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  2. 2009年05月

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アラブよさらば。

約2ヶ月間、旅をした中東を離れる。
イエメン、UAE、ヨルダン、エジプト、シリア、レバノン、イスラエル、トルコ・・・8カ国を回った。

宗教、遺跡、自然、人・・・ここでもたくさんの出会いがあった。
旅人との、大陸を越えた再会もあった。
再会の旅に、懐かしい顔に感動し、お互いの旅について語り合った。
このブログを見てくれているという他の旅人にも会った。
僕が、勝手気ままに綴っているこの日記を定期的に見てくれている人がいるというのは、こんなに嬉しいことはなく、本当に励まされたし、これからもしっかり書いていこうという気になった。ちゃんと遅れずに・・・。

そんな中東の旅の中では、特に、宗教や平和について考えさせられることが多かった。

イスラエルを訪れた際は、三大聖地ということで、キリスト教、ユダヤ教にも少し触れることができたが、ここで意味する「宗教」は、イスラム教との出会いのことだ。
中東での旅は、イスラム教とともにあった。
日の出後から、日没の後までの5回のアザーン(町中に響く礼拝の呼びかけ)、頭から足元まで、黒い布を纏った女性たち、男性が被るカフィーヤや、白いムスリム服、異教徒の旅人にも“与える”文化・・・。
困っていると丁寧に道を教えてくれるし、時には、物をくれることもある。お茶をおごられることもある。
彼らが煙草を吸う際には、必ず「吸うか?」と1本差し出してくる。
町を歩けば、明るい笑顔とともに、いろんなところから「WELCOM TO ○○」と言葉をかけられる。
イスラム圏の人々は、本当に旅人に親切だと感じた。

また、イスラム法では、人の物を盗ることはとても重罪とされており、窃盗で捕まった場合、罰として、手首ごと切断される。
現在は、国で定められた法律により裁かれるため、そのような罰が下ることは少ないようだが、それでも、イスラム教において“盗み”が大罪であることに変わりはないようで、盗難の被害はとても少ない。
盗難・強盗が非常に多い中南米からやってきた僕にとって、そういう面では、中東はとても旅のしやすい地域だった。
これまでのように、バックを体の前にかけて動くことも少なかったし、バス内や宿での警戒も少し弱まった。

このように、全体的に、中東ではかなり安全・安心の旅ができた。

しかし、一般的に、そのイスラム教についてまわる話題は、いつもきなくさいものばかり。
僕も、中東に向かうときには、恐怖感を持っていたし、中東を旅をしているときも、それが完全に消えることはなかった。

中東は、上で紹介をしたように、盗難や強盗に遭う可能性は非常に低い。
しかし、中東は“一発病”を抱えている。
中東と聞いて、多くの人が連想するだろう“爆弾テロ”のことだ。
以前ブログ記事内でも書いたが、実際に、僕が中東を旅しているあいだにも、爆弾テロ事件が起きた。(3月15日イエメン・サユーン アルカイダによる韓国人旅行者に対する自爆テロ)
3日前まで、その場所にいたという“ニアミス”だったことから、大きな恐怖を感じたとともに、イスラム教の宗派の複雑さ、聖典の解釈一致の難しさを改めて考えさせられた。

それでも、僕は中東を悪いところだとか、もう二度と訪れたくないところだとかは、まったく思わない。
テロなどの危険性はもちろんあるが、ここ中東にも、“日常”があり、普通の人々が、普通に暮らしている。
中東で起こる紛争やテロにおいて、被害に遭っているのは、このような普通の人々である。
“中東”が危ないのではなく、中東にいる少数の危険な集団が、平和を望んで暮らす人々の生活を脅かしている。
中東の人々のたくさんの親切に触れ、中東=危険なところ、重く、暗く、痛いところだとひとえに決めていた僕のイメージは変わった。

