1. Top » 
  2. 2009年04月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • Genre:

死海 ~死の海で甦るお肌~

アンマンに戻ってきた。
ここからシリアを経て、トルコのイスタンブールまで北上していく。

あっ~と、その前に忘れちゃいけない場所が!!


死海
IMG_0279.jpg
海抜マイナス410m(世界一海抜が低い)
塩分濃度が30%と非常に高く、生物が生息できないことから、「死海」と呼ばれる。
死海の海水は、通常の海水の20~30倍ものミネラル分を含んでおり、老化防止、アトピー、乾燥肌など様々なお肌の悩みに効用を持ち、また、死海の海水や泥には、汚れを吸収して除去するはたらきもあり、スキンケア商品として、全世界から注目されております。

さらに、その特殊な海水の成分によって、ただ海に入るだけで体が浮く、溺れることのない海だ。
カナヅチのアナタでもここなら大丈夫!!


ほら、浮いちゃう。
IMG_0181.jpg
新聞だって読めちゃうんだから。
おかげで顔が日焼けで真っ黒。

浮いて浮いて、先日までやってたスキューバダイビングなんてできない。
塩分だけでなく、鉱分も非常に高いため、口に入るとしょっぱいというか、苦い。
鼻に入ると痛い。
目に入るとしみる。

ジタバタせず、ただのんびり浮いているのが死海の楽しみ方。


それじゃ刺激が足りないという、ちょっぴり大人なアナタには、こちらの楽しみ方がおすすめです。
IMG_0179.jpg
泥で固めたような男です。
(先ほどの写真の黒さは、もちろん日焼けによるものではありません。)


地元民も・・・
IMG_0278.jpg
ヨルダン人のたしなみのようです。


ドロンズ
IMG_0258.jpg
真ん中の彼には負けました。
ヨルダン人もなかなかやるな・・・。


・・・というわけで、今回は、泥にまみれて、ドロンします。



ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
スポンサーサイト

ペトラ ~薔薇色の都市~

ヨルダン一の有名観光地、ペトラ。
紀元前4世紀頃から遊牧民のナバタイ人やベドウィンによって王国が作られ、隊商の中継都市として、繁栄していた。

ペトラは1日で見終わらないほど広い。

とにかく歩く。
1kmほど歩くと、シークと呼ばれる両側を巨大な岩に囲まれた細長い道が現れる。
巨大な岩が真っ二つに裂けてできたような道だ。
P4014312.jpg
P4014317.jpg
道は左右に曲折しているため、道の先は岩に隠されてなかなか見えない。
冒険心がくすぐられる、遺跡のプロローグにふさわしい道だ。
この奥の細道に導かれるように進むと、ついに終点から光が見え始める。
P4014326.jpg

その先に現れたのは・・・


エル・ハズネ
P4014328.jpg
「インディアナ・ジョーンズ~最後の聖戦~」の舞台にもなった、ペトラを象徴する遺跡。
この建物の上に乗っている壺の中に宝物があると言われていたことから、宝物殿とも呼ばれる。
P4014334.jpg
朝早く遺跡に入ったので、先に奥まで見て太陽が昇ったら、また戻ってこようと考えた。

先に進むと、他にも巨大な遺跡が目の前に立ちはだかる。

王家の墓
P4014538.jpg

宮殿の墓
P4014524.jpg
P4014514.jpg
岩と遺跡が一体化している。

凱旋門
P4014355.jpg
ペトラは551年の大地震で内部の遺跡の多くが崩壊してしまった。
凱旋門のまわりにも、たくさんの建物があったのだが、今はほとんどが崩れ原型を留めていない。
P4014364.jpg
大判焼きみたいのが、転がってたりする。


ペトラは本当に広く、一番奥のエド・ディルという神殿遺跡までは一時間ほど岩山を登っていく。
P4014483.jpg
日光の強さによる暑さと、激しい乾燥が、山道をよりハードにさせる。
遺跡内では、ドンキーによるタクシーサービスがあり、多くの旅行者が利用している。
P4014488.jpg
このサービスのすごいところ、それは、付き添いのドンキー飼いが、ドンキーを導きながら、横で歩いていくこと。
このハードな道を1日に何往復もするのかと思うと、気が遠くなる。

このようにハードではあるけれども、ペトラの良さは、この“遺跡だけではないところ”にあるのだと思う。
奇形な岩々と、迫り来るような岩山群、それと調和している神殿遺跡。
それこそがペトラだ。
P4014490.jpg
P4014510.jpg


