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  2. 2009年08月

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ハッピーバースデイ!そしてFaraway・・・ 6月21~22日

誕生日会!!
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日曜日、今月誕生日の子どもたちの誕生日会が開催された。
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プログラム、料理、飾り付けなど、子どもたちが中心となって運営。


誕生会だけあって、料理も豪華!
パスタ、マトケ、お米、チキン!!
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みんながっつきまくり!!

そして、みんなイベント用の一張羅を着て、いつもよりおしゃれ。
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食事をして、プレゼントの贈呈、ビンゴゲーム。
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ゆったりしたちょっと贅沢な一日だった。


その翌日・・・
僕の孤児院滞在、最後の日…。


「Far,Far,Faraway ,we shall meet you once again」
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朝の朝礼後、子どもたちがお別れの歌を歌ってくれた。

僕はお別れの言葉を返す。
この学校の指針をずっと忘れないでいてほしいということ、いま一緒にいる友達をずっと大切にしてほしいということ、を伝えた。
バックパックを背負い、みんなに手を振る。
振り返って歩き始めると、涙が溢れてくる。

短い間で、何もできなかったことへの悔しさ。
仲良くなった子どもたちとの別れのつらさ…。

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突然来る短期のボランティアを受け入れ続けてくれている孤児院の方々、短期で、すぐに去って行ってしまうのに、なんでも丁寧に教えてくれる子供たち、ただただ、自分が学ばせてもらった孤児院での一週間。

ほんとうにありがとうございました。

その気持ちを込めて、入口で一礼して、孤児院を後にした。



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はじめてのせんせい 6月16日~

授業を見学させてもらったり、一緒に授業内容を行ったり、自分が先生になって授業を行ったりもした。

僕が行った授業は体育とレゴ、お絵かき、畑仕事。

どれも一番下のクラスの子どもたちの授業だった。

レゴとお絵かきは長期ボランティアの人と一緒に行い、補助的な役割で参加した。

レゴもお絵かきも、収拾がつかない。
レゴならレゴブロック、お絵かきなら色鉛筆の争奪戦が起こる。
みんなすぐにブロックや色鉛筆を独り占めしようとする。

それならまだいいが、たまにレゴブロックが飛び道具になることも。

ちょっと叱ってみる。

効果なし。

怒られ慣れてる…。

こりゃ、フンドシ締めてかかんないと、だな。


続いて体育。

この授業は一人で行った。
まとめるのは大変と聞いていたが、体育だし、最初ビシッと厳しくして、あとは体操だの、ランニングだの、軌道に乗っちゃえば余裕!
アンコーりょうじは、できる先生ってとこを見してやろうじゃないの!


え~、先に結果から言いますと…


完全学級崩壊。


もう、これぞ学級崩壊!
学級崩壊のお手本!みたいな感じ。



常に三ヶ所くらいで喧嘩が勃発しており、また、常に5~6人は野原をかけまわり、もう叫んでも声さえ届かない状態。

そして、足元には、いわゆる「仮病」を使った、やる気ゼロ組の子どもたちがゴロンゴロングデングデン…

さて、そんな学級崩壊授業の一部始終を振り返ってみる。


授業序盤、体操とランニングまではなんとかこなす。(それでもちゃんとついてくる子は6~7割だけど)

そして、ウォーミングアップが終わったあとは、いよいよ今日の授業の本番。

アンコーりょうじは、毎朝、子どもたちが行っている体操を見ていて、気になった点がいくつもあったので、一つ一つ見直していこうと考えていた。
そして、その後は、二人一組での柔軟体操なんかも教えちゃおうなんてことも考えていた。
正直、相当張り切っていた。


いやぁ甘かった。

マラソン大会で序盤にダッシュして頑張ってみたけど、終わってみれば完全にバテて下位になっちゃってるヤツくらい、甘かった。



怒鳴り続け、走り回り、時に手をあげ戦ってきたけれど、最後は降参…

成す術なし…


最後は子どもに哀れみの視線を向けられる始末。


先生泣きたいよ…


しばし、放心状態…


教育って難しい。
怒るって難しい。

先生ってすごい。
親ってすごい。


「先生、あのときはごめんなさい。」
「お父さんお母さん、あのときはごめんなさい。」


日本とアフリカ(ウガンダ)の家庭環境や文化、また、日本の子どもとアフリカの子どもの性格の傾向などは全然違うけれど、僕はここでは、時に手をあげること、罰を与えることも必要なのかなと感じた。

実際に、ここでは、そういったことが行われていて、最初は戸惑ったが、その意味が授業をしてみてわかった。


やっぱり、何でも、まわりから見て批判するだけでなく、現場になるべく入っていき、自分の目や肌で感じないとわからないんだなと思った。

とはいえ、ちょっと手をあげただけでは、全く効き目なしだったけど…


子どもの将来を見据えた、本当の意味での、「子どもへの愛」の難しさを実感した。




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孤児院の一日 6月16日~

なるべく子供たちの中に入って、一緒に生活、活動していくことを目標に、孤児院での生活がスタート。

簡単に日課を順に追ってみる。


5:30 起床、体操とランニング

まだ外は真っ暗。
車のライトを使ってランニングする道を照らす。

その後、ボランティアは経営者家族と朝食。
子どもたちも簡単な朝食。


7:30 朝礼・出席確認
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指針の唱和とウガンダ国家斉唱。
続いて「幸せなら手を叩こう」斉唱。
昨日与えられた課題のチェック。
(一人一本薪を拾って持ってくる、など)



その後、授業開始。
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学年は4つに別れていて、それぞれ授業内容も違う。
英語、理科、算数がメインの授業で、一番下の子たちは、おもちゃのレゴやお絵かきの授業もある。
さらに、水汲み、畑に出て働く時間もある。
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これは、ここでは食事、洗濯、掃除、全てを子どもたち自ら行っているためで、雑草刈りは食事用の作物のために、水は全てのことに使用するため、川や井戸に汲みにいく。


13:30 昼食
当番の子、数人が午前の授業途中からご飯の準備を始める。

一緒に料理を手伝う
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しかし・・・
「アンコー!そうじゃないよ!!」

「アンコー!遅い!!」

「アンコー!マジ使えない!!ありえない!!いらない!!じゃま!!でくのぼう!!」

とまでは言われていないが、けっこうな足手まといになる。

でも、みんな本当に親切に教えてくれる。

食事は、日本語の「いただきます」で食べ始め、みんな「ごちそうさま」もちゃんと言う。

「いただきます」「ごちそうさま」という日本の文化はやっぱり素晴らしいと改めて思う。

久々に大声で「ごちそうさま」を言った。

洗い物もみんなで。
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14:15 午後の授業開始
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16:30 掃除、終礼


18:00 シャワータイム・洗濯
シャワーと書いたけれど、シャワーを使うわけではない。
桶に水を入れ、それを4人くらいで共用し、手で水をすくい浴びる。
男の子で、身体に障害のある子が二人いて、その子たちの体を洗うのを手伝ってあげたり、ちゃんと頭を洗わない子とかもいるので、ゴシゴシ洗ってあげた。
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同じ釜の飯どころか、同じ桶の水を浴びるこどもたち。

当然のように、いたずらに水をかけられる。笑


洗濯も自分たちで
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19:30 夕食
夕食も当番の子たちが早めに準備を始める。
電気はないのでランプを囲んでの食事。

とにかくみんなよく食べる。
みんなおかわりする。
男の子は、普通の成人男性より食べるし、女の子もおかわりする。
そんな食べっぷりのよさを見ていると、なんだか安心する。
大食いの僕も、ここではさすがにおかわりはやめておいた。


夕食後~22:00 自習
みんなでランプを囲み、睡魔と闘いつつお勉強。
「自習」なだけあって、たまにふざけたりしてるのがまたかわいい。


外に出るとあたりは真っ暗。
孤児院も、孤児院のまわりにも、電気なんてないから本当に真っ暗。
となるともちろん、星がきれいで、毎日、天の川が見える。
なんと、天然の蛍も普通にそのへんで見ることができる。


といった具合に1日が流れる。
と書くと1日が簡単に流れていきそうだが、彼らはいつも日々、真剣に闘っている。

電気も水もない。

もちろんコンロもない。
料理は自分たちで川や井戸から汲んできた水を使い、拾い集めてきた薪に、マッチから火をつけ、息で火力調整を行う。
言葉にするとバーベキューみたいで簡単に思えるが、、これが毎日で、これで20人前以上の食事を作るのは、大変なことだ。
(とはいえ、この地域自体がウガンダの貧困層が住む底辺地域のため、水の調達、薪や火の問題は孤児院に限ったことではない)

しかもキッチンは換気が悪く大量の煙が充満。
一分間キッチンにいるだけで、涙と鼻水と目の痛さで顔がメチャクチャになる。
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写真で見る以上に、キッチン内は煙だらけ。


そんな中でみんな毎日涙を流しながら料理をしている…
(以前ここに来たボランティアが見るに見かねて換気扇を作ってくれたらしいが使い勝手が悪いとかで現在は使われていなかった)


夜は電気の代わりにランプやロウソクを使う。

節水もしっかり行っている。
行っているというより行わなければならない。
水道のないここでは、水は貴重。
近くの井戸や川・池から汲んでくる。

水を汲んでくるのは重労働。
一番綺麗な井戸水は、40リットル汲んでくるのに一時間以上かかる。
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手洗いなどは水が出過ぎないように工夫された手作りの装置を使う。
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押せば水が出るが、ワンショットで止まるようになっている。

装置2
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足で下の木を踏むと、タンクが傾き水が出る。
水が出過ぎないように、水の出口部分はフタに穴が開けられた作り(塩や味の素などの容器の口のような感じ)になっていて、タンク自体も一気に水が出過ぎないように、あまり傾かない作りになっている。

また、ボランティアのシャワーは、15分5リットルと決められている。
制限時間15分で、使用できる水(とポットのお湯)は、5リットル。
この5リットルでいかに、体を洗うか。
これが最初はなかなか難しい。
水が足りなくなる…
5リットルという水の量は多いようで少ない。

じゃあ、いつもシャワーを浴びるとき、僕はいったい何リットルの水を使っているんだろう?

