋を伸ばして、目の前の今を大好きに生きていこうと思う。


最後に、僕がこの旅を無事に終えられたのは、まぎれもなく、僕の大好きな人たちのおかげです。
笑顔でいってらっしゃいを言ってくれた人たち、ブログを見たり、メールをくれたりして応援してくれていた人たち、旅で出会いお互いを応援しあった旅人たち、そして最大限のサポートをしてくれた、父、母、兄。
皆さんの助けや応援がなければ一周して来れなかったと、真面目に心から思っています。
本当にありがとうございました。

日本にいる人、今は海外にいる人…
近い日の人もいれば、遠い日になる人もいるけれど、みんなにみんなに会いたいです。




ブログなんて、それこそ自己満足の極みで、勝手に生意気に全てを知ったようにかっこつけていろいろ書き続けてきたけど、そんなヘンテコブログでも、何か一つでも感じてもらえることがあったなら、すっごく嬉しいです。


最後まで見ていただき、本当にありがとうございました!




■追伸
旅は終わったけれど、ブログは少しの間だけ、以下の題目の予定で、ゆるい感じで更新していき、そのうち静かにフェードアウトしていきます。

・ブラジル・サルバドールのカーニバル
・更新しきれなかった写真集(こどもや食べ物)
・ここがよかった!おすすめの国、場所。
・久々の日本に来た感想
・現在も旅を継続中の旅人ブログ紹介

ブラジル・サルバドールのカーニバルの更新は写真データを宿に忘れてしまったため更新できていませんでした。
この旅一番の盛り上がりの時!
是非是非見て欲しいです!

帰国後、少し寿司とか納豆とか梅干し食って、写真の整理などしたら、また更新し始めます。
1週間以内には更新します。

そんな感じで、まだお付き合いいただける方は、まだまだ生意気に頑張りますので、是非ぜひご覧下さい!


今はもう、自分の国、日本に帰ってきました。


世界一周してきました!!


ただいま!



原田諒二(はらだりょうじ)

「世界一周ダイアリーズ」
http://ryooz.blog116.fc2.com/

連絡はこちらまで。
ryojiharada9@gmail.com


ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
スポンサーサイト

インドに感謝。 

インドの旅を終えて・・・

インドには様々な思いを持って入ってきた。
いろんな先入観があった。
特に強かったのはマイナスなイメージ。
汚い、盗難などの犯罪が多い、空港からのタクシーが信用できない、嘘つきだらけ…

これらは間違っていなかったものもあるが、運よく犯罪の被害には遭っていないし、そこまで嫌と思うこともなかった。

それまでの旅で汚なさには十分慣れていたし、嘘つきや騙しはインドに限ったことではなかった。
どこでも、嘘つきや嫌なやつより、親切ないいヤツの方が多いことはもう経験していたし、どんな人とのやりとりも楽しめるようになっていた。

それでも、驚きはたくさんあった。

野良牛、野良人、カーストによる貧困、意味のないよくわからん嘘や、意味のないよくわからん絡み。

さっき、どんな人とのやりとりも楽しめるようになったとは書いたものの、思い出してみると、やっぱり数回はキレた。

インドに来てキレない人がいたらすごいと思う。



インドに来た人は、インドを大好きになるか、大嫌いになるかのどちらかだ。ということをよく聞く。

僕の知っている人でも二度と行きたくないという人が数人いる。
犯罪や汚なさ、人や町のうるささが主な原因だ。


僕はというと、2ヶ月以上滞在した今、とにかくインドが好きだ。

良いところもむかつくところも含めて、そのカオスが好きだ。

人生で最低一回は、またインドに来る。


では何がよかったのだろうと振り返ってみると、大きく二つの理由がある。



一つ目の理由は、インドの持つ多様性だと思う。

インドは広く、全土をしっかり回るには最低でも約半年くらいは必要だと思う。
僕はデリーからコルカタを結ぶ定番ルートと、デリーより北のラダック地方と、その麓の町にしか行っていない。

南インドはシーズンが合わなかったが、海に面しているところも多く、シーズンにはパーティが行われるところもたくさんあり、また違ったインドの顔を持っている。

インドは広い。そして、本当にたくさんの顔を持っている。
地域によって変わる、地形、気候、宗教、人種、文化…。
ところ変われば、まるで異国に来たような錯覚にさえ陥る。

それが面白かった。



2つ目は、知識・学びの宝庫という点。

上で書いたように、国土が広く、地域性が様々で、文化も他国と比べ「特に特質」なので、学ぶことも多い。

マザーテレサとマザーハウス、ダライ・ラマとチベット問題、カースト制度と貧富、ヨガ、瞑想、太鼓をはじめとした多種多様な楽器、同じくヒンドゥー、シーク、ジャイナ、仏教などの宗教…。

本当にたくさんの学ぶべきものが転がっていた。

これから調べたい、学びたいと思う、学びのきっかけ、ブックマークになるようなものがたくさんできた。

僕は、「沈没」といえば思い浮かぶのはインドで、さらにそのイメージは麻薬による沈没だった。
確かにそういう人もいたが、それよりも遥かに、目的を持った長期滞在をしている人が多かった。

ヨガを習ったり、ボランティアをしたり、楽器を作ったり習ったり、宗教や言語の勉強をしたり。

そういう目的を持った長期滞在をしている人が多くいた。

だから、おのずといい出会いもたくさんあった。
いろんな感性や考えを持った人と接することができ、自分もたくさんの刺激を受けた。


僕自身は、マザーハウスのボランティア、ビパッサナ瞑想、ダライ・ラマティーチング、それとヨガをちょっと体験したくらいだったが、それでもそれらを経験したことで、この長旅の中で一番自分が変化した時期が、このインドでの2ヶ月になった。

その変化は、長旅の最後で今までの旅での経験の積み重ねがあったから、ということでもあるけど、インドという国の力がかなり大きいと思う。




インドを旅の終わりに選んだことは、自分にとって最良の選択だったと思う。

インドは、僕の旅の総仕上げをしてくれたと思っている。

文化や出会いにより、たくさん学んだり、これから学ぶための、学びのブックマークをたくさん作ることができた。

やりたいことが増えた。

日本に帰って頑張ろうという活力がどんどん湧いた。

いい状態で日本に帰れる。

そう思わせてくれたインドに感謝。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ダラムサラ・ダライラマ 9月13日~25日

ヴィパッサナが終わり、山を降り下界に出てきた。

ダラムサラの町
DSCF3993_convert_20090924142954.jpg


ダラムサラは、1959年のダライ・ラマのインド亡命以来、チベット亡命政府があり、ダライ・ラマの邸宅もここにある。
また、同時にチベットが中国に併合されたときに、チベットを逃げてきたチベット難民も多い。


標高は約1800m。
まわりは山に囲まれた町。

DSCF3995_convert_20090924143131.jpg


DSCF3960_convert_20090924142819.jpg



ダラムサラもマナリのように、いくつかの地区に分かれている。

一番賑やかな中心地区はマクロード・ガンジ。
DSCF4009_convert_20090924143616.jpg
町の中心の広場。

旅行社、お土産屋、レストランが並ぶ。
DSCF3880_convert_200909241417501.jpg

DSCF4063_convert_20090924143743.jpg

お土産も料理も人も、レーのように完全にチベット文化が浸透。


さすがにチベット僧の数も多い。
DSCF3874_convert_200909241416011.jpg

DSCF3876_convert_20090924141623.jpg


町中に寺院もある。
DSCF4004_convert_200909241432291.jpg


もうひとつの地区・・・

バグス

DSCF3940_convert_20090924142602.jpg

DSCF3992_convert_20090924143004.jpg

DSCF4062_convert_20090924143733.jpg

DSCF4038_convert_20090924143628.jpg

マクロードガンジから山道を歩いて20分ほど。

バグスは山の斜面にあり、森に囲まれた落ち着いた場所。


バグスから、少し山道を歩けば、大自然の真っ只中。

DSCF3903_convert_20090924141817.jpg

DSCF3966_convert_20090924143115.jpg

DSCF3931_convert_200909241425361.jpg

DSCF3930_convert_20090924142505.jpg

DSCF3906_convert_20090924142016.jpg

カフェもある。
DSCF3910_convert_20090924142003.jpg

DSCF3920_convert_20090924142101.jpg


瞑想もできる。
DSCF3925_convert_20090924142241.jpg



■ダライ・ラマティーチング
先日更新したように、レーにいるとき、ダライ・ラマティーチングを受けた。
というより、見に行った。
そして、そのまま何も気にせず、レーからマナリ、ダラムサラと降りてきた。
ヴィパッサナが終わったあと、一緒に受けた受講者が言った。

「もうすぐダライ・ラマティーチングだね」

へぇ~。またあるんだぁ。

でも、もうすでに僕はレーで行ったし、どうせ言葉がわからないし、ダライ・ラマを一目見ることはできたし、今回は別に行かないでいいやぁ。


「受けるには、登録の申請をしにいかないとダメみたいだよ」

いや、僕はもう行ったからめんどくさいし行かないよ。


「日本語同時通訳もあるらしいよ」



ほ~~う。


行くぅ!



ダライ・ラマティーチングに参加するには登録して許可証をもらわなければならない。
レーでは登録は必要なかったのだが、今回は寺院内だからなのか必要ということだった。

当日行くと、これまたレーの時より厳格なチェックが待っていた。
カメラ、携帯の持ち込み禁止。
入場前にはかなり厳しいボディチェックと持ち物検査。

ここでもやはり受講者の数は多く、、チベット人、外国人問わず、たくさんの人が詰めかけた。

僕は前回のレーでのティーチングのときは、何もできなかった。

言葉がわからなかったし、ダライ・ラマや、チベット問題、チベット仏教について何も知らなかった。

ただダライ・ラマを拝んだだけだった。

今回は日本語同時通訳もあるというので、直前に必死にダライ・ラマ14世の自伝を読み、ダライ・ラマやチベットの仏教や歴史について、勉強した。

ティーチングは三日間。
全てのティーチングに参加した。

今回は前回より会場の規模が小さくかなり近くでダライ・ラマを見ることができた。

ダライ・ラマとチベットについての知識を頭の中に入れた後に見たダライ・ラマは、全く違って見えた。

その笑顔の裏にある数々の苦悩の歴史、いまなお静かに戦い続ける独立への願い。

ダライ・ラマを崇拝する人が多い理由が少しわかった。


今回のティーチングは、主に仏教の教典の解説。
その中でも、覚りに至るための瞑想法と、菩提心についての解説がメインだった。
チベット仏教に特化した講話ではなく、僕のような初心者でもわかるように、仏教の基本の考えも織り混ぜた丁寧な講話で、わかりやすいところもあった。

僕はヴィパッサナを受けた直後だったので、すごく理解がしやすかった。

というのは、仏教において覚りに至るための瞑想は、仏陀の瞑想法からきており、ヴィパッサナも、仏陀の瞑想法を教えているものだからだ。
またヴィパッサナで毎日行われる講話も、仏陀の考え、精神が中心となったものだったし、今回のティーチングの中でも、仏陀の話が度々出てきていた。

僕は、最近まで仏陀が人だということも、仏陀が人の名前ではないことさえも知らなかった仏教徒として恥ずべき人間だが、今回のヴィパッサナとダライ・ラマティーチングで、仏教について知るきっかけ、入口が開けたと思っている。

しかし…

前回のレーと、今回のダラムサラ。
二回とも寄付することでもらえる、ダライ・ラマによりブレッシング(祈りが込められた)された赤い紐を失くした。
二回も失くすとは縁がないのかな。。。



仏教では、科学的に証明できないようなことを信じることがあるが、(他宗教でもあるが)今まではそのようなことに対し、嫌悪感を抱いていたし、全く信じることができなかった。
しかし、今回のティーチングでそういうことがあるのかもしれないと思うようになり、少しスピリチュアルな分野にも一つの知識として興味がわくようになった。
ただ、未だに輪廻転生、及び解脱の考えを受け入れることはできないし、今更、自分の宗教の敬虔な信者になるのは難しい、というか気が進まないが、仏教徒として最低限の知識を学び、日常生活でも生かせるようなことがあればそれを取り入れていくのは、意味のあることなのではないかと思う。
そしてそれが仏教以外の宗教でもいいのだということに気づいた。

ダライラマも、「すべての宗教の目的は同じで、人間の善なるものを育み、あらゆる人間に幸せをもたらすこと。その手段は異なるように見えても、その目的は同じ」と言っている。
大事なのは、幸せになろう、成長しようとする向上心を持ち続けることと、学びと実践の繰り返しなのだろう。

それと、今回、ダライラマの自伝を読み、ダライラマティーチングを受け、チベット文化、チベットの人々と接しながら、チベット問題を実感として知ったことで、歴史を知ることの大切も学んだ。
中国がチベットにしたようなことを、日本も中国や朝鮮・韓国などの国にしたことをもっと知らなければならないし、深い背景を知らずに、薄っぺらい知識だけでわかった気になり、一概に一国を批判するのもよくないと思った。

そして自分が“実感を通して”知ったことは、まだ知らない人に教えたり、教えるということまではできなくても、そのことを少しでも知ってもらうきっかけを作ることをしなくてはならないと思った。

だから、このブログでチベット問題や、またその他のことに少しでも興味を持ってくれた人がいたら嬉しいと思う。



このレーから始まりダラムサラに終わったチベット文化圏の旅では、食わず嫌いでとにかく毛嫌いしていた、宗教やスピリチュアルな世界への抵抗が弱まった。
そこからも学び吸収できるものもたくさんある。

瞑想、ヨガ、チベット文化、本、そして旅人…
ダラムサラには自分にとって学ぶべきことがとても多い。
そしてチベット人やチベット文化が好きになってしまったため、もう下手に動かず、このまま旅の終わりをここで迎えると決め、留まった。

そして、いよいよ旅が終わる。



■継続は力なり

ヴィパッサナが終わり1週間以上が経った。
ヴィパッサナ終了直後にダライ・ラマティーチングが三日間あり、ヴィパッサナ終了後は5日間ほど全く瞑想などしていなかった。
が、ヴィパッサナが終わるとき、続けるようにと言われていたし、同じコース受講者が毎日続けていたので、早いうちに、僕もリスタートすることにした。
せっかく学んだのだから実践し続けなくては!

5日ぶりの瞑想は、ボロボロ。
一時間が一時間半くらいに感じるし集中できない。
ヴィパッサナで教えられたことが全然できなくなっている。
運動と同じで、やはり続けていなくてはすぐにダメになってしまう。

それからは、毎日するようになった。

ヴィパッサナを受けた施設では、毎日、朝と夕に一時間ずつ瞑想ホールを解放してくれている。
僕は夕方のみ毎日行くようにした。
同じコース受講者も何人か来ていた。

再スタート4日目くらいから感覚が戻り、その後はさらによい感じになっている。
本来は朝夕一時間ずつやらなきゃいけないのだが、あまり負担にならずに続けられるように夕方のみやっている。

もう一時間座っているのは身体的には全く苦じゃない。
ヴィパッサナコース中は疲れもあったのだろう。

今では瞑想時間の後半は気持ちがいいほど。

希望者が来てホールに集まりやっているので、ホールの空気もすごい。
瞑想中、たまにホールには自分以外誰もいないかのように何も聞こえない。
そういう集中の空気というのはすごく大事で、瞑想に入りやすい。

果たしてダラムサラを去っても、一人で続けることができるのか…?

一応、この場で、ちゃんと続けます宣言しときます。


ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

修行を終えて & 帰国日のお知らせ

■帰国日のお知らせ

帰国日が決定しました。

9月28日、日本(成田)着です。

当初の予定では、9月22日の飛行機で帰ろうとしており、
9月22日、922、くにに、国に帰る!という語呂を狙っておりましたが、あえなく満席。
よって、インド9月27日発の便で28日に日本着になりました!!

取り急ぎ報告まで・・・





って言いながら、昨日の続き、更新しちゃいます☆

■ヴィパッサナ瞑想修行の感想

何かが変わるんじゃないかと思って受けたヴィパッサナ。
つべこべ言わずにやったヴィパッサナ。
っていうか、つべこべ言えないヴィパッサナ。(人と話すの禁止)

僕がどれだけ変われたかわからないし、それはこれからわかってくるのかもしれないけど、とにかく今の時点で、本当に良い経験だったと思っている。


瞑想法については個人が人に伝えることは禁止されているので、あまり触れないように感想を書こうと思う。
ただ、その中で、ビパッサナ以外の何かの教えでも説かれていることは、少し触れながら感想を書こうと思う。

それでも、これからビパッサナのコースを受けようと思っている人は、読まずに何の先入観を持たずに受けたほうがよいのではないかと思う。



僕もなるべく事前に入れる情報を少なくして、コースに臨んだ。
外国で、そんなよくわからないもの受けて大丈夫なのか? と思われるかもしれないが、たくさんの旅人が受けていたし、バラナシの日食の際に一緒にいた、信用でき、尊敬する旅人たちがすでに受けていたので受けることに決めた。
ただ、その人たちからのコースの感想は「よかった」ということしか聞かなかった。


そして、そのまま、とにかく素直に教えに従い真面目に受けたので、吸収したものは本当に大きなものとなった。

嬉しかったのは最終日に、何人かの受講者に、修行中の姿勢を誉められたこと。
「常に全く動かなかったね。」とか「いつも必ずホールに留まって瞑想していたのはすごいよ。」とか「仏像かと思った」、「あまりに姿勢よく、いつも動かないから、どっかの寺の息子かと思った」とまで言われたのには驚いた。


気をつけていたのは、コース日程を「耐えるだけ」「こなすだけ」にならないこと。
そのため、なるべく厳しい環境に身をおくようにした。
休憩時間以外、グループ瞑想のホールから出ないと決めたのは、その一つだ。

こういうストイックな環境で人に誉められるのは素直に嬉しいし、規律正しく忙しい日本に帰る前の自信にもなった。


ビパッサナの目的は、自分の心と体の探究、そして浄化だ。
心と体は、自分の感覚でつながっていることを、瞑想という行い(修行)を体験しながら、毎日夜に行われる講話を聞くことで、心と体の両方で理解する。


まず、最初の3日間は、呼吸を使った集中を高める修行。
この修行では、呼吸(体)と感情(心)のつながりに驚いた。


4日目からは、ビパッサナ。
ビパッサナでは、生きてく中で、とても大切なことを学んだ。


僕がビパッサナのすごいと思うのは、これを、修行の体験と講話による知識の両方を用い、理解させるだけでなく「体得させる」というところ。

講話や本という、ただの外部からの知識だけで聞いていたら、理解度は確実に低かった。
というか、勝手に理解した気でいたはずだ。

逆に、ただ瞑想をしているだけでもダメで、講話を聞くことで、それが心に染み込んでくる。

修行という体験をしながら、それに対する講話を聞かせ、心と体に定着させる。
どちらが欠けても、意味のないものになると思った。
つまりは、「やってみないとわからない」のである。


禁止されていることが多いのは、とにかく修行の対象が、最初から最後まで「対自分」でしかないからだ。人や本などの知識と接触する必要がないし、人と話したりすることで、他人の感覚が入ってきてしまい、自分と向き合うことや、修行の目標への遠回りにもなってしまう。


今までやった人たちがビパッサナ後、多くを語らず「とにかくやってみな」と言う理由はそこにあったのだ。

また、神も宗教もお経や呪文も全く関係ない。というか、それらもコース中は完全に禁止。
いかなる宗教の人も祈りはしていなかったはずだ。
それらは、修行の対象が、「自分」ではなくなってしまうのだ。

よって、宗教、宗派は全く関係ない(元は仏陀が覚りを開いた瞑想法だが、仏教は関係ない。仏教は仏陀の死後生まれ、宗派が枝分かれした)が、語ろうとすると、少し宗教的に聞こえてしまうのも、皆があまり感想を語らない理由の一つだと思う。


だから僕も、学んだこと、体得したことは、とにかくたくさんあり、たくさん伝えたいけれど、もう十分読んでいる人には、訳のわからないことになってると思うし、僕は一回体験しただけでまだまだわかっていないことばかりだし、うまく説明もできず、ビパッサナ瞑想に対する誤解を招く原因にもなるので、ビパッサナについての説明はここでやめようと思う。

あとはやっぱり「やったほうがいい」。

日本にも京都に10日間コースを受講できるセンターはあるので、興味のある人は、是非調べてみてください。





■ビパッサナを終えて、町に戻り、今思うこと
ビパッサナをやって自分に変化はあったと思う。
少し落ち着いたと自分で思うし、ビパッサナ前に会った人にも落ち着いたと言われた。
とはいえ、僕は人一倍、いや人二、三倍落ち着きのない人間なので、落ち着いたと言っても、人二、三倍が人一倍になった程度だろう。


そして、何より、ものの考え方、物事の受け止め方が変わった。
ただ、これからも瞑想を続けなければ意味がなく、そのまま何もせず日常に戻れば感覚を忘れていってしまうと思う。