ドンキーたちと競り合いながらなんとか目的地に着く。


エド・ディルにて
P4014471.jpg
高さ45m、幅50mの巨大神殿遺跡。
一世紀半ばに建てられたナバタイ人の神殿。

遠景
P4014460.jpg
近景
P4014402.jpg
この神殿のさらに奥には、すぐに登れる小高い岩山がたくさんあり、ペトラの周辺を、見渡すことができた。
P4014415.jpg
それぞれの谷の上にはお土産が建っている。
ここの店の人は、ここで暮らしているようだ。

谷からの景色。
P4014435.jpg
山と砂漠しか見えない・・・(見づらいけど山の向こうは砂漠)
まったく隊商はなんてところを通ってたんだ・・・

広いし疲れるし2日券があるのも納得。

また、ペトラは、陽のあたり具合や天候で、様々な色の変化を見せる。
一日に50もの色の違いを見せると言われ「バラ色の都市」とも呼ばれる。
その、バラ色の都市の象徴と言われるのが、前半に紹介した、インディアナジョーンズにも出てきたエル・ハズネだ。
エルハズネは岩に囲まれた場所にあるため、日照時間が短い。
この日は朝一で行ったため、まだエル・ハズネに陽が当たっておらず、先に一番奥にあるエド・ディルを目指した。
そして、エル・ハズネに陽があたる頃に戻ったが・・・

がび~ん
P4014573.jpg
陽が当たってない~

ちょっと明るくなっても・・・
P4014574.jpg
確かに様々な色を見せるのはわかるが・・・
P4014545.jpg
遅かった・・・
すでに太陽は通り過ぎていた・・・

ペトラの鮮やかなバラ色を見ることはできず、トボトボと徒歩で帰りました。トホホ・・・



ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ワディ・ラム ~砂漠という名の極上のデザート~

なんだかんだダイビングが終わったあとも、4日ほどダハブに滞在していた。
ブログの記事作成をしながら、のんびりしていた。
やはり、ダハブは気持ちがいい。
いつの間にか僕もダハブの居心地のよさにハマッてしまっていたようだ。

しかし、いつまでもノンビリはしていられない。
ここエジプトから、トルコ・イスタンブールまで中東を縦断する。

行きにヨルダンから来た道を引き返す。
再び、フェリーで紅海を渡るのだが、このフェリー、行きこそ時間通りに出航したものの、欠航や遅延が多くて有名。
少し風が吹くと、すぐに運転を見合わせるらしい。
乗り場に着いて6時間、やっと船に乗る。
そして、船に乗って、さらに2時間待ち。
3日間欠航で、船を待った人もいるくらいだから、まだマシか。
対岸のアカバに23時頃着いたため、アカバに1泊し、次の目的地には、翌朝向かうことに。



次の日、向かうは、ワディ・ラム
アラブ系遊牧民族“ベドウィン”が住む砂漠地帯だ。

遊牧民族といっても、現在、大部分のベドウィンは、政府の定住政策の影響もあり、砂漠での遊牧生活をやめ、砂漠の入り口から数キロの地点にある村に定住している。
身なりも、町で暮らす普通のアラブ人と変わりない。
子どもたちは村に設けられた学校へ、大人たちは、4WDやロッククライミングのガイドをして、生活している。

そんなワディ・ラムでの観光の醍醐味は、ベドウィンのガイドによる砂漠の4WDツアーと、砂漠にあるテントに宿泊すること。

さっそく、ガイドブックに砂漠入口から5キロほどと書かれているラム村を目指す。
タクシーはないから、ヒッチハイクで行けと言われ、初ヒッチに挑戦。
拾ってもらったことは何度もあるけど、自分から、「乗せて~」と親指を立てるのは初めて。
タダで乗せろってことだから、堂々とやるのは、なんだか気が引ける。
モジモジしながら控えめにヒッチ開始。
しかも、車の数が少なく、なかなか止まりもしない。
5キロ程度なら歩いてしまおうと思いきや、明らかに5キロ以上歩いているのに、村が見えない。
これ砂漠だもんな。道路がなかったら、一巻の終わりだな・・・。
本気で乗せて欲しくなると、上げる右腕の角度が変わり、立てる親指も反り返る!