日本人が1日に使用する水は一人平均約300リットルだとか。


恐ろしい・・・。


火や水のありがたみを感じる生活。

スイッチを押せば電気がつき、蛇口をひねれば水が出てくる生活を当たり前にしてきた僕にとって、ここでの体験は貴重だ。
勉強になる。

また、同じ生活レベルで、子供たちと向き合うこともできる。


子供たちの活動にもっともっとどんどん入っていき、少しでも多く触れあって、少しでも役に立っていきたい。



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ウガンダ奥地の小さな孤児院 6月15日

宿で読んだ雑誌(2007年発行)に、アフリカ大陸の平均寿命が載っていた。19歳。
日本は40歳で世界平均より10歳以上高い。
さすが長寿国と言われるだけのことはある。

そして、いま僕がいるウガンダは15歳と、世界で一番平均寿命が低い国。
原因は長引いた内戦と、エイズの蔓延と言われている。
そしてその影響は残された子どもたちに…
戦争やエイズにより両親を亡くした孤児はウガンダで を超える。

その孤児たちのために、自ら孤児院を建て、子どもたちを育てている日本人がいる。
そしてその人は、長期、短期を問わず、日本人のボランティア、訪問者を迎えてくれる人だという。

この情報をナイロビの情報ノートで知り、行こうと思った。
かつて国際協力を学んでいたことがあるだけに、やはりボランティアには関心があったし、旅の中で子どもの笑顔、声に助けられることが多く、子どもともっと接してみたかった。
また、アフリカでは少しでも現地に入っていきたかったし、助けてもらうことばかりのバックパッカーとして、何か一つでも現地の役に立てたらと思いやってきた。


首都カンパラからバスで約4時間。
山や森に囲まれた田舎に孤児院はある。

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孤児院に到着。
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まずは経営者に挨拶。
ここの経営者は日本人で30年近く孤児院を運営している。
(始めはケニアのナイロビで始め、その後、ウガンダのこの地へ)

それも援助はほとんど受けず自力で。
文字どおり自力で。
資金稼ぎに毎年日本に出稼ぎに行っていたという。
援助を受けたこともあったというが、援助を供与する側は、お金を出しているだけあり、口も出してくる。
孤児院を思ったように動かせなくなるため、断ったそうだ。

そんな血の滲むような努力のもと運営されつづけている孤児院。
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いまは、長期ボランティアの方が二人と、旅人も4人ボランティアに来ていた。いずれも日本人。

先に来ていた旅人たちが、校舎のペンキ塗り替え、また校舎の壁に世界地図を描いていたので、まずはその手伝いをしながら、子どもたちとふれあっていくことに。

白と水色、綺麗に塗られた校舎。
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壁に描かれた世界地図。
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仕事の遅いペンキ塗り
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ペンキ塗り以外の時間はなるべく子どもたちと活動。
子どもたちは、すぐに心を開いてくれた。
アンコー、アンコーとみんなすぐに寄ってくる。

ボランティアのことは、男性なら「アンコー」、女性なら「アンティー」を名前の前につけて呼ぶのだ。
おじさん、おばさんという意味の英語だ。
つまり僕はアンコーりょうじ。

子どもたちは現在、全部で40人ほどいて、約半分がこの孤児院の子で、半分は通ってきている子だ。
孤児院での過程を終えて、外の学校に行っている子もいる。

全員は覚えきれないけど、寝食をともにする孤児院の子は完璧に覚えたいと思い頑張ってみた。
けど、結構苦戦。
次から次へと自己紹介の嵐でもう何がなんだか誰が誰だか…

でも、とにかくみんな元気!
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一週間だけではあるけど、僕も元気に頑張ってみようと思う。




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ウガンダ・カンパラ ~ちょっと平和な空気のなかでお買い物~ 6月13日~14日

これで本当にお別れ。
三回IN&OUTしたナイロビに、もう帰ってくることはない。

再び、南アフリカを目指すべく、南のタンザニアに向かう。
かと思いきや、西へと向かうバスに乗り込んだ。
向かう先は緑豊かな小国、ウガンダだ。


エチオピアと同様、ウガンダも気になっている国だった。
国というより気になる場所があった。


まずは、首都カンパラへ

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綺麗な高層ビルはそう多くないが、交通量や行き交う人、道端に座り物を売る人の数は多く、なかなかパワーのある町。


ウガンダは比較的治安が良く、人も親切と言われているが、確かにケニアに比べ、しつこさや、ふっかけられることが少ない。


町の外れにある世界遺産をとりあえず見に行ってみる。

カスビドーム
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ブガンダ王国の歴代の王の墓。
これだけを見ると「え?なんでこれが世界遺産なの!?」という、しょぼさなんだけど、歴史的背景が認定された理由なんだと思う。
詳しくはわからないけど・・・


カンパラでは主に買物をした。
ウガンダに来た目的はある場所へ行くため。
その準備としての買物だ。

まずはウガンダ最大のマーケット、オウィノマーケットへ。
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ピーマン、人参、玉ねぎを購入。


そしてスーパーへ
ロウソク、蚊取り線香、水4リットル、ビスケットやスナック菓子少々。


そしてパン屋へ
あるメーカーのパン1キログラムを買う。


そして薬局へ
マラリア予防薬メフロキン、
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マラリア治療薬コアルテムを購入。
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※ちなみに、これらの薬は日本で買うと、めちゃくちゃ高い。10~15倍の値段はする。


そして問屋街へ
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ノート、鉛筆、各2ダースを購入。
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この時点でだいたい検討がつく人も多いと思うが、どんなところへ向かったかは、次回更新で…



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ローリーアゲイン!! ~世界一過酷な移動2・・・~ 6月10日~11日

エチオピア~ケニア国境へ
再びローリーの旅だ。
一度経験しているだけに気持ちに余裕がある。


今回は、ローリーの荷台。

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ローリーの荷台は、一緒にどんな人がどのくらい乗るか、そして、何の荷物と一緒に乗るかわからない。

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今回、一緒に乗るのはムスリム(イスラム教徒)たちだった。
ムスリムなら盗難の心配はないし、旅行者を襲うことはまずない。
安心して目的地に向かえそうだ。
ローリーの荷台はムスリムたちの荷物や穀物があるだけで、スペースも結構ある。
快適に目的地に向かえそうだ。


と思ったのも束の間。

最悪。テリブル。世界一キツイ移動とは、このことだ。

当然の悪路。
わかっている。
しかし、行きの助手席とは比べものにならないほどの衝撃、砂嵐、酷暑…。
座っていられないどころか、普通に立っていることも困難。
衝撃で体が宙に浮く。
しかもどのタイミングで衝撃が来るかわからないから受け身が取りづらい。
ずっと歯を食いしばって、力んでいなきゃいけない。
トラックの前方に近い方は衝撃が少ないようだが、ムスリムのおばちゃんたちに占領されてしまっている。
手すりにつかまって耐えるしかない…。

さらには、薄目もできないほどの砂嵐…。
呼吸をすれば砂のブュッフェ…。

避けらない太陽光線…

これだ…。これは確かにきつい。確かに旅で一番キツイ移動だ…。
ナメてた…。

きつそうな僕を見かねて、若者が上に上がってこいと声をかけてくる。
が、ここの衝撃も半端じゃない。
っていうか、油断したら振り落とされる!
「やっぱり下へ戻るよ…」

逃げ場がない…

これで30時間…!?
故障などアクシデントがあればさらに遅れる。
そして、何時にナイロビに着くかわからない…。
深夜にナイロビ着だったら最悪だ…。


4時間ほど我慢したところでトラックが止まる。
こんな荒野で・・・故障・・??
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どうやら、そうではないようだ。
他の故障したトラックの救助のために停車したようだ。
故障車の積み荷をこちらのトラックへ移動させる。
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ここでその労働力としてかり出されたのは、僕がエチオピアで訪れた村コンソから来た少年4人だった。
彼らは身なりを見ると、明らかにムスリムたちより貧しいことがわかる。
その彼らが問答無用で働かされる流れになっている。
積み荷は一つ90キロほどの穀物の袋が、トラックいっぱいに積まれている。
相当な重労働だ。
しかし、誰も手伝おうとはしない。

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積荷作業を見守る乗客。

自分が手伝うしかない。
と思い、力を貸すが、一個運んでみて、思う。
重すぎ。
一個運んだだけで、まわりから歓声が…
これじゃまるで余興だ。
力になれてない。


逆に足手まといになりそうなので、この仕事はやめる。
他のできることを探した。
袋に穴が空いていて、地面に大量にこぼれてしまっていた穀物をかき集め、再び袋詰めした。


みんなからメチャクチャ感謝された。
素直に嬉しかった。
最初は、三人を手伝いたい気持ちと、三人だけに任せているまわりの人たちへの、あてつけもあってやりだしたのだけれど、感謝されて素直に嬉しかった。

旅をしていて、人のためにできることって少ない。
いつも助けてもらうことばかりだ。
エチオピアで、少年たち何度も助けられ、しっかりお礼ができなかった後だけに、余計に人のためになれたことが嬉しかった。

僕の取った行動は日本人なら誰でもすると思う。
日本人は外国において嫌われることは稀で、ほとんどの国のほとんどの人々にはどちらかといえば好かれているように感じる。
それは多くの場合、ODAなどの大規模な援助や、戦争をしない国だからというのが多いのだろうと思う。
または、日本人旅行者が好戦的でないからであろう。

それでも、こうして少しの人たちにでも、直接、日本人を見てもらうことができてよかった。
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久々に現地人の役に立てた気がする。

3人を直接手伝うことはできなかったので、3人には2リットルの水を差し入れした。

そして再出発!
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その後、日がくれ、真っ暗で何も見えない荷台の中で、砂よけのために、ムスリム女性と同じように頭と顔を布で覆い、トラックに揺られ続ける。
検問で止まる度、懐中電灯と銃を持った警官が荷台に入ってきては、一人一人の顔を照らしてIDのチェック。
僕はパスポートを出す。

まるで密入国でもするかのようだ。
荷物が増えたトラックはスピードが落ち、予定の半分距離にある町までで今日はストップ。
一泊して明日の早朝出発ということ。

その町の食堂で鏡を覗き込んで唖然とした。
顔が真っ黒。
おそらく、松崎しげるは越えた。
ラッツアンドスター加入も夢ではない。


トラックで友達になったケニアの若者と食事を取り、トラックの荷台の中、寒さに耐えながら、穀物に囲まれ、穀物の上で眠った。





次の日も相変わらずの悪路・砂嵐・酷暑と三拍子揃った中でトラックに揺られ、ついに目的地に到着。
ミニバスに乗り換え、無事にナイロビに到着。
ナイロビの町のどこに着くのか不安で仕方なかったが、運良く宿の近くの乗降場に停車。
無事に生還した。

ローリー荷台(穀物積載後)
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なにもかも砂だらけ・・・
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ちょっとわかりづらいけど、顔も真っ黒に・・・
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胸元の茶色い部分はデザインではなく、砂による汚れです。


■ローリー移動個人的考察
・助手席がベター
・荷台は荷物の上なら幾分か衝撃が弱まる
・荷台は運転席に近い側が衝撃が弱い
・砂嵐はストールやシャツなどで防ぐしかない
・荷台の荷物の量、種類、固さによっても過酷度が変わるが、全て運。
・水分必須
・マシントラブルが多いため到着時刻、到着日はわからない
・運転手の技量や気分によって到着日や到着時刻が変わる
・エチオピア~ケニア国境間はルートが少なくとも2つある。行きと帰りはルートが全く違った。
・南下ルートのほうが荷台になってしまう確率が高い。時間や日にちをズラせば助手席が確保できるが。
・南下ルートのほうが到着がナイロビで、到着時刻や到着場所が読めないため危険