僕はビパッサナを自信を持って絶賛するし、「変わりたい」とは思うけれど、「変わりたくない」と思う自分もいる。

変わるのが怖いのかと言われればそうかもしれない。でも、そうではなくて、こんなに未熟で弱い自分だけど、今まで会った仲間や友達が好んでくれていた自分は大事にしたい。
それは甘い、それじゃ強くなんてなれない、とも思うけれど、それでいいと思っている。

また、ビパッサナでは全ての、どんな感情に対しても平静でいなければならないが、幸せな気持ちや喜び、楽しさなんかの感情は、たとえ、ビパッサナなどの瞑想法の観点からは間違っていると言われても、素直に表現したいし、素直に表現していくつもりだ。

僕は、ビパッサナや旅の中で、「学び吸収したこと」と、「元の自分」とのバランスを大切にしたい。



その上で、強くなろうとか、成長しようという気持ちを忘れずに、常にあがき続けていきたいなと思った。

その中で、また自分が必要だと思うときに、もう一度ビパッサナを受けようと思っている。
ただ、苦しいとき、悲しいときに、ビパッサナや、瞑想に逃げるようなことはしないようにしたい。



ビパッサナの修行の最中、集中できず、頭の中にたくさんのことが浮かんできた。
集中できておらず、良くないことなのだが、1日11時間の瞑想、本当にたくさんのことが次々と浮かんできた。

小さい頃のこと、両親や兄のこと、祖母や親戚、旅に送り出してくれた全ての方々、友達のこと、恋愛のこと、旅で出会ったたくさんの人たち、過去の苦い思い出、楽しい思い出、未来への心配事、楽しみ…

それに伴う後悔や反省、期待と不安…

尽きることがなかった。

それくらい集中できていなかったことにもなるが、休憩時間や寝るときなど、一つ一つ、大切に考えた。

謝りたい人、優しくしたい人、忘れちゃいけないこと、挑戦したいこと、我慢したほうがいいこと、やらなくちゃいけないこと…

修行とは違った意味でも、帰国前に自分と向き合うことができた。

旅の最後にヴィパッサナを選んだことは最良の選択だったと思う。

自分の旅の終わりにふさわしいものだった。

このヴィパッサナが終わったと同時に、旅が終わったと感じた。

後は、この旅を振り返りながら、これからのことを考えながら、帰国のときを待つ。




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

修行 ~新しい扉を開けて~ 9月1日~12日

いよいよ、この旅最後の地に着いた。

ダラムサラ。

しかし、着いた翌日、この旅最後のイベントが始まる。

イベントに選んだのは…

瞑想修行だ。



受けるのは、、、


■ヴィパッサナー瞑想

ヴィパッサナー瞑想は、僕では説明しきれないので、日本ヴィパッサナー協会のHPやその他のHPから文を抜粋しています。

ヴィパッサナー瞑想はインドの古い瞑想法です。
2500年前にブッダが人々を苦しみから解放するために、生涯を通して教え続けた修行法です。
しかし時代が下るとともにその瞑想法が失われ、唯一、ミャンマーで師から弟子への直伝という形で保たれてきました。
ミャンマーのヴィパッサナー指導者のサヤジ・ウ・バ・キンから、ゴエンカ師はヴィパッサナー瞑想法を学び、まずインドで指導を開始し、世界各国に広まりました。
日本では京都にセンターがあります。

ヴィパッサナーの教えは仏教の伝統のもとで守られてきましたが、どのような宗派にも属しません。
ヴィパッサナーのコースはそれを真剣に学ぼうとする全ての人々に解放されています。人種、信仰、また国籍の区別はありません。キリスト教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、ジャイナ教徒、イスラム教徒、シーク教徒、仏教徒、またその他の宗教を信仰する在家の人々や、どんな宗教を持たない人々もコースを受けています。

ヴィパッサナー瞑想法を学ぶためには、ゴエンカ氏によって任命された指導者のもとで行われる、十日間の合宿コースに参加する必要があります。
ヴィパッサナー瞑想法の真髄を学び、それを日常生活に活かすには、十日間継続して修行することが最低限必要だからです。
コース中、参加者はコース地にとどまり、外部との接触を持ちません。
読み書きをせず、また宗教儀式やその他の修養も一切中止し、約11時間の瞑想時間とそれを細かく区切る休憩時間という毎日のスケジュールに従います。
最初の九日間は沈黙を守り、他の参加者との会話やコミュニケーションは禁止されますが、瞑想法を明らかにするために指導者と話すことはできます。
また食べ物、宿泊施設、健康などに関してはいつでもコースの世話役に相談できます。

10日間コースの費用ですが、自分のコース費用は以前に受講した人の寄付によってまかなわれています。コースに参加するための費用は、食費・宿泊費を含めて一切請求されません。コース終了後に、受講者が他の人々にも同じ機会を与えたいという自発的な意志があれば寄付を行って帰ります


また、ヴィパッサナー瞑想は、すでにコースを受けた人でも、個人が勝手にヴィパッサナー瞑想のやり方を教えることは禁じられています。
指導者による正しい瞑想法を習得することが必要とされています。




ということだが、個人的に、もっと簡単にまとめると。。。

10日間、以下の注意事項を守り、教えのとおりに瞑想する。
(規則、禁止事項はほかにもあるが、ここでは一部を紹介します。)


■禁止事項
・人と話すことが禁止
・目を合わせるのも禁止(歩くときなどは目を伏せる)
・読み書きが禁止
・音楽を聞いたり、たばこを吸ったり、本を読んだり・・・娯楽品、嗜好品はすべて禁止
・コース期間中は、いかなる神も宗教もお経や呪文も祈りも禁止


禁止されていることが多いのは、とにかく修行の対象が、最初から最後まで「対自分」でしかないからだ。
人や本などの知識と接触する必要がないし、人と話したりすることで、他人の感覚が入ってきてしまい、自分と向き合うことや、修行の目標への遠回りにもなってしまう。

※コース中、男女1名ずつ、アシスタントティーチャーがいて、指導、指示を受けたり、質問もできる。


また、神も宗教もお経や呪文も全く関係ない。というか、それらもコース中は完全に禁止。
いかなる宗教の人も祈りはしていなかったはずだ。
お経や呪文の禁止は、「対自分」から離れてしまうものだからだ。


よって、宗教、宗派は全く関係ない(元は仏陀が覚りを開いた瞑想法だが、仏教は関係ない。仏教は仏陀の死後生まれ、宗派が枝分かれした)。

参加者は僕のときは、男女各40人近くで、おそらく計約70人。

インド人、イスラエル人、ドイツ人、イギリス人、アメリカ人、シンガポール人、台湾人、韓国人、日本人・・・
欧米、中東、アジア。いろんな地域から受講者がやってきていた。
キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教、仏教・・・もちろん宗教もさまざまだった。


同じ敷地内だが、男女のエリアはしっかりと別れている。
全員で瞑想をする、グループ瞑想の時以外は顔を合わすことはない。



■ヴィパッサナ受講のきっかけ

自分は、日食を一緒に見た旅人から、このヴィパッサナの話を聞いた。
初めは単なる好奇心でやろうと思った。
「10日間、人と話さないなんてどんな世界だろう?」
「自分がやったらどうなるんだろう?」
そんな思いだった。


ちなみに僕は…
・宗教と、宗教的なことが苦手
・スピリチュアルな世界も苦手
・いかなる神も信じていない


しかし、そのストイックなルールに興味があったし、旅の最後に、自分ととことん向き合ってみたかった。
自分と、この旅と、思いっきり向き合って帰ろうと思った。


ビパッサナは非常に人気があり、毎回予約がいっぱいになる。
僕も早めにインターネット上で予約しておいた。

インド各地でできるが、経験者の評判がよいダラムサラでやることにした。


そして、前日にダラムサラに入った。
遅れているブログ更新のためネット漬けになったが、 夜には、少し緊張し始める。

当日は14時集合。

午前中から本は読まず、音楽は聞かないようにして、ご飯も少なめに食べた。

ポカラで食中毒になって以来、健康と集中力のために、大食い卒業目指し、食べる量を減らしていた。
それはまた、ヴィパッサナでは夕食が軽食であることを知っていたからでもある。


ちなみに、「外国で、そんなよくわからないもの受けて大丈夫なのか?」 と思われるかもしれないが、バラナシの日食の際に一緒にいた、信用でき、尊敬する旅人たちがすでに受けていたので受けることに決めた。

ほかにも経験者に何人か会ったが、なるべく修行の内容は聞かないようにしていた。
経験者たちもあまり多くを語らず、とにかくやってみたほうがいいという人が多かった。
ちなみに経験者のほとんどが「よい経験をした」と称賛していたので、怖さはなかった。

とにかく、先入観なしで、素直な心で飛び込もうと思った。



ダラムサラの町の中心から、リクシャに乗って、山に入っていく。
町からはせいぜい2~3kmだが、一気に山奥に入ってきたような景色になる。
DSCF4014_convert_20090923203025.jpg


到着。

ヒメイシャル・ビパッサナ・メディテーションセンター
DSCF4019_convert_20090923203034.jpg
商店のとなりの門が入り口

DSCF4020_convert_20090923201649.jpg

DSCF4026_convert_20090923201705.jpg


シンプルな建物が並び、まわりは森。
とにかく木しかない。
DSCF3780_convert_20090923202217.jpg

DSCF3787_convert_20090923202216.jpg

DSCF3839_convert_20090923202824.jpg


DSCF3760_convert_20090923201919.jpg

まさに、インドの山奥で修行といった感じだ。


登録を行い、荷物を預ける。
パスポート、お金、財布、iPod、携帯、本など読み物、筆記用具、飲食物…
修行に関係の無い物、娯楽品、嗜好品は全て預ける。


寝床に荷物を置きにいく。
僕の寝床は、数種ある寝床のの中で一番簡素。

写真中央の青い建物
DSCF3844_convert_20090923202644.jpg



建物と言っても、仮設テントのような感じ。

DSCF3779_convert_20090923202051.jpg
20人ほど、このテントの中で寝る。


寝るところは一応、となりと布で仕切れるようになっている。
DSCF3767_convert_20090923202024.jpg



2時間ほどの休憩時間があり、そのあいだに、入り口の商店でコーラとビスケットという、「贅沢」をしておいた。


そして、コースの説明、注意事項など、オリエンテーションを受ける。




■ビパッサナ1日の日程

4:00 起床

4:30~6:30 自分の場所か、ホールにて瞑想

6:30~8:00 朝食、休憩

8:00~9:00 グループ瞑想

9:00~11:00 自分の場所か、ホールにて瞑想

11:00~13:00 昼食と休憩

13:00~14:30 自分の場所か、ホールにて瞑想

14:30~15:30 グループ瞑想

15:30~17:00 自分の場所か、ホールにて瞑想

17:00~18:00 ティータイム

18:00~19:00 グループ瞑想

19:00~20:30 講話

20:30~21:00 ホールにて瞑想

22:00 消灯


■グループ瞑想
受講者全員が同じホールで瞑想する。
グループ瞑想中は、ホールの外に出てはいけない。
午前、午後、夜に一時間ずつある。

グループ瞑想のホール前
DSCF3789_convert_20090923202319.jpg



■自分の場所またはホールにて瞑想

「自分の場所」というのは、自分が寝るところのスペース。
一人部屋の人もいれば、僕のように仮設テントみたいなところに寝る人もいる。この時間は、ホール内に留まらなくてもよく、自分の場所で瞑想してもよい。
が、休憩時間ではないので、しっかり瞑想しなければならない。




■食事について
DSCF3797_convert_20090923202340.jpg


全般的に質素な精進料理。

・朝食
甘いもち米or芋を茹でた料理、何かの芽、ミルクティー、果物1カット(1個)、

・昼食
米、野菜スープ、ダル、カレー味の温野菜、果物1カット(1個)、or甘い菓子、ヨーグルト

・ティータイム
夕食ではなく、ミルクティー、スナック、果物1カット(1個)。


精進料理と言っても、朝と昼は、かなりしっかりとしたものが出る。
おかわりもできる。
味は薄味で、辛味がない。
お腹を壊す心配はなさそう。
夜はスナック菓子のようなもののみの軽食。
ちなみにビパッサナを受けるのが二回目以上の人は、夜はレモンウォーターのみ。
果物はバナナ、青リンゴ、パパイヤ。


オリエンテーションを受けた後、20:00からの、夜のグループ瞑想開始時間から、ノーブルサイレンスが開始される。




■ノーブルサイレンス
コースの開始から、十日目の午前十時までは、ノーブルサイレンスを守らなければならない。 ノーブルサイレンスとは、身体・言語・精神の沈黙を指す。
身体によるジェスチャー、書くこと、合図などのいかなるコミュニケーションも禁じられている。


グループ瞑想後、皆うつむき、誰も話をしない、目も合わせない。


いよいよ10日間の修行のはじまりだ。



※ノーブルサイレンスのルール上、何か書き留めることも禁止されているため、記憶だけを頼りに、修行の様子を書きます。
また、最初のビパッサナの説明でも書いてあったように、修行の内容は、人に伝えることが禁止されているし、僕はうまく伝えることができず、誤解につながるので、あまり詳しくは書きません。
が、日本ヴィパッサナ協会のHP上に書かれているようなことは、ここでも書きます。
ただ、とにかくやらなきゃわからないものです。

やろうと思っている方は、あまり読まないほうがいいと思います。


・0日目

20時からグループ瞑想。
まずは、瞑想のやり方を教わりやってみる。

最初の3日間は呼吸を使った瞑想をする。

常に自分がしている呼吸を観察する、ということだ。
ヴィパッサナ瞑想法に入るのは4日目からということだ。

この呼吸は鼻呼吸になるため、アレルギー性鼻炎の僕は、息が苦しい…
毎日この鼻づまりと戦わなくてはいけないのか…

グループ瞑想が終わると、もう誰も目を合わせないし、話すこともない。
明日からの修行に向けて、すぐに寝た。




・1日目

とにかく鼻炎がつらい。
呼吸の際、息がなかなか入ってこないし、息がなかなか出ていかない。
少しうまく呼吸できても
集中どころではない。

長時間のあぐらもきつく、痛く、何度も足を組み変える。

この日、午後のグループ瞑想の後、「オールドスチューデント(経験者)以外は、自分の場所またはホールで瞑想」と言われたのを、「オールドスチューデント以外は自分の場所で瞑想」と言われたと思い、自分のベッドの上で瞑想した。
しかし、なんと気がつくと眠ってしまっていた…。
その夜のグループ瞑想で、「オールドスチューデント以外は自分の場所またはホールで瞑想」ということだったことに気づき、もう二度と寝ないために、寝にくく、集中できる環境にいるために、ホールで瞑想できる時間は、全ての時間、ホール内で瞑想することに決めた。





・2日目
この日は朝起きたときから、1日中、雷雨だった。
「波乱の幕開け」の演出だろうかと思うほど激しい豪雨…

瞑想の調子はというと、全然集中できない時間が続く。気がつくと瞑想で集中しなければいけないこと以外の、全く他のことを考えている。
他のことを考えてしまっていることにも気づかず、他のことを考えているのだ。
考えることは、過去と未来のこと。
良いこと、悪いことに限らず過去の出来事、思い出が頭の中に浮かんでくる。
そして、未来のこと。
主に、ああしたい、こうしたい、こうしようという願望、渇望だ。
この2つが頭から離れない。
10秒間でさえ、「現在」に集中できないのだ。

さらに、痒みが発生し掻いたり、痛みが発生して姿勢や座り方を変えたり…

自分がこれほどまでに現在に集中することができないのかと思い知らされる。


鼻呼吸については、最初は苦しかったが、ずっとしていると通りやすくなってくるもので苦ではなくなってくる。
ただ、たまにピー、ピーと、鼻が鳴ってしまうけど。






・3日目
少しずつ集中できている時間が長くなる。
そうやって、調子のいい時間帯があったのだが、休憩を挟んだりしただけで、また全く集中できなくなっていたりする。
少し進歩したのに…と思うが、また逆戻りしてしまった気分だ。
その嫌悪感がさらなる嫌悪感を生みますます集中できなくなっていく。

心と体は密接につながっていることにも気づく。
何か感情が動くと呼吸の幅が大きくなる。
これは呼吸に集中しているからわかること。
特に、後悔や悲しみ、嫌悪感を抱いたときは顕著に出る。
時には口呼吸を使ってしまうこともある。

また、長時間座っていると足や腰がとにかく痛む。とにかく痛い。
瞑想どころではないという気持ちになる。

明日からはヴィパッサナ瞑想法に入ってしまう。
こんなに集中力を上げられず、気分にムラがあるままではヴィパッサナに入っても身になるのかどうか…

かなり焦りも出てくる。
焦りは最初は嫌悪感として発生し、次に、「早く長い時間集中できるようになりたい」という渇望につながり、結局、集中力を欠く原因となる。
集中力を欠けば、イライラして呼吸が乱れる…。
悪循環だ。

とにかく、どんな感情が表面化してきても、常に平静を保ち、呼吸を観察し続けなければならない。
平静でいること、集中しようとすることで悪循環を切る。

集中が持続できない苦しみはあるものの、3日目でこの生活リズムもわかってきた。




■幽霊に会う

この日の夜、トイレに行き、手を洗ったとき、自分の手があまりにも青いことに気づく。

そして、何気なしに、コースが始まって以来、初めて鏡の自分を覗き込んでみた。

なんと…

そこには幽霊が…

怖い…

けど、何かおかしい。

肩の後ろとか、後ろの壁にとかではなく、鏡のど真ん中にいる。

!?


なんだ自分か…(笑)


いや、笑い事ではない、本当に顔が幽霊のようになってしまっていた。
クマができ、あごは痩せ細り、顔も青白い…
ストイックな環境は、今までの人生でいくつかあり、慣れてはいたし、精神的にそこまでのつらさは感じていないつもりでいた。
しかし、コミュニケーション禁止の中、1日12時間近くも動かずに目をつぶっていたことなど初めてで、自分の集中力と戦い続けていたため、それが完全に表面化してしまっていたことは、鏡の中の自分を見て、認めざるを得なかった。

そしてそれは顔の変化だけに留まらず、この日の夜中、悪夢を見て思わず「うわぁぁぁ」と二回叫んでしまった。
かなり大きい声だったし、テント内は20人ほどの受講者が寝ているので、何人かは起きたに違いない。

ただ、これは悪いことではなく、修行によって自分の心の中のいろんなものが表に出てきていることだという。

僕以外にも、寝言や独り言を言う人が何人かいた。
夜中、過呼吸のような症状になっている人もいた。




・4日目

この日の午後からヴィパッサナ瞑想法が始まる。
なんとか少しでも集中する時間を長くして、ヴィパッサナに入りたい。
僕は朝の瞑想がいつも集中力に欠ける。
この日もそうだったが、午前の瞑想はある程度集中した、いい瞑想ができた。
そして午後、ヴィパッサナ瞑想法を教わる。

この日は、やはり初めてのため、なかなかうまくいかない。
しかし、そんなときでも、早くうまくできるようになりたいという渇望や、なんでできないんだという嫌悪感を抱かず、平静に瞑想し続けなければならない。

それプラス、足や腰の痛み、痺れ、痒み…
そして屁とゲップ。




■おならとゲップ

屁とゲップに関しては、僕は(日本人は)、一生懸命に音を出さないようにするのだが、他国の方々はすごい。


屁音「ぶぅ~」

屁音「ばふぅ~」

豪快!



屁音「ぷぅ~~ぅ」

時にカワイイ☆




ゲップ音「ゲェッ!」

豪快!!



ゲップ音「ゴェ~~~~…ウッ、ゥウエップ、プハァ~」

おいおい「プハァ~」って・・・

時に心配…。


もう、「おならとゲップの国際大会」!
国の数だけ音がある!みたいな感じ。


平気でぶちかましてくる。

中には出てる人もいるはずだ!!