僕の元気いっぱい勇気100倍の親指に反応してくれたトラックが乗せてくれ、無事に村に到着。
そして、即、4WDツアーに合流!!
砂漠へ繰り出した。

ベドウィンのドライバーさん
P3304082.jpg
ごめんなさい。名前忘れちゃった。
けど、運転はプロ級。
砂漠では下手だとスピンや止まってしまう。
ドリフトみたいに滑らせながらも、しっかりラインをキープ。
ベドウィンの土屋圭市(ドリフトキング)。

ツアー中の景色
P3304085.jpg

砂漠の車窓から
P3304128.jpg

砂漠feat.ベドウィン
P3304125.jpg

ここワディ・ラムは、映画「アラビアのロレンス」の舞台にもなっている。
イギリス人将校ロレンスがベドウィンを率いてトルコ軍と戦うという内容の映画である。
というより、この映画は実話が元になっていて、このワディラムに、ロレンスのゆかりの地が残されている。

ロレンスの家
P3304177.jpg
現在はすでにボロボロ。

南米やイエメンでも、移動の最中などに砂漠地帯は見てきたけれど、砂漠の中と外では全然、景色が違う。
音のない音がする。風が聴こえる・・・。
何をくさいこと言っとんじゃと思うかもしれないけれど、ほんとにそうなんじゃい!
嘘だと思うなら、いますぐ鳥取砂丘へ!

また、ワディ・ラムが他の砂漠と違うのは、ただの砂漠ではないところ。
というのは、この砂漠の景色は、“砂漠+巨岩”なのだ。
P33041221.jpg

P3304163.jpg

その巨岩もただの巨岩ではない。
赤く、溶け出したような形で、いまにも動き出しそうな、今でも岩が溶け出し流れ出ているような独特の威風を持つ。
P33041211.jpg
赤い砂漠と見たこともない巨大で奇妙な形をした岩山群・・・
これが地球上の風景かと思ってしまうくらいだ。
まるで違う惑星に来てしまったようだ。
P3314229.jpg
P3314220.jpg
P3314215.jpg
P3314214.jpg




石の橋
P3304206.jpg

砂山にも登った。
P3304136.jpg
砂時計の砂のようにサラサラなので、踏み込むたびに足が埋もれて、なかなか前に進めない。
とっても疲れる。
でも、サラサラ感が気持ちいい。
P3304130.jpg
穴を掘ろうとしても、次々に砂が流れ込んできて、掘れない。
まるで、液体のような砂だ。




砂漠の4WDツアーは夕方前に終わり、宿泊するキャンプへ。
P3304208.jpg



そして、サンセットを待つ。
P3314238.jpg
P3314234.jpg
P3314233.jpg
P33142541.jpg
音のない広大な場所での夕日・・・
ボリビアのウユニ塩湖を思い出す・・・
夕日はいつも同じはずなのに、見る場所によって、全然雰囲気が違う。


そして、夕食。
ベドウィンはこのキャンプに住んではいないが、旅行者がいるときには、ベドウィンのガイドが1人、このキャンプに泊まる。
夕食と共に、アラビア音楽を演奏してくれた。
P3314275.jpg
砂漠のテントで火を囲みながら 遊牧民ベドウィンが奏でるアラビア音楽に身を任せる・・・
僕は今、アラビアにいる・・・。
なんて素敵な時間なんだろう。


そして、外へ出ると・・・
目の前に信じられない数の星たちが光を放っている。
砂漠の星空はレベルが違う・・・
星座の教科書そのもの。

思わず寝転がって空を見上げる。
月は皿のような薄っぺらい三日月。
すでに沈みそうな位置にある。
まるで、僕と一緒に寝転がって星を見上げているかのよう。
午前零時前、月が太陽を追いかけるように早々と岩山の向こうで静かに眠りについた。

夜空のシアターでは、星たちだけの時間がはじまる。
月明かりがなくなり、さらに輝きが増した星たち。
無音の星空のなか溶け込む・・・

宇宙にいるんだなぁ・・・。

無音の星空の中にひとり・・・

旅のはじまり、オーロラを探し続けたアラスカ・フェアバンクスの空を思い出す・・・

あと少しで、あれから半年が経とうとしている。
いまがこの旅の折り返し地点。

流れ星に旅の安全の願いを込めて、おやすみなさい・・・


とか、ロマンチスト兼ナルシストっぽく、かっこつけた感じだったんだけど、
静か過ぎて寝れん!
静か過ぎてうるさい!
静かだけど、静かにしてくれ!!
ちょっと眠りにつけても熟睡できん。すぐ目が覚める。
早く寝たいから、だれかうるさくして~!

というわけで、疲れが残ったまま、ワディラムの砂漠をあとにした。





ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ダハブでダイブ、ダイジョウブ?

翌日からオープンウォーターのダイビングコースがスタート!

人生初ダイビング!