■ナイロビ危険情報

僕がエチオピアに行っている間、宿の目の前で人が殺されたという。
また暴動もまた2回ほどあったらしい。

同じ宿に泊まっていた日本人バックパッカー(旅歴3年)が、強盗に被害に遭った。

ナイロビ発の長距離バスの出発直後、強盗に遭い、気がついたときには病院のベッドの上。
バスに乗った日から、3日が経っていたという。

被害はUSドル現金全損。カードやパスポート、ケニア紙幣は無事だった。
日本大使館の職員からは、「よく目をさましたね、よかった」と言われたという。
そのまま意識が戻らないことも多いらしい。

他にも、数日前、ナイロビに到着直後、強盗に遭い、殴られ、ドル現金を取られた人にも会った。


宿の情報ノートにも強盗被害の情報が数件書かれていたし、本当に犯罪が日常的に起こる町だと感じる。

町でもバスでも、まわりの地元民や乗客は、助けようとすると、自分もやられてしまうため、助けてくれることは少ない。
夜間や早朝の出歩きや移動は避けなければならないが、避けられないことも多い。
「運」によるところも多いのが実情だ。

僕はこの二人と同じルートを通る。
最善の注意を払い、あとは祈るしかない…



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トゥルミ ~少数民族の宝庫~ 6月8日~9日

またまた、なんとかヒッチハイクでオモラテを脱出
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トゥルミに戻ってきた。

トゥルミの月曜マーケット。
ハマル族が集まってくるのを見るためだ。

オモラテからヒッチしたトラックはトゥルミの2キロほど手前で僕を降ろした。
ヒッチハイクは原則は旅行者はしてはいけないからだ。運転手も見つかったら、何らかのペナルティがあるのだろう。


トラックを降りて村へ向かう途中、早速、ハマル族と遭遇!!!!!!
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思わず写真を取りまくる!!

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写真を撮りながら一緒に村へ向かう。

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ムルシよりも、ダサネチよりも、このハマルの女性に会ったときが一番感動した。
おそらく、特有のニオイがあったことも大きな理由だろう。



今までは、現地人を介したり、民族でも多少英語が通じる人がいたり、通じなくても写真の値段交渉くらいしか、民族と会話することはなかったが、向かう方向が一緒で距離も結構あるだけに、何かしら話さずにはいられず、ちょっと頑張ってみた。

表情とボディランゲージで。
民族の人は、表情がものすごく豊かで、感情がわかりやすい。
言葉は理解できなくても、言葉の強弱と表情で言いたいことがわかった。
やはりお互い笑顔になれたときの感動は大きく、同じ人間なんだと心が熱くなった。


トゥルミの村のマーケットに行くと、さらに圧巻。

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先ほどのハマル族だらけ。
民族三昧、ハマル三昧。
超異文化の中に来た…。
これぞアフリカの民族…


マーケットを歩き写真を撮りはじめると、例によって例のごとく、ブル攻撃の嵐。
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いったん昼食に入る。
値段が高い。
いつもどおり、ツーリストプライス(現地人価格の二倍くらい)だ。

値段交渉を粘っていると、横にいたおっちゃんが、食べきれなかった弁当を、全部食えと差し出してくれた。
インドの建設会社で働く、インド人のおっちゃんで、現在、この周辺で仕事があり駐在しているのだという。
明らかにお金持ちな感じ。
エチオピア南部ではなかなか食べれない米と、カレーをいただき、お腹は満たされた。
食後に自分でコーラを頼んだのだが、インド人のおっちゃんは、その分も払ってくれた。

くつろいでいると、先ほど写真を撮ったハマル族の二人組が僕の席の前に座り、しつこくコーラをねだった。
僕が断っていると、店員が二人を叱り、外へと追い出した。

残ったコーラを目の前に少し考える。
いろんな考えや感情がこみ上げてくる。

金持ちインド人に弁当をもらい、コーラをおごってもらい、ハマル族の二人にはコーラを断った自分。

自分は一体何をやっているんだろう。

どうすればいいんだろう?

芸や商品など何も持たない子に、こちらから一方的に与えるのは、彼女らのために良くないとの思いから拒否をしたのだが、なぜか、情けなさと、自分に対して寂しさを感じた。

ボーっと、そんなことを考えていると、再び戻ってきた彼女たち。
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ものすごい粘りだった。


ただお金を渡すのはよくないので、写真を撮り、写真撮影代を払うと、静かに立ち去っていった。
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歩いていく二人の背中を、しばらくボーっと見つめてしまった。


狩猟生活が厳しくなり、政府からの物資を待ち、村に出てきてマーケットで物々交換をし、さらには観光客の写真撮影代も収入の一部にせざるを得ない民族…。
村民宅の敷地内に勝手に入り、きつく追い払われたり、トラックの荷台では同じビニールシートに座るのを嫌がられている場面を見たこともある。

なにやら村人に文句を言われている様子の民族
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少数民族はこれからどうなって行くのだろう?




政府から配給されるソルガムを待つハマル族の人々
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配給を受け取ると、村から集落へと歩いて帰っていく。


昨日訪れたオモラテの少し奥の村では、近年、多くの人が飢餓により亡くなったという話を聞いた。
ここでも、配給なしでは、生きていくのは難しいのか・・・?


何らかの手を打ってでも伝統的な生活を続けられるよう援助をすべきなのか、村での定住政策を進めるべきなのか…。

彼ら民族からすれば、こちらが彼らをどうこうするなんて余計なお世話で、彼ら自身の意志が重要なのかもしれないけど…
すでに援助に頼っている部分があるだけに、これからどうなってしまうのか気になった。

自分のような旅行者に、お金や食べものを求めてくる民族の姿を見るのは辛いものだった。

民族は、民族としての“誇り”を持ち続けることができるのだろうか。


※何も調べず自分の勝手な意見を書いているけれど、お金や食べ物を決して求めてこない民族もいるし、写真を撮られることや、外国人自体を嫌う人々もいる。
表面を見ただけの個人的な意見です。


短期間であったけど、そろそろエチオピアを後にしようと思った。


・・・が、このあとが地獄だった。
炎天下で8時間のヒッチハイクをし続けるがトラックは来ず…
途中、子供たちが手伝ってくれたり、僕と遊んでくれたり・・・
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夜になり、ヒッチハイクを一緒に手伝ってくれた子どもの中の情報通っぽい子供が、今日は来ないだろうと言うので、仕方なく宿を取ることにした。
ちょうどその時、他の協力的な子どもが、まだ一台来るとの情報を持ってきた。
さらに待つこと一時間。
来たトラックは、今日は発車せず、明日の早朝出発ということ。

仕方がないので宿で仮眠し、翌朝4時出発のはずが、寝坊した奴がいて5時出発…。
このときなんと、昨日ヒッチハイクや交渉を手伝ってくれた少年二人が、朝4時という早朝にも関わらず、見送りに来てくれたのだ。昨日すでにガイド代は払い、これ以上は払えないと言っておいたのに、見送りの一瞬のために…。

エチオピアでは本当に良い少年ガイドに恵まれた。

トラックの荷台で子どもたちと朝日を迎え、コンソへと向かう。
次々と途中の村で子どもたちは降りて行くが、ほとんどの子が一人。
昨夜、他の村からトゥルミにやってきたときに、すでにトラックの荷台に乗っていた彼ら。
どこへ何をしに行っていたのだろう…
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みんな、向かい風に目をそらさず、ジッと進行方向を見つめていたのが印象的だった。

コンソでは、また良いガイドを捕まえ、うまくトラックを乗り継ぐが、エチオピア国境手前の町で、また行き詰まる。
国境に行きたい人はまわりにもたくさんいるのに、バスもトラックもない状態。需要と供給のバランスが取れてない…
誰かバス出せば儲かるのに…と思っていると、どこかから帰ってきたバスが。
みんなでバスに押し寄せ国境行きを頼む。
というか、みんな勝手にバスに乗り込む。
またバスの席取り戦争…
今回は、後方にドアのないバスだったので見事確保。
すし詰め状態ながらも、なんとか国境に到着した。



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オモラテ ~この旅一番の僻地~ 6月7日


4WDに拾ってもらい、オモラテへ向かう。

オモラテは1~2ヶ月前まで、民族同士の争いが勃発しており、行くことができなかった。
また、行った人の情報がなく、宿があるのかどうかもわからなかった。


おそらく、この旅一番の、未知の僻地になるオモラテ。
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分岐の村からオモラテに向かう途中、最初は民族の集落などを見ることができたが、しだいに集落もなくなり、ただただ大自然の中を4WDが走り抜けていく。
放り出されたら、絶対に戻れないな・・・。

そんな、期待と不安で訪れたオモラテ。

奥地ではあるものの、しっかり(といってもシャワーなどないし、部屋やベッドの質はひどいが)宿はあり、無事に寝床は確保できた。

さっそく、村を歩いてみることに。
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無邪気な子供たちと出会う。
奥地だけあって、擦れていない!?


オモラテの村で見れる民族は“ダサネチ”。
この村ではジンカやトゥルミのようなマーケットはなく、ダサネチの人々が住んでいる村だ。


少し歩くとすぐにダサネチと遭遇。
写真をお願いすると、やはり写真撮影代の“ブル攻撃”(ブルはエチオピア通貨のこと)が始まる。
しっかりお金を払って撮影。
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ダサネチは男性の頭の装飾(?)が特徴的。
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と、順調だったのだが、この村は子どもたちのパワー、執念がすごい。
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寄ってくる数と、ついてくる時間の長さが、他のどんな国の子どもより長い。
「僕と手を繋ぐ権を」常に争っている。
一時は、一人が僕の小指、一人が親指を掴むという“譲歩案”まで成立。

人懐っこくて、かわいい反面、断り続けてもお金やアメをねだり続けてくるので、ちょっと大変。



オモ川
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村のすぐ横を流れる川。
この川の下流域で、数百万年前の、さまざまな種類の化石人骨が発掘されており、古人類学上極めて重要な地域。

その後も、たくさんのダサネチ族と遭遇
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この地では近年、干ばつや飢餓により、多くの人が亡くなったという話も聞いた。

これから、少数民族たちは、どう生き残っていくのだろう・・・。



オモラテに一泊し、明日、月曜のマーケットに合わせトゥルミに戻る。


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エチオピア名物!? 6月7日

ジンカからトゥルミに移動するため、途中の分岐の村まで公共バスがあるので、使うことに。
(ヒッチより安い)


エチオピアのバスは朝早い。

これもエチオピアの噂として聞いていたことのひとつ。
しかし、それだけではたいした噂にはならない。

なぜ有名なのか。

「超早朝」、「大戦争」なのだ。
前売りなし、早い者勝ち。


どういうことかというと、朝早くからバス乗り場の門の前で待ち、門が開いたと同時にバスに向かって走り、席取り合戦をするというわけだ。

5時半ゲートオープンと聞いていたため、5時前にゲートインしておいた。
競馬かい!