「中東はいい。」

「こんな中東のどこがいいんだ?」

「中東はいい。あんたはそこにいるからわからないんだ!」

中東に向かう飛行機の中で観た映画「ワールド・オブ・ライズ」の台詞を思い出す。
レオナルド・ディカプリオ扮する中東に駐在するCIA現地工作員が、現場を見ずにアメリカで勝手な指示を出し続ける上司に吐いた言葉だ。
そのとおりだ。

中東はいい。
宗教、民族、歴史、紛争・・・やっぱり複雑だけど、それでもやっぱり中東はいい。
逃げ場のない強い日差しの下、激しく乾いた大地に砂が舞い、町を歩けばアラブの音楽が聴こえ、香辛料の匂いが纏わりつく。
色のない殺風景な町並みが夕日で赤く染まり始め、やがて町中に礼拝の時間を知らせるアザーンが響き渡る。
最初は恐ろしくも感じられた風景たちが、中東の人々や文化に触れた今は、愛しくさえ感じられる・・・。

これからは、中東を恐れたり、勝手な恐怖のイメージを持ってしまうのではなく、もっと彼らのまわりで起きていることと、その背景を知る努力をし、彼らの平和に向けてできることを、わずかでもしていくことが大切なのかもしれない。
そんなことを考えながら、中東を後にする。



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イスタンブール ~アジアとヨーロッパの架け橋~

「ついに俺もここまで来たか・・・」
東アジアからユーラシア大陸を東から西へと横断してきた旅人は、アジアとヨーロッパの境である、ボスボラス海峡を目の前につぶやくことだろう。
「深夜特急」の著者・沢木耕太郎も、そう心の中でつぶやいたはずだ。


僕はユーラシア大陸を横断してきたわけではない。
紅海から中東を北上してきた。
それでも、この町の景色は感慨深い。
僕の、中東の旅のゴールだからだ。


トルコは中東とは言わない。
ではヨーロッパなのか。それともアジアなのか。
国民の90%がイスラム教徒、EU非加盟国、サッカーW杯予選は欧州で戦い、欧州選手権にも出場する。
正式なところはわからない。
ヨーロッパでもアジアでもない、“トルコはトルコだ”と言った人もいる。


アジアとヨーロッパの境、ボスボラス海峡を挟んでアジアとヨーロッパにまたがるトルコ最大の都市。


イスタンブール

ボスボラス大橋
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旧市街側から新市街を望む
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最初はビザンチウムという名がつき、次に、東ローマ帝国の首都コンスタンチノーブルと名を変え、その後、オスマントルコ帝国の首都として、イスタンブールという都市名になった。
1922年に首都はアンカラに移されたが、今もなおトルコの経済と文化の中心地である。

イスタンブールの町は、海峡と湾で、大きく3つの地域に分かれている。
ヨーロッパ側とアジア側をボスボラス海峡が東西に分け、さらにヨーロッパ側は、金角湾を挟み、北に新市街、南に旧市街と分かれている。

主な見どころやホテルは、新市街・旧市街に集まっており、街並みを楽しめるのも、この2つの地域。
この2つの地域をメインにイスタンブールを観光してみた。



旧市街
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トプカプ宮殿
15世紀から19世紀まで、約400年間、オスマン・トルコ帝国の歴代スルタンの居城として使われた。
70万㎡という広大な敷地内には、ひとつの町ができていたとのこと。
一番の見どころっぽい雰囲気の場所だったけど、入場せず。高いし。
外から中見えないので、写真なし!