※ダイビング講習中は写真を撮れなかったので、文章中心の記事になります。
P3210009.jpg
器材をチェックしていざダイビング。

紅海は透明度が世界一とも言われる、ダイビングの聖地の1つ。
(ちなみに日本の沖縄も世界有数のダイビングスポット)
とは言うけれども、最初はまだ何もできないヒヨコちゃんなので、珊瑚のあるところなんて行けない。

というわけで、最初はスキルの練習をした。
スキルとは、水中で何かトラブルが発生した場合の対処のこと。

一例をあげると・・・
・マスクに水が入ったとき
・タンクの空気がなくなってしまったとき
・器材が故障してしまったとき
・一緒に潜っている仲間に異変が起きたとき

まず、インストラクターさんが手本を見せてくれて、その後、講習生が1人ずつ実技を行う。
海に潜る前に陸で軽く練習していくのだが、水中でやると、うまくできないこともよくあって、なかなか難しくて面白い。

オープンウォーターのコースは自分を含めて4人でスタートした。
そのため、他の人が実技を水底(6m~9m)でじっと待つ。
これが、かなり寒い。
やることといえば、呼吸くらい。

ダイビングはゆっくり大きく呼吸するのが基本。
待ちながら大きく呼吸をしていると、ものすごく時間がゆっくりに感じる。
そして、空気って美味しい、空気ってありがたい、肺は年中無休でよく頑張ってくれてるな、とかしみじみ思ったりする。

スキルの練習のほかには、「ホバーリング」という、水中で動きを止めても、沈みもせず浮上もしない状態を保つ練習をした。
これができないと、沈んで珊瑚に触れて傷つけてしまったり、早く浮上してしまい、急な圧力の変化が原因で起こる病気になってしまうからだ。
最初はこれがなかなか難しい。
ちょうどいいさじ加減がわからず、動いちゃいけないのにジタバタして注意される。

それでも、回数を潜るうちに形にはなってきた。
ダイビングは浮力調節ができると楽しい!

さて、ライセンスというだけあって、やはり実技だけというわけにはいかず、ちゃあんと机に向かったお勉強もある。

毎日、朝起きて、海に潜って、テスト勉強。
そしてまた遅れるブログの更新(笑)

ダイビング講習中は、ちょっと部活みたいで楽しかった。
ちなみにダイビング講習は結構リタイアする人も多いらしい。
理由は、水への恐怖感や、スキルがうまくできないなど。

僕はなんとか、筆記テストをパスし、オープンウォーターのライセンス取得を祝してブラジル以来1ヶ月ぶりのお酒を飲んだ。

次の日から始まったアドバンスの講習では、あまり難しいことはなく、ダハブのダイビングスポットで何本か潜り、難なくアドバンスのライセンスを取得!
P3210010.jpg
水中での「了解」を表すサイン。


今まで興味も縁もなかったスキューバダイビング。
今回はこれも何かの縁と思いやってみた。

海の中は、陸の上とは別世界。
目の前を横切る鮮やかな魚たち、岩壁に張り付く様々な形の珊瑚、珊瑚から噴き出す無数の泡、岩の間の陰の神秘、底の見えない深い青、透明な海から見上げる太陽・・・

見たことのない魚も、テレビや水族館で見たことのある魚も、“今、自分で見ている”という喜び。
これがダイビングの醍醐味だろう。
やっぱり何でも体感すること、「現場」が素晴らしいんだなと感じた。

そんなこんなで旅日記というより、ダイビング日記になってしまったけれど、無事にライセンスを取得し、やっとブログの更新を再スタートさせたのでした。



ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

エジプト ~噂のダハブ~

当初、エジプトには行く予定はなかった。
大学の卒業旅行でカイロにピラミッドを観に行ったことがあったからだ。
もちろん、エジプトには他にも砂漠や遺跡が数多くあるのだが、中東の他の国をたくさん見たかったので、行かないと決めていた。

しかし、これまでに会った多くの旅人たちが、口々にダハブがよかったと言っていたため、行くことを決めていた。

アンマンから南下し、ヨルダン最南端のアカバという町からフェリーに乗り、紅海を渡る。
そして、エジプトのヌエバから、バスでダハブへ。

1日でダハブに到着。
P3283974.jpg
ついに、噂のダハブに来た。
P3223917.jpg
想像していた町とは全然違ったダハブの町。
ものすごく整然としていて美しいビーチリゾート。