ちなみに、僕の近くに、おならキングがいて、最初は、「お前の異がどれだけむかついてる知らんけど、近くでこかれるこっちはもっとムカついてんだよ」という気分になったり、音によっては、笑ってしまいそうになってた。
でも、慣れとは怖いもので、そのうち、
「お?今の音いいね!パクってもいい?」とか言いたくなってた。


おっと、そんなこと思わずに、集中しなきゃ。






・5日目

ついに、アシスタントティーチャーから「瞑想中は全く動くな」指令が出る。

本当はもともと瞑想中に動くことは、意識が動くことにいくため、瞑想になってないということなのだが、最初は、みんな瞑想が初めてなので、多少寛容に見ていてくれたのだろう。

しかし、やはり動いてしまうのは瞑想ではないし、ヴィパッサナ瞑想は、それまでの呼吸の観察よりも繊細なものであるため、動くことが禁止された。


最初はやはり辛い。
今までは足の痛みが限界にくると少し体勢を変えたり、痒みに対して掻いてしまうときもまだあった。

一番大きいのは痛みだ。
伸びっぱなしの腿の筋肉、伸ばせない膝、片方の足のくるぶしが、逆の足に食い込む痛み、伸びきって痛みと痺れを伴う足首…
耐えられない…
1日の後半になってくると、さらに足に疲れもたまってきてもう拷問だ。


休憩時間に入ったら足を崩すが、危うく声を出しそうになるほど痛む。

さらに、目を開けられないことも辛い。
目をつぶっていると、何も見るものがなく、意識が痛みや痒みの感覚に集まりやすい。


さらに、他の人はそうでもなかったが、僕は猫背を矯正したかったので、背筋をなるべく伸ばすようにしていたため背中にも痛みが…。
(本来は背筋もしっかり伸ばす)


初めの30分くらいは余裕。
しかし、40分、50分くらいになってくると、もうヴィパッサナ瞑想どころではなくなってきたりする。

それでも、そんな中でも、どれだけそれを無視し、時には観察し続け、平静に瞑想を続けられるかが大事だ。



■休憩時間

休憩時間には、日が出ていれば日光浴をする人が同じ広場に集まり、出ていなければ森を眺め、猿の群れが現れれば、みんなそれに釘付けになる。
運動不足解消のため敷地内の同じルートを何周も歩き続ける人もいれば、5メートルくらいを行ったり来たり、とにかく往復し続ける人もいる。
まるでドラクエの町の人。
話しかけたら、

「ここはアリアハンの町です。」

とか言い出しそう。



そしてその誰もが、どんなに近くにいても、目もあわさず、話しもしない。
すれ違うときはうつむき合う。
男性だけで約35人。
みんな大の大人。

とてもおかしな光景だ。

特に15人近くの大人の男たちが、20分くらい猿の群れを観察し続けていた光景には、吹き出しそうになった。
ちなみに僕もその中で口を開けて猿を見上げていた。






・6日目

なんとか、この日の午後には全く動かないことができるようになる。
(背筋は丸まると少し伸ばしたり、顔の表情などは変わってしまうが…)

痛みや痒みが発生しても、そのまま動かず瞑想を続けられるようになってきた。
しかし、夜の睡眠がなかなか強敵だった。




■睡眠について
2日目以降、ベッドに横になってから眠りにつくのに、最低一時間はかかった。
いろいろ考えたり、羊を数え続けたり、寝るまでに二時間以上かかったこともある。

神経が過敏になっているせいか、全然寝れないのだ…
眠りは浅く、半分起きているような感覚のときも。

ただ、これは、瞑想者にはよくあることで、またよいことでもある。

が、連日の厳しい修行のために夜は爆睡したかった…。
(結局毎日できず)

ほかの瞑想者の多くも、なかなか寝つけていなかった。





・7日目

この日も、わずかに動いたり、ちょっと目を開けてしまうくらいで、動かず瞑想できた。

悔しいのは、「くしゃみ」。くしゃみはどうしても体が動いてしまう。
だいたいは我慢できるが、我慢すると涙や鼻水が出てきたり、呼吸がしずらくなる。
でもそんな状況も必ず変わっていく、とにかく平静に…


ビパッサナ瞑想の内容も、この日、自分の中で劇的に変わる。

いろんな感情が発生しても、なんとか平静に、なんとか集中しようと努めていたら、ある時、瞑想の感覚が変化した。

きっとイライラし続けたり、痛みや痒みにばかりとらわれていたりしたら、変化は起きなかったか、もっと遅かっただろう。





・8日目

さらに、瞑想の仕方に指示が加わり、それもその日のうちに、なかなかいいレベルでできた。

もう、一時間、体を完全に動かさないことも普通にできるようになっていた。
例え長く痛みが続いても、平静に瞑想を続けることができていた。

しかし、それでも、瞑想の何回かに一回、耐えられないほどの痛みに、一回だけ目を開いてしまったり、微妙に動いてしまったりはしていた。

また、集中力にもムラがあり、どんなに調子が良くとも、完全に瞑想に集中することは難しく、いろんな思いや感情が浮かんでくる。

ただ、そういう「瞑想自体の調子のムラ」にも悔しさや怒りの感情を抱いては良くないので、なんとか平静にいるよう心がけた。


さっきうまくできたと思っても、今回はダメダメ…
そんなことも何回もあった。


でも、とにかく平静に…
「さっきはできたのになんでだぁ~!?」なんて思わないように、平静に…

ま、でもよく考えてみれば、そんなに簡単にできるはずがない。
そんなに瞑想が簡単なら誰でも覚りを開けてしまう。





・9日目

また瞑想の仕方に指示が加わる。
これも完璧ではないが、いい感じにできるようになる。

この日は午後まで自分の中ではかなり納得のいく瞑想ができていた。

しかし、夜の瞑想で突然…
まだ30分経たないかというくらいに早い時間帯から激しい痛みが…。

明日の午前には沈黙が解かれる。
ここまで納得のいく瞑想ができてきて、このままいい感じでビパッサナを終了できると思ったのに…
と思い続けそうになるが、なんとかその気持ちを絶ちきり、瞑想を続けた。

何度も、長く消えない激痛に負けそうになるが、その度に、乱れる心を落ち着かせた。

そして、こういうときは特に時間が長く感じるが、なんとか動かずに時間を終了。

明日になれば沈黙が終わるので、達成感が沸き上がりそうになるが、達成感も良くないものなので、最小限に抑えた。






・10日目


朝、計3時間の瞑想。
最後の瞑想は「くしゃみ」の我慢による鼻水・涙の垂れ流し状態で、「きれい」には終われなかったが、平静を保ち、昼前、沈黙が解かれる。

まだ10日目で、グループ瞑想もあと二回残っていたが、沈黙が解かれた理由は、普通の生活に戻るリハビリということ。

ただ、せっかく話せるようになるのに、最初は話せることに喜びをあまり感じず、めんどくささを感じた。
確かに、こういう状態でいきなり町に出るのは良くないと思う。

「ショーシャンクの空に」のラストに出てくる出所してシャバに放り出されたおじいちゃんみたいになってしまうかもしれない。
それは言い過ぎか。

やはり10日程度の修行だから、話し出すと、すぐにベラベラ話せるようになった。




■沈黙の世界を振り返ってみると・・・

言葉がないというのは面白いもので、自然とゆずり合うことが多かった。
言葉なんてなければ争いは起きないのかも?とも思ったが、暴力に出る人も出てくるのだろう。
問題を解決するには、やはり言葉の力が大きいと思いなおした。

そして何より言葉と目によるコミュニケーションは素晴らしいと感じる。
ほとんど話さずにビパッサナが開始されたため、みんなに対し、勝手なイメージを持っていたが、沈黙が解かれて話をしてみると、イメージがガラッと変わる。
10日間寝食を共にしていたのに、名前、出身も知らなければ、声も聞いたことがなく、目を合わせたこともない。
10日ずっと一緒にいて、初めて自己紹介、アイコンタクト、握手、世間話、笑顔…
楽しい、幸せ…
やっぱコミュニケーションっていいな。

その後、グループ瞑想を二回と、ビデオ鑑賞。
ビデオ鑑賞では刑務所で囚人に対して行われたビパッサナが題材で、とても感動的なものだった。
その中で、面白かったのが囚人が「刑務所の生活よりもビパッサナの方が厳しい」と言っていたことだった。
しかし、その厳しさにより得たものはとても大きい。

夜は就寝時間を過ぎても、何人も立ち話していた。




・11日目
朝から、講話を聴き、朝食を取り、解散。

DSCF3832_convert_20090923202610.jpg
ボランティアで、施設の清掃をし、世俗の世界(町)へと戻った。


修行後の無邪気な笑顔
DSCF3821_convert_20090923202556.jpg
(幽霊)


長くなってしまうので、ヴィパッサナの感想は明日・・・





ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

マナリなり~!! 8月27日~30日

レー~マナリ間は、悪路と絶景で有名。

諸刃の剣か!

そして、レー発が深夜1時・・・

チェックアウト後、宿に居させてもらえず、深夜、野犬に襲われながら、バス乗り場へ・・・。
レーは平和とわかっていながらも、やはり深夜にバックパックを背負っての一人歩きは怖い・・・。
1軒だけ空いていたレストランに避難し、バスを待つ。

遅刻者が出て、深夜1時半発。

悪路には慣れているし、20時間近い移動なんて、寝てしまえばすぐ着くと思ったけれど・・・

そんなレベルではなかった。
席が後部座席で揺れやすかったのもあるけれど、衝撃で腰が宙に浮いてしまうほど・・・
なかなか辛い移動になりそうだと思い覚悟を決めた直後・・・


車が止まる・・・

きゅるるるるるるるる・・・

きゅるるるるるるるるる・・・

きゅるるるるるるるるるる・・・

エンジンかからない・・・。

故障。。。


深夜の移動だから、ほかに車なんて全然通らないし、このバスの会社の人もきっと夢の中。
インドより親切なチベット文化圏といえども、24時間対応サービスなんてしてないだろうし・・・。
結局、いつ出発するかわからないまま、朝を待つ。

朝方、代わりの車が到着。

DSCF3618.jpg

再び走り出す。

DSCF3630.jpg

DSCF3655.jpg

DSCF3652.jpg


DSCF3620.jpg

噂どおり、なかなかの景色!

DSCF3641.jpg

DSCF3647.jpg

DSCF3661.jpg

雪がかかった山々は、なぜか神々しさを感じる。


マナリに着いたのは、深夜2時・・・。
宿で1泊分取られるのが嫌なので、朝までバス乗り場で待つことに。

そして、向かった先は、マナリの、バシシュトという地区。


マナリは、主に、3つの地区(村)に分かれている。
旅行者は主に、オールドマナリかバシシュトに泊まることが多い。


ニューマナリ(マナリの町の中心部)
DSCF3693_convert_20090901014044.jpg

DSCF3680_convert_20090901013927.jpg

DSCF3681_convert_20090901013947.jpg



バシシュト
DSCF3700_convert_20090901013739.jpg

DSCF3699_convert_20090901013801.jpg




オールドマナリ
DSCF3731_convert_20090901013558.jpg
行ってないので、バシシュトから撮影。


僕は、バシシュトに泊まることにした。


マナリは、避暑地として有名で、山、森に囲まれた、のんびりしたところ。
DSCF3725_convert_20090901013258.jpg

DSCF3706_convert_20090901013701.jpg

DSCF3720_convert_20090901013323.jpg


ここでしたのは、主に、同じ宿の旅人とのんびり。
ぜんぜん観光してないので、書くことがあまりない・・・。
というか、ここは観光というよりも、のんびりするところ。
だから、ま、いいか。


そして、バシシュトには無料で入れる温泉がある。
それを目当てでバシシュトに泊まる人も多い。
僕もそれ目当てだったんだけど、いつものんびりしてたら、入りそびれた。

ま、マナリでは、のんびりできたことで満足なり。


次の町では、いよいよ旅の最後を飾るイベントが控えている。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ダライラマがやってきた!!ヤァ!ヤァ!ヤァ! 8月22日~25日



■ダライ・ラマ ティーチング

「あなたもダライ・ラマに会いに行くの?」
レーに向かう飛行機の中で隣り合わせたおばちゃんに聞かれた。

「はぁ、まぁ」

近々、レーにダライ・ラマがやってくるのを小耳に挟んでいた。
ちょうどタイミングが合う。会いたいな。そうは思っていた。

けれど、それが、あんなものだとは・・・


知らなかった・・・。


■ダライラマティーチング
ダライ・ラマティーチングとは、ダライ・ラマ法王による仏教講和のこと。
チベット人、外国人問わず、入場することができ、(行う場所によっては許可証も発行する)英語の同時通訳もある。
定期的におこわなれるものや、不定期に行われるもの、海外で行われることもあるようだ。


■ダライラマ
ダライ・ラマ法王は、チベット仏教の最高指導者。チベットの政治的最高指導者でもあり、チベット人の精神的指導者でもある。
「ダライ・ラマ」とは、モンゴル語の尊称で「智慧の海」という意味を持つ。
ダライ・ラマは、観音菩薩の化身とされ、後継者には、予言に基づき先代の転生者と認められた者が就く。(輪廻転生)

現在のダライラマは、14世。
1959年の中国によるチベット弾圧以来、インドに亡命。
インド北部ダラムサラに住み、チベット亡命政府の国家元首とされている。
ダライラマ14世は、1989年に、世界平和やチベット宗教・文化の普及に対する貢献が高く評価され、ノーベル平和賞を受賞している。
また、フランス、カナダの名誉市民の称号も得ており、2007年には、米国議会から議会名誉黄金勲章を授与されている。

チベット人にとって、ダライ・ラマとは、祖国の全ての象徴であり、絶大な尊敬と信頼を寄せている。



そのダライラマによる、ティーチングが、レーのとなりの村で4日間開かれる。

ダライラマについても、チベット仏教についても、チベット問題についても全然知識はなかったけれど、ちょっとミーハー気分で行ってみることに。

さっそく、初日・・・。

ティーチングが開催されるとなりの村は、レーから10km。
バスで移動しようとバススタンドへ。


しかし、そのにはいつも所狭しと停まっているバス達の姿がどこにもなく・・・

幹線道路脇には、バスやタクシー待ちのチベット人が溢れ返っていた。


DSCF2845.jpg

DSCF2843.jpg

DSCF2840.jpg

そんなにたくさんの人がティーチングへ・・・?

そうなんです!!

バスが来ると、超ダッシュBダッシュで、バスに体をねじり込ませる。

DSCF2853.jpg

もうめちゃくちゃもみくちゃ。

残念な結果に終わってしまった人々・・・
DSCF2852.jpg
僕、ミーハーなのにごめんなさい。。。

よし、これで大丈夫と思ったのも束の間・・・
DSCF2859.jpg
大渋滞・・・大迷惑・・・。

この渋滞をどうすりゃいいの?
誰が僕を連れてってくれるの?


というわけで、途中から徒歩で。
DSCF2871.jpg


そして着いた先には・・・

DSCF2880.jpg

人!!
DSCF2892.jpg

人!!
DSCF2904.jpg

人!!
DSCF2901.jpg

人!!
DSCF2899.jpg

人!!
DSCF2882.jpg

人!!
DSCF2984.jpg

フジロックか!!


僕が着いたときにはすでに、満員御礼的な感じであったけど、外国人用の場所にはまだ空きがあり、なかなかいい位置に陣取ることができた。

待つこと数分・・・

定刻を過ぎ・・・

会場の空気が一気に変わる・・・

皆、立ち上がり手を合わせはじめる・・・
DSCF2928.jpg

DSCF2925.jpg

ダライラマがやってきた。

前のほうで、人の大きな流れが動く。
僧侶たちの体の向きで、ダライラマがどこを動いているかがわかる。

そして、壇上へ・・・


いらっしゃった~!!
DSCF2930.jpg
ナマダライラマ!!


ナマダライラマ
DSCF2935.jpg
手を合わせたぁ~!!


ナマダライラマ
DSCF2936.jpg
誰かをチラ見したぁ~!!


ナマダライラマ
DSCF2953.jpg
座したぁ~!!!


ナマダライラマ
DSCF2939.jpg
こ、こっち見たぁ~!!

っていうか、目が合ったったったぁ~!!


ダライラマが座ると、チベット人、外国人問わず、皆、五体投地礼を繰り返す。
(両手・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝すること。詳しく知らないがチベット人は3回やることが多い)


そして、すぐに、ティーチングがはじまる。


英語の同時通訳が流れる。

しかし、もともと英語ちゃんとわかんないうえに、僕が座っているところは、チベット人のエリアに近く、音声が混じり、わけのわからないことに・・・
さらには、多くのツーリストが次々と遅刻してきて、僕の前を通ったり、強引に座ったり・・・

せっかくの仏教講和も言葉が聞き取れないので、途中退場することに。。。


会場の様子
DSCF2915.jpg

DSCF2958.jpg

DSCF2914.jpg

DSCF2982.jpg

みんなビニールシート、日傘、お茶やお弁当、お菓子持参で、なんだかピクニックのようにも見えた。

DSCF2951.jpg
しかし、五体投地礼やダライラマに対する人々の顔つきを見ていると、やはり、ダライラマは、チベット人の精神的支えであり、絶対の信頼を得ているのだと思った。
また外国人の公聴者もとても多く、宗教を超えた、その影響力の大きさを感じた。

僕ももっとダライラマやチベット問題などに知って、ここへ来るべきだったと思った。
ただ、これをきっかけに、これから勉強しなくてはいけないこと、知りたいことが増えたという点では、よい経験になった。

DSCF2964.jpg

この秋、日本にも訪問し、ティーチングを行うという。
(東京、四国、沖縄に訪問するという噂)
気になる方はチェックしてみてください。




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

レー名物、ゴンパ巡り!!  8月20日~26日 

ラダック地方には、ゴンパが点在している。

ゴンパとは、チベット仏教の僧院のこと。

バスやヒッチハイクでゴンパを巡る。

と思っていたのだが、レーには飛行機で飛んできたため、いきなり変わった気圧に体が対応できず、高山病に・・・。
本当は何日か安静にしてなきゃいけないんだけど、一晩だけ休んでさっそくゴンパ巡りへ。



ヘミス・ゴンパ
DSCF2697.jpg
最初に訪れたのは、ラダック最大のゴンパ、ヘミス・ゴンパ。
レーから南東へ約40km。

DSCF2699.jpg

ゴンパの周りには、チベット僧の住居が建ち並ぶ。
DSCF2743.jpg


メインの僧院(ドゥカン)
DSCF2711.jpg

中庭の風景
DSCF2714.jpg

DSCF2700.jpg

DSCF2702.jpg

DSCF2716.jpg


僧院の入り口には、仏画が描かれている。
DSCF2730.jpg


DSCF2710.jpg


ドゥカン内部
DSCF2723.jpg

DSCF2727.jpg

DSCF2718.jpg

DSCF2722.jpg

内部には、たくさんの仏像が置かれており、壁には仏画が描かれている。

礼拝に来る人々は、五体投地礼(両手・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝すること。また、それを数回繰り返す方式。)をする。


DSCF2756.jpg

DSCF2741.jpg

DSCF2734.jpg

内部には大仏も。




ティクセ・ゴンパ
DSCF2780.jpg
レーから南東へ約20km。
ヘミスゴンパからの帰りに寄った。
小高い丘の頂上にゴンパがそびえ立つ。


DSCF2813.jpg

DSCF2782.jpg

DSCF2803.jpg

DSCF2796.jpg

DSCF2800.jpg


ゴンパからの眺め
DSCF2789.jpg

山、森、荒野・・・
DSCF2808.jpg

たそがれ不良僧
DSCF2824.jpg
サングラス、う○こ座。
どうしてもヤンキーに見えてしまうが、厳しい修行をされているはずです。






ラマユル・ゴンパ

今度は、日を変えて、レーより北西に125kmのところにあるラマユル・ゴンパへ。

ラマユルに近づくにつれ、徐々に道が険しくなり、断崖絶壁の谷間をすり抜けるようにバスが進む。

DSCF3161.jpg

DSCF3173.jpg

DSCF3162.jpg

DSCF3383.jpg

DSCF3176.jpg

DSCF3379.jpg

DSCF3398.jpg

DSCF3402.jpg

このラマユル周辺の地域は、草木が少なく、ゴツゴツした岩山がそびえ、「月の世界」とも言われるほど。


ラマユル・ゴンパ
DSCF3329.jpg
ラマユル・ゴンパは、ラマユルの村の背後に建っている。

DSCF3285.jpg

DSCF3257.jpg






DSCF3275.jpg

DSCF3231.jpg

ゴンパ内
DSCF3272.jpg

DSCF3264.jpg

お布施でお金持ちになり、驚いている仏像。
DSCF3253.jpg

まだまだ足りないと不満そうな仏像。
DSCF3254.jpg

お布施するのはいいけど、そんなとこにわざわざ置かなくてもねぇ・・・


ストゥーパ(供養のために、仏舎利を安置した建造物、仏塔)
DSCF3290.jpg


ゴンパも悪くないが、やはりこのあたりはなんといっても壮大な景観が見ものだった。


次のゴンパへ向かうため、バスの乗車ポイントまで、現地人と一緒に軽く登山。
DSCF3335.jpg


バスでアルチ・ゴンパへと思いきや、途中で降ろされたところから、アルチ・ゴンパまでは8kmほど歩かないと行けないと言われる。
急きょ荒野に放り出され、予期せぬトレッキング。



まさに「月の世界」。
DSCF3436.jpg

DSCF3427.jpg

DSCF3423.jpg

DSCF3471.jpg

高地、乾燥した空気、強い日差し・・・
なかなかしんどい・・・。

DSCF3465.jpg
代わり映えのなくなった景色にも飽きてくる・・・


と思ってトボトボ歩いていると、前から旅行者が歩いてくる・・・

「あれ・・・?」と言われる。
ん?日本人?