門の最前列。
緊張が高まる。
鼓動が高鳴る。


…5:30。
ゲートオープン!

各馬・・・もとい各人一斉にスタート!


これが本当に本気のマジな全力疾走。
速さは徒競走、入り乱れ具合はマラソン大会のスタート直後。


3番目でバスに辿り着く。
いける!

が押し合いへし合いで5番目くらいに成り下がる。

まだいける!

しかし…

三番目くらいの奴がなかなか中に入ろうとしない。

「早く入れ!」

と、ふとバス後方を見ると、後方のドアも開き、後ろから次々と乗り込む輩が…


まさかこいつら…グル!?

後続を止めてる間に後方ドアから入り席を取る作戦か!?

すなわち、せき止め係と席取り係か…
うまいこと言ったもんだ。

で、そのおかげで、こちらはうまいこといかず…

結局、3番手でバスに辿り着いたのに、席を取れず、席取り請け負い係の少年から席を買うことに…

そう、席取りを代行し、お金をもらう少年たちがいるのだ。
つまり、席取りが彼らの仕事。
言ってみれば、イス取りゲームのプロ。


席取り代行の存在を知ってはいたが、挑戦したかった…というより席を取れる自信がマンマンだったので、エントリーしたのだが、惨敗…

元体育会系の男としての自信は、ガタガタに砕かれ、そして進む道はやっぱりガタガタ。
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エチオピア南部はとにかく道が悪い。
舗装路が少ないのだ。

そのため当然、激しく揺れる。

そりゃもう、酔う人がいて当然。

そして当然のように運転席横にはゲロ袋の束が完備されている。


ヘルプの一声がかかれば大急ぎで、バケツリレー方式で「ゲロ袋リレー」。


んでもって、旅人の間で、「見た目は雑巾、味はゲロ」と表現されることもある食べ物、「インジェラ」を主食とするエチオピア人が、「見た目も味もゲロ」の、正真正銘のゲロを繰り出す。


■インジェラ
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テフという穀物の粉を水で溶かし、それを発酵させ、薄く焼いたもの。クレープのような外見だが、クレープよりも気泡が多く、触るとスポンジのよう柔らかく、少々湿っている。形も簡単に崩れる。
味は、酸味。ただ酸っぱくて不味い。ただただ不味い。エチオピア人以外にはだいぶ評判が悪い。
スープなどにつけたり、肉などの具を包んで食べる。

ちなみに、僕は最初にインジェラを食べたとき、あまりの不味さにため息をついてしまい、横のエチオピア人に「どうだ??おいしいだろう??」と冷やかされ、笑われた。
味あわずに流し込む戦法で完食はしたが、相当きつかった。

が。。。仕方なく何回か食べているうちになぜか好きになってしまった。
こんな感じで最初は食えたもんじゃないと思っていても、次第に好きになってしまうのが、インジェラという食べ物らしい。
何人もの旅人が同じように、途中から好きになってしまったと言っていた。


そんなこんなで、分岐の村へ到着。

実は、コンソからジンカへバスで向かう際、この村で小休止があり、実は、この村で降りるのは二度目。
前回、寄らせてもらったお宅へ挨拶に。
というより、ここからはヒッチハイクのため、助言をもらいに行った。
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コーヒーを飲み、カートを噛みながら話をする。
カートといえば、イエメンの日記で紹介したが、皆さん覚えていますでしょうか?
噛むとハイになると言われる葉っぱです。
麻薬ではありません。
エチオピアでは、“チャット”と呼ぶようでした。

そして、もうひとつ面白い文化を発見。
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う○こ?
にしか見えないんだけど、これは、と呼ばれる、火にかけて、その煙の香りを楽しむもの。
お香のようなもので、香りは“サンダル”に近いようなニオイ。
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そんなこんなで話していると、やはり次の町まで行くトラックが来るかは運とのこと。

会話も楽しかったし、気長に待っていると、偶然、4WDの運転手からお声がかかる。
基本的には“いすず”と呼ばれるトラックでしかヒッチハイクはできないのだが、乗せてもらえることに。


彼らは僕が行こうとしていた村「トゥルミ」よりさらに奥の村まで行くという。
トゥルミの一つ奥の「オモラテ」という村にも、そこでしかなかなか見れない民族がいて、興味があったので、予定変更。
そこまで連れて行ってもらうことに。

今日はそこで一泊し、明日の月曜マーケットに合わせ、トゥルミに戻ってくることにした。




オモラテの村、観光記はまた次回…



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ムルシ探し難し 6月6日

ジンカの土曜マーケットに行きたくて、国境から必死にヒッチハイクをした。

コンソからジンカへは公共交通機関であるバスで移動。

そしてジンカに到着。


すでに始まっているマーケットを目指す。
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マーケットへ来たかった理由は、ショッピングではない。
マーケットの日になると、村にやって来る民族をみたかったからだ。


そして、このジンカの村で見れるのが、ムルシ族。

ムルシ族の女性は、下唇に皿をはめていることで有名。
なんとなく知っている人も多いのではないかと思う。


さっそくマーケットを歩きまくり、ウィンドウショッピングならぬ、ウィンドウムルシ。
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ムルシさ~ん
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どこですか~??

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お~い。

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どこ~??

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う~ん・・・

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歩き回るけれど、なかなか見つからない。

他の民族さんたちには、チラホラ会う。
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マーケットの日に来ると説明したが、絶対に会えるわけではない。
来ないときもあるようだし、来ていてもタイミングが悪かったりすると会えない。
前に行った人は二回もマーケットに行ったが会えなかったという。


その後も探し続けるが会えない。


やはり、現地人に聞くしかないな。

ここで活躍したのが彼。
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自称学生ガイドのテディくん。


エチオピアの民族巡りは、ときに現地のガイドを使ったほうがよい場合があるとの情報があった。
ガイドといっても自称であり、ただの現地人の子供や学生が多い。


そして、その中でも、いいガイドと悪いガイドがいる。
彼がどちらなのかは、後から述べるとして…


さっそくムルシ探しを依頼。
マーケット中心部から聞き込み捜査。
しかし、捜査は難航。

テディ警部によると、やはり必ず会えるわけではないと言う。

ここで捜査路線を変更。
テディ警部が最新情報を公表。

ムルシはお酒好き☆

ここから怒涛の飲み屋巡り。
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いわゆる“はしご”。

しかし、それでも見つからない。

ジンカに着いたのは14時近くだったし、もう夕方近くになってきたから、すでに集落に帰ってしまったのだろうか…


と、その時!


テディが走る!

何やら他の民族より着衣が少ない民族の一団が…

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ん?
なんか口元がペロ~ンな人が…(中央の緑のシャツを着た人)

もうちょっと寄ってみよう!

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ムルシだぁーー!!

ムルシ発見☆


さっそくアレをハメてもらうことに。

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よいしょっと。


へ~んしん!!
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完成☆



おお!!そんなとこにそんなモノがハマってるぅ!!



一緒に記念撮影!
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■記念撮影について
エチオピア南部では、民族を撮影する際に、お金を払う。
通常は一枚(1ショット)、大人2ブル、子供1ブルなのだが、撮る前にいくらか聞いておかないと5ブルと言われたりする。
最近は、最初から4、5ブルと言ってくる民族も増えている。
(1ブル約)
民族も時代の変化により、生活様式も変わり、この記念撮影料金も一つの収入源になっている。



ここから輝きを見せたのがテディ。
彼は、ムルシと現地語で話し、彼らの気をひきつけておいて、その間に、写真をたくさん撮れと僕に指示した。
お金を払った相手だけでなく、まわりにいる他の奴らもバシバシ撮れとも言った。

指示どおり撮りまくらせてもらった。
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途中、バレそうになる。
すごい勢いでムルシが迫ってくる。
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腕をつかみ、「お前、今、二枚撮っただろう!合計で10ブルだ!!」
と言ってくる。
もちろん、皿はハマッたまま。

言葉はわからなくても、さすがにこの場面では何を言ってるかわかった。
が、とぼける僕とテディ。
ムルシにカメラの画像チェックをされる。
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横から別の奴が、「これ俺も写ってるだろ!はい、2ブル!」

“俺も写ってる”ってあんた…勝手に入ってきたし、端っこで顔半分切れてるし、半目だよ?

ムルシはなかなか凶暴で、グイグイ腕を引っ張ったり、テディは叩かれてもいた。
ひかないので、何ブルか払って、テディと一緒に、その場を逃げた。

とはいえ、相当写真を撮った。
ちゃんと一枚ずつ払ってたら20~30ブルはかかっていただろう。
その後も他の民族も、同じ“おとり戦法”で写真を撮りまくらせてもらった。
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“おとり”になるテディ。

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テディは明らかに、よいガイド。
ガイドはたいてい、一定の仕事が終わると「はい、ガイド代」って感じだけど、彼は最後まで自分からガイド代をせびることをしなかった。

普段は靴磨きの仕事をしているというので、靴を磨いてもらい、ガイド代を上乗せして、払うと、決して多くないお金に不満も言わず受け取ってくれた。
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ヤベロでヒッチハイクを手伝ってくれた彼といい、このテディといい、よいガイドに出会えたおかげでムルシに会うことができた。

周辺の村でも、曜日ごとにマーケットが行われている。

次は月曜にマーケットが開催されるトゥルミという村へいく



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ジンカへの長い道のり ~ヒッチハイクに悪戦苦闘~

エチオピア入国。


さっそく明後日にジンカという町で開かれるマーケットを見るため、ジンカを目指す。



■マーケットについて
エチオピア南部の町や村では、週に1~2回、野菜や衣類、日用品のマーケットが開かれる。
少数民族は、その町や村には住んでいないのだが、マーケットの日になると、収穫した作物と、マーケットで売っているものを交換しにマーケットにやってくる。
よって、マーケットは、少数民族に会うチャンスなのだ。
マーケットは、村ごとに曜日が決まっている。
僕は、そのマーケットの曜日に合わせて、旅をしていく。




エチオピア南部も、公共交通機関が発達していない。
あってもバスが1日1本とか。
しかも早朝。

国境の町でバスはないか聞くが、この日はすでにバスが発車してしまい、バスは明日にならないとない。
僕は、なんとか明日のマーケットに間に合うように移動したいので、ヒッチハイクをすることに。




■ヒッチハイクについて
エチオピア南部の旅は、ヒッチハイクが主要な交通手段となる。
交通機関が少ないため、地元民も、ヒッチハイクで移動する。
ヒッチハイクといっても、もちろんタダではない。
「イスズ」と呼ばれる、いすゞ社製の2tトラックをヒッチで捕まえ、交渉する。
ツーリストは地元民より高い金額を取られるのが基本。