バックパッカーに評判の地は、だいたいもっとゴチャゴチャしていたり、逆に何もない落ち着いた場所だったりするのだが・・・

青々とした海がありーの、
P3223914.jpg


オシャレ~なレストランがありーの、
P3294067.jpg
P3294076.jpg

小奇麗なお土産屋がありーので、
P3203876.jpg

想像と違ったダハブにちょっと困惑。
落ち着かない感じさえした。
しかし、世界の名立たるビーチリゾートに比べ、物価は安く、貧乏バックパッカーでもリゾートを気分を味わえる場所という意味では、ありがたいところだ。


ダハブをすすめてくれた旅人たちの話では、ダハブはスキューバダイビングのライセンスを、非常に安い価格で取れるということで、実際、ダハブに行ってきたという旅人の多くがライセンスを取得していた。(アドバンスまで世界一安く取れるとの噂も。)
僕は、ダイビングには興味はなかったから、ダハブに行ってから、そのときの流れで決めようと考えていた。

で、取る流れになった。

ダハブにはダイビングセンターが軒を連ねている。
宿とダイビングセンターの両方を兼ねているところも多く、ここの宿も、噂に聞いていた宿に決めた。

セブンへブン
P3223910.jpg
P3223912.jpg


日本人インストラクターが常駐しており、日本語でダイビング講習が受けられる。(2009年3月現在)
ここに宿泊し、ダイビングを習う。


僕が取るライセンスの種類は、「オープンウォーター」と、「アドバンス」というもの。

オープンウォーター・・・18mまで潜ることができる。ダイビングのパスポートのようなもの。
アドバンス・・・30mで潜ることができる。

日程は5日間。
バックパッカーが多く集まるところだけに、日程調整をしてくれる。

早速、翌日からダイビングの日々が始まる。


ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ベツレヘム ~別離ヘムの分離壁~

エルサレムから南に10Km。
イエス・キリスト生誕の地が、ここベツレヘムにあると言われている。


ベツレヘム
P3173571.jpg
P3173566.jpg
毎年、衛星中継されるクリスマスのミサは、ベツレヘムで行われているもの。
(写真の教会とは別の、生誕教会と連なる教会で行われている。)


生誕教会
P3173578.jpg
P3173583.jpg
325年にコンスタンティヌス大帝によって建てられた教会。
この教会の地下洞窟でイエスは生まれたとされている。
(大帝の母が言ったと伝えられている)

イエスが生まれたとされる場所には銀の星形があり、祭壇となっている。
ここを訪れる人々は、みなそこに触れ、各々祈ったりしていた。
P3173624.jpg
僕はキリスト教徒ではないので、なんとなく、手を触れることに気が引け、ただ、その様子を見ていた。

信じるって何だろう?
神様って何だろう?
宗教って何だろう?

考え出すとキリがない。
こういう地に来るとどうしても考えてしまうが、難しく考えないのが一番だなと思う。
自分はそれでいい気がする。



■分離壁

ベツレヘムはパレスチナ自治区。
ここはイスラエルではない。
2002年には、イスラエル軍とパレスチナ人の銃撃戦があったという。

ベツレヘムとイスラエルを分離する壁があると言うので見に行った。


分離壁(パレスチナ自治区側)
P3173670.jpg
PALESTINAの文字が・・・

P3173688.jpg
そう、ゲームじゃないのに・・・。

P3173681.jpg
「隣人愛」は神も説いていたはず・・・。

僕は、今回のイスラエル観光で、一番衝撃を受け、印象に残ったのは、ここだった。
直接的なメッセージ、間接的なメッセージ、ユニークな写真や、皮肉った絵・・・
どれもこれも、ドスンドスンと強く心に響いてきた。

P3173712.jpg
この5本の指は、仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教を表しているようなのだが・・・

P3173689.jpg
いますぐに・・・

P3173690.jpg
この壁を除いて・・・


平和を訴えている人たちがいる。
世界平和を願っている人たちがいる。
だけど、そこには壁がある。
ここではそれがハッキリとわかる。

この壁に書かれたメッセージは、壁の向こう側からは見えない。
分厚くて、固くて、冷たい、灰色の壁。

世界を知れば知るほど、平和って何のことだかよくわからなくなる。
出口なんて見つかるのかという気になる。
P3173686.jpg
こんな風に簡単に平和への扉が開かれればいいのに・・・


誰が鍵を持っているんだろう。
鍵を隠してしまっている人たちが絶対にいる。
人の命まで絡んでいるのに・・・

出口なんて、ないのかな。




ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

聖地エルサレム ~微妙な三角関係~

入国後すぐにエルサレムへと向かう。
国境からは車で30分ほど。

エルサレムは聖地。
それも、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の聖地・・・。
宗教的にとても複雑な場所だ。