顔を上げてみる。

お互い「えぇ~~!!笑」

なんと、こんな荒野で旅人夫婦と再会!!
DSCF3439.jpg

旅のあいだ、いろんな再会があるけれど、こんなとこで再会があるなんて・・・



これで元気が出ちゃった僕は、なんとかアルチへ到着。


アルチ・ゴンパ

やっとの思いでたどり着いたアルチ・ゴンパは、撮影禁止のゴンパ。
DSCF3448.jpg

外見は撮影させてもらえたが、外見は小さくて地味。
DSCF3449.jpg
しかし、内部の壁画は、保存状態がよいものが多く、「仏教美術の宝庫」と呼ばれるほど有名。

アート系の世界が苦手な僕には、ふ~んって感じだったけど。


ゴンパには必ず、僧侶がいて、質問をすれば親切に教えてくれる。

チベット(現在、中国領自治区になっているところ)の様子はよくわからないが、このラダック地方では、しっかりとチベット仏教が伝承し続けているのだと、このゴンパ巡りで感じた。

ダライラマ、チベット仏教、そして、もともとの仏教について・・・。
また、知りたいこと、知らなければいけないことが増えた。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ




チベットとの出会い ~れれれのレー~ 8月20日~26日

ボランティア期間終了後、少し間コルカタに留まっていた。

旅の終わりまで、1ヶ月強…。
どういう旅の終わりにしようか…。

マザーハウスのボランティアをもう一度他の施設でやろうか…、それとも格安で有名なコルカタ~バンコク間を飛び、バンコクの美味しい料理と、便利で快適な生活で癒されようか…、はたまた北インド、ラダック地方でチベット文化に触れようか…

考えた末、旅の最後の地に選んだのは、北インド、ラダック地方ならびにチベット文化圏。

ここまで来たら、最後まで、できるだけ新しい勉強ができそうな場所を選びたかった。

そして、旅の終わりに山を見たいという気持ちもあった。

コルカタから一気にデリーに戻り、一気にレーへフライト。


レーに到着。


一気に飛んで、一気に変わる風景…
DSCF2631.jpg

DSCF2768.jpg


DSCF2627.jpg

DSCF2641.jpg

DSCF2634.jpg

DSCF3478.jpg


変わったのは風景だけではない。


気候、食、人、宗教、文化…

ここにきて全てが変わった
もはやここはもうインドではない、そう感じる。


レー

DSCF3150.jpg
標高3650m。
インド北部ラダック地方の中心地。
ラダック地方は「インドの中のチベット」と呼ばれるほど、チベット文化の強い地域。
10世紀頃から王朝が存在し、その王朝は古代チベット王から系統を引いていた。


雨はほとんど降らず、非常に乾燥した地域。
DSCF3156.jpg
どこか中東の町並みを思わせる建物群。

DSCF2625.jpg

DSCF2609.jpg



メインバザール
DSCF2667.jpg
レーのメインストリート。
といっても、町自体がさほど大きくないため、メインバザールもそこまで大きくはない。

DSCF3524.jpg

DSCF2671.jpg

DSCF2662.jpg


メインバザールの路上では、チベタン(チベット人)のおばちゃんたちが、野菜を売っている。
DSCF2665.jpg

DSCF2659.jpg


チベタンのおばちゃんの服装
DSCF3024.jpg
なんかちょっとお怒り気味??


チベタンのおじいさんの服装
DSCF3028.jpg


DSCF3037.jpg

DSCF3043.jpg

チベット人(厳密にはインド人だけど)の顔つきは、日本人に似ているところがあって、なんだか親近感が湧く。
それから、インド人と違って、誠実な人が多い。(うそをつかない、あまりふっかけてこない)
なので、あんまり疲れない。


■チベット
チベットとは、現在は、中国の南西部にあるチベット自治区のこと。
近代史としては、清朝滅亡後の1912年、独立を宣言し、しばらくは独立国家として存在していた。
しかし、1950年、「チベットは中国の一部分」として、チベット全土の「解放」を目指して、中国人民解放軍による軍事制圧を進め、翌年には、一方的に「17か条協定」締結を迫られ、それに署名。
チベットの主権は、中国に移る。
その後も、数々の動乱が起き、混乱の中、1959年には、ダライラマ14世が、ラサからインドへ亡命。
インドのダラムサラに亡命政府を樹立し、その後も続く中国の弾圧に対し、現在まで非暴力の闘争を続けている。
世界的にも注目されている問題だ。
多くの国の人々が、チベット解放、いわゆるフリーチベットを願っている。

町にはこんなポスターも・・・
DSCF3603.jpg
同様のポスターはほかにもあり、それを見る限り、中国政府による誘拐、そして拷問などが、現在も頻繁に起こっているようだ。
(拷問された人びとの生なましい写真などもあった。そして、それは2008年、2009年など最近のものも多かった。)


そんなチベット人の精神的な支えとなっているのが、チベット仏教。
チベットを中心に発展した仏教の一派である。


町では、チベット仏教文化が垣間見れる。

DSCF3008.jpg

チベット僧
DSCF2849.jpg


チベット尼僧
DSCF3026.jpg
女性の僧も見かける。


マニ車
DSCF3585.jpg

DSCF3022.jpg

DSCF3011.jpg


■マニ車
円筒形で、側面にはマントラが刻まれており、内部にはロール状の経文が納められている。
可動式で、歩きながらこれをまわせば、まわした分だけ、お経を唱えたことになる。
横着・・・いやいや、なんて便利な道具。
これなら、忙しい日々の中でも、遅刻しそうな朝でも、早く帰って昼寝したい午後でも、やることがなくて時間を持て余すような暇な休日でも、一瞬でお経を唱えられてしまう。


DSCF3046.jpg

DSCF3587.jpg

みんな、通り過ぎるついでにまわしていく。



こんな形式のものもよく町で見かける。
DSCF3455.jpg
みんな横を歩きながら、全部のマニ車をまわしながら、過ぎ去る。
記録上、10秒足らずで、30回くらいのお経は唱えちゃってるはず。


さらには・・・これもマニ車。
DSCF2839.jpg
これも、回転式で、クルクルまわせる。
商売しながら、バスを待ちながら、バスの中で、ただ暇だから、など、さまざまな場面でお経を唱えられる一品。


ちなみに・・・

チベット僧は、サングラスがお好きで・・・


ちょっとヤンキーみたいなファンキーな僧もチラホラ。
DSCF3035.jpg

もうヤンキーとしか言えないでしょ、これは。
DSCF3036.jpg
ALMOST暴走族だよ。



レー王宮
DSCF3151.jpg
17世紀、ラダック王国の最盛期に建てられた。
ラサ(現・チベット自治区の首府)のポタラ宮(チベット政府の本拠地だった宮殿。歴代ダライラマの住居。)のモデルになったとも言われている。



王宮からさらに岩山を登ったところにある僧院からレーの町並みを一望
DSCF3558.jpg


僧院の内外には、「タルチョ」という経文が印刷された五色の旗がはためいている。
DSCF3575.jpg

DSCF3565.jpg

DSCF3563.jpg

DSCF3561.jpg


■タルチョ
家の悪霊や災難を祓い清め、平和で幸福と健康に恵まれて過ごせるようにという祈願が込められている5色の祈祷旗。
五色は、物質の五元素(地・水・火・風・空)を意味し、地=黄、水=青、火=赤、風=緑、空=白 を表わしている。
僧院の近くに限らず、仏塔のまわり、橋、家の軒先など、さまざまなところでこの旗を見かける。
この旗を見かけると、ここはチベット文化圏なんだと意識させられる。


インドから、異国に来てしまったかのような感覚にさせられるレー。

人、食、気候と、過ごしやすいこの地で、雄大な景色を眺めながら、少しゆったりしようかな。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ




コルカタ ~マザーハウスでのボランティア~ 8月7日~18日  

ブッダガヤからコルカタへ。

コルカタは、デリーやムンバイと並び、インドの玄関口として利用される大都会であり、かつ経済の中心地でもある。

DSCF2518.jpg

DSCF2568.jpg

Mario+015_convert_20090901012143.jpg

DSCF2545.jpg

DSCF2515.jpg


DSCF2541.jpg

DSCF2551.jpg

混沌と喧騒、インドを象徴する町のひとつとしても有名。


サダルストリート
DSCF2559.jpg

DSCF2555.jpg

DSCF2561.jpg

DSCF2563.jpg

サダルストリートは、有名な安宿街。

たくさんの安宿が軒を連ね、世界各国の旅行者が集まる。



僕はこの町を観光する気はゼロだった。

ここに来た目的は、マザーハウスでボランティアをさせてもらうことのみ。



■マザーハウスとマザーテレサ
本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジウ。
カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」(カトリックの女子修道会)の創立者。

インドのコルカタ(カルカッタ)の貧困地帯に住み、宗教にこだわらず、苦しむ人、見捨てられている人のために、献身的に奉仕した人として知られている。

1973年テンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞など多くの賞を受けた。

「神の愛の宣教者会」の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からもケアされない人のために働く」ことであるとされた。

さまざまな苦労を経て、1952年、インド政府の協力でヒンドゥー教の廃寺院を「死を待つ人々の家」を開設した。
これが、マザーハウスのはじまり。
その後、彼女の活動は世界的にも認められ、孤児や障害者の施設も設立され、彼女の活動は彼女の死後も、修道女たちによって、世界に広められている。



■他の施設の簡単な説明
・シュシュババン  約200名の孤児院がいる施設。障害のある子どももいる。
・ダイアダン 10歳前後の障害のある子どもが生活している。
・プレムダン 主に長期療養の老人が多い施設。カーリーガートより症状の軽い人がここで生活している。200~250名が生活している。
・シャンティダン 障害(精神病)を持った女性と、こどもが生活している。男性は入れない。
・ナボジボン アルコール中毒、ダウン症、障害のある少年など、男性限定の施設。シスターではなく、ブラザーにより運営されている。

注:オリエンテーションでメモをした情報なので、少し違っている部分があるかもしれません。



数ヶ所ある施設の中で、僕がボランティアをさせてもらったのは、「カーリーガート(死を待つ人の家)」
上の文章にもあるが、1952年、マザー・テレサが最初に建てた施設。
男女各50名くらいの人びとが生活している。
路上生活者などが、ここに運び込まれてくる。
生死にかかわる状態の人が多く収容され、ここに来てまもなく亡くなる人も多い。


カーリーガート(死を待つ人の家)
Mario+014_convert_20090901012112.jpg

ここで約1週間、仕事をさせてもらう。

施設の入り口
Mario+012_convert_20090901012015.jpg

施設内
Mario+008_convert_20090901011945.jpg

施設の前の通り
Mario+006_convert_20090901012049.jpg

マザーハウスの施設の中で一番最初にできた施設。
マザーテレサが、道端で死にかけている人を施設に連れていき、食べ物を与えた。
もう助かる見込みのない人でも、最期の一時間でも10分でもいいから、愛を与え「あなたは愛されてる」という愛を感じてもらう。
そういうところだ。

まず、訪れてみての感想。
死を待つ人の家という名前から、かなりの重病者ばかりだと思ったが、意識が普通にあり、歩けたりする「負傷者」のような人も多い。

話すことができない、歩けない、自力で動けない人もたくさんいる。


あと感じたのは、施設の簡易さ。
ベッドのまわりには何もないし、ベッドとベッドの間は狭い。


また衛生面も日本人目線だと気になった。
トイレでは尿が足裏に着きやすかったりする。(皆、裸足)


ボランティアがやる仕事は、主に、食事の配膳や補助・片付け、洗濯、着替え、飲用水の補充、マッサージ、トイレの世話(尿瓶の交換、トイレに行くまでの補助、用を足す際の補助)だ。


1日目はとにかくやることを覚えるので精一杯。
気がついたら時間が終わっていた。


2日目はわかっている仕事を素早くこなし、また少しずつ新しいことを覚える。

3日目以降は、要領がわかってきて、スムーズに動けるようになってくる。


少しずつ、患者さんの顔や、よくこちらに求めてくることも覚えてきて、スムーズな動きになってくるが、一生懸命目を見て、英語やジェスチャーや、体に触ったりして、何を求めているのか探しても、どうしてもわからないときもあり、とてももどかしい。

英語がわからない人もいるし、言葉自体を話せない人もいるし、頭に障害を持っている人もいるだけに目から考えていることを読み取るのは非常にに難しい。

でも、それをわかってあげられて、ありがとうの視線やしぐさをもらえたときの嬉しさは大きい。

数日のボランティア活動を行い・・・

最終日…
トイレの世話は、それまで尿瓶の交換や、トイレに連れて行き補助をする程度だった、トイレの世話だったが、ついに、大きい方の処理をするときがきた。
動けない人は、寝たまましてしまうときがあるのだ。

変な表現になってしまうけど、これはここでやっておきたかったことの一つ。

他人の便を処理するのはもちろん初めて。
この日は二回あった。
普通の便と、下った便。

脱がせて、ベッドとその人を拭いてあげて、着替えさせる。
できると思ってたし、ちゃんとできた。
手についてしまっても大丈夫だった。

でも、これは短期ボランティアだから我慢してできたことなのかもしれない。
できたけど、大変だと思ったのは事実。
こういう場面一つだけをとっても、介護・福祉関係で働き続ける人ってすごいなぁと思う。

日本の高齢化社会についても、福祉関係の人に任せるばかりでなく、僕らの世代が、もっと真剣に考えていかないといけないなと思った。



また、寝たきりの人が多いだけに、マッサージを要求してくる人も多い。
体に触れてみると、びっくりするほど細い。
マッサージを強くし過ぎたら折れてしまうのではないかと思うほど…
マッサージの技術はないけれど、その人の目を見ながら探り探りやってみる。
基本的に、表情に変化が少ない人が多いが、「痛い」や「気持ちいい」は、目やしぐさで伝わってくる。


細い足…
この人は、元気だった頃、この足でリクシャをこいでいたのだろうか…


細い腕…
この人は、元気だった頃、この腕で重い荷物を運んで働いていたのだろうか…


動きの少ない目…
この人の目は今まで一体何を見てきたんだろう?
若い頃は、元気な頃は、何をしていたんだろう?
この人の目の奥には、どんな歴史や文化があるんだろう?

そして今、何を思う目なんだろう?

深い…

動きの少ない目の奥で、何かを絶対に見ている…

そんなことを考えながら、患者さんの体に触れ、ゆっくりとマッサージする。


腕や足、体は動かなくても、目と手は違う。
あたたかい温度を感じる。


一番の活気を見せるのが食事時。
「早く持ってきてくれ」「おかわりくれ」という目は、すごく力がある。

そして、さすがはインド人。
食事の手さばきはすごい。
体がそんなに動かない人でも食事のときの手の動きは芸術的。
キレイにご飯とカレーを平らげる。


食欲も旺盛!
たくさん食べている姿や、満腹そうな顔を見ると、本当に安心する。
食欲は生きている証のひとつだと思う。

誰がここを「死を待つ人の家」と日本語訳したのかは知らないが、この人たちは、死を待ってなどいない。
そう思った。

(他国、多言語の呼称は「死を待つ人の家」ではないという)

なんとか歩こうとする人も多いし、歩くのを補助しようとすると断る人もいる。
頑張ってる人がいる。

すぐに贅沢やワガママを言う人もいる。

それも生きる前向きな信号だと思う。

何よりみんな目には力があるし、手も温かい。

始めに持っていた「死を待つ人の家」への、漠然とした恐怖心はいつの間にか、ふっ飛んでいた。



先は長くないのかもしれないけれど、一生懸命に生きてる人、その人たちに愛を捧げる人たち。
マザーテレサの素晴らしい愛の精神は今もしっかり受け継がれ、患者たちにも伝わっているのではないかと感じた。

それを知ることができたこと、そこでボランティアをさせてもらうことができたことを、幸せに思う。
また同時に、この経験を、何かに生かさなくては意味がないとも思った。
忘れずに考えていきたい。





■高橋歩さんの学校へ (IN バラナシ)

話はさかのぼり、バラナシにいたときの話になるけれど・・・

ガンガーの対岸を少し奥に行ったところにある、高橋歩さんが中心になって興した活動により建設された学校があるので行ってみた。

旅の途中、シリアとケニアで会った旅人が、その学校作りに携わっていたため、僕はその学校の存在を知った。

そして、時間はないけれど、訪問してみようと思ったのだ。

高橋歩さんは、ご存知の方も多いと思うが、
自伝出版のために、自分で出版社を設立し、数々の著作をヒットさせる。
そんな社長の肩書きを捨て、世界一周旅行に出たり、沖縄の無人島にパラダイスを作ろうとしたり、登校拒否や引きこもりの人のためにフリースクールを作ろうとしたりする、「自由人」。
現在も、二回目の世界一周に出ている。
バックパッカーのあいだでは当然、有名で、その本をきっかけに旅に出るようになった人も多い。
よく日本人宿の本棚で高橋歩さんの本を見かける。
「毎日が冒険」「人生の地図」など。

今回、訪れたバラナシの学校は、「スクール&ロッジプロジェクト」により建てられた学校。
これは、経済的な問題や、社会制度などの問題により学校に通えない子どもたちのために、無料で通える学校を作り、学ぶ機会を提供するというもの。
現在、ジャマイカのキングストンと、このバラナシの二校が開校されている。

学校全景
DSCF2039.jpg

入り口の扉
DSCF2040.jpg

教室内の様子
DSCF2041.jpg

建設に携わった日本人ボランティアの寄せ書き
DSCF2042.jpg

希望の言葉が書かれた紙が壁に貼られていた。
DSCF2026.jpg

教室
DSCF2045.jpg

DSCF2043.jpg

屋上からの風景。
DSCF2032.jpg

小さなレストラン 日本食が食べれる。
DSCF2036.jpg

放課後に残っていた、ここに通うこどもたち
DSCF2038.jpg

DSCF2049.jpg

手作りの校舎の壁
DSCF2046.jpg

この学校の運営のしくみは・・・
学校とともに、ここにゲストハウスが併設されており、その宿泊費が、学校の運営費に充てられるとうもの。
旅人が泊まるだけで、寄付になるというものだ。
僕がウガンダで行ったように、旅人が先生をすることもできる。
現在は、日本人の女性ボランティアが常駐して責任者をやっている。

学校もゲストハウスも旅人、日本人ボランティアによって手作りで建設された。


今回、残念ながら僕は時間がなく宿泊することができなかったが、少しの寄付だけしてきた。

困っている人のために何かをするいうのは、本当にすばらしいことだと思う。

この旅で、そういった見返りを求めない慈善活動に本当にたくさん触れた。

いつも、こういう活動には興味は持つけれど、いつも自分の生活でいっぱいいっぱいになってしまい、今までは何も協力してこれなかった。
けれど、日本にいても、遠くからでも、寄付などの支援で関わっていくことはできるのだから、今回の、この旅で訪れたところで、考えに共感できるところへの支援は帰国後、していきたいなと思った。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ブッダガヤ 仏教最高の聖地 8月5日~6日

目的地だったブッタガヤにやっと到着。


ブッタガヤ
DSCF2379.jpg

DSCF2378.jpg

のどかな雰囲気の小さな村。
インドの中でも貧困という面で、底辺地域にあたるという。


ここに来た目的は、紛れもなく仏教徒最高の聖地へ参拝すること。


村のすぐそばに聖地はある。


マハーボーディ
DSCF2392.jpg
ブッタガヤは仏教最高の聖地、に建てられた寺院。


仏教徒の僕にとっての最高の聖地・・・
DSCF2395.jpg
恥ずかしいことに信仰心は厚くないが、仏教徒としてここに来れたことは幸せなこと

と、自分に言い聞かせる。


DSCF2406.jpg
巨大なわけでもなく、壮麗さもない。
だけど、ここに近づくにつれて、心が落ち着き、安らいでいく不思議な現象が僕の中で起きた。
やはり自分は仏教徒なのだと自覚する。
DSCF2430.jpg




本殿
DSCF2413.jpg
高さ52m。
内部には、黄金の仏像が置かれている。

この中の空気も、とても静かで、今までに訪れた、他の宗教の寺院とはまったく違った、落ち着く感覚を受けた。


寺院のまわりを歩く。
DSCF2418.jpg

ブッダの歩いた場所でもある。

この寺院の裏にブッタが悟りを開いた場所がある。


菩提樹
DSCF2422.jpg

DSCF2426.jpg

ブッダが覚りを開いた場所。
全仏教徒にとって最高の聖地。
約2500年前、出家したゴータマ・シッダールタは、苦行の旅の末、この菩提樹の下で瞑想に入る。
そして49日目に覚りを得て、ブッダとなる。


当然、巡礼者、参拝者も多い。



■四大仏跡
・ブッダ誕生の地、ルンビニ
・大悟の地、ブッダガヤ
・ブッダによる初転法輪(最初の説法)の地、サールナート、
・ブッダ入滅の地、クシナガル(80年の生涯を閉じた場所)

ブッダの生涯において重要な地とされ、仏教徒の重要な巡礼地とされている。
※仏教の聖地は他にも何ヵ所かある。

蓮池に浮かぶ仏陀の像
DSCF2438.jpg



そして、夜もここへ足を運んだ。


夜のマハーボーディ
DSCF2489.jpg
夜も夜でまた昼とは違った落ち着いた雰囲気を持つ。

菩提樹の下では、僧たちがお経をあげていた。
DSCF2500.jpg



イスラエルのエルサレムに行ったとき、あまり何も感じなかったのだが、ここに来たとき、なぜか気持ちがものすごく落ち着いた。
いつまでもここに留まっていたい気分になった。
僕は信仰心が深くないけれど、やはり自分は仏教徒なんだと自然に感じることができた場所だった。
仏教について、少しは勉強しないといけないな、という気になった。


翌日は、早朝から日本山妙法寺へ座禅をしに訪問。
DSCF2481.jpg

DSCF2480.jpg

毎日、朝5:00から座禅が行われるとのことだったが、一時間経っても、お坊さんは現れず。
これが本当の「寝坊」ってか?
ちょっとガッカリしたけれど、「どんなことにも惑わされずに静かに座禅せよ」、みたいなメッセージなのかと勝手に解釈し、自分で勝手に座禅しておいた。
DSCF2472.jpg




■噂!?