アヤソフィア博物館
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トプカプ宮殿のすぐ前に位置する巨大な赤色の聖堂。
360年に初めて建設されたが、何度も焼失や破壊により建て直され、ギリシア正教の総本山として栄えた時代もあったが、15世紀にジャーミィに変えられ、イスラム寺院となった。
現在は博物館として一般公開されている。
ここは外から写真撮れるから、それで満足。


スルタンアフメットジャーミィ
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アヤソフィア博物館と向かい合うように建つ、イスタンブールを象徴する青のイスラム寺院。
通称ブルーモスクと呼ばれる。
直径30m近い大ドーム、4つの副ドーム、6つのミナーレ(尖塔)を持つ、豪華な寺院。
これまで見てきたイスラムのモスクは、尖塔はたいてい1本。多くても左右に2本だった。
ここも外から十分外観を楽しめるため、遠めに眺めて写真パシャ。


ガラタ橋
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新市街と旧市街を結ぶ橋。
橋の上ではおじさんたちが並んで釣りをしている。
橋の近くでは、屋台が並び、人々で賑わっている。


イェニ・ジャーミィ
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ガラタ橋のすぐそばにあるジャーミィ。
このジャーミィもドームの大きさのバランスがよく美しいと言われている。
トルコのイスラム寺院は、このように派手で尖塔が複数本あるものが多い。


グランドバザール
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15世紀から続く、屋根つき市場。
その規模は中東最大とも言われる。
確かに広くて迷いそうになった。




新市街
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完全に現代的な都会の街並み。
行き交う人々のファッションを見ても、垢抜けているし、女性は頭を隠してない人ばかりだし、イスラム圏とは思えない。
もはや、ここはヨーロッパだと思う。
新市街は、ショッピングを楽しんだり、カフェでまったりしたり、スウィーツを食べ歩いたりするような雰囲気。


イスタンブールはすぐに離れる予定だったが、僕がこの先入国予定のインドのビザが、安く早くお得な条件で取れるため、申請することにした。
4日ほどビザ待ちして、そのあと、中東を離れます。




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パムッカレ ~石灰だなぁ~。~

パムッカレ
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よくある世界遺産の近くの小さな町。


そして、パムッカレといえば、石灰棚!!
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雪ではありません。
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塩でもありません。
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今回は“石灰”です。
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これは、古代からこの地域に流れる温泉水に多く含まれる二酸化炭素とカルシウムが化合して炭酸カルシウムになり、台地を流れ落ちながら少しずつ固まって出来上がったもの。
石灰棚は長さ約3km、厚さ300m、麓の平地からは100mほどの高さに形成されている。
ちなみにパムッカレとは、「綿の城」という意味。



石灰棚は保護のため裸足で歩かなければならない。
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白くて綺麗で柔らかそうな石灰棚だが、水は冷たく、石もゴロゴロしていて、足の裏がちょっと痛い。
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ただ、場所によっては、水の中に入ることができる場所もある。



現在は、流れる温泉水の量はコントロールされていて、水が全く流れておらず、干からびているところが目立つ。
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理由は、コケが生えないようにとか、
立ち入りができない場所も多い。
また、人口で形が整えられている場所も多い。

これらのこともあり、旅人のあいだでは、パムッカレの評価はあまりよくない。
僕が訪れたときも、やはり干からびているところが多かったが、天候は良く、場所によっては水が薄い水色に輝いているところも見られ、まぁまぁかなという感じだった。

パムッカレは石灰棚と共に、古代都市ヒエラポリスという遺跡が世界遺産に登録されている。
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紀元前2世紀頃、ペルガモン王国のエウメネス2世が支配するようになってからヒエロポリスと呼ばれるようになった。
1世紀から3世紀頃のローマ時代、ビサンチン時代と長く繁栄した。
良質の温泉に治療効果があると信じ、ここに都市を建設したとされる。

今も昔も、みんな温泉好きってことですね。



パムッカレ温泉
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遺跡(ローマ建築の円柱など)が沈むお湯に浸かることができる、ここも有名な観光地だが、なんだか普通のスパ施設みたいな外観で、興ざめし、入場しなかった。


円形劇場
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ヒエラポリス遺跡内にある保存状態がかなりよいローマ劇場。
収容人数は2万5千人。