とはいうものの、本来はツーリストがヒッチハイクで移動するのは認められていない。
ツアーに申し込みガイド同伴の4WDでの移動が義務付けられている。
が、警察を含め、一応は黙認されている。




国境の町では、まずトラックの停まっているところへ行き、行き先と値段の交渉を繰り返す。
が、行き先が一致するトラックを見つけたが、出発時間が合わない。
夕方や夜に出発するという。
それではマーケットに間に合わないため、道ばたに出て走ってくる車をヒッチすることに。

難航するかと思いきや、三台目で、途中の町ヤベロまで行く車をキャッチ。
まだ午前だったため、国境からエチオピアの首都方面へ行く車が、まだ残っていたのだろう。

そして、途中の町ヤベロへ到着。
ここから、次の起点となる町、“コンソ”へ今日中に辿り着ければ、明日のジンカのマーケットに間に合わせることができる。

ジンカのマーケットへの道は、まだ長い・・・。
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またまたヒッチハイク開始。

しかし、この町から先へ行く車がなかなか来ない。
もちろんバスは明日にならないと発車しない。

ヒッチハイクは地元民も利用するとはいえ、車が来なければそれまで。
明日を待つしかない。


なんとか今日中に起点の町・コンソへ行きたい…
“イスズ”に限らず、来る車全てを捕まえようとヒッチをし出す。
が、車自体が来ないし、来ても近くの村まで行く車しかなく、あっさり断られる。

長い戦いになりそうなので、道沿いのコーヒー屋でコーヒーでも飲みながらヒッチハイクすることに。



■コーヒーについて
エチオピアはコーヒーの原産地。
エチオピアではコーヒーのことをブンナという。
もともとは、飲むものではなく、コーヒー豆は食べるものとして広まった。
山羊使いが、あるとき、コーヒー豆を食べた動物が興奮状態になることに気づき、それを知った僧侶たちが眠くなりやすい、祈祷の際に食べるようになった。
ちなみに「モカコーヒー」という名は、イエメンのモカという港町を通じて、コーヒーが流通したからということらしい。

エチオピアでは、毎朝、一時間以上かけて三杯のコーヒーを飲む、「コーヒーセレモニー」という伝統的習慣がある。

自他共に認める味覚音痴、質より量!の、違いのわからない男・りょうじではありますが、エチオピアのコーヒーは美味しい!
さすが、元祖!!

そして、コーヒーを飲みながら、車が来れば道に飛び出すという行動を繰り返していると、 一人の少年が一緒にヒッチハイクを手伝い始める。
いつものように、たいして役に立たないのに、後でコミッションを要求するんだろうな、いらないなと思っていたが、今回は急を要する。小さい情報でも欲しい。
少し耳を貸すことに・・・。

彼はさすが地元民だけあって、車を見ただけであれは違う、あれはヒッチすべき車、とアドバイスしてくれる。
最初は疑って、彼があれは違うと言っても、やたらとヒッチしていたが、どうやら本当のようだ。
彼の力を借りることに決めた。

そして、彼と話し始めて2時間ほどで、ヒッチ成功。
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助手席には、すでに地元民が乗っているから、荷台に乗れという。

さて、積荷はなんだろう??

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あ、こんにちわ~!!


・・・。


・・・はい??

い、いま、何かと目が合ったんですけど・・・

えっと・・・ちょっとこのメンバーでは“あいのり”する自信がないんですけども・・・。



というわけで、なんとヒッチに成功する。

わがまま言ってられないから、もうこれに乗るしかない!!

ヒッチを手伝ってくれた彼にお礼を言う。

しかし、彼は見返りとして何も要求してこない。
珍しい。なかなか見返りを要求してこない子は少ない。
今回は、本当に助けてもらったから、飲み物でも・・・と思ったが、それも彼は拒否した。

そして、最後には、ヒッチハイクの乗車ポイントの村の入口まで、炎天下の中、彼は案内してくれた。
(黙認されているとはいえ、村の入口にあるポリスチェックポイントを過ぎた先から車に乗るのが、このヒッチハイクのルールでもある。)

親切にしてくれた彼の夢は、イギリスで仕事をすることだという。
どうか夢を叶えてほしいと心から思った。
右側が彼。左側は、何にもしてないのに、「金くれ」と、言ってきた人。
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同時に、牛とあいのりは嫌だなと心から思った。



しかし、このあと、ドライバーが気の毒に思ったのか、助手席に僕を招いてくれた。
ホッとしたのも束の間。
ものすごく、ふくよかなおばちゃんの下敷きになりながら、コンソへと向かうことに。

じょ、助手席にも牛が・・・!?


途中、何度か、牛の群れの横断を待つ・・・
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あの、じょ、助手席(というか、僕の上にも)にも牛が・・・。

もう限界・・・

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なのに、なかなか長い道のり・・・

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途中の道ばたには、たくさんの子供がいて、踊りを披露してくれたり、手を振ってくれたりする。
が、それは、観光客を歓迎するものではなく、「食べ物や飲み物を落としていってほしい!」という、アピール。

やっぱり、ここは、アフリカの奥地なんだなぁ・・・


その後はドライバーや牛・・・というか、同乗者と盛り上がりながら、夜、無事にコンソへ到着。


宿を取り、明日のジンカ行きバスの時間を確認し、早めに休もうかと思っていたが、ここでちょっとした出来事が。


自分「明日のジンカ行きのバスは何時に出発?」

と若いヘラヘラしたホテルスタッフに尋ねる。

スタッフ「2時…あ、いや8時」

自分「え!?ど、どっち!?」

スタッフ「あ、2時、2時!朝の2時だよ。」

自分「え?さっき8時って言ったじゃん。しかも深夜2時!?」

スタッフ「あ、やっぱり8時」

(しかも終始ヘラヘラニタニタ)

自分「え?だからどっちだって!」(怒)

エチオピアのバスが早朝というのは知っていた。
が、深夜2時っておかしいだろ。

自分「もう一回聞くけど、本当の時刻は?」

スタッフ「2時、2時。朝の2時です。本当に2時です。」

自分「まったくどっちなんだよ・・・。もういいから、この宿のオーナーを呼べ!!」

スタッフ「オーナーは僕です。」

自分(挙句の果てには自分がオーナーだと・・・もう話しにならん・・)


不安だ。。。他の人にも聞いておこう。

近くの商店へ。

商店のおやじ「2時だよ。朝の2時。だから1時にバス乗り場にいればいい。」
(本当に2時なのか…でもなぁ深夜2時にバス発車ってなんだか腑に落ちない…再確認しとくか)

自分「え?じゃあ今から5組時間後の2時ってこと?」

おやじ「ん?あぁ?違う違う!!エチオピア時間の2時。だからヨーロッパ時間だと朝8時。」

自分「はぐっ!?エチオピア時間!?ヨーロッパ時間!?ん!?」
(そう言えば、ガイドブックに、“エチオピア時間について”みたいな見出しがあったような…。)

おやじ「あんた知らなかったのか?これからは、相手がどっちの時間で言ってるのか確認しときな。」



■エチオピア時間
エチオピアでは、独自の暦と時間制が使われている。
暦は、12ヶ月全てが30日まで。
残りの(余りの)日数を13ヶ月目とする。

時間は、12時間制。
朝の6時がエチオピア時間の0時。
これが時間のはじまり。
そして、12時間の18時、つまりエチオピア時間の12時にサイクルが終わる。
ここまでが午前。

その後は、またその18時がエチオピア時間0時になりサイクルがスタートする。
つまり6時間の時差が出る。

現地時間をエチオピアンタイム、世界の標準時間を、ヨーロピアンタイムと呼んでいる。



…やばいな。
これは自分の情報不足だ。
ちゃんと調べておかなかった自分が悪い。
さっきのホテルスタッフの彼は、嘘を言ってたわけじゃないのに、結構怒ってしまったな。


「ごめん…。さっきのバスの時間のことだけど、勘違いしてた。」

「あぁ。オーケーオーケー!」(相変わらずヘラヘラ…)

本当は普通にイイヤツなんだな…。

しかも、ほかのスタッフに聞くと、どうやら本当に、こやつがオーナーだったらしい・・・


ゴメンナサイでした。。。




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ローリーに揺られて ~世界一過酷な移動・・・!?~

ザンジバルからダルエスサラームに戻り、再び南下を始めるかと思われた僕でしたが、何を血迷ったか、逆走。
つまり北上。
1日かけて、再びあの危険地帯ナイロビへ。
アフリカの旅の「ふりだし」に戻ってきた。



散々悩んだあげく、
エチオピアに行く。

エチオピア~ケニア間の国境越え、それは世界一周者にとって、一番ハードな移動と噂されるルート。
ガイドブックでは強盗団による強盗が多発するため越えてはいけない国境と書かれている。

しかし、北アフリカ~南アフリカ間を縦断する旅人はこのルートを通っている。
順調に南下していたにも関わらず、引き返してまで、このルートを通ってまでエチオピアに行く理由、それは…

・エチオピア南部の少数民族に会いに行きたい。
・北アフリカとも東アフリカとも違う、特有の文化を持つと言われる、エチオピアを見たい。
・ハードでタフさを求められるというエチオピアを旅したい。
・北上する旅人に南の様子を聞いた情報によると、このままスムーズに南下しては、ディープなアフリカを見る機会が少ない。
・その国境越えルートを通ってみたい。


だから、ナイロビに戻ってきた。


とはいえ、ダルエスサラームからナイロビに戻るバスの車窓から3つも大事故を目撃。
アフリカは事故が多いようだ・・・

大丈夫かな・・・ケニア~エチオピア間ローリーの旅…



ケニア~エチオピア間は、バスや電車での越境ができない。
使うのは、“ローリー”だ。
“寺西”のほうではなく、おそらくタンクローリーのことだ。


ナイロビから国境の町・モヤレまで物資を運ぶローリーの助手席、または荷台に乗ることになる。
(一応バスもあるとのことだが、いつも、“人が集まらないからバスは出ない。ローリーで行ってもらう”というパターンになる。バスに乗った人の情報もない。)



公共の交通機関ではないローリーなのだが、その席をさばくチケット屋がある。
前日にチケットを購入しに行く。
ここで初めてナイロビのローカルバス(マタツと呼ばれる)に乗る。
外から見てるとかなり恐ろしく見えるマタツだが乗ってみると案外普通。
と言っても暗いし、車内も車外もガンガンに装飾され、音楽ガンガンだけど。
日本でいうと、「デコトラ」に近いような感じの装飾。

チケット売り場はナイロビのダウンタウンの奥…
乗り場もそこ。
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果たして明日、無事にナイロビから脱出ができるのだろうか…
というか、無事にローリー乗り場まで辿り着けるのだろうか・・・
それさえも不安。




・・・そして翌日…。

まずは、発車まで3時間半待ち。
ローリーの駐車場へ。
すでにここで襲われないか不安。
一緒に乗る地元民と話して仲良くなっておく。
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僕が乗るローリー。

このローリーに命を預ける。


そして、出棺!
もとい、出発!!