噂に過ぎないのかもしれないが、日本人の旅人の間で、こんな話が噂になっていた。
この菩提樹にオウム真理教の麻原が登り、引きずり下ろされたとか。
また、どこか他の地で、座ってはいけない神聖な場所に座ろうとし止められたという話も聞いた。

これらは、あくまで噂に過ぎないものかもしれないが、彼らがまだ日本で問題になる前にインドに修行に来ていたのは事実で、僕はその写真も見た。

まだまだ終わらないオウム真理教関係の裁判や、いまだ捕まらない容疑者、忌々しい事件の数々を、久々に思い出した。




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

カトマンドゥ~ 7月31日~8月3日

お腹の調子が戻らないまま、首都カトマンドゥへ移動。

カトマンドゥも癒しの場所と思っていたのだが、想像とは全く違う場所だった。

とにかく静かだったポカラとは打って変わって、インドのような汚なさとうるささを持つ街。
(もちろんインドほどではないが。)


とはいえ、やはり噂どおり土産物はかわいらしいものが多く、レストランのクオリティも高い。
カトマンドゥの日本食のクオリティの高さは、旅人の間でも有名で、実際にかなりリアル日本食に近い味ばかりだった。
(海外の日本食は、日本食と呼ぶには程遠いものが多いらしい。僕は海外の日本食を食べないのでよくわからないが…)

自然に癒されるのがポカラだとすると、食で癒されるのがカトマンドゥだろうか。

今の僕のお腹にはとても優しい場所だ。

ここで調子を整えたい。


まずは、町を散策。
DSCF2221.jpg

DSCF2224.jpg

DSCF2232.jpg

DSCF2237.jpg

DSCF2280.jpg

DSCF2268.jpg

みやげ物屋、レストラン、旅行会社などが、所狭しと軒を並べる。
静かだったポカラに比べ、カトマンドゥの町中は賑やか。
楽しい反面、ちょっとうるさい。
インドのうるささまではいかないけれど、そんなに落ち着ける場所といった感じはしない。

そして、やっぱり雨期のため雨が多い
DSCF2360.jpg



とりあえずは、ガイドブックどおりの観光へ

カテシンブーストゥーパ
DSCF2320.jpg
ネパール最古の仏教寺院「スワヤンブナート」の複製。


アンナプルナ寺院
DSCF22856.jpg


アカシュ・バイラブ寺院
DSCF2292.jpg

このように、カトマンドゥは街中にいきなり寺院が現れる。



コインの木

DSCF2317.jpg
木に何千枚ものコインが釘付けされている。
歯痛を治す神様が祀られている。
しかし、どう考えても「木」には見えないな・・・



切手になった窓
DSCF2312.jpg

DSCF2311.jpg
切手になった窓です。
ものすごく細かい彫刻。
欧米人旅行者は素通りしてました。




ダルバール広場
DSCF2299.jpg

DSCF2303.jpg

ダルバールとはネパール語で「宮廷」という意味。
カトマンズ王国の中心であった広場。
これぞネパールの景色って感じがする。



パタン
DSCF2332.jpg
カトマンドゥの町からローカルバスで30分ほどのところにある古都。


DSCF2327.jpg
ここもダルバール広場という。
16~18世紀にかけて建てられたマッラ王朝の遺構だ。

DSCF2337.jpg
お寺はやっぱり心が落ち着く。


ゴールデンテンプル
DSCF2345.jpg
その名のとおり、金だらけの寺でした。



カトマンドゥの食と、寺のある風景に癒されたところで、再びインドへ戻る。

食中毒、そしてその療養生活がメインだったネパールでの日々。
体調を悪くしにきて、それを良くしていっただけに思えるネパールの旅。
僕にとってはちょっと違った“安息の地”となった。
体調と天候の不良により、残念ながら、ヒマラヤへのトレッキングは行かなかったが、それでもインドとは異なった文化に少しでも触れられたのはよかった。


そして、またインドに戻る。
ネパール以前は、インドはバラナシしか知らない僕にとって、いよいよ本当のインドに触れる旅が始まる。


行きに来た国境越えルートとは別のルートを目指すのだが、これまた物騒なところらしく…
最近、外国人旅行者が銃で撃たれたとか、殺された人がいるとか…。

安心した移動がしたい…。ってインドが絡んだら安心できるはずないな(笑)。

まさに、そのとおり。

この国境越えでも、やはり「話が違う!」系の問題が勃発。

直通バスのはずが途中で乗り換え。

しかも、暑いわ狭いわ揺れるわ、すぐ停車してなかなか発車しないわで、もう最悪の移動。

しまいには、チケットを買った目的地までバスが行かず。

もう怒る気力も体力もない。
言ってもどうせ相手はインド人だし。

んで、仕方なく予定外の何もわからない町で宿を探し1泊・・・。

本当の目的地には明日向かう。。。


ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ポカラでポカした 7月26日~31日

二週間弱滞在したバラナシに、いよいよ別れを告げ、安息の地ネパールへ。


インドの混沌からネパールへ行った旅人たちは皆、ネパールを天国と称した。

静か、人が親切、ご飯が美味しい、お土産買物天国。
皆が皆、これらを理由にあげる。


僕はまだインドでまともに滞在したのはバラナシのみで、安息はまだ必要ではなかったが、今後のルートを考えるとネパールに行くのは今だった。


さて、その天国へ行くためのルート上に、実は地獄があった。

国境で強盗が多いのだ。
盗難ではなく強盗。
大人しく従わないと殴る蹴るの暴行もあり得るという。


とはいえ、日食後のネパール行きバスには、日本人旅行者が多く、顔馴染みも何人もいたので、心強かった。


というわけでちょっと省略

蒸し暑さと悪路の中、無事に国境越え。

国境で一泊後、無事にポカラに到着。
DSCF2096.jpg

ポカラは晴れていると町からヒマラヤ山脈の山並みが見える。
またヒマラヤへのトレッキングの起点となる町でもある。

やっと天国に着いた!と思ったのも束の間。

天国の中で地獄が待っていた。

その名も…


食中毒!


ポカラには夕方に着き、その夜食べた初ネパール料理で大当たり!

ビギナーズラックみたいなノリ。

40℃近い高熱、全身関節痛、下痢、頭痛…

もう痛い、苦しい、下痢止まらん…

同部屋の旅人も風邪で40℃の熱があり、医者に来てもらっていたので、僕も便乗してお医者様のお世話になりました。


解熱剤、吐き気止め、下痢止め、と、よくわからん薬をもらい、ドラッグ漬けの日々が始まる。


解熱剤の効果はてきめんで、一気に楽になる。
お医者様と薬って本当にすごい。

しかしそんなお医者様と薬のコンビネーションでも、下痢の勢いは止められず。
破竹の勢いで出続ける。

1日20回ほどトイレに通う日が3日ほど続く。

「もう どうにも止まらない。」
インドの下痢は止まらない、止められないことで有名。
日本の薬は効かず、また、したくなったら我慢することができない。

「もう、どうにも止まらない。」

しかも、山本リンダのように「今夜だけ」ならまだしも、毎晩。っていうか朝昼晩、一日中。


そんなわけで、せっかく安息の地に来たと言うのに、いきなり療養生活を強いられることになってしまった。

外に出ようにも、油断すると、アレも外に出てしまうから、うかつに出れないし、楽しみだったネパールのご飯も、お医者様から食事制限が出され食べられない。

ただ、ポカラは毎日雨だった。
療養生活中の僕としては、そのほうがよかった。

雨だったら、例え今、元気だとしても観光できないから、損した気分にならないで済む。

というわけで、3日ほど安静にし、雨を眺めていたら・・・

突然晴れの日が訪れる!!

まだまだ、お腹は“どうにも止まらない状態”だったけれど、少ない晴れの日を無駄にはできないと、無理矢理観光へ。



デビズ フォールズ
DSCF2166.jpg

DSCF2159.jpg

滝・・・なんだけど、写真ではどう見ても滝に見えない・・・。
というか、肉眼でも、あんまり滝の水が落ちるところが見えなかった。
なんだか、ただ激しい清流って感じだった。
ちなみに、昔、デビという人が落ちたから、デビズフォールズというらしい。



チベット人居住区
DSCF2157.jpg


雑貨売りのおばちゃん
DSCF2109.jpg
お金で雑貨を買うだけでなく、なにか生活用品を持っていくと、それにより値引きをしてくれる。
が、ここのおばちゃんたちはパワフルで、相当強気な交渉が必要だった。
言い値が高いし、物々交換してもあんまり値引きしないし・・・

とはいえ、そのやりとりは面白かったし、顔つきもかなり日本人に近く、ものすごく親近感を覚えた。

周辺ではこどもたちがはしゃぐ
DSCF2115.jpg

ここのこどもたちは、かわいいというより、とにかく元気!!

DSCF2138.jpg

体調悪かったはずなのに、こどもたちと遊んでたら、だるさが吹っ飛んだ。



ぺワ湖
DSCF2169.jpg

DSCF2105.jpg

ポカラの町の象徴とも言うべき湖。
ボートの貸出しもしている。


のんびりとボートに乗る。

DSCF2184.jpg

DSCF2185.jpg


DSCF2215.jpg

同乗者と交代で漕ぐ。
見た目は簡単に見えるのだが、なかなかバランスを取るのが難しい。
ちょっと暴れれば、すぐにひっくり返りそう。
僕はなかなかボート漕ぎがうまいらしく、同乗者からも誉めちぎられる。
ちょっとテレる。
DSCF2196.jpg
テヘッ☆

我ながらなかなかうまいと思う。
そして途中から最後まで一人で漕ぎ続ける。

やっと同乗者に踊らされていたことに気づく。笑


ポカラといえば、ヒマラヤへのトレッキングが有名。
というか、それが一番の見どころ。
ヒマラヤ目当てで、旅行者はポカラに来る。
しかし、行ってきた人に話を聞くと天候が悪く、かなりハードだったようだ。
体調悪し、天候悪し、今回は潔く諦め!!

ポカラは静かで落ち着くところだったけど、体調と天候の不良で行動が制限された。
ヒマラヤにも、今は“呼ばれてない”と思い、最低限の観光だけして、カトマンドゥへと向かうことにした。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

メメント・モリ ~ガンガーノムコウ~

R指定!!
※今回の記事には、かなりグロテスクな写真を載せています。
苦手な方は、この記事自体を見るのをやめてください。
見る方は自己責任で。



日食の衝撃は凄まじかった。

心を打たれ過ぎて、何も手につかないような放たれた感覚と、自分の体に宇宙のパワーが宿って、何でもできてしまうような開いた感覚が同居した不思議な感覚で、数日を過ごした。


その宇宙を浮遊しているかのような僕の心を「現実」へと着陸させたのは、聖なる河ガンガーだった。

早朝、ガンガーへボートで繰り出したときに、そこにあった光景が、僕を思いっきりリアルへと引き戻したのだ。


※今回の記事内の写真は、過激な内容のものがあります。
グロテスクで生々しいものなので、そういった類のものが苦手な方や、食前、食中、食後の方は、この先を読む、見るのを止めてください。



早朝のガンガー沿いは気持ちがいい。
DSCF1745.jpg
沐浴する人、じっと祈りを捧げる人、商売の準備を始める人…
1日が「始まる」という臭いがプンプンする。

ガンガーの向こうの空を見上げると、二日前に同じ時間帯に起きた日食の映像が蘇ってくる・・・。


ボートがガンガーへこぎ出される。
ガートの喧騒が遠ざかり、オールが立てる水の音に浸る。
DSCF1792.jpg

DSCF1810.jpg

DSCF1806.jpg
DSCF1807.jpg


メインガートを過ぎると、さらに静かになっていく。
火葬場の前を通る。
DSCF1849.jpg

先日、何本も上がっていた煙の柱は一本もなく、束の間の静寂を迎えているようだった。
ちょうど、一体の遺体がガンガーに浸されるところが見えた。
DSCF1841.jpg


今日もまたたくさんのヒトがかえっていくんだろうな…


次はガンガーの対岸へ渡ってもらう。

今日まで二週間弱、毎日眺めたガンガー。
そして、その対岸。
DSCF1898.jpg

ガート側の喧騒とは対照的な静寂。

しかし、ただの静寂ではない・・・

そこには、強烈なリアルが転がっていた。



誰かが見ている…。

DSCF1877.jpg

ナニヲミテイル?
DSCF1879.jpg

コチラヲミテイル?
DSCF1892.jpg

DSCF1883.jpg
いや、見ている先は火葬場か…

荼毘にふされなかった無念なのか・・・


何かが流されている・・・
DSCF1938.jpg

何かが流れついている・・・
DSCF1941.jpg

僕と同じ種類に属する生き物だろう・・・。

これも・・・
DSCF1928.jpg

これも・・・
DSCF1936.jpg


カレも・・・

DSCF1949.jpg

DSCF1950.jpg



何かが喰われている。
DSCF1946.jpg

あれもきっと、僕と同じ…

近くへ寄ってみる。
DSCF1953.jpg

DSCF1954.jpg

DSCF1966.jpg

DSCF1952.jpg

DSCF1965.jpg



争うことはない。
DSCF1970.jpg

食べるところならたくさんある・・・


完全に、藤原新也氏の「メメントモリ」の世界。
「死を想え」・・・か・・・。


そんな光景を見て、僕はまたただただ見つめ、淡々とカメラのシャッターを切った。

人間は、食い喰われる、ヒトというただの生き物であることを感じる。

自分と同種の、仲間の生き物であるヒトが、イヌによって喰われるのを、ただ呆然と見つめていた。



ガートに戻ると、たくさんの生きている“ヒト”が“水浴び”をしていた。
DSCF1990.jpg

DSCF1998.jpg

DSCF1999.jpg

DSCF2012.jpg

DSCF2005.jpg
それを、“ヒンドゥー教徒”の“沐浴”と、ここでは呼ぶことに気づいたとき、ボートと僕はいつもの世界に戻ってきた。

DSCF1995.jpg

ふぃ~~!!  

さっ、今日もチャイでも飲んでボーっとしよ~っと。




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

皆既日食観測記 インド・バラナシ ~Total Solar Eclipse of 2009 July 22 in Varanasi India~

一度更新したけれど、ブログの流れのために、もう一度更新しておきます。

皆既日食観測記。


7月22日、いよいよこの日がやってきた。
僕の旅、最後の大イベントともいえるであろう、ある現象が起こる日だ。
今世紀最長の皆既日食。

僕が今回の皆既日食を始めて知ったのは、南米・ブラジルのサルバドールにいたとき。
日本の悪石島で最長6分の皆既日食が観測でき、奄美大島では、皆既日食音楽祭というパーティも開催され、世界各地からたくさんの人々が集まるとのことだった。
そのイベントに合わせて、帰国するという、パーティ好きの旅人にも、よく会った。
自分は旅の真っ最中で、アフリカ大陸にいる予定だから、関係ないなくらいにしか思っていなかったのだが・・・

その後、中東を旅している最中に、その皆既日食がインド・バラナシでも観測できる可能性があるとの情報を知り、というか、知ってしまい、僕の心に火がついた。というか、ついてしまった。
その後は、「7月22日インド・バラナシ」に照準を合わせて、動いてきた。


皆既日食・・・
しかもインドで。
さらに、ヒンドゥー教、最高の聖地バラナシで。
神聖なガンガー(ガンジス河)の向こうに現れる、その”怪奇”な自然現象を、果たして見ることができるのか・・・


7月22日 AM5:00起床

窓から射し込む陽の光はない。
曇天だ・・・。


外に出ると、メインガート(沐浴場)には、たくさんの人々がすでに詰め掛けて来ているのが見える。
インド人、外国人問わず、すごい数だ。
DSCF1523_convert_20090724151321.jpg

いよいよだ、いよいよなのだ。

思えば、数日前から、続々と皆既日食を観測するための、いわゆる”皆既日食組”旅行者が、聖なる地での日食観測を期待し、バラナシの町にやってきていた。

しかし、バラナシは、現在、雨季にあたり、曇りや雨が多い。
ここ数日間のあいだに、朝日が見れない日もあった。
あるインターネットサイトでは、日食を観測できる確率は30%と言われていた。
今日の朝は雨、という情報もあった。

僕は、当初から、雨季であること、また、その確率を知ってはいた。

しかし、聖なる混沌の地、バラナシ。そしてガンガー。
・・・何かが起こるという期待を胸にここまで来た。

空の状況はというと、雲のまわりにうっすらと、赤い朝日の影が映っている。
しかし、雲は決して薄いとは言えず、まわりにも、雲は多かった。
DSCF1564_convert_20090724151844.jpg



それでも、たくさんの人々が、皆、早起きをし、観測場所の確保にせわしく動いていた。
DSCF1531_convert_20090724151506.jpg



メインガート・・・
DSCF1524_convert_20090724151418.jpg


宿や住宅の屋上・・・
Picture+002_convert_20090802214542.jpg


ガートの階段・・・
DSCF1606_convert_20090724150417.jpg


ガンガーに浮かぶ舟の上やガンガーの対岸・・・
Picture+006_convert_20090802214918.jpg

Picture+007_convert_20090802215044.jpg



そして、ガンガーの中・・・

DSCF1552_convert_20090724151648.jpg



みんな、ガンガーの奇跡を信じて・・・

DSCF1520_convert_20090724151234.jpg

DSCF1570_convert_20090724151919.jpg

DSCF1554_convert_20090724151725.jpg


僕はというと、ほかの旅人たちと、一番混雑しているメインガートから離れ、ガンガー沿いの少し開けた場所に陣取った。

このとき、時刻は6時近く。
すこしずつ空が明るくなりはじめている。
雲の流れが、意外と早いことに気づく。
Picture+012_convert_20090802215647.jpg

そして、同時に、背後でいつもと変わらぬテンションで、クリケットに興じる、インド人がややうるさいことにも気づく。
さすがインド人。


彼らを除いた、すべての人びとが、息を呑んで空を見上げている。


太陽が雲に隠れたり、顔を出したりするようになってきた。

これは、もしかすると、もしかするんじゃないか!?