中東で遺跡慣れ(飽き)してしてしまっていたのと、パムッカレ=石灰棚といイメージしかなかったので、ヒエラポリスは、「ふ~ん。」って感じでした。


パムッカレや、カッパドキアでは、ツアー団体の日本人おじちゃんおばちゃんたちに遭遇。
いよいよヨーロッパに近づいてきた気がした。
定年を迎え、息子・娘も1人立ちし、老後を楽しく過ごそうという人たちに見えた。
「あら、やだ!」「ちょっとあんた!」など、久々におばちゃん節を聞くことができ、ちょっと嬉しかった。
長い間、家族のために汗水たらして働き続けたお父さんたちと、それを支え続けたお母さんたちが、仲よさそうにカメラをぶらさげて、あーだこうだ言い合っている姿はなんだか微笑ましかった。
旅行の間は、すべて忘れて楽しんでるんだろうなぁ。
家に帰ったら「やっぱり我が家が一番!」とか言うのかな。
そうであってほしいな。


パムッカレとヒエラポリス観光は午前中でだけで終了。
夜行バスで着いて、そのまま夜行バスでイスタンブールに向かいます。



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カッパドキア ~キノコ・タケノコ・ニョッキッキ!~


なんとかトルコ・カッパドキアまで辿り着いた。

カッパドキアは、トルコの観光地の中でも、1、2を争う人気観光スポットであるが、カッパドキアという町や遺跡の名前はなく、地域の総称である。
この地域を有名にしているのは、様々な形をした奇岩群。

僕が宿泊するのは、周りをその奇岩群に囲まれたギョレメという小さな村。


ギョレメ
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観光地ではあるが、とても落ち着いた雰囲気の村。
ホテルやレストランが多く、この村を基点にカッパドキアを観光する旅行者が多い。


トラベラーズケーブペンション(宿)
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宿自体が奇岩の中にあり、奇岩のなかにある部屋に泊まることができる。


村の高台に登れば、すぐにカッパドキアの奇景を望める。
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ギョレメ村のまわりはタケノコ型の奇岩が多い。
岩の先端が尖がっている。

先端恐怖症の人は、「渡航の是非を検討して下さい。」
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これらカッパドキアの奇岩が形成された仕組みを説明すると。
まず、数百~数億年前に、この地域では連続して火山の噴火が起きていた。
これにより火山灰と溶岩が積み重なり、それが凝灰岩や溶岩層となった。
そして、各層によって硬度が違う砂岩が、長い年月をかけて雨や風により侵食され、現在のような不思議な岩の形になった。
軟らかい凝灰岩や溶岩が侵食され、硬い部分が残ったというわけだ。


それを考えたとしても、この形はありえない・・・
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キノコみたいなシイタケみたいなマツタケみたいなシメジみたいなエノキダケみたいな毛先が球みたいな・・・

ヤラセだよ絶対。
なんか支柱とか入ってるよ絶対。と思ってしまうほど・・・

このキノコのような形をした岩は、その中に妖精が住んでいるとの言い伝えがあり、「妖精の煙突」とも呼ばれている。


1ニョキ!
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岩たちに負けじと。


奇岩めぐりをしていると、岩が遺跡のようになっているところが数多く見られる。
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先史時代から、この地方の岩は軟らかく、人々は地面や岩を掘って、この岩を住居として暮らしていたという。
現在に残っている遺跡のような岩の家々は、6世紀頃にアラブ人の迫害を逃れたキリスト教徒たちが、教会や修道院、隠れ家として使っていたもの。


ウチヒサル
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「尖った城」、「3つの要塞」という意味を持つ城塞を持った村。(どちらが本当なのかわからない・・・)

カッパドキア一帯で一番高い位置にあるため、この城塞を登るとカッパドキア360度パノラマ!
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あいにくの悪天候で夕日は見れなかったものの、やはりどこの町でも、上から全体を見下ろすと“○○に来たなぁ~”という気になる。
(勝手にその町を制覇したという気になる。自己満足、いわゆる自己満。いつも自己満。旅は自己満。)



ウフララ渓谷
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ただの突き出た奇岩だけでなく、渓谷もあり、ここでも岩を削って、教会などを作っていたあとが見られた。



カイマクル地下都市

地下8階の巨大な地下都市。
アラブ人に迫害されたキリスト教徒たちが住んでいた。
カッパドキアには300以上の地下都市があると言われる。
このカイマクル地下都市には、5000人以上が暮らしていたと言われる。

カッパドキアでは、この旅初のガイドつきツアーに参加。

この旅初のチャリンコ観光もした。


トルコは物価高いし、サクサクと次の観光地へいってきま~す!!