3つの宗教それぞれの聖地がエルサレムの旧市街にある。
・キリスト教の聖墳墓教会。
・イスラム教の岩のドーム。
・ユダヤ教の嘆きの壁。
これらを中心に、聖地エルサレムの要所を紹介していきます。

まず、エルサレム旧市街は8つの門と城壁に囲まれており、それぞれの宗教の聖地もこの旧市街内にある。


ダマスカス門
P3183860.jpg
8つの城門の中で一番立派で、賑わっているダマスカス門。
たいていの旅行者はここから旧市街に入る。
ダマスカス門を入ると、両脇にたくさんの商店が並び、たくさんの声が飛び交う。
P3163354.jpg
P3183813.jpg
聖地とされている場所が点在するこの旧市街で、こんなにたくさんの商店が並び、日常的に人々が行き交っているとは想像していなかった。
それでも、どこか不思議な雰囲気を覚えるのは、やはりここが聖地という意識を人々が持っているからなのだろうか・・・
自分の信じている宗教の聖地に暮らすということは、いったいどんな感覚がするものなのだろうか・・・
仏教徒の僕にはわからない感覚だ。
いつもの調子でふざけて、聖地を冒涜しないよう、慎重に気をつけて見て回った。


まずはキリスト教の聖地から。

ここエルサレム旧市街は、イエス・キリストが裁判で有罪になり、十字架を背負いゴルゴタの丘まで歩いた場所。
以前、日本でも話題になった映画「パッション」の中でも描かれている、あの場所だ。
そのイエスが歩いた道のりが今も残されている。


ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)
P3183819.jpg
P3183823.jpg
イエスが十字架を背負って歩いた、ゴルゴタの丘までの道のり。(約1キロ)

“イエスが倒れこんだ地点”“イエスが女性に話しかけた地点”なども言い伝えられており、キリスト教徒は、十字架を背負って、その道をたどる。(必ず背負うわけではない)
そして、その終点が・・・


聖墳墓教会
P3183733.jpg
イエスが磔刑にされたゴルゴタの丘の場所に建てられた教会。
ローマ皇帝コンスタンティヌスの母によって建てられた。

イエスの十字架が建てられた場所もある。
P3183734.jpg
この階段の上と言い伝えられている。


教会に入るとすぐに四角い墓のような石が目に入る。
P3183742.jpg
十字架からおろされたイエスに香油を塗った場所とされる。


キリストの墓
P3183760.jpg
↑墓の入り口
P3183768.jpg
P3183769.jpg
↑墓石と、墓石の上のキリスト像
キリスト教各派が共同管理しているイエスの墓。


墓の手前にある石
P31837761.jpg
キリスト教では、ここが「世界の中心」「地球のへそ」と言われている。




次は、イスラム教の聖地。

岩のドーム
P3173522.jpg
預言者ムハンマドが、ここで昇天したと言われている。
メッカのカアバ、メディナの預言者のモスクに次ぐ、第3の聖地。
ここには、ユダヤ教、キリスト教も聖地を主張している、「聖なる岩」が祭られている。



最後にユダヤ教の聖地。

嘆きの壁
P3173483.jpg
P3173508.jpg
P3173480.jpg
ユダヤ教において、最も神聖な地。
ユダヤ戦争(ローマ帝国とユダヤ人の戦争)で破壊されたエルサレム神殿の外壁の一部。(西側)
ユダヤ人は、「西の壁」と呼ぶ。
ユダヤ人は年に一度、許可されていた来訪の際、この破壊された神殿の壁で祈った。
そして、もとのように、この聖地を取り戻し、祈りをささげられるようにとの願いを紙に記し壁の隙間に挟んだ。
そして、夜露が、壁に生える草(ヒソプ)という草を伝って落ちていく様子が、彼らの涙のように見えたことから、嘆きの壁と呼ばれるようになったそうだ。

(単に破壊されたことを嘆いて・・・など、由来については諸説あるようだ)
ちなみに、キリスト教も、イスラム教も、ユダヤ教から発展した宗教である。

嘆きの壁に向かって祈るユダヤ人
P3173550.jpg
聖書を開き、頭をお辞儀のように前後に動かしながら祈る。
ちなみにこれがユダヤ人の正装。
黒いハットに黒いスーツ、もみ上げを長く伸ばし、後頭部は髪の毛を剃っている。
「びんぼっちゃま!?」
と言いたくなるのをこらえて・・・と思ったけど、日本語通じない(日本語できてもびんぼっちゃまわかるユダヤ人はきっといない)から思いっきり口に出したけど、とにかく笑わないように真面目な行動をした。