空を見上げるみなが、そう思い始めたはずだ。

期待が膨らんでいく・・・

AM6:00過ぎ

そのまま月による太陽への侵食が始まる。

あたりの様子はそれほど変わらず、「始まった!!」という実感はあまりない。
DSCF1590_convert_20090724145940.jpg

観測にはカメラのフィルムで対応。
(肉眼で観測をし続けると失明の恐れもある)


時に雲がかかりつつも、浸食されている形は、はっきりと見て取れる。
Picture+014_convert_20090802220028.jpg


ゆっくりと、ゆっくりと、侵食が進んでいく。
DSCF1596_convert_20090724150213.jpg

穏やかな時間の流れを感じる。



時折、太陽と月を横切る雲たちは、安らかに流れるガンガーと共に、日食を幻想的に映し出す名脇役にさえ思える。
DSCF1616_convert_20090724144603.jpg


綺麗な三日月形の“太陽”
DSCF1615_convert_20090724144458.jpg


少しずつ、少しずつ、侵食が進んでいく。

DSCF1620_convert_20090724144158.jpg


・・・そして、徐々に、あたりが暗くなり始める。


朝焼け時にも、夕暮れ時にも見たことがない不思議な色に、ガンガーと聖なる町が染められていく。

DSCF1597_convert_20090724150331.jpg

DSCF1627_convert_20090724150534.jpg

なんとも言えない淡い色だ。
隣にいた旅人が、「セピア色」と表現した。
そうだ・・・たぶん、この色をセピア色というんだろう・・・。
心地よい・・・。

セピア色の時間を越えると、あたりはさらに暗くなる・・・。



雲は去った。



時は満ちた。



未知なる神秘の世界が始まる・・・。



太陽と月が完全に重なる。




きた・・・・・



カイキニッショク
DSCF1637_convert_20090724144649.jpg

空を見上げる人々から、いっせいに歓声が上がる。。。
クリケットに興じていたあのインド人たちでさえ、プレイを中断し、歓声を上げ、空を見上げている。


あたりは夜のように暗い。
星さえも見える。
でも、夜の雰囲気とはまったく違う。
DSCF1639_convert_20090724150642.jpg


スゴイ・・・


ヤバイ・・・


ナニコレ・・・


そんな言葉しか出ない・・・


目の前で起きている現象がよくわからない。


何も考えられない。


鳥肌が止まらない。


気がつけば、力が抜けて、しゃがみこんでいる自分に気づく。


もう言葉さえも出なくなる・・・。


自然と、涙が溢れてくる。

DSCF1633_convert_20090724143802.jpg

こんなすごいものみたことない・・・。




やがて、月の端の一点から、太陽の光が射し込み始める。
DSCF1644_convert_20090724143914.jpg

と思った、次の瞬間・・・
目が眩むほどのまぶしい大量の光が、月の影から漏れてくる・・・



ダイヤモンドリング
DSCF1643_convert_20090724144948.jpg

トリハダ・・・ナミダ・・・力の入らないカラダ・・・
もう何がなんだかよくわからない・・・


少しずつ、月が太陽から離れ去っていく・・・
DSCF1648_convert_20090724144331.jpg


ガンガーの上には、光のじゅうたんが再び作り出されていく。
DSCF1590_convert_20090724145940.jpg


あたりに、再び、朝がやってくる。

やっと、時間が動き出した。



その後、月がゆっくりと太陽から離れ始めると、僕は、いつの間にか、一緒にいた旅人たちと、ガンガーに飛び込んでいた。

放心状態のまま、カラダが勝手に動いていた。

なんだかよくわからないけど、それしかないと思った。

日食はまだ続いている。


気持ちがいい・・・


日食の終わりは、ガンガーで沐浴をしながら迎えた。
Picture+034_convert_20090802220909.jpg
ついでに、“ガンジス河でバタフライ”もしておいた。


ガンガーの中から、ガンガー沿いの人々が、日常に戻るために動き出しているのが見える。

しかし、いつもとは空気がまったく違う。
町もガンガーも人も、すべてがいつもと違って見えた。


皆既日食を観て、自分の中のすべてが吹っ飛んだ。

自分の心はどこか別の場所にあり、現実に戻ってきていないような感覚にさえなった。
よく覚えているけれど、よく覚えていない・・・
でも、心は完全に開いた状態で気持ちがいい・・・

幻想的で神秘的な宇宙の時間・・・

と表現してみるけれど、やはりあまりに抽象的な表現になってしまう。


どんな言葉を使っても、あの空間を表現することはできない。
おそらく表現できる人などいないだろう。


そこで観た人にしか感じることのできない何かがあった。

この日、誰と話しても、皆が同じことを口を揃えて言っていた。

すごかった・・・

やばかった・・・

なにあれ・・・

人は、心から溢れてしまうほどの感動の波に襲われたとき、言葉を飾ることなどできないのだろう。

みんながみんな、同じことを感じたはずだ。

僕の表現がブログを書くための誇張表現ではないことは、そこにいたすべての人が証人になってくれると確信している。


忘れることができない不思議な体験をした。
この先、僕は、これ以上のものをもう見れないんじゃないかと本気で思う。


まるで、あらかじめ、あらすじが書かれていた物語のプロローグからエピローグを観ているかのようだった。



この現象を、長旅の終わりに、混沌の国・インドのバラナシという聖地、ガンガーの真上で、雨季による低い観測確率の中、すばらしい旅人たちと見れたことを、この宇宙に感謝したい。

そして、この宇宙からの素敵な贈り物を、心の中に焼き付けて、ずっと大切にしまっておく。




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ヒンディーのかえりかた 7月16日

ここに来たら、行かなければいけない場所。

バラナシに着いて5日。

ガンガーを眺めて過ごす日々…
薄れてしまった旅への好奇心…


それでも、そこに行くことはいつも意識していた。

そこに行ったら、何も感じないはずがない。



火葬場。

ヒトのカタチがなくなるところ。


写真はないですが、文章内にグロテスクな表現・描写があるかもしれません。
苦手な方は、読まないでください。


マニカルニカーガート
DSCF1843.jpg
↑↓※火葬が行われていないときに撮影
DSCF1833.jpg


ここは、日本の火葬場とは違う。

室内ではない。
野外だ。
薪を並べ、その上にヒトを置き、そのまま火をつける。


ヒンドゥー教徒は亡くなると、皆、ここに運んでこられ、一度、ガンガーに浸され清められたのちに、ここで荼毘に付される。
そして、遺灰はガンガーへ流される。
金が無い人、赤ん坊、妊婦、蛇に噛まれて死んだ人はそのまま流される。
(ガンガーの中心までボートで行き、おもりをつけて沈めるらしい)



この火葬場は旅行者でも訪れて見学することができる。
しかし煙が上がっているとき(火葬中)の写真撮影は禁止されている。
※上に載せた写真は後日、早朝にボートに乗った際にガンガーから撮影。このときは、火葬が行われていなかったため、撮影できた。


ちなみにこんな場所でも「うそつきインド人」は健在で、様々な嘘で旅行者から法外な値段を請求してくる。
僕が仲良くなったインド人は、何を言われても払う必要はないと言っていたので、それを信じることにした。

僕が立ったのは、火葬が行われているところから3mほど上にある段差の上。

旅行者は、火葬場のそばにある寺に連れていかれ、展望台のようなところから見ることが多いというが、それも断っていいと聞いていたので、なるべく近くで見ることにした。

が、予想通り来た。

「ここは家族以外、いてはいけない場所だ。」

「いや、もうここに来るの三回目だし。前もずっとここにいたし。」

「はぁ?ダメなんだよ!本当はツーリストはそこにある寺の上からしか見ちゃいけないことになってるんだよ。
ここは遺族の場所だ。遺族に敬意を払え。あと金も払え。さもないと俺らのボス呼ぶぞ。」

「OK.呼べば?俺、ずっとここにいるし。」

彼らの一人が電話をし始める。

何とも思わない。

こういうのは本当に慣れた。

インドは人がうるさいとよく言うけれど、どこの国にもこういう輩はいる。



僕がインドに入ってあまり衝撃が大きくないのは、すでに他のたくさんの国を見てきて、いろんな汚さや人のうるささに慣れているからだろう。


旅に慣れてなかったら、ここでお金払ったりしてしまってるのかな…


さて、そんな輩を三組ほどかわし、火葬に集中。

※もちろん「ボス」は来ず。


火葬場では、すでに数ヶ所から煙が上がっていた。
何ヵ所あるんだろう?


ざっと数えただけで10ヶ所弱はある。

大きく分けて、三ヶ所あり、それぞれ横ならびに四列、三列、三列、と、火葬を行う場所がある。
並んだ火葬場の幅は、1~2m。

次の火葬に向けて準備されているところ、もう燃え終わっているところ、今、まさに燃えているところ…

火葬は次々に行われている。



今まさに始まろうとしているところがあり、それを終わりまで見届けることにした。


遺体は布に包まれたまま、積み上げられた薪の上に仰向けに寝かされる。

そして、たいして間をおかないうちに、何も儀式的な動きはないまま、無造作に薪の下に火が投げられる。

火は体の下で炎を出して燃えはじめる。

しばらくは、そのまま、特に変化はない。

やがて炎が体の横に登り始め、体を包んでいる布にも火がつきはじめる。

体の背面部はきっと燃えはじめている。

体にかぶさった布が黒く焦げ、上半身が露になってくる。

体が完全に炎に包まれ、インド人の褐色の肌が、黄色へ変色していく。

体の場所にもよるのだろうけど、ヒトの体が燃えると黄色くなるのは、このとき始めて知った。


僕が立っていたのは風下で、煙や灰が直撃してくる。
ヒトが焼かれる臭いというのは、特にない。



ここに来るとき、臭いは直接鼻から体に入ってくるものだから、“人を焼く臭い”には少し抵抗があった。

でも、特に鼻につく臭いはなかった。

灰は…“ヒトは灰になる”というけれど、飛んでくるこの灰は薪の灰なのか、それとも本当にヒトの灰なのか…よくわからない。

けれど、いま自分が人を焼いている煙と灰にまみれていることは確かだ。




黄色くなった肉体は、その後、黒く変色していく。

それまでは“溶けている”感じだったが、いよいよ本当に燃えているということを実感する。


ただただ、ボーッと見ていると、突然…


何かが体から出てきた。

腸だ。

明らかに、そのカタチ。長さ…

お腹が破裂して出てきたのだ。


やがて腸も黒くなり始め、足は骨が見えはじめ、頭部も黒く、そして、全体的に小さくなり始める。


二時間ほど立ち、体はすっかり小さくなり、火葬場の係のような男が、棒で体の位置を動かす。
ヒトのカラダを扱っているようには見えないほど、淡々としている。

全ての動作が淡々として見える。

泣き崩れる遺族も見なかったし、火葬中も遺族は淡々と待っている。


僕もただただ立ちつくしている。


いよいよ、ヒトのカタチがなくなろうとしている。


思っていたような衝撃や恐怖はなく、当たり前の光景をただ見ている。
そんな感じだった。


でも、自分が見ていたそのヒトの火葬が終わるまでは、何故か立ち去ろうという気にはなれなかった。

やがて、喪主らしき人が、遺灰をガンガーへと投げ込んだ。

ヒトがひとり、かえっていった。


それでも、そのまま動けずにいると、インド人に話しかけられる。

彼は「よくここへ来る」と言う。

そして、「自分もいつかここへ来るから」とも言っていた。



僕はヒンディーではないからここへは来ないけれど、火によって送られるとはどういうことなのか、しっかり目に焼きつけた。

その日はしばらくガンガーを眺めてボーっとしていた。

いつもとは違う風景に思えた。


あとは、ただ日食を待とう。




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ボリウッド映画とシヴァのお祭り 7月13~15日

バラナシ滞在3~4日目、日食まではまだまだ時間があり、ゆっくりできる。
久々に、しゃかりきに動かなくても大丈夫な日々を過ごし始め、僕はかなりだらけ始めていた。
食事をして、ガンガー沿いでチャイをすすってボーっとしたり、友達になったインド人の土産物屋に遊びにいったりする以外は、シングルルームにこもり始めるようになった。

それでも、日用品を買ったり、食事をしに町に出れば、日本語ペラペラインド人や、日本人旅行者と出会うわけで、そんな人たちと出会えば、楽しいことも増える。



まず、インド人と映画を観に行った。

“インドで映画を観る”というのは、日本人バックパッカーの間ではちょっとしたイベント。

バックパッカーの多くが読んでいる、沢木耕太郎の「深夜特急」で、沢木氏が映画を観る場面が書かれているからだ。

インドは世界一映画を作っている国。
ムンバイというインド西海岸にある大都市は、かつてはボンベイと呼ばれ、そこで作られた映画は、ボンベイの「ボ」を取って、ボリウッド映画と呼ばれ世界的にも有名。
ちなみに2月にアカデミーを獲った『スラムドッグ$ミリオネア』は、イギリス映画だが、原作はインド人で舞台となっているのもインド、ボリウッドも製作協力している。


そんなボリウッド映画を観た。

タイトル読めない。
DSCF1233.jpg

日本のミニシアターみたいな映画館。
DSCF1236.jpg

ストーリーは、犬猿の仲といった感じの男女が終盤近くまで喧嘩を繰り返し、結局ラストではくっつくというお決まりのストーリー。
映画は約3時間。
インドの映画館お決まりの“途中休憩”もあった。

ただ、想像していたよりもみんな大人しい。
映画や映画館によっては、シーンに合わせて観客が盛り上がったり、盛り下がったりするらしく、僕は映画よりもそっちが楽しみだったのだが残念…


ストーリーのクオリティは悪かったけど、映画の作りのクオリティはなかなか。ハリウッド映画と言われてもわからないかもしれない。
またボリウッド映画特有のミュージカル要素も満載だった。
劇中で何かとすぐに踊り出すのだ。

映画館の質(音声や客席)もなかなか。日本の古い単館よりは、質がいいかもしれない。

いい暇つぶしにはなった。
そんな感じだった。



町を歩いていて気づくこと。

オレンジマンがやたら多い。
DSCF1231.jpg

DSCF1412.jpg

DSCF1414.jpg

DSCF1415.jpg

DSCF1423.jpg

よくわからん掛け声を、人の耳元でいきなり出してくる。

何でも今はシウ゛ァという神様のお祭りの時期だとか。


夜には、メインガート(バラナシで一番賑やかなガート)で何やら儀式が・・・

※これはシヴァの祭りに関係なく毎日、行われているという。

夜ここを通って、見たことはあったけど、今日は日本人旅行者とボートをシェアして河から見てみることにした。


DSCF1446.jpg

DSCF1468.jpg

DSCF1459.jpg

DSCF1461.jpg

DSCF1496.jpg

DSCF1493.jpg


何をやっているかはよくわからなかったけど、逆の陸側から見るより迫力があった。


そんな感じで、多少、何かをしてみて、いいなぁとは思うけれど、何をしても心が動かない。


ここにきて、新鮮な心を失い、旅への意欲も薄くなってきた。

もう、そろそろ日本への帰り時なのかな。

日食を待たずに帰ってしまってもいいんじゃないかな。

そんなことを思うようにもなった。


でも、その前に、バラナシのあの場所には行っておかないと…

そうだ、そろそろあの場所へ行こう。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

バラナシとガンガー ~地雷を踏んだらサヨウナラ~ 7月12日

バラナシ。
DSCF1387.jpg

DSCF2053.jpg人だらけ・・・


ヒンドゥー教の聖地。

旅の途中から、南アフリカ・ケープタウンの喜望峰と並んで、目標にしてきた場所だ。


7月22日、今世紀最長の皆既日食を、ここバラナシでも観測できる。
しかし、早めにバラナシに入っておかないと、便のよい宿や、人気の高い宿は満室となってしまう。
と予想し、早めにバラナシに入り宿を確保するため、旅の予定を早めてきた。

そして、皆既日食までの時間を使い、止まっていたブログの再開をすることも考えていた。

そして、日食10日前にバラナシIN。


さっそく宿探し。

バラナシの狭い路地を歩き回る。
DSCF1278.jpg

DSCF1277.jpg

DSCF1274.jpg

DSCF1273.jpg

DSCF1272.jpg


7軒ほど、まわってみるが、目星をつけていた人気の宿の安い部屋はすでに埋まっており、結局少し高めの部屋を取った。


僕の中でインドといえば、最初に頭に浮かぶのは、この町。

ガンガーに沿ったガートで沐浴をする人々・・・。
僕の中での“ザ・インド”だ。


※ガンガー(ガンジス河)
※ガート(沐浴場)川へ入る階段になっているところが多い。ガンガー沿いに60以上ある。
※沐浴(ガンガーの水で体を浄化し、罪を洗い清めて功徳を得ること)


宿に荷物を置き、さっそくガンジス河へ向かう。
といっても、ほとんどの宿はガンジス河沿いのガートのすぐ上にある。
ほとんどの宿の最上階からガンジス河を望むことができる。

そんなわけですぐガンガー到着。
DSCF1298.jpg

DSCF1301.jpg



ガンジス河
DSCF1305.jpg

DSCF1335.jpg

DSCF1290.jpg

DSCF1288.jpg



ガートでは、一日中誰かしらが沐浴をしている姿がみれる。
DSCF1680.jpg

DSCF1666.jpg
DSCF1679.jpg


DSCF1284.jpg

DSCF1732.jpg

DSCF1736.jpg




ガートに座り、ただボーっとしているインドも多い。
DSCF1752.jpg

DSCF1750.jpg


対岸は雨期になると川が増水して川幅が広がるという。
今は雨期真っ只中。
しかし、川幅はあまり広がっていない模様…
DSCF1336.jpg

DSCF1343.jpg

旅をしていて、いくつかの国で、雨期や乾期のズレや、例年とは違う異常気象が起きていることに気づかされる。
やはり、温暖化などの影響が出ているのだろうか…。

話をバラナシに戻して…

そんなこんなでバラナシでの日々がスタート。

バラナシはガンガーだけではない。

町中もなかなか面白い。


まず、一番最初に思ったのが、日本語と日本食と日本人がとにかく多い。

ここはアジア、そして、インド。
日本から遠くないし、物価がとにかく安い。
そして、信じられないような異文化の数々。
日本人旅行者が多いのは当然。
それを考慮しても本当に日本人旅行者が多かった。(日食の影響もあるだろうけど)


そして、それに合わせるように日本食がメニューがある店が多い。
そのレベルはさまざまだけど、なかなかのものもある。


僕はなるべく現地食を食べる!という意地があるんだけど、さすがに日本人旅行者と日本食の食堂に入れば頼まざるを得ないわけで(そして、やっぱり“インドの日本食”というのも試してみたいわけで)何種類か食べた。


「日本語」の多さは、そんな食堂のメニュー表記に始まり、こんな感じで、お店の看板に日本語を使う店も多い。
DSCF1402.jpg

DSCF1280.jpg

アジアにおいて日本人旅行者はやっぱり大きな商売相手なんだなぁ。



そして、「日本語が多い」ということには、もう一つ種類があって、それは「言葉」という意味での「日本語」。

びっくりするほど、「日本語を喋れるインド人」が多いのだ。
「日本語を知ってる現地人」は世界各地、どこにでもいる。
それは、たいてい、“こんにちは”“ありがとう”などの「あいさつ」「お礼」程度。
しかし、ここでは、「会話」ができるインド人がやたら多い。

彼らはたいてい、お土産屋さんで、商売のために(+下心の人もいるけど)日本語を覚えていることが多いのだが、それでもそのレベルの高さには驚く。

日本語喋れるだけにしつこくてうるさいけど…


ここに来て、一気に日本が近くなった気がする。


そして、インドといえば、かの有名な野良シリーズ
まず、

野良牛!
DSCF1329.jpg

DSCF1366.jpg

DSCF1321.jpg
街の風景に溶け込みすぎ。

普通に町中にいます。
座ってたり、立ってたり、尻尾を振ってぶつけてきたり、糞尿したり…。
一回、ツノふられたこともある。

時に店の入口で営業妨害をしてみたり、
DSCF1722.jpg
店に入れない・・・

時にゲストハウスに泊まりにきたり。

「部屋あいてるぅー??」
DSCF1270.jpg

「おい!!部屋あいてるのか聞いてんだよ!」
DSCF1271.jpg
ほっといたら、マジで部屋まで行きそう。


だから、宿のスタッフに激しく追い返されてたけど。


満室だったのかな。




そして、野良人

昼でも夜でも、ところ構わず寝転がってる。
おじさん~おじいさん世代で大ブーム。
DSCF1398.jpg
たまに屍かと思ったりする。


あと実は一番怖いのが、野良犬。
犬は、野良シリーズとしては、一番オーソドックス、いわば永遠の定番みたいなものなのだが、これが怖い。

バラナシの路地は狭い。
そして、バラナシの町はとにかく停電が多い。
DSCF2059.jpg
↑↓夜の路地
DSCF2055.jpg

停電で真っ暗な狭い路地の真ん中に犬が寝転がっている。
DSCF2058.jpg
写真では雨の後で道が濡れてるから、なんとか隅に寄ってるけど、こいつらが普通に道の真ん中で寝だす。

犬が怖い理由は、「狂犬病」だ。
犬に噛まれた時点でアウト。
発症したら致死率は100%。発症したら終わり。
潜伏期間は通常2週間程度。数ヶ月から1,2年経って発症する例もあるにはあるらしい。
狂犬病は事前に予防接種を受けていても、その犬が狂犬病かわからなくても、すぐに病院に行って一定期間注射を打ち続けなければならない。
なんたって致死率100%だから・・・
帰国しなければならない場合もある。
(そのため旅行者は結構、犬を避ける)

というわけで、犬という名の“地雷”が、そこら中に転がっているのだ。

まさに、“地雷を踏んだらサヨウナラ”。


そうそう、地雷といえば、もう一つ、肝心なものを忘れてた。


う○ち。


牛のうん○。


ゴロゴロと牛がいるんだから、ベチャベチャと○んちがあって当然。


僕は踏みましたよ。

っていうか、どっちかっていうと、“すくった”。
ビーチサンダルを履いてて、足の甲をスプーンのように使って…


すごく生温かかった。
できたてホヤホヤだったのかもしれないな。
僕の心は一瞬にして冷めたけどね。


ついでだから、もう一つバラナシ・エピソードを。

停電で真っ暗の中、いつもの狭い路地を歩いてたら、人にぶつかってしまった。
思わず、「Sorry」と謝った。

返事がないからおかしいと思ったら、だったよ。

牛にまじめに謝ってしまった・・・。

ぶつかった牛。
Mario+001_convert_20090901011823.jpg
後日、腹いせに、激しく激写してやった。

こいつが、この写真より、もうちょい右寄りのヒトの縄張りに突っ立ってた。
停電で暗闇の中。


そんな愉快なバラナシでの生活なのだが、10日間はなかなか長い…

なんだかちょっとだらけてくる…

ま、今までとにかく忙しく移動型の旅をしてきて、アジアでは「ゆっくり旅すること」も一つの目標だからいいかな。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ


デリースルーバナーラス 7月11日~12日

インド・デリーの空港に降り立った。


今までにすれ違った旅人たちが、ことあるごとに引き合いに出していた国、インド。

「二度と行きたくない」と言う人が多い国、インド。
「二度と行きたくない」と思ったのに、なぜかまた行きたくなってしまう人が多いという国、インド。

インドが好きなのかなんなのかわからないけど、長期滞在者、沈没者、リピーターが多い国、インド。

恐ろしくも不思議な独特の魅力で多くの旅人を惹き付けて離さない混沌の国。

インドに来ると何かが変わる。

僕の旅、最終章・アジア編のメインステージだ。



飛行機から降りると、香港以上の暑さと湿気を感じる。
首都の空港としては、今まで僕が行った国の中ではイエメン・サナアに次ぐクオリティの低さ。
現在・新しいターミナルが建設されてはいるようだが…。


「デリーに着くのが、夜なら、空港から出ないほうがいい。」
というのは、インドを旅する上での常識らしい。
多くの旅人がそう言うし、ガイドブックにもそう書いてある。
その理由は、デリーの空港から、安宿街に行くまでの間に、トラブルに巻き込まれる旅行者が後を立たないのだ。
よくある例としては、タクシー運転手に、勝手に旅行会社に連れて行かれ、高額のツアーを強引に申し込まされるというもの。
またインドでは、睡眠薬を飲まされ強盗されたり、誘拐されたりと、恐ろしい事件・事故が多い。
空港タクシーでさえ、信用できないと言われる。

旅の難関、アフリカ大陸を越え、ホッと一安心したかと思えば、また新たな強敵インドが目の前に立ちはだかる。
一難去って、また一難…。
って、旅のルートを決めてるのは自分か。
要するに、ドがつくMってことです。


さて、その恐ろしき言い伝えのため、20時に空港に着いたものの、僕は明日の昼までは空港にて、籠城作戦を取るつもりでいた。

ということで、得意の空港泊の準備を始めようとしたところ、二人組の日本人旅行者に声をかけられ、タクシーをシェアして安宿街まで行くことに。
よかったぁ。

そして、なんとか無事に宿を取れ、無事にインドの旅のスタートを切ることができた。


翌日、さっそくデリーの街に出てみる。
昨日は夜でよく見えなかった街を歩いてみる。
初めて見るインドの町並みだ。
DSCF1128.jpg

DSCF1150.jpg

DSCF1134.jpg

キレイではない。
でも、そこまで汚ないとも思わない。
確かに、首都にしては汚ないとは思うけど、まだそこまでの大きな衝撃を感じない。
東回りの長旅でいろんな国を見てきたせいで、感覚が摩耗してしまったのだろうか。
それとも、首都は他の都市と比べてまだ少し綺麗なほうなのだろうか…


メインバザール
DSCF1176.jpg

DSCF1167.jpg

DSCF1173.jpg



ニューデリー駅
DSCF1139.jpg

駅構内
DSCF1144.jpg
たくさんの人が列車街orここに住んでいる。



デリーには、まだ一泊しかしていないが、先を急ぐため、すぐに次の目的地への当日チケットを手配する。
満席だったがキャンセル待ちで、なんとかチケットを確保し、列車に乗り込む。
目的地はバラナシ。

ほぼ定時で列車は出発。


インドはバスより列車の旅がメジャーで、快適。
DSCF1201.jpg


しかし、とにかく盗難が多い。

また痴漢や強姦未遂の話も何度か聞いたことがある。
それも…男女問わず…。

要するに、ゲイが多いのだ。

僕は、今までの経験上、「ゲイにはモテる」自信があるので、かなり警戒した。

しかし、残念(!?)ながら、ゲイは来なかった…。


というわけで、バラナシに到着。

いよいよ本格的にインドに入っていく。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

香港  ~混沌の前の贅沢~7月9日~10日

いよいよこの旅の最終章、南アジア、その入口、インド・デリーへ!!

…行く前に、経由で香港に一泊。(本当は泊まりたくなかったけれど、航空会社のルール上、一泊しなければならなかった)


飛行機から出て驚いたのは、とにかく暑い!
真冬のアフリカ南部から来たせいもあるけど、とにかく暑い。

しかし、へばってはいられない。
明日にはインドに飛ぶ。
ちゃっちゃと観光しなくっちゃ。


まずはバスで市街へ…


香港といえば、イギリスの植民地で1999年に中国に返還された都市。

その影響か、ロンドンの観光バスによく似たバスが、ドンドン走っている。

香港の街の景色といえば…
DSCF0746.jpg

DSCF0765.jpg

DSCF0749.jpg

DSCF0769.jpg


DSCF0754.jpg

競うように乱立された漢字の看板群…

香港に、中国に、来たなぁと感じさせてくれる。

今の僕の場合、日本に帰ってきたような気分にさえさせられる。

全てが、日本とちょっとだけ違うなといった感覚。

これは多分、南米~中東~アフリカと旅してきて、アジアから離れていたことが大きいと思う。
直前がアフリカだったし…
日本から渡航したらきっとものすごく異文化を感じるのだろう。


まず、人の顔、肌の色がやはり似ている。
親近感というか、自分に近いものを感じる。

それから漢字。
字を見れば、だいたい言いたいことがわかってしまうことが多い。

そして、ファッションと日本語。
ファッションは日本から流れてくる情報が強いらしく、確かに女の子のファッションは、ちょっと似ているものがある。
何せ、日本のファッション誌が中国語に翻訳されたものが、露店やコンビニにズラリと並んでいるのだ。
一部の雑誌に至っては、日本語そのまんまで販売している雑誌も見かける。



あと「の」。
中国人は「の」が読めるらしく…
DSCF0770.jpg
こんな感じの看板をよく見かける。


以下、こんなんもある。
DSCF0799.jpg

DSCF0755.jpg

DSCF0757.jpg

DSCF0745.jpg

建物の感じや街のつくりも、日本の都会に似ている気がする。

DSCF0762.jpg

新宿みたい
DSCF0800.jpg

新橋駅周辺みたい
DSCF0837.jpg

表参道みたい
DSCF0790.jpg



安らぐなぁと思いながら、街を歩いていて、思い出したことが一つ。


香港といえば…

100万ドルの夜景!

忘れてた…。

メチャクチャ有名じゃんか。

すぐ宿に帰って、僕みたいな貧乏旅行者でも行ける場所&価格なのかを調べる。



意外と宿から近く、そんなにお金をかけずに行ける!


こりゃ、行くっかない!!

宿から中環フェリー乗り場へ
DSCF0821.jpg

対岸へ渡るフェリーだ。

DSCF0816.jpg

↑↓フェリーからの眺め

DSCF0828.jpg


地下鉄で行くより安い上、から町並みを見ることができる。


いわゆる、百害あって一理なし!

ん? それは違うか。

たなぼた?
鬼に金棒?

ま、いいや。


んで、対岸に着くと、高層ビル群が目の前に立ちはだかる。そのビル群を通り抜け、後方にそびえる 山を登れば、100万ドルの夜景に到達だ。


途中まで エスカレータ
DSCF0843.jpg

エスカレータの終点までいき、ビクトリアピークを徒歩で目指す。
だいたいの観光客は、ロープウェイでビクトリアピークを目指す。

迷いに迷い、無駄に距離を歩きながら、なんとか正規のルートへ。

これがなかなかの急勾配で、なかなか長い道のりなんだけど、ケープタウンのテーブルマウンテンでちょっと登山慣れしていたせいか、汗だくになりながらも、スイスイと登ることができた。


頂上に着くと…
DSCF0937.jpg

おしゃれな形のビルと、おしゃれな感じのお店が入ったビルが立っていた。
DSCF0941.jpg





今まで、頂上がこんなに発展している山に来たことがなかったので、ちょっと戸惑う。

さすがは香港。


そして、お待ちかね、100万ドルの夜景…
DSCF0851.jpg

DSCF0930.jpg


DSCF0920.jpg

DSCF0925.jpg


すごい・・・。
確かにすごい。

ちなみになぜ「100万ドルの夜景」と言われるかというと…
一晩で使用する電気代が100万ドルだから、とのこと。


展望ポイントには、日本人旅行者も多く久々にバックパッカー以外の小綺麗な日本人を見ることができた。
さらには、カップルが多く、この夜景を目の前に寄り添う姿は、ほ~んのちょーっとだけ、うらやましかった。

僕はといえば、汗だくで、汗を吸ったウェッティなボサボサのロン毛で、リュックを背負って、100万ドルの夜景をカメラに収めようと、必死に最前列の場所取りをしていた。


「オタク」みたいだって!?


だってオタクだもの。
みつを。

「オタクで何が悪い!」
草剪毅!?




そんなオタクライクな僕だったけれど、いい写真がたくさん撮れたし、感動して幸せそうな旅行者の表情をたくさん見ることができたし、何よりやっぱり、100万ドルの夜景はすごかった…


帰りはロープウェイを利用し、山を下ったのだけれど、よくこの道を徒歩で登ってきたなと思うほどの急勾配。
滝川クリステルもびっくりのななめ45°で下っていく。
DSCF0942.jpg



香港の夜景は、ビクトリアピークからの百万ドルの夜景だけではない。

夜の街のネオンもきれい。
DSCF1001.jpg

DSCF1006.jpg

DSCF1012.jpg

DSCF1018.jpg


高層ビルを見上げるだけで夜景が楽しめる。


DSCF0953.jpg

DSCF0954.jpg

DSCF0982.jpg

DSCF0996.jpg

DSCF0989.jpg


香港では、一泊だけで忙しかったけど、贅沢なものを見させてもらった。

そして、いよいよ、恐るべき混沌の国、インドへ…




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

アフリカ大陸縦断を終えて 7月8日


アフリカには今までの旅とは違った何かがある。

「アフリカ」
その響きは僕にとって、ずっと特別だった。

小学校とき、お腹が膨らんだ黒人の子どもが写ったユニセフのポスターを見た時の衝撃…
テレビや本で見る、飢餓、病気、孤児…

大自然、野性動物、民族…

とにかく一番「未知」だったのがアフリカ。



だからこそ、この旅で絶対外せなかったのがアフリカ。
世界一周する旅人でも、アフリカは行かない人は多い。

一番の理由は治安だろう。そして同じくらい怖いのがマラリア。
それでも、やっぱりアフリカに行きたかった。
だから、ここまでしっかり沈没せずに来た。
ヨーロッパも削った。


アフリカに行けば何かがある。
アフリカに行けば何かが変わる。

環境に、自分の変化を任せるのは甘い考えだと思いながらも、アフリカには、それを期待してた。

そのアフリカ縦断を終えて…

アフリカ大陸縦断といっても僕はケニアから入ったため、エジプト・カイロから南下する、完全なアフリカ大陸縦断ではない。
しかし、ケニア・ナイロビからタンザニアに南下後、再びナイロビに戻り、エチオピア南部少数民族巡りをするため北上して、またまたナイロビに戻り、ウガンダ~タンザニア~ザンビア~ナミビア~南アフリカと南下した旅は、十分に濃い旅となった。

エチオピア~ケニア間の世界一ハードと言われるローリー移動を往復したし、安全な町などないアフリカで、強奪に遭った何人かから直接話を聞き、いつも恐怖に脅え警戒しながらも、襲われないよう胸を張って歩き、なんとか一人で無事に南下してきた。
これは、旅人として、すごく自信になったし、おおげさかもしれないけど、度胸と注意力も今まで以上についたと思う。


アフリカでは、どれだけ現地に入っていけるかということが、ひとつの旅の目標だったけど、それも自分の中では達成することができたと思っている。
特にエチオピアでは、現地に入っていくことができた。
エチオピア~ケニア間往復のローリーや、エチオピア南部のヒッチハイクでは、現地人と協力したり、助けてもらったりの連続で、自然と現地人と絡むことが多かった。


これができたのは、アフリカの旅では、ほとんどの時間、一人で旅していたことが大きいと思う。
盗難や強盗・強奪を避ける可能性を高めるには、なるべく旅人同士、何人かで一緒に動いたほうがいい、というのが、バックパッカーの中では一つの常識であり、特に危険と言われるアフリカを、一人で動くのは危険であるけれど、アフリカを旅する旅行者自体が他の大陸に比べ少ないし、あるイベント(もう先に記事を更新してしまったので…。→これはインドの日食のこと)に向けて旅を急いでいたので、一人で旅をした。
(※とはいえ、複数人で行動していてもやられる例は多い…)

また、一人のほうが、現地に入って行きやすいし、またアフリカの旅を一人でやりきることで、大きな自信になると思っていたから、一人で動き続けた。

リスクはあったけれど、だからこそ、達成感や自信につながった。


アフリカでは、治安だけでなく、マラリアの恐怖とも戦い続けた。
マラリアにかかった人の体験談は凄まじいものだった。
想像を絶する。

毎晩、必ず蚊帳に入って、蚊帳内をチェックして寝たし、マイ蚊帳、強力殺虫スプレー、蚊取り線香も購入し、いつも持ち歩いた。
しかし、絶対に蚊に刺されないことなど無理で、蚊に刺される度、一週間~10日後のマラリア発症に怯えた。
さすがにウガンダ奥地の孤児院に行く際は、マラリア予防薬を週1回飲んだし、マラリア治療薬(病院までのつなぎ)も途中で購入した。
マラリア予防薬は、頭痛、悪心、うつなどの副作用が出るといわれるが、僕はこれらの症状は出なかった。代わりに、副作用によるものかわからないが、薬を飲んだ2~3日後に悪夢を見て、夜目をさますと、あらゆる音が自分を襲ってくるような恐ろしい感覚には数回なった。


マラリアと治安に脅え、最善の注意を払いながら進んできたアフリカの旅は、やはり他の大陸よりも自由な動きはできず、行動が制限される場面は多かったが、それでも、たくさんのいい体験ができた。


エチオピア南部では全く言葉の通じない民族と、笑顔と身振り手振りで対話をすることができたし、見返りを全く求めない少年たちの優しさにも出会えた。
ウガンダの孤児院では、アフリカの底辺地域の生活に触れ、子どもたちの肌に触れ、考えさせられることも多かった。

これまでの旅とは違った旅ができたこと、そして、運も良く、なんとか無事にアフリカを脱出できて、アフリカの旅はとても満足なものになった。

喜望峰に立ち、その海の先に見た青い景色と、そのときの達成感は、きっと忘れられないものになるだろう。

やっとここまで来た…。


そして、いよいよ僕の旅は最終章へ…


旅はまだ続く…




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

たなぼた七夕 in ケープタウン 7月7日

アフリカ大陸を経つと思っていた7月6日。

僕はアフリカ大陸を経つことができないでいた。

この日、向かった先は、空港ではなく、スーパーマーケット。

ずっと依頼していた航空券の変更が結局うまくいかず、出発は二日後の7月8日になり、宿で自炊生活をするための食材を買い込みに行ったのだ。



ケープタウンの街、散策。
DSCF0513_convert_20090819215111.jpg

DSCF0521_convert_20090819215422.jpg

DSCF0510_convert_20090819215114.jpg

ナミビアと同様、かなり近代化された町並み。



さて・・・出発が7月8日か・・・。
となると、7月7日の七夕は、ここケープタウンで迎えることになる。

せっかくの七夕、さて、どうしたもんかと思っていたところ、日本人バックパッカーの6人グループと遭遇。

一緒に、街のすぐ背後にそびえるテーブルマウンテンに登ることに…
DSCF0248_convert_20090819211534.jpg

山の途中まではタクシーで行き、最後の急勾配を歩いて登るコースを取った。

途中からなら余裕!かと思っていたけど、これが、思っていたより、きつい。

かなりの急勾配と、久々の登山が、足と腰に効いてくる。
DSCF0538_convert_20090819215728.jpg


約二時間の登山を終え、疲労困憊で頂上に辿り着く。
昨日の喜望峰を越えるほどの、壮大な眺め。
DSCF0533_convert_20090819215436.jpg
町と海と山のコラボレーションやぁ。

喜望峰も見渡すことができた。
DSCF0555_convert_20090819215926.jpg




そして、夕暮れ時、すごい景色を見てしまった。

DSCF0580_convert_20090819220139.jpg

DSCF0595_convert_20090819220530.jpg

DSCF0605_convert_20090819221041.jpg


DSCF0600_convert_20090819220955.jpg

DSCF0592_convert_20090819220513.jpg

今度は夕陽と海のコラボレーション。

すごすぎて、写真撮りすぎた。

見とれ過ぎて危うく、みんなに置いて行かれるとこだった。


そして…

夜に向かう時間の中で、また素晴らしい景色が目の前に…

DSCF0625_convert_20090819220957.jpg

DSCF0689_convert_20090819221203.jpg



さらに…
DSCF0685_convert_20090819221239.jpg

夜になると、山に囲まれたケープタウンの街が、輝き始める。

七夕の夜にふさわしい絶景夜景。

夜空が満月に照らされて、残念ながら天の川は見えなかったけど、これだけの快晴、これだけの美しい空の中なら…
織姫と彦星は、きっと幸せな夜を過ごしていることだろうな…なんて勝手に想像しといた。


こんな素敵な景色たちが待っていたなら、航空券のトラブルは、かえってよかったのかも!?

たなぼた七夕!!


というわけで、素敵な七夕の夜を過ごし、明日は、本当に、万を辞して、いよいよアフリカ大陸を去る。




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

喜びを望む希望の峰 アフリカ大陸最南端到達!! 7月5日

ついに辿り着いた
南アフリカ・ケープタウン、喜望峰。
僕のアフリカの旅の終点だ。

ずっとここを目指してきた。
この旅の一つの目標地点でもあった喜望峰。

アフリカ大陸最南端だ。


最後まで自力で辿り着きたかったが、レンタカーをシェアできる人もなく、また次のアジアへ急ぐ理由もあったため、仕方なくツアーで喜望峰へ…


まずは、よくわからない港で停車。
DSCF0298_convert_20090819211715.jpg

DSCF0322_convert_20090819211811.jpg
喜望峰へと気持ちがはやり、ここの港の名前とか覚えてない。。。


でも、こんなんとかいました。
DSCF0268_convert_20090819211621.jpg



次にボルダーズビーチに停車。
DSCF0354_convert_20090819211841.jpg


こんなんとかいました。
DSCF0365_convert_20090819212020.jpg

DSCF0368_convert_20090819212103.jpg

DSCF0372_convert_20090819212050.jpg

DSCF0379_convert_20090819212323.jpg

DSCF0395_convert_20090819212301.jpg

DSCF0396_convert_20090819212314.jpg


そして、いよいよ喜望峰に連れてってもらえるかと思いきや…

世の中そう甘くはなく…

DSCF0414_convert_20090819212717.jpg

自分で転んででも行けとのこと。

ギアなし自転車をこぎ続け…

DSCF0417_convert_20090819213003.jpg


DSCF0412_convert_20090819212820.jpg

最後は歩いて登り・・・
DSCF0430_convert_20090819213026.jpg


ついに到着。


アフリカ大陸最南端
DSCF0484_convert_20090819222456.jpg

喜望峰
DSCF0449_convert_20090819213427.jpg


ここに辿り着いたとき、僕はその岬の先にどんな景色を見ているんだろう?

そんなことを考えながら旅してきた。

そして、やっと辿り着いた。

やっとここまで来た。
DSCF0458_convert_20090819213355.jpg
達成感で胸がいっぱいだ。

ケープポイント
DSCF0471_convert_20090819214435.jpg

やった・・・。
よくここまで無事に来れた・・・。

DSCF0435_convert_20090819213028.jpg


DSCF0453_convert_20090819213718.jpg

DSCF0448_convert_20090819213613.jpg
リオ・・・エルサレム・・・懐かしい・・・。

ほんとに気分がいい。。。

感慨に浸りながら、このまわりを一周・・・

で、なんで東京がないの!?!?

なんで?なんで東京ないの!?


だめでしょう!!東京はなくちゃ!!


思わぬところで気分を害されたけど、この達成感は何ものにも変えがたい。

と、自己満足に浸っているあいだにツアーは終わり、明日、いよいよアフリカ大陸を経つ。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ナミビア・ナミブ砂漠 ~アフリカらしからぬ近代都市と世界最古の砂漠~ 6月29日~7月2日

リビングストンから南西へ向かうと、いよいよ砂漠の国・ナミビアだ。

計画当初、この旅の楽しみなところベスト3に入っていたナミビア、ナミブ砂漠。(ちなみに残りはボリビア・ウユニ塩湖(雨期)と、イエメン・サナア旧市街)

まずは首都のウィントフックに到着。
DSCF9787_convert_20090819201000.jpg

DSCF9830_convert_20090819201131.jpg

DSCF9833_convert_20090819201147.jpg

DSCF9810_convert_20090819201045.jpg

とにかく、その発展ぶりに驚いた。
建物は近代的だし、白人が多い。
公用語は英語。
本当にここはアフリカ!?
とまで思う。
でも、間違いなくブラックアフリカではない。
日本では知名度が低いだけで、かなりの観光立国だ。
ナミビアという国名も、ナミブ砂漠から取ったもので、こういった、地名が基になった国名というのは、至極稀だという。



■ナミブ砂漠
面積は約50,000km²。日本の九州と同じくらいとも言われる。
約8000万年前に生まれた世界で最も古い砂漠。
特徴は、アプリコット色した砂。
ちなみにナミビアの国土の8割が砂漠といわれている。

ナミブ砂漠、及びナミビア観光は、レンタカーが安い。
しかし、一緒に行く人もいなかったのと、国際免許証を取ってきてないので、三日間のツアーに参加することに。超高額だけど仕方ない・・・

ツアーガイド2人の運転、案内でツアーがスタート。
メンバーは全13名。
日本人は僕1人、韓国人3人、あとは欧米各国からの旅行者だ。


ツアー用トラック
DSCF9839_convert_20090819201441.jpg

DSCF9965_convert_20090819202051.jpg
さすがツアー快適な車内!!