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アレッポ ~乳と呼ばれる石鹸の町~


レバノンからシリアに戻り、トルコに行く前に寄った都市。

アレッポ城から見下ろすアレッポ市街
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人口約170万人。
シリア第2の都市。現地人はハラブと呼ぶ。
アブラハムが乳をしぼって人々に与えた地という言い伝えに由来する。
アレッポも東西南北の交易の要所として栄えたが、時代が経つにつれ、紅海や喜望峰を経由する海路に取って代わられ衰退していった。
アレッポは、トリポリと同じく、地中海に面しているため、オリーブ石鹸が有名な町だ。


アレッポ城
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天然の丘の上に作られた城塞。
紀元前10世紀に建設されたネオ・ヒッタイト人の神殿。
主に活躍したのは、12~14世紀で、クラックデシュバリエと同様、難攻不落の城塞として有名。


16世紀に改修された城門
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南米のインカの石組みのように隙間なくピッタリ敷き詰められた城門。
個人的には、クラックデシュバリエよりもパルミラよりも、バールベックよりも、このドンとした城門が気に入った。


城内の景色
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場内は、城門ほどごつい感じではなく、モスクや宮殿跡、円形劇場があるが、現在は現地住民の憩いの場といった感じで、家族連れや友達同士でアレッポ市街を見下ろしながらのんびりと時間を過ごしている姿が目に付いた。


アレッポはシリアの国境の町。
ここからトルコに入り、1日かけて一気にトルコの中部まで行っちゃいます。



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レバノン ~消えない戦争の爪痕~

レバノンへは通常の1ヶ月ビザが、無料では取れなくなっているので、48時間(3日滞在OK)の無料トランジットビザで入国。

ベイルートに到着
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ベイルートはレバノンの首都。
1970年代前半までは、中東のパリと呼ばれるほど、経済の中心地として栄えた。

しかし・・・
1975年、レバノン内戦が勃発。
キリスト教vsイスラム教の戦争だ。
これによりベイルートは東西に分断され、約15年間、激しい戦争が展開される。
さらに、その間、イスラエルによる爆撃があり、ベイルートは瓦礫と化した。

その爪痕は、今でも、町の至るところに生々しく残っている。
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壁に見えるポツポツした丸い跡は、すべて、銃弾によるもの。
いまだに、町には、銃弾の痕が残る建物がたくさん残っている。

内戦終結後は、外交面、経済面ともに、少しずつ復興を遂げ、中東のパリと呼ばれたかつての輝きを取り戻しつつあったが、2006年、イスラエル軍兵士誘拐事件が原因で、イスラエル軍によるレバノン全土への空爆が起こり、現在も内戦の爪痕とともに弾痕が残されている。


ハリーリ前首相霊廟
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内戦終結後、順調に経済の再建を進めていた中、2005年にハリーリ前首相の暗殺された現場であり、霊廟。
この事件をきっかけに近年のレバノン情勢は悪化していった。

イスラエル軍の撤退後、ベイルートは再び復興に向けて歩みを始めている。
至るところで高層ビルの建設が行われ、まるでドバイのような光景だった。
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地中海に面した海沿いの通りでは、地元の学生が友達と話しながら歩く姿や、おっちゃんたちがシーシャ(水タバコ)をふかす姿があり、平和な時間が流れていた。


バールベック
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ベイルートから北東に90km、車で2時間、山頂に白い雪が残る山々に囲まれた場所にバールベック遺跡はあった。