いきなりナイロビのスラムを目の当たりにして、恐怖が増す。
スラムはダウンタウンともまた違った雰囲気。
ゴミの山、簡素な作りの汚れた家(というか小屋)がひしめき合う…
ナイロビに戻ってきたから見れた景色だ。

走ること約一時間。
ローリー停車。
積み荷を積むという。
でも積み荷がまだ来ない。

2時間待つ。

1時間で積む。
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果たして国境にはいつ着くのか…


再度発車。


夜なので寝ようかと思うが、運転手が、「お前が寝たら俺も寝るぞ」と言ってくる。
何度も。
ちょっとめんどくさいタイプ。
時刻0時過ぎの地獄・・・


いつの間にか寝てしまうが、たまに行う車のメンテナンスや、未舗装路の衝撃で何度も起こされる。
いつの間にかまわりには一つも灯かりのない、大自然の中。

パンクなのかエンジントラブルなのか、原因はわからないが、たまに止まって修理しているトラックを見かける。
頼むぞ、このトラック…。

次の日もトラックは大自然の中を走り続ける。

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時々、こんな感じでメンテナンス
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サファリか!?と思うほど、たくさんの動物を見かける
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砂嵐は日常茶飯事。
車外は見えず、車内は砂まみれ。
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ときに未舗装路で休む鳥やウサギみたいな動物を轢きそうになりながら・・・

そして、夜、ようやく無事に国境到着。

所要時間は約30時間。かなり早く着いた印象。

狭いし、寄りかかるものがないし、足は伸ばせないし、まったく身動きが取れなくて苦しかったけど、移動に慣れているせいか、そこまでのキツさは感じなかった。

これなら、帰りも、心配する必要はないなと思う。


到着したのは、すでに夜中で、国境は閉まっているため、ケニア側に泊まり、いよいよ明日からエチオピア南部少数民族巡りの旅が始まる。


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翌日、ケニア側宿から、エチオピア側を望む





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ザンジバル島 ジャンビア~ニ 5月27~30日

ストーンタウンから二時間弱、ザンジバル島の東にある村、ジャンビアーニに到着。


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本当に“村”という感じだ。



木でできた家の作り、舗装されていない道路、裸足で遊ぶ子供たち。
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そしてココナッツの木に、この綺麗な海。
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他には何もない。
レストランも少ないし、あっても割高で、スーパーやネット屋もない。小さな商店が一軒のみ。
泊まる宿はまだできて 年の新しめの日本人宿。
日本人女性が働いているのだが、日本に一時帰国しているとのことだった。
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朝夜2食つきで、昼も、頼めばまわりのレストランに比べ安く食べられる。

宿には電気がなく、夜は一人一つのランプをもらう。
昼は引き潮の海に出てのんびりしたり、近所の子どもと戯れたりして、夜はランプで読書。
この田舎生活もなかなか。

・・・とはいえ、水着ギャルがいるようなビーチではないし、子どもと遊ぶのは体力と気力の限界がある。
本の数も限られているから、やっぱりやることが限られてくる。
よって、メチャクチャだらけてくる。

ここは、潮の満ち引きが激しく、ウニを獲りに行ったり、舟を浮かべて釣りに行き、それを宿で料理してもらう事もできるのだが、釣り経験もなく、海洋生物に触れる事が苦手なため、断念。

干潮時
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満潮に近い時間帯
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このザンジバル島の北には、ヌングイという欧米人のツーリストたちが褒め称えていたビーチや、ジャンビアーニを少し来たに行ったところには、パジェという、これまたビーチがきれいで整えられた村があり、これらの場所では、アクティビティの種類も多く評判もいいのだが・・・


お金かかってしまうし、もうこのエメラルドグリーンの海を眺められただけで満足。

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三泊して十分ゆったり感が味わえたので、ジャンビアーニを、そしてザンジバルを離れることにした。

ダルエスサラームに戻り、アフリカ大陸南下の旅を再開する。



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ザンジバル ~しばし楽園へ・・・~ 5月26日

ダルエスサラームに着いたのは、結局、夜21頃…。バスが遅れたのだ。

ビクビクしながらローカルバスに乗り、ビクビクしながら目的の宿を探し歩く。
満室…。

幸い近くの宿が取れ、なんとか安息の空間へ。

この宿以外には近くに宿がなかったため、入れなかったら・・・

ナイロビを抜け安心した旅人が、ダルエスサラームで強盗や盗難に遭うことが多いらしいのだ。


さて、テンションを上げて・・・

次の日、フェリーでダルエスサラーム東の小島、ザンジバル島へ。
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ダルエスサラームとはしばしお別れ。


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↑注:フェリー移動中の景色で、ザンジバル島ではない。


このアフリカの旅で、大きな楽しみの一つだったザンジバル島。
ダルエスサラームからフェリーで約3時間。
混沌としたアフリカのイメージとは程遠い、エメラルドグリーンの綺麗な海。
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ザンジバルに行ってきた旅人は皆、この海の綺麗さを、褒め称えていた。


ザンジバルに着き、船を降りると、なんとイミグレーションがあり、入島スタンプを押された。
ここは同じタンザニアなのになぜ?と思ったが、聞くところによると、ザンジバルは1964年まで独立国だったという。
その名残で残っているのだろう。

まずは、この島の玄関口となる町、ストーンタウンで一泊。


オールドアラブ砦
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18世紀前半、アラブ人が建てた砦。
ザンジバルは16世紀はじめにポルトガル領となり、17世紀後半から18世紀前半にオマーンの支配を受ける。その頃に建てられたもの。


同じ頃、オマーン人は奴隷貿易を始め、東アフリカから集めらた奴隷が、ここザンジバルの奴隷市場に集められた。
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ナイロビ、ダルエスサラームと、危険な町を通って辿り着き、楽園と思えるような綺麗な海を目の前に、ホッとひと安心した僕とは、まったく正反対の気持ちで、この海の景色を見つめた人たちがここにいたことを知る。



からゆきさんの家の跡にも訪問。
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今は単なる現地人の家だったけど。
からゆきさんとは、日本から外国へ売られていとた婦人のこと。
彼女たちはバーを営み、寄港する船乗りたちを相手に売春を行っていたという。
つい40年ほど前までここで生活していた。



ストーンタウンの町並み
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キリスト教のポルトガル人とイスラム教のオマーン人によって争奪された歴史を持つザンジバルは、キリスト教とイスラム教の建築が混在している。

ローマカトリック教会
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少し廃れた雰囲気が印象的な教会。

また、建物ひとつひとつも独特な色褪せ方をしている。
近代的な建築が少なく、歴史を感じる場所でもある。

街を歩いていて、会う人のほとんどがムスリム(イスラム教徒)。
アラブ人であるオマーン人の支配が長かったからではないかと思う。
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モロッコでイスラム社会とはお別れかなと思っていたが、さっそく再会。
アラビア語の挨拶も通じた。
やっぱりイスラム教は、中東や中央アジアだけでなく、広く信仰されているんだなぁ。


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明日は島の東のジャンビーアという村にある、1~2年前にオープンした日本人宿を目指し、少しゆっくりしていこうと思う。


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モシモシ、いまモシにいます 5月24日

北のエチオピア、西のウガンダ、どちらも行きたいところがあり、ナイロビ起点でのショートトリップを迷ったが、ナイロビから素直に南下。
最終目的地は南アフリカ・ケープタウン、喜望峰。
無事故、無違反(!?)を目標に、南下をスタート。


ナイロビを出て、タンザニアへ入国。
途中、バスの窓から、マサイなどの民族や、小さな村や、その家々を眺め、アフリカの田舎を感じる。
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タンザニアの事実上の首都・ダルエスサラームも油断できない危険な町。
夜間に着いてしまうことを避けるべく、間の町で一泊。


その町が、

モシ
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モシは、キリマンジャロ山の麓にある、人口10万人の町。
キリマンジャロ山登頂、キリマンジャロコーヒーが有名な都市だが、僕が着いたのは日曜日で、街は閑散としていた。


この時期は、雲がかかることが多いキリマンジャロ山。
夕方に少しだけ山頂を見ることができた。


この町は比較的安全だが、別の辛さが待っていた。

自称ガイド、コミッションマンが多いのだ。
町を歩けば、「何探してるの?」「どこいくの?」「手伝うよ?」と、勝手についてくる。
一人追い払っても、また一人…
連続・一難去ってまた一難。
彼らは、勝手についてきて、たいしたこともしてないのに、ガイド料を請求してくる。
これはアフリカに限ったことではないが、多さとしつこさがすごい。
次々と、断固拒否!!


また、この町は、「ラスタマン」も多い。
ラスタマンとは、ジャマイカ生まれのキリスト教宗派から派生した思想「ラスタファリズム」を信じる人々。(正式にはラスタファリアンという)
教祖は存在しないが、エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝をジャー(神)の化身と信じる。

ハイレ・セラシエ皇帝は、1930年から、暗殺される1974年まで、エチオピア帝国皇帝として実権を握っていた人物。

ジャマイカ出身のレゲエシンガー、ボブ・マーリィーがラスタファリアンだったことから、ラスタは世界中に広まったとされる。

ラスタマンの特徴は、ベジタリアンで、ドレッド、ガンジャを聖なるものとしているが、基本的には、ものすごくフレンドリーで親切な人が多いらしいのだが、ここの人たちは、勝手にガイドしてたかってきたするので、あまりタチがよくなかった。

そんなラスタマンと・・・
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このあと、ガイド料だのなんだの、だいぶ揉めた。。。



町を歩いてみるが、日曜で開いている店も少なく、何かと面倒な声をかけられるので、明日のバスチケットを取り、大人しく部屋に戻った。
”モシモ”、平日に来てたら、面白かったのかも。

明日は、タンザニアの首都・ダルエスサラームへ。



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これは事件です。 5月22日~23日

事件発生!事件発生!


ナイロビのダウンタウンと新市街の付近で暴動発生!

20人ほどの若者が暴徒化し、警察と衝突。
手の平より大きいサイズの石を警察めがけて投げまくり、警察は催涙弾で応戦。

銃声が響き続ける中、逃げまどう住民たち。
賑わっていたナイロビ中心の大通りは一転して緊迫ムードに。
ひと気がなくなっている。

暴徒の一人が倒れている。警官隊が実弾を発砲し、命中した模様。

それでも暴動は続く。
銃声が響き続け、催涙ガスが充満…

目が痛い、涙が出る。鼻にも刺激が来る。
宿までどうやって戻ろう?