1日目は、途中でランチを取りながら、砂漠の入口まで移動。
DSCF9842_convert_20090819201458.jpg

途中、南回帰線を通る
DSCF9846_convert_20090819201551.jpg
バックに写っているような道をひたすら走る。

キャンプサイトに到着。

宿泊はキャンプサイトでテントを張る。
DSCF0225_convert_20090819205727.jpg

DSCF0226_convert_20090819205739.jpg



夕食はみんなで火を囲み、パスタ。
DSCF9916_convert_20090819201622.jpg

夕食後は、テント内でコリアンたちとアジアンナイト☆
DSCF9914_convert_20090819201626.jpg
日韓情報交換!!コリアンはやっぱり気のいい人たちが多い。

明日、2日目は、5時に起床し、見どころを一気にまわる。



二日目。
いよいよこのツアーメインの日がきた。

いよいよ本物のナミブ砂漠へ…

5時起き。

まずはDUNE45を目指す。
DSCF9951_convert_20090819201853.jpg

DSCF9945_convert_20090819201845.jpg

昨日の道すじにはなかった砂漠が、いよいよ見えてくる。

途中、砂漠の朝日を皆で眺める。
DSCF9935_convert_20090819201741.jpg

なかなか。

そして…


でゅ~ん!!
DSCF0028_convert_20090819203634.jpg


そう、DUNE45です。
DSCF0037_convert_20090819203617.jpg
DUNE45の意味は、砂丘公園入り口から45km地点にある砂丘だからとのこと。

DSCF9975_convert_20090819202351.jpg


登ってみる。
DSCF9995_convert_20090819202505.jpg

振り返ってみる。
DSCF9987_convert_20090819202253.jpg

頂上に着いてみる。
DSCF0074_convert_20090819204157.jpg

DUNE45にて・・・
DSCF0005_convert_20090819203721.jpg
と、かっこつけてみる。



お次は砂漠トレッキング
DSCF0040_convert_20090819203850.jpg
珍しい動植物を見ながら世界最古の砂漠を歩く。

DSCF0047_convert_20090819203903.jpg

DSCF0122_convert_20090819205004.jpg

DSCF0118_convert_20090819204724.jpg

DSCF0097_convert_20090819204940.jpg

DSCF0095_convert_20090819204902.jpg

DSCF0091_convert_20090819204302.jpg

DSCF0090_convert_20090819204253.jpg

DSCF0126_convert_20090819205011.jpg

やっぱり砂漠は素敵・・・


次に辿り着いたは・・・

デッドフレイ
DSCF0132_convert_20090819205244.jpg
死の湖。
地下の川の流れが変わってしまったために、約500年前に水が干上がってしまったかつての湖の跡地である。
生物が生きることができない場所であり、微生物がほとんどいないため、木はそのまま形を残している。

水分を全て取られた木。
DSCF0167_convert_20090819205404.jpg

DSCF0159_convert_20090819205341.jpg

DSCF0173_convert_20090819205503.jpg

↑このように、立ったまま枯れている木もある。
500年間も立ったまま・・・。これからも??

「立ったまま枯れる」 なんだか素敵な響き。




そして…

世界最大の砂丘。

ソススフレイ
DSCF0182_convert_20090819205612.jpg

砂丘の高さは300M以上とも言われる。

DSCF0183_convert_20090819205803.jpg

暑くてカラッカラなんだけど、雨期には、このあたり一帯は全て水が張り、ツアーに来れないこともあるという。

水に映った砂漠っていうのも素敵そうだなぁ。


こうして、無事にツアーは終了。

ツアー仲間と記念撮影。
DSCF0237_convert_20090819205851.jpg
こういうグループになると、ボケ担当、ツッコミ担当ができるのは、万国共通だと感じた。


ツアーガイドと。
DSCF0146_convert_20090819205553.jpg
「いくぞ!」という日本語だけを僕にしゃべってきた。
なんかテンション上がった。
得意のダンスを披露してとみんなに乗せられてた。
でも踊らなかった。
みんなテンション下がった。





世界最古の砂漠、ナミブ砂漠…

この旅の三大楽しみのひとつだった場所。


正直な感想は…

そこまでの驚きはなかった。

その原因はおそらく…

・この旅で、ヨルダン、モロッコと、すでに素晴らしい砂漠を見てしまっていたこと、
・何でも揃った高額ツアーで行ったこと、
・砂漠の真ん中に泊まることができなかったこと
・長旅により感動する心が磨り減ってしまっていたこと、

によると思う。


一緒にいたメンバーも大きな要因かもしれない。

ヨルダンでは、ひとり。静寂の砂漠。

モロッコでは、楽しい仲間との、砂漠の宴。

ツアーのメンバーも、よく気遣い合い、笑いあえるいいメンバーだったけど、やっぱり、母国語で感動を共有できるのは大きい。


ナミブ砂漠自体は、とにかく広大だし、砂丘が巨大。
ただ、モロッコのサハラ砂漠のように、草がなく、とにかくサラサラの砂だけ!って感じのエリアが少ない印象だった。
(※ただ、その植物も固有種が多いらしくひとつの見所ではある。自分は植物にあまり興味がなくて・・・。)

また、砂がアプリコット色のため、「赤い砂漠」と表現されることも多いが、そこまでの「赤さ」も感じなかった。


レンタカーのシェアで行けば、行きたいところにゆっくり行けるし、もっと楽しいのかもしれない。


しかし…
長旅でいろんなものを見慣れていることにより、「驚き」や「感動」する心が摩耗してきているのは厄介だ。

もっと新鮮な目と心で旅をしなければ…




ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ


ビクトリアの滝 ~見えないほど激しい滝~ 6月26日

リビングストン
DSCF9754_convert_20090819195611.jpg
↑↓メインストリート
DSCF9714_convert_20090819195507.jpg

ローカルのマーケット周辺
DSCF9745_convert_20090819195601.jpg

ツーリスト向けお土産の露店通り
DSCF9757_convert_20090819195653.jpg

町自体は小さいが、ここには、ザンビア随一の観光スポット、ビクトリアフォールズがある。

さっそくビクトリアフォールズへ


ビクトリアフォールズ

ナイアガラ、イグアスと並び、世界三大瀑布といわれる大瀑布。
DSCF9557_convert_20090819193849.jpg

あれ?見えないなぁ。

DSCF9532_convert_20090819193517.jpg

あれれ??ちょっともったいぶらないでよぉ~

DSCF9522_convert_20090819193118.jpg

見えそう・・・で見えない・・・これぞチラリズム!?

DSCF9605_convert_20090819194248.jpg

滝でそういうのいらないんですけど・・・


現在は雨期のため、水量が多く、水しぶきがすごい。
水しぶきが上空に舞い上がり、雨のように…、いや、滝のように“水しぶき”が降ってくる。

DSCF9554_convert_20090819193817.jpg
↑雲ではなく、上空に舞い上がった水飛沫

んで、水しぶきがすごすぎて、滝の流れがあまり見えない。
展望ポイントとなっているところは手すりが付けられているが、そこから見える景色は真っ白白すけ。

たまに見えてもこの程度。

DSCF9526_convert_20090819193454.jpg

DSCF9540_convert_20090819193630.jpg

DSCF9549_convert_20090819193729.jpg
時期が悪かったのかなぁ。

風向きを読んで、チラリズムを隠し撮り(響きが怪しいけど・・・)

DSCF9500_convert_20090819192152.jpg

DSCF9563_convert_20090819194008.jpg

DSCF9571_convert_20090819194043.jpg

この角度からしか、滝って感じの写真が撮れなかった。
焦らすのもほどほどにしろぉー!!

ビクトリアフォールズでは、風にいじわるされて滝の流れはあまり見ることができず残念だったが、ここにはもう一つ有名なものがある。
滝と同じ高さの橋からの、バンジージャンプだ。

とりあえずジャンピングポイントへ…

ビクトリアブリッジ
DSCF9520_convert_20090819193139.jpg

滝周辺お決まりの虹も
DSCF9531_convert_20090819193411.jpg


高さ
DSCF9599_convert_20090819194227.jpg

橋のほぼ中央にザンビア、ジンバブエの国境線がある。
DSCF9687_convert_20090819195346.jpg
ノービザでジンバブエに入れちゃう!?


そしてジャンピングポイントは、まさにその国境線のすぐ横に位置する。

高さ
DSCF9657_convert_20090819195234.jpg

欧米人旅行者がバンジー待ちの列を作っていたので、しばらく待って、見てみることに。

と、思ってたら…

DSCF96787_convert_20090819195258.jpg

飛ぶは飛ぶは、まさに飛ぶように飛ぶ。
次々と当たり前のようにジャンプしていく。
しかも、女性が多い。
僕は6~7人見ていたけど、飛ぶのをためらった人は0。
みんな係員の淡々としたカウントダウンに合わせて予定通りのフライト。

すごい…

ぶっ飛んでる。いろんな意味で。



でも、バンジージャンプって、もっとこう…ためらったりしてタメがあって、んでもって飛んだら拍手喝采!!みたいなイメージだっただけに、あれ?そんなに簡単に安売りしちゃうのって感じ。

いや、でもすごい。

200mを越えてるから、飛び降りても、またビヨーンて上がって、また降下するわけだから、何回分かのバンジージャンプをしてるようなもので…

と、ゴチャゴチャ考えていると…
「お前、飛ぶのか?」と声をかけられる。
「いや、飛ばないよ。友達がいれば盛り上がるけど、一人で来てるからさ。」

「ははは、お前はチキンだな。」

むっ。

チキンって言われた。
「親父にも言われたことないのに。」

望むところだ!
見てろよ!

「りょーじ、行きます!」


と、言いたいとこだけど、そこは熱くならずに大人な対応で…

「値段高いし。」

と交わしてやった。

どうですか、この大人の対応!(笑)


ってことで、ビクトリアフォールズでは、「安い挑発に乗らない冷静沈着、大人な日本人」を現地人に見せつけてきました。


ん?何?

チキンで貧乏なだけだって!?


じゃあ、やってみー!!

やろうとしてみー!!


絶対できないから!(笑)


さて、ぼちぼちこの地から逃げ・・・離れますかな。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

マラリアの脅威 6月22日

“怒涛の移動中”のこと・・・

どうもここ最近、体調が優れない。

熱っぽいし、偏頭痛はするし、夜中、悪夢を見て起きたら呼吸が乱れ、体は痙攣していて、幻聴(?)らしき怖い大きい音が聴こえたこともあった。


…マラリアか!?



■マラリアについて
マラリアは、マラリア原虫を持った蚊(ハマダラカ)に刺されることで感染する病気。
全世界で年間3億~5億人がマラリアを発症し、100万~300万人が死亡すると推計されている。
死亡者のほとんどはサハラ以南のアフリカであると報告されている。
症状としては、1週間以上の潜伏期間の後、悪寒、震えと共に体温が上昇し、顔面紅潮、呼吸切迫、結膜充血、嘔吐、頭痛、筋肉痛などが起こる。そして、熱はいったん下がる。これが熱発作という症状で、この熱発作の間隔は、感染するマラリアの種類によって異なり、三日熱、卵型マラリアは48時間、四日熱マラリアは72時間ごとに起こる。
感染初期では発熱が続くことが多い。最初は風邪との区別がしずらいという。
種類にもよるらしいが、かかると、40度以上の超高熱、激しい嘔吐の連続、意識障害(異常行動を起こし、数日間記憶がないこともある)、幻覚症状も起こる。
マラリアを予防するためのワクチンはなく、対策は予防薬の服用と、マラリア原虫を媒介する蚊の駆除と予防薬の服用。
それと、栄養をしっかりとって、免疫力を強めておくこと。
とにかく怖い病気。
気をつけてればならないというわけではなく、かなり気をつけていてもなってしまうのが怖い。
最善の注意を払っていた旅行者の多くが罹ってしまっている。



そんな恐るべきマラリアに、僕もついにかかってしまったか!?

暑くても夕方からはなるべく長袖を着て、ズボンは常に長ズボン、長めの靴下も買い足した。
蚊帳がない宿もあるから、マイ蚊帳も買った。
部屋内殺虫スプレー、蚊取り線香、蚊帳内睡眠、は欠かさず行ってきた。
刺されても発症しないこともあるから、栄養を摂り、免疫をつけるため、今までは値段が高いから避けてきた100%フルーツジュースや牛乳、野菜も買うようになった。
ビタミン剤も飲んでる。
ウガンダからは副作用覚悟でマラリア予防薬も…

それでも蚊に刺されないのは不可能で、数回、おそらく20刺されくらいは刺された。


ここまで徹底したのに!?


明らかに熱が出ていて、偏頭痛がする。
潜伏期の症状に近い。


かかってしまったら移動を中断せざるを得ないし、病院に行かなくてはならない。
田舎の病院は英語が通じるだろうか…
お金はいくらかかってしまうんだろう…
注射針によるエイズ感染も怖い…
何より知ってる人も言葉も通じないところでひとり苦しむのは想像するだけで苦しい…
このネガティブな考えに引っ張られるのは、マラリアの症状なのか、予防薬の副作用か・・・
副作用名はずだ。
熱も頭痛も副作用なはずだ。

このまま知らんぷりして移動してたら治らないかなぁ。
とか考えてしまうけど、マラリアの種類によっては死亡することもある…。

やっぱりやっておこう。
マラリアチェック。

マラリアチェックは一度、ナイロビでしたことがあった。
病院なんかないエチオピア南部の民族の村巡りをする前だ。
このときは、泊まっていた宿のスタッフに紹介してもらった信用できるクリニックで、チェックした。
チェックの仕方は簡単。

手の指先に針を差し、採血。
それを熱したあと、顕微鏡でウィルスチェック。
15分程度で結果が出た。


このときいた町は、ウガンダとの国境付近、タンザニアの小さな町。

本当は大きい病院でやりたいけど…
かかっているなら早期の治療で早く治るし…

町の診療所を訪ねる。
今日はもう終わりとのこと。
もうひとつ、チェックできる場所を紹介してもらう。
診療所より小さく、見た目はただの薬屋。
大丈夫かな…
でも、やっておいたほうがいい。
ちゃんと針が新しいことをチェックし、採血。

待つこと10分…。
女医さんの口から出た結果は…



「陰性」!!


つまりセーフということだ。

僕の安堵の声と表情を見た女医さんは
「よかったわね」と微笑んでくれた。

ほんとよかったぁ・・・勢いにまかせて女医さんをハグしてしまいたいくらい。

それくらい怖いし、安心した。

もう二度とこんな思いしたくないから、もう二度と刺されないぞぉ~!

って、言っても、無理なんだよなぁ~一匹も刺されないなんて・・・

外に出れば治安、寝るときにはマラリア・・・

なかなか休ませてくれないな・・・アフリカ・・・



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

陸・海・空!!怒涛の移動 6月22日~25日

孤児院を後にして・・・

再び旅が始まる。

DSCF9239_convert_20090818163543.jpg


東アフリカはウロウロして時間をかけたが、ここからは、得意の高速パッカーモードに切り替え、あまり余計な時間をかけずに、スムーズに南下していく。
怒涛の移動の開始だ。


さっそく、孤児院を出てウガンダからタンザニアへ入る。


最初に着いた町はブコバ。世界第二位の面積を持つビクトリア湖湖畔の町。
DSCF9251_convert_20090818163623.jpg
ドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」でも有名な湖。


■ダーウィンの悪夢
ビクトリア湖は固有生物が400~500種生息としている貴重な湖だったのだが、経済発展のためにそれらが乱獲され激減してしまう。
しかし、経済発展を止めないために、湖に、外来種「淡水魚ナルパーチ」を放流し、輸出をはじめる。
しかし、このナイルパーチは肉食魚であるため在来種にさらに多くの影響が出始め、在来種は激減してしまう。
経済は豊かになったが、湖の生態が破壊され、格差が生まれ、そのほか、さまざまな悪影響がこの地域に出始める。
「ダーウィンの悪夢」は、その様子をドキュメンタリーとして映画化された作品である。




ここから、ビクトリア湖の南に位置するムワンザまで夜行フェリーで湖を渡る。
DSCF9264_convert_20090818163737.jpg

湖だけあって、蚊が多い。
とにかくマラリアが怖い。
簡易ベッドが6つの二等席で眠る。
DSCF9266_convert_20090818163754.jpg

なかなか揺れる。まあでも心地よいくらいだ。
震度2マグニチュード2.2くらい。


ムワンザから次の目的地までのバスを探し回るが、バスは今日の早朝に出てしまったばかりで次のバスまで日数が空いてしまう…。
ちょいと先を急ぐので、急遽、ピュ~ッとフライト。

再び、ダルエスサラームへ。
当初予定していた南下ルートに再び乗った。

ダルエスサラームからは、二泊三日、列車の旅だ。

ダルエスサラーム駅
DSCF9276_convert_20090818163902.jpg

DSCF9281_convert_20090818164122.jpg


タンザニアの東の端・ダルエスサラームからザンビア中部のカピリ・ムポシまで全長1859kmを走る国際列車。
その名も、タンザン鉄道(タザラトレイン)
DSCF9374_convert_20090818164857.jpg

中国の援助により走るこの列車は、車両も中国製。
ところどころに漢字表記が。
DSCF9356_convert_20090818164557.jpg

1部屋に六人で乗り合わせる。
昼は座席で、夜は簡易ベッドを組み立てる。


しばしば途中駅に停車。
売り子が車両の近くまでやってくる。
DSCF9332_convert_20090818164438.jpg
車両の窓から顔を出し、欲しいものを買う。
バス移動でも同様に売り子はやってくるが、列車はまた違った雰囲気。
水やジュース、お菓子、バナナなどの果物、焼きとうもろこしから揚げ物、温かいお弁当を売っている売り子もいる。
さらにはベルト、靴下、Tシャツ、下着、帽子、革靴などを売る輩もいる。
これも列車の売り子に限ったことではないが、いつも「なぜここで革靴を?」とか思ったりする。
急な冠婚葬祭用に??
どんな列車だ!!


列車には、もちろん食堂車があり、震度4マグニチュード4.5くらいの中で食事ができる。
DSCF9312_convert_20090818164141.jpg
僕の目の前で食事をしていた乗客のファンタオレンジは見事に吹っ飛びこぼれ落ちていた。
エキサイティング!!

車窓から外を眺めると、果てしない大自然、そしてたまにポツリポツリとからぶき屋根の家々や、線路沿いで遊ぶ子供たちが次々と流れていく。
DSCF9388_convert_20090818164921.jpg

DSCF9435_convert_20090818171227.jpg
列車が通るとみんな手を降ってくれる。

時には踊りを披露してくれる子供もいる。
DSCF9447_convert_20090818171410.jpg


まさに、「世界の車窓から」の世界。
DSCF9412_convert_20090818170722.jpg

DSCF9421_convert_20090818170741.jpg

DSCF9402_convert_20090818165316.jpg


列車から見る夕焼けと星空はまたいつもとは違った趣きがある。
DSCF9451_convert_20090818171441.jpg

DSCF9453_convert_20090818171603.jpg

DSCF9463_convert_20090818171602.jpg


二日目、タンザニア出国とザンビア入国の手続きを車内で行い、あとはのんびり景色を眺めながら目的地への到着を待つ。

列車は4時間遅れで、終点カピリムポシに到着。

怒涛の移動は続き・・・・

そのままザンビアの首都ルサカへバスで3時間。

ルサカは治安も良くなさそうだし、見るものもないので、そのままバスを乗り換え、ザンビアの西の端、リビングストンへバスで約6時間。

すでに真夜中。

久々のシャワーとベッドに辿り着いた。



ブログ村のランキングに参加しています。
クリックしていただくと、ポイントが加算されます。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

Page Top

プロフィール

原田 諒二                                     (はらだりょ-じ)

Author:原田 諒二 (はらだりょ-じ)
あの海の向こうには何があるんだろう?
どんな人たちがいるんだろう?
そんな単純な想いを胸に
いろんなものを見て
いろんな人と触れ合う旅の
真っ最中!!

2008年10月21日 世界一周出発

2009年9月28日 帰国

2015年1月2日 世界二周目に出発!!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。