最高神ジュピター、酒神バッカス、愛と美の女神ビーナス。
この3つの神に捧げた、3つの神殿から成るレバノン随一の古代遺跡。
肥沃な土壌に恵まれたこの地域において、豊穣の神バールに捧げる神殿として建てられた。

神殿入口
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大庭園
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水槽
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彫刻が細かく美しい。

バッカス神殿
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神殿内部
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巨大なローマ神殿跡。
柱も神殿も綺麗に残っている。
アテネのパルテノン神殿よりも大きく、ローマ神殿跡としては世界最大級。

6つの大列柱(ジュピター神殿)
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現在は6本のみだが、かつてはバッカス神殿以上の大きさのジュピター神殿が立ち、それを支える柱として、54本の柱が存在していた。
柱は高さ約20m、直径2.5mと言われる。


ビーナス神殿
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現在の遺跡の外にある。

バールベックは紀元60年頃から、2世紀以上に渡って増築、改築された。
現在残るバッカス神殿の形や、6本の大列柱から想像するジュピター神殿には、今はそこに何もないとはいえ、その壮大さに圧倒された。


シリアに戻る前に、トリポリという町でも1泊した。
レバノン第2の都市であり、その歴史はベイルートより古く、交易で栄えた港湾都市だった。

内戦ではトリポリも被害を受け、この町の建物にも弾痕が残っていた。
2007年5月には、郊外のパレスチナ難民キャンプでイスラム過激派と治安部隊が衝突している、
危険な場所ではあるが、レバノンの北の玄関口として利用する外国人は多い。

レバノンは総じて、人のよさを感じた国だったが、トリポリは特にそれを感じた。
歩いていて挨拶をされる数も多ければ、写真とってと言われることも多かった。



レバノンは内戦も未だ「停戦」という状態で、2007年も爆弾テロが続発し、イスラエルとの関係も非常に悪く、道の至るところに検問が張られ、各地にはパレスチナ難民キャンプが点在し、戦争をリアルに感じる国だった。

しかし、そこにも変わらない日常を願って暮らす人たちが住み、どこから来たのかわからない観光客に手を振ってくれるひとたちがいた。
そんな彼らだが、心のどこかでは、まだテロや空爆などに怯えているだろうか。
心のどこかに消えない恐怖の傷を隠し持っているんだろうか。
そんなことを考えながら、無事、レバノンを出国。

再び、北上し、トルコを目指す。


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ハマの大車輪と天空の城3



ハマに来た。
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横浜ではない。
釣りバカ日誌の主役でもなければ、アメリカの軍用車をモデルにしたSUV車でもなく、もちろんMC~でもない。


ハマは水車が有名な町。
町の中心を川が流れ、昔からその水源を利用した農業がさかん。
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水車に癒されよう…と期待していたが、くさい。
川が汚くてクサイのだ。
しかも、水はほとんどない。
今、ハマは春にあたり、夏にならないと、水がたまらないそうだ。


ただ、さすが水車の町というだけあり、川沿いには、水車が点在している。
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直径20m以上のハマ最大の水車。
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一ヶ所に4つの水車が集まっている場所も。
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この4つの水車に行く道すがら、ハマっ子の大群に遭遇。
みんな駆け寄ってきて、写真撮ってとおねだり。

さらには、水車までの道を案内してくれた。
英語はほとんど話せない子ばかりで、会話にはならないが、お互い時間をかけて身ぶり手ぶりで伝え合う。
何やら子どもたちが僕に言葉を教えてくれる。
意味はわからないが、僕が同じ言葉を発音すると、みんなゲラゲラと笑う。
最初は挨拶を教えてくれた程度のものだったようだが、途中から子どもたちの笑い方がおかしくなる。
男の子はやけに喜び、女の子は気まずそう。
明らかに下ネタを言わされている。
普段は下ネタ嫌いのピュアな僕だが、教えてもらった数々の下ネタワードを連発しまくった。
どこの国でも男の考えることは一緒だなぁ(笑)