事件発生時、僕は現場の目の前のビル4階のネット屋にいた。
にもかかわらず、建物の中まで催涙ガスが入ってきたのだ。

ネット屋の窓からは、目の前で繰り広げられている暴動を生々しく見ることができた。
暴動が収まって、一時間くらいしてから外へ出たが、まだ催涙ガスが充満していて涙が出た。

ナイロビではこのような暴動が週に一回以上のペースで起こるという。
地元民がいきなりサーッとひきはじめたら、暴動開始直前ということらしい。
とにかく走って逃げるしかない。

ナイロビで数日を過ごし、昼も夜も出歩くようになり少し慣れてきたところでのこの事件。
やっぱりここはアフリカ屈指の危険な町。
気を引き閉め直そう。

そして、用が済んだらさっさと出よう。

でも、バス内も怖いんだよなぁ・・・

もう、何も起こらないことを「祈る」しかない・・・。



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ケニアといえば! 5月21日

ケニアといえば、やっぱりサファリ!

次の日は、昨日のクラブで韓国人プレイボーイが知り合った、ドバイから休暇で来ていたUAE人が借りてるレンタカーで、サファリへ!

と思い、朝集合したら…
ドバイの彼、集合してから床屋にヒゲ剃ってもらいに行くわ、駐車禁止のとこに止めてて警察に行くわで、出発したのは午後…。
韓国人と僕はちょっぴりイライラ。
向かう先は、ナクル湖。

レンタカーで150kmの道を飛ばす。
ドバイの富豪(!?)の彼が。
トヨタの大衆車、カローラで(笑)

勢いよく飛ばすが、途中何度も止まることになる。
ケニアはやたらとポリスのチェックポイントが多いのが気になる。

そして、無事にやってきたナクル湖。
ここは、フラミンゴの大群が見れることで有名。


ということで、国立公園内に入ろうとしたが…
その入場料の高さに、プレイボーイ韓国人が入らないと言う。
ドバイの彼は、二人に任せるといったスタンス。

見れる動物は、今日は生憎の悪天候で…

これ(バブー)
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と、これ(バッファロー)
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と、これ(フラミンゴの群れ)
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だということ。


う~ん…
実は上の写真は公園外から撮影したもの。



あの…

全部、外から見えてしまったんですけど…


だから、僕もやめることにした。
夕方で、あんまり見る時間もないし。
(他にも見れる可能性がある動物はいるんだけど、悪天候で他の動物は見れる可能性が低いとのこと)


というわけで、三人でわざわざ来た道をわざわざ引き返すことにした。

帰り道、またまた幾度もポリスのチェックポイントで停車。

これだけ検問が多いのは、やはり治安の悪さを物語っているようだ。
中東も武装した軍人の検問が多かったが、それ以上な気がする…というか、検問の質が違う。


脅して賄賂を要求してくるのだ。
この免許は使えないだとか、レンタカーでこの先は行っては行けないだとか…
国境や警察など、公的機関の賄賂や不正は、世界各地でよく見かけたが、ここは特にしつこい&悪質。
「上司に言うぞ」とか、「じゃあ警察行ってやるよ!」とか言って逆に脅すと、たいてい引くんだけど、出てきた上司も加担…。

「韓国、UAE、日本!?お前らはテロリストではないか!?!」

…。

(祝!)初のテロ容疑。


多方面から警察に脅されたドバイの彼は渋々、お金払ってた・・・。


と、なんだか後味が悪い感じだが、ナクル湖~ナイロビ間の道では、普通にシマウマやバブーが見れた。
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これだけでも十分、野性動物が見れたから、まあOK。
実は僕は、野性動物には、そこまでの興味がなく、今までに行ったズーラシア、富士サファリパークなどで、大満足。
だから、ケニアのサファリで一番有名な、マサイマラのツアーも、1日80~90$と貧乏旅行者には高すぎるので却下。
マサイマラのツアーで見に行くマサイ族も、ナイロビの町でも見かけたり、マサイ族が開くマーケットもナイロビであるから、ツアーは行かないことにした。


実際、「マサイマーケット」と呼ばれる、マサイ族のマーケットにも行ってみた。
現在では「片手に槍、片手に携帯」と言われていることもあり、一部の人々は都市部に出てきている。
(商売のために短期で、なのか、定住しているのかはわからないが…)

ビル街の一角の駐車場のような場所で、フリーマーケットのように土産物や自分たちで作った衣類などを販売していた。
ちゃんと民族衣装を来ている人もいれば、そうでない人(マサイではない人が手伝っているのかも)もいた。
街に出てきているマサイ族と現地で見るマサイ族は違うだろうけど…




ナイロビにはもう一つマーケットがある。


ギコンバマーケット


アフリカ最大級のマーケット。
衣類、靴、日用品、野菜、なんでも売っている。
南米最大のマーケット、ボリビアのエルアルトのような雰囲気(と言ってもエルアルトのブログ記事は、盗難により写真なしでの記事でしたが…)。

特に、衣類がすごい。
いわゆる古着。
エルアルト同様、アウトドアブランドなどのアウターなども出てくる。
一説によると、ユニセフの呼びかけで集まった服が多いとか。
それを日本人が買ってどうする!って感じだけど、ま、売る人の利益になるので、そこはいいのではないかと。
ちなみに値段は、
フリース類200~300円
Tシャツやポロシャツ70~150円
ナイキやアディダスのスニーカー1000円前後
といった感じ。

その他、パンツ(ズボン)もかなりの数があった。


ここはナイロビの中心地やダウンタウンから歩いていける距離にあるのだが、ここに来たら一気にローカルな雰囲気になった。
雨期で多雨な時期のため、赤色の土が乾かずグチョグチョになっている道に、生ゴミからペットボトルまで様々なゴミが混ざり、異臭を放つと同時に、足を取られやすく、足元ご注意。
その両サイドに野菜や雑貨屋が並ぶ。
ナイロビの中心から歩ける距離だが、都会的な雰囲気はなく、混沌としている。
どこの国の市場とも同じく、歩けば呼びかけるね声が多方面から飛んでくる。
どこの国の市場とも変わらないはずなんだけど、やっぱりここはアフリカ。
恐怖心からか、最初は異様な光景に見えた。

歩き回り、人々と挨拶を交わしたり、値下げ交渉をしているうちに慣れてきた。
新品同様の靴を購入し、ボリビアから履いていた靴とここでお別れ。
中古の靴は、売る前に入念に磨かれていたり、Tシャツもしっかりてたたまれていて、買う気にさせてくれる。

そろそろ、アフリカへの過度の恐怖感も薄れてきてたので、ブラックアフリカの旅のスタート地点・ナイロビを出発しようと思う。



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ナイロビ ~危ない玄関口~  5月19日~20日

さて、話は戻りまして・・・

えっと、、、どこまで行ったんだっけ??


<<巻き戻し



ヨーロッパを出て、アフリカ大陸に行くところで、終わってましたね。

英国・ロンドンから、ケニア・ナイロビへ飛び立つ所から・・・


再生>



2009年 5月19日


いよいよアフリカへ…

大自然のアフリカ
民族のアフリカ
念願のアフリカ
そして、恐怖のアフリカ…
アラブ色の強いモロッコやエジプトなどの北アフリカとは違う、ブラックアフリカだ。

そこには、今まで見たことないような、体験したことないような何かがきっとあるはず…。




ケニア・ナイロビ

アフリカで危ない都市ベスト3に入る超危険な街。
盗難なんて甘いものではなく、強盗・強奪・殺人は当たり前の都市。
朝でも、昼間でも、夜はもちろん。
昔から治安の悪さは有名で、強盗に対する取り締まりが厳しくなり、ここ数年で強盗が減ったという。
とはいえ…それは簡単に手放しで喜べるものでもない。
厳しくなった取り締まりの内容は、強盗の現行犯を見つけた場合、即射殺OKというもの。
実際に射殺された強盗犯が見せしめで放置されるなどして、強盗が減ったという。
しかし、それでも、強盗をする輩がいるのがナイロビ。
死ぬ気で…いや、こちらを殺す気で強盗にくるから怖いのだ。

移動はドアtoドアでタクシー利用が常識。
昼間にホテル周辺を歩くときも、バックを持つのは非常に危険で、手ぶらが基本。
カメラを持つリスクが大き過ぎるから、写真なんか撮れない。
撮るにしても、構図なんか考えてられない。


ということで、アフリカ編は場所により、文章中心の旅行記になります。
死にたくないので・・・。リアルに・・・。


まず、宿。
情報ノートがあり、各国のバックパッカーが集まる安宿なのだが、危険と言われるダウンタウンの入口にある。
とはいえ、旅行者が少ない分、情報が少ないアフリカ。
情報ノートがある宿は貴重。
まずは情報! 行くしかない。
ナイロビの空港に着いたのは、21:00。
嫌だなぁと思いながらも、空港タクシーに乗り込む。
空港周りの整然とした雰囲気から、ダウンタウン方面へ・・・
タクシーの運転手もさすがに宿の真ん前につけてくれ、なんとか無事に宿に辿り着いた。


翌日・・・

宿の屋上から撮影した街の中心部方面。
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ダウンタウンと新市街の間の道
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街を歩いた雰囲気は、やはり独特。
首都だけあって人が溢れかえっているし、音楽ガンガン、呼び込みバリバリの、激しくペイントされたバスがひしめき合い、勢いよく街中を走り抜けていく。
海外において、他の大陸でも、これはよく見る光景の一つなのだが、やはりなんだか他とは雰囲気が違う。
自分の恐怖心・警戒心のせいなのか、初めてホンモノのブラックアフリカを見たからなのか…

とはいえ、小銭だけを持って、丸腰で歩く分には、そんなに心配ない。(と勝手に思う)

ローカルの安食堂の店員や、タクシーのおじちゃん、商店の人なんかと接してみると、やはり温かい人たちがいるのは万国共通だと実感する。
外は怖いけど、やはり外に出なきゃ何もわからない。
危険地帯の把握(ナイロビはどこもだけど…)、手ぶら行動をしっかり行い、街を歩いてみたら、少しずつ恐怖心が取れてきた。

街は昼と夜で全く違った顔を見せる。
夜のダウンタウンは本当に物を持っては歩けない雰囲気。

だけど、だいたいの人は楽しく話しかけてくれる。

ナイロビは、ナイトライフが有名な都市でもある。
とりあえず有名なディスコ(クラブ)に行ってみた。アフリカのクラブはどんなものなのか…

ビヨンセやジョイナー、ホイットニーヒューストンがたくさんいる…。
かかる音楽は、やっぱり専らレゲエ。
フロアは広くなく、どちらかと言えば座って飲んでる人の方が多い。
とはいえ、なかなかノリはいい。

そして女性に結構話しかけられる。
と思って話してると、話がおかしな方向に。
ここはディスコ兼売春がさかんなところなのだ。

「いや、間に合ってます!」

…間に合ってはいないんだけどね(笑)


決まった時間にダンスグループによるショータイムが行われ、生のブラックアフリカのダンスを見ることができた。
黒人の肉体って何であんなにキレイに見えるんだろう…
かっこよかった…


ちなみにナイロビに着いたとき、僕の体に異変が起きていた。
胃か、腸か、あるいはナントカ臓か…、どこだかよくわからないんだけど、今までにない痛み方をしていた。
ロンドンにいたときから続いていて、旅を続けられるか不安なくらいだったので、ちょっと安静にしようと思っていた。

しかし、同部屋のプレイボーイ韓国人と、流れで夜のナイロビへ繰り出すことになったのだった。
そして、ビールを三杯ほど飲み、ビヨンセたちと踊り、宿に帰って寝たら、なんと!かなり治ってる!
次の日も別のところへ繰り出し飲んでみたら…
完治!くらいの調子のよさ。
お酒もたまに飲めば薬って、うまいこと言った人がいたんもんだ。
(ちなみに後日、完全に痛みがなくなった。)
アフリカに入ってから痛み始めたわけではないので、おそらく食あたり?
食べ物が美味しくないと不評のロンドン。
それって、こういう意味でもある!?