ユダヤスタイル
P3173554.jpg
頭にある白いのは、キッパ。
神に尊敬の意を表すため、入り口で紙製のものが配られ、旅行者も被らなければいけない。
被らなければいけないんだけど、このカツラ、被ってはすぐ落ち、被ってはすぐ落ちる。精度が悪い。
いらつく。
んで、もちろん嘆く。

注;見ている紙はガイドブックのコピー。


エルサレムは、数々の国を旅してきた中でも非常に印象深いという旅人も結構いたが、仏教徒の僕にとっては、ただ理解をすることができない場所というだけだった。
宗教のことに関しては、もともとの感覚が違うし、自分にはどうやっても理解できないが、世界の平和を揺るがす一つの種になっているのは事実で、それについての知識を深められたのは良いことだったと思う。


ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

イスラエル入国物語 ~ノースタンプでフィニッシュ!?~


イスラエルというと、危険なイメージを持っている人が多いはず。
突然、イスラエルに行くと言い出す人がいたら、コラコラと、慌てて止めるだろう。
僕も、出発前はそういうイメージだけだった。

実際、イスラエルでは最近も、パレスチナ自治区であるガザ地区への空爆などが起こっており、周辺国との関係も悪く、非常に危険な国には変わりない。
しかし、危険な場所は、一部の地域に限られ、観光客や一般の外国人が毎日、この国の国境を往来している。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地、エルサレムがあることが大きな理由だ。


そんなイスラエルは、旅行者の中では、少し変わったことでも有名。
何が有名なのかというと、入国スタンプだ。
イスラエルは、皆さんご存知の通り中東諸国と仲がよろしくない。
パスポートにイスラエル入国スランプがあると、入国を拒否する国がいくつかあるのだ。
シリア、レバノン、イエメン、パキスタンなどだ。

よって、イスラエルに行った後はこれらの国にいけなくなってしまう・・・
のだが、実は行っている旅行者は多い。というより、ほとんどの旅行者は行っている。

それはなぜか。
皆、イスラエル入国の際に「スタンプ押さないでぇ~!」とお願いしているのだ。
すると、パスポートではなく別紙にスタンプを押してくれる。(キングフセイン橋の国境に限る)
とはいえ、この成功率は100%ではない。
たまにお願いしているのにも関わらず押されてしまう不運な旅行者もいるのだ。
押されてしまったら仕方がない。
そのパスポートでは上記の国に入国できない。

僕は、今後、シリア、レバノン、パキスタンに訪問する予定なので、スタンプをもらったらアウトだ。

そんなドキドキ、イスラエル入国審査へ、いざ出発!
果たして僕に下される“最後の審判”はいかに・・・!

キングフセイン橋を越え、いよいよイミグレーションへ。

まず、荷物をX線に通し、見たことない機械に入り、“謎の空気プシュ検査”(スピード証明写真機くらいの大きさの機械に入り、頭から足下まで、両側から全身に空気をプシュっとかけられる)。
謎の空気プシュ検査をクリアし、イミグレーションの列に並ぶ。

イスラエルは女性も兵役のある国。
しかし、さすがに前線に女性を送り込むことはなく、女性はイミグレーションなどの事務的な任務に就くことが多いようだ。
そして、イスラエルに行ってきた人たちの間では、このイミグレーションの女性たちは、美女軍団と評判。
美人のお姉さまにお願いするのなら、悪くない気もするが・・・
・・・実際はあんまり笑えない。
確かに美女がいるが、そんなことより、「ノースタンプ、プリーズ」で必死。

そして、プライド高そうな美女から、次々と質問が飛んでくる。
他国では質問されないことも聞かれる。

「なぜイスラエルの入国スタンプを押してはいけないの?」
「トルコに行くからです」
「飛行機で行けば問題ないでしょ?(押すわよ?という目つき)」
「いや、そ、その前にシリアを通るからです」
「なぜ?」
「観光です。それと、お金がないので陸路で行きたいのです。」
すぐに、答えのスキをついてくる。


「イエメンにはなぜ行ったのか?」
「観光です」
先に上で挙げた、イスラエルの入国記録があると、入国拒否をするイスラムの国々。
その国々への入国記録があると、イスラエル入国の際に、別紙を記入し待たされ、時間がかかると聞いていた。
僕はイエメンへの出入国の記録があるので、長時間は覚悟していた。
そして案の定、別紙長時間コースへ。