ハマから1時間
天空の城ラピュタっぽいと言われる城がある。
そう言われる遺跡に来たのは、、この遺跡で三ヶ所目だ。
カンボジアのベンメリア、ペルーのマチュピチュ
そして、


クラック・デシュ・バリエ
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12世紀半ばに聖ヨハネ騎士団の本拠地となっていた城塞。
この城は難攻不落の城として有名で、12世紀に数々の戦いで十字軍を撃破した無敵の英雄サラディーンが、この城を攻めたが、1日であきらめたという。
その後、中世ヨーロッパ城塞建築の手本にもなったという。
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外部の城壁には草木が生え、城の内部を歩けば、ところどころ日が差し込んでいる。
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確かにラピュタっぽさがある。
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巨神兵が出てきそう。


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パルミラより、この城の方が断然よかった。


シリアからトルコへ北部進撃中の私ですが、ここで一旦、手を休め、シリアの西に位置する小国へ寄り道したいと思います。
次回更新は、その模様をお伝えします。


■その他、ジブリ映画っぽい場所
(本当にモデルになったわけではなく、あくまで“っぽい”と噂で聞いたところ)
・パキスタン・フンザ(風の谷のナウシカ)
・クロアチア・ドブロブニク(魔女の宅急便)
・オーストラリア・タスマニア ベーカリー「Ross Village Bakery」(魔女の宅急便、キキのパン屋)
・オーストラリア・メルボルン(魔女の宅急便、時計塔のモデル)
・その他オーストラリアには数箇所、魔女の宅急便のモデル?と噂される場所がある。


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パルミラ遺跡 ~ほのぼの遺跡~

パルミラ遺跡のあるタドモールに到着。
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というか、タドモールの町とパルミラは歩いてすぐ。
着いてそのままパルミラ遺跡へ


パルミラ遺跡
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パルミラも、ペトラのように、紀元前から交易の中継点として栄えた。
ヨーロッパと中国を結ぶシルクロードの隊商都市だった。
入場料タダ。
約3000円(遺跡入場料としては高い)もかかるヨルダンのペトラ遺跡とは大違いの良心的な遺跡。


ま、タダなだけあって遺跡内もこんなもんかなという感じ。世界遺産ではあるんだけど…遺跡慣れし過ぎたかな…


ベル神殿
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四面門
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バールシャミン門
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列柱道路
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上のようにキレイに残っている建物もあるが、全体的に崩壊後のものが多い。
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3世紀にはローマ帝国の手に落ち、6世紀以降は、衰退の一途をたどっていったせいなのかもしれない。
ゴロゴロと柱や崩壊した建物の石が転がっており、寂しいというか、よく言えばほのぼのとしているというか・・・。



アラブ城
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パルミラ遺跡のすぐ横にある小さな山に建つ古城。
遺跡とタドモールの町を一望できる。この日はあいにくの強風で砂が巻き上げられ、何も見えず…
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空も曇り、夕日も見えず…

パルミラ遺跡観光は何とも寂しい感じに終わった。


パルミラの宿の情報ノートには、嘘かまことか、中田英寿による書き込みがあるとのことを聞いていた。
宿のオーナーに見せてもらう。

ツアーに参加した際の感想なのだが、漢字が間違っていたり、「胸キュン」という言葉が使われていたりと、ちょっと本人かと疑ってしまうような内容だった。
中田英寿の生写真もあったが、バルミラで撮ったものではないようだった(どこかの空港?)。
オーナーは、このホテルには泊まっていないと言っていたが、会ったのは本当らしい。
中田英寿は、その後の活動を見ていると、旅の中から自分の進むべき道を見出だしたように思える。

残念ながら自分はまだ…。


シリア東部のパルミラから、北部のハマへと移動し、トルコ目指して、さらに北上していきます。



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シリアに知り合いはいません。 

現在、シリアビザの国境取得が微妙な状態との情報を他の旅人からもらっていた。
もともと、シリアビザの国境取得の可否は流動的と言われていたが、最近はほとんどの旅行者が国境で取得できていると聞いていた。
しかし、アンマンからシリアに向かったが、ビザがもらえずアンマンに戻ってきた旅行者が何人かいたと聞いていた。

イスラエルに続き、またまたドキドキの国境越え!
「シリアにシリアイはいるか?」とか聞かれるのかな?