体調は良くなったけど、もう少し、アフリカの空気に慣れてから、ナイロビを出発しよう。


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僕の撮影した日食写真が、他サイトのトップページになりました!!

昨日、遅くなりましたが、インド・バラナシでの、皆既日食観測記をブログ内で更新しました。


昨日の記事

皆既日食観測記 インド・バラナシ ~Total Solar Eclipse of 2009 July 22 in Varanasi India~
http://ryooz.blog116.fc2.com/blog-entry-119.html


そして、これも報告が遅くなってしまいましたが、僕の撮影した写真が、他のサイトでトップページになりました。(2009年8月3日現在)

写真が掲載されているのは、「URBAN RESEARCH」 という、僕も好きなセレクトショップの展開ブランドのひとつ、「URBAN RESEARCH DOORS」のWEBサイト内にある旅行記です。


WHAT A WONDERFUL WORLD
~アジアをリアルタイムで周遊中の旅人がつづる、とりとめのない話~
http://www.urdoors.com/0724/top.html


この旅行記の記者と、バラナシで出会い、写真を提供しました。

彼の皆既日食の記事は、さすが!と思わせる表現でつづられ、大変まとまった内容になっています。


僕の提供写真、日食の記事に限らず、とてもおもしろい旅行記です。
是非、ご覧ください。


以上、ちょっと自分的に嬉しい報告でした~。


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皆既日食観測記 インド・バラナシ ~Total Solar Eclipse of 2009 July 22 in Varanasi India~

体調不良のため遅くなりましたが、皆既日食観測記・・・



7月22日、いよいよこの日がやってきた。
僕の旅、最後の大イベントともいえるであろう、ある現象が起こる日だ。
今世紀最長の皆既日食。

僕が今回の皆既日食を始めて知ったのは、南米・ブラジルのサルバドールにいたとき。
日本の悪石島で最長6分の皆既日食が観測でき、奄美大島では、皆既日食音楽祭というパーティも開催され、世界各地からたくさんの人々が集まるとのことだった。
そのイベントに合わせて、帰国するという、パーティ好きの旅人にも、よく会った。
自分は旅の真っ最中で、アフリカ大陸にいる予定だから、関係ないなくらいにしか思っていなかったのだが・・・

その後、中東を旅している最中に、その皆既日食がインド・バラナシでも観測できる可能性があるとの情報を知り、というか、知ってしまい、僕の心に火がついた。というか、ついてしまった。
その後は、「7月22日インド・バラナシ」に照準を合わせて、動いてきた。


皆既日食・・・
しかもインドで。
さらに、ヒンドゥー教、最高の聖地バラナシで。
神聖なガンガー(ガンジス河)の向こうに現れる、その”怪奇”な自然現象を、果たして見ることができるのか・・・


7月22日 AM5:00起床

窓から射し込む陽の光はない。
曇天だ・・・。


外に出ると、メインガート(沐浴場)には、たくさんの人々がすでに詰め掛けて来ているのが見える。
インド人、外国人問わず、すごい数だ。
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いよいよだ、いよいよなのだ。

思えば、数日前から、続々と皆既日食を観測するための、いわゆる”皆既日食組”旅行者が、聖なる地での日食観測を期待し、バラナシの町にやってきていた。

しかし、バラナシは、現在、雨季にあたり、曇りや雨が多い。
ここ数日間のあいだに、朝日が見れない日もあった。
あるインターネットサイトでは、日食を観測できる確率は30%と言われていた。
今日の朝は雨、という情報もあった。

僕は、当初から、雨季であること、また、その確率を知ってはいた。

しかし、聖なる混沌の地、バラナシ。そしてガンガー。
・・・何かが起こるという期待を胸にここまで来た。

空の状況はというと、雲のまわりにうっすらと、赤い朝日の影が映っている。
しかし、雲は決して薄いとは言えず、まわりにも、雲は多かった。
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それでも、たくさんの人々が、皆、早起きをし、観測場所の確保にせわしく動いていた。
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メインガート・・・
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宿や住宅の屋上・・・
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ガートの階段・・・
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ガンガーに浮かぶ舟の上やガンガーの対岸・・・
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そして、ガンガーの中・・・

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みんな、ガンガーの奇跡を信じて・・・

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僕はというと、ほかの旅人たちと、一番混雑しているメインガートから離れ、ガンガー沿いの少し開けた場所に陣取った。

このとき、時刻は6時近く。
すこしずつ空が明るくなりはじめている。
雲の流れが、意外と早いことに気づく。
Picture+012_convert_20090802215647.jpg

そして、同時に、背後でいつもと変わらぬテンションで、クリケットに興じる、インド人がややうるさいことにも気づく。
さすがインド人。


彼らを除いた、すべての人びとが、息を呑んで空を見上げている。


太陽が雲に隠れたり、顔を出したりするようになってきた。

これは、もしかすると、もしかするんじゃないか!?

空を見上げるみなが、そう思い始めたはずだ。

期待が膨らんでいく・・・

AM6:00過ぎ

そのまま月による太陽への侵食が始まる。

あたりの様子はそれほど変わらず、「始まった!!」という実感はあまりない。
DSCF1590_convert_20090724145940.jpg

観測にはカメラのフィルムで対応。
(肉眼で観測をし続けると失明の恐れもある)


時に雲がかかりつつも、浸食されている形は、はっきりと見て取れる。
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ゆっくりと、ゆっくりと、侵食が進んでいく。
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穏やかな時間の流れを感じる。



時折、太陽と月を横切る雲たちは、安らかに流れるガンガーと共に、日食を幻想的に映し出す名脇役にさえ思える。
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綺麗な三日月形の“太陽”
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少しずつ、少しずつ、侵食が進んでいく。

DSCF1620_convert_20090724144158.jpg


・・・そして、徐々に、あたりが暗くなり始める。


朝焼け時にも、夕暮れ時にも見たことがない不思議な色に、ガンガーと聖なる町が染められていく。

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なんとも言えない淡い色だ。
隣にいた旅人が、「セピア色」と表現した。
そうだ・・・たぶん、この色をセピア色というんだろう・・・。
心地よい・・・。

セピア色の時間を越えると、あたりはさらに暗くなる・・・。



雲は去った。



時は満ちた。



未知なる神秘の世界が始まる・・・。



太陽と月が完全に重なる。




きた・・・・・



カイキニッショク
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空を見上げる人々から、いっせいに歓声が上がる。。。
クリケットに興じていたあのインド人たちでさえ、プレイを中断し、歓声を上げ、空を見上げている。


あたりは夜のように暗い。
星さえも見える。
でも、夜の雰囲気とはまったく違う。
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スゴイ・・・


ヤバイ・・・


ナニコレ・・・


そんな言葉しか出ない・・・


目の前で起きている現象がよくわからない。


何も考えられない。


鳥肌が止まらない。


気がつけば、力が抜けて、しゃがみこんでいる自分に気づく。


もう言葉さえも出なくなる・・・。


自然と、涙が溢れてくる。

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こんなすごいものみたことない・・・。




やがて、月の端の一点から、太陽の光が射し込み始める。
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と思った、次の瞬間・・・
目が眩むほどのまぶしい大量の光が、月の影から漏れてくる・・・



ダイヤモンドリング
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トリハダ・・・ナミダ・・・力の入らないカラダ・・・
もう何がなんだかよくわからない・・・


少しずつ、月が太陽から離れ去っていく・・・
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ガンガーの上には、光のじゅうたんが再び作り出されていく。
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あたりに、再び、朝がやってくる。

やっと、時間が動き出した。



その後、月がゆっくりと太陽から離れ始めると、僕は、いつの間にか、一緒にいた旅人たちと、ガンガーに飛び込んでいた。

放心状態のまま、カラダが勝手に動いていた。

なんだかよくわからないけど、それしかないと思った。

日食はまだ続いている。


気持ちがいい・・・


日食の終わりは、ガンガーで沐浴をしながら迎えた。
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ついでに、“ガンジス河でバタフライ”もしておいた。


ガンガーの中から、ガンガー沿いの人々が、日常に戻るために動き出しているのが見える。

しかし、いつもとは空気がまったく違う。
町もガンガーも人も、すべてがいつもと違って見えた。


皆既日食を観て、自分の中のすべてが吹っ飛んだ。

自分の心はどこか別の場所にあり、現実に戻ってきていないような感覚にさえなった。
よく覚えているけれど、よく覚えていない・・・
でも、心は完全に開いた状態で気持ちがいい・・・

幻想的で神秘的な宇宙の時間・・・

と表現してみるけれど、やはりあまりに抽象的な表現になってしまう。


どんな言葉を使っても、あの空間を表現することはできない。
おそらく表現できる人などいないだろう。


そこで観た人にしか感じることのできない何かがあった。

この日、誰と話しても、皆が同じことを口を揃えて言っていた。

すごかった・・・

やばかった・・・

なにあれ・・・

人は、心から溢れてしまうほどの感動の波に襲われたとき、言葉を飾ることなどできないのだろう。

みんながみんな、同じことを感じたはずだ。

僕の表現がブログを書くための誇張表現ではないことは、そこにいたすべての人が証人になってくれると確信している。


忘れることができない不思議な体験をした。
この先、僕は、これ以上のものをもう見れないんじゃないかと本気で思う。


まるで、あらかじめ、あらすじが書かれていた物語のプロローグからエピローグを観ているかのようだった。



この現象を、長旅の終わりに、混沌の国・インドのバラナシという聖地、ガンガーの真上で、雨季による低い観測確率の中、すばらしい旅人たちと見れたことを、この宇宙に感謝したい。

そして、この宇宙からの素敵な贈り物を、心の中に焼き付けて、ずっと大切にしまっておく。




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プロフィール

原田 諒二                                     (はらだりょ-じ)

Author:原田 諒二 (はらだりょ-じ)
あの海の向こうには何があるんだろう?
どんな人たちがいるんだろう?
そんな単純な想いを胸に
いろんなものを見て
いろんな人と触れ合う旅の
真っ最中!!

2008年10月21日 世界一周出発

2009年9月28日 帰国

2015年1月2日 世界二周目に出発!!

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