その後、アヴリルラヴィーンみたいな姉ちゃんに、裏へ2度ほど呼び出しを食らって、イスラエル滞在について、また簡単な質問をされる。
公の機関なわりに、髪型や服の着こなしはある程度、自由なようだ。
空気プシュ検査のところにいた係員の兄ちゃんは、スパイラルパーマにカチューシャをしていたし、ズボンを落として穿く、いわゆる“腰パン”をしている女性係員も多く見た。

そして・・・また呼び出し。
今度は、入国スタンプを片手に持った、笑顔の素敵な清純派美女が待つ窓口。
ついに最後の審判のときだ。
こんな清純派美人に押されるなら・・・
いやいや、まずい、まずいぞ。


「ノースタンプ?」
と、Sな笑みを浮かべながら聞いてくる。
「イエス!!イエス!!」
・・・おもしろがってやがる。
かわいい顔して、からかいやがって・・・
そういうの嫌いじゃないけど。


「OK!」と言って、清純派の右手が振り下ろされる。
・・・バチン!!(スタンプ音)


見事別紙にスタンプ!
ノースタンプでフィニッシュ。


約4時間弱の戦い。
無事イスラエルに入国。
イスラエルの旅模様は、また次回ということで・・・



ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

ヨルダン・アンマン ~複雑な人種のるつぼの中に咲く花~


ヨルダンのアンマン・・・

南米から中東に飛んでくる飛行機の中で、映画を観た。
タイトルは「ワールド・オブ・ライズ」。日本でもすでに公開されている。
中東を舞台に、米CIAが過激テロ組織を殲滅させるべく、様々な作戦・駆け引きで戦う様子を描いた映画。
現地工作員をレオナルド・ディカプリオ、その工作員にアメリカから指示を出す上司をラッセル・クロウが演じている。
そんな明らかにイラク戦争を連想させる映画なのだが、その映画で、ディカプリオ演じる工作員が拠点とし、話の中心になっている町がアンマンだった。
映画のストーリーの中では、簡単にテロや殺人が起こる。
現実の世界においても、映画のようなことが起こっている中東。
不安を抱きながらも、いよいよ、そこへ降り立った。



アンマン
P3143249.jpg
(※写真データを紛失したため地味な郊外の写真に・・・実際はもっと賑わっている都市です。)
アンマンは中東戦争によって、イスラエルに戻れなくなったパレスチナ人が多くいる町。
また、レバノンの内戦や、イラク戦争から逃れてきた避難民も多く、非常に複雑な民族構成になっている。
他国からの避難民が多いことからもわかるように、アンマンは治安がよい。
しかし、パレスチナ人をはじめとした避難民と、ヨルダン人とのあいだでは、差別問題も色濃く残っているという。


キングフセインモスク
P3153263.jpg
アンマンのダウンタウンの中心地。
首都の中心にあるモスクにしては、地味な印象。
前を通ると、がらりとした内部が見える。
がらりとしているのは、イスラム教では偶像崇拝を禁止しているため。

イエメンを見た後なので、アンマンの町並みは、どこか殺風景で寂しく映ってしまう。
それは人に対しても同じで、急ぎ足で歩くヨルダン人が冷たく見えてしまう。
あれ?イエメンシックになっちゃったか・・・?

しかし、そんな不安も、“彼”を見ていると吹っ飛んだ。
日本人旅行者の間では有名人のサーメルさん。
P3193866.jpg
彼は、宿の従業員。
昔から宿の従業員。
ただちょっと特別な従業員。

サーメルさんは、アンマンで15年以上ホテルの従業員として働いているパレスチナ系ヨルダン人。
彼もパレスチナ系ヨルダン人ということで、不平等に苦しむ人生を過ごしているが、ホスピタリティ精神溢れる性格で、日本人の旅人たちから慕われ続けている。
彼もホテルに来る旅人たちが大好きで、その中でも特に日本人旅行者の優しい心が好きだという。
日本人バックパッカーの間では有名で、最近は数軒のホテルを転々と移動して働いていたので、“サーメルさんの現在地”がよく話題になっていた。

2004年10月にイラクで起きた、香田証生さんの誘拐・殺害事件の時には、香田さんが最後に泊まっていたクリフホテルで働いていた。
イラクへ行くという香田さんを何度も説得したが止められず、仕方なくバスを手配し送り出した。(その後すぐに日本大使館に保護を依頼する連絡をした。)
事件後、日本を含む各国のメディアから叩かれ、ヨルダン