と思ってたら、難なくシリアINに成功。


で、ダマスカス到着。
ダマスカスには、人を“だますカス”がいるとかいないとか。
気をつけねば・・・!


ダマスカス
DSC07905.jpg
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人口約200万人のシリアの首都。
約4000年前から貿易の中継都市として栄えた古く歴史ある街。
建物を見るだけで、その歴史の古さを感じられる。


ダマスカスの見どころは、旧市街。
城壁に囲まれた街だ。
DSC07864.jpg
城壁を入っていくと、天井付きの、広く長い商店街が続く。
DSC07870.jpg
日本の屋根がついている商店街に似ている。

ここで、日本語を勉強をしているシリアの大学生に出会う!
こいつか!?
ダマスカスで、人をだますカスは!!
と思ったら、勉強を含めて、ただ話がしたかったらしく、無料でガイドをしてくれた。


ウマイヤド・モスク
DSC07879.jpg
イスラム教、第4の聖地。
旧市街内で一番賑やかな場所。
巡礼者や観光客が溢れている。
DSC07892.jpg

モスク内には聖ヨハネの首が納められていると言われる神殿がある。
DSC07887.jpg

モスク内では、メッカの方に向かい祈っている人びとがいる。
DSC07888.jpg


無料ガイドのシリア学生は、その後もガイドを引き受けてくれようとしていたが、残念ながら、案内してもらいたいところが特になく、撤収していただくことに。
ダマスカスは、名所を楽しむというよりは、旧市街のスークを歩いて雰囲気を楽しむところだと感じた。




ダマスカスでは韓国人宿に宿泊。

韓国人宿と言っても、公式に認められている宿ではなく、外に看板などはないが、ドミトリールームやダブルルームが用意されており、行けば日本人も快く泊めてくれる。

僕はこの旅で韓国人の優しさにとても感動した。
日本人同様、韓国人のバックパッカーも多い。
彼らは、いつもとてもフレンドリーで親切に接してくれる。
中には日本語を話せる人も多かった。
そんな気持ちもあり、この宿に泊まることに決めた。

この日は、韓国の大手電機メーカーLGのシリア駐在員の人たちが6人来ていて、お酒の席に一緒に混ぜてもらった。
乾杯をして、少し談笑した後は、日韓カラオケ大会!(なぜかカラオケの機械があり日本の歌もあった)
DSC07859.jpg
韓国人おっちゃんの演歌に手拍子をし、一緒にいた日本人バックパッカーが入れた「リンダリンダ」で、軽く飛びはねておいた。


ついでに、旅中によく耳にする韓国人男性についての話
・韓国人男性は日本人男性に比べ、女性に対してかなり紳士的。(日本人女性がよく言ってる)
・韓国人男性は兵役があるため日本人男性より精神的に強い(日韓以外の国の人でもそう言う人がいるらしい)


日本男児諸君、負けてられんですぞ!
ま、とりあえずは、WBC勝ったからいっか。

料理もおいしい、人もいい、日本から近いし、ウォンが安い。
韓国行くのもいいなぁ~!!


さて、話をシリアに戻して、次はパルミラ遺跡を観に、シリア東部へと移動します。




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プロフィール

原田 諒二                                     (はらだりょ-じ)

Author:原田 諒二 (はらだりょ-じ)
あの海の向こうには何があるんだろう?
どんな人たちがいるんだろう?
そんな単純な想いを胸に
いろんなものを見て
いろんな人と触れ合う旅の
真っ最中!!

2008年10月21日 世界一周出発

2009年9月28日 帰国

2015年1月2日 世界二周目に出発!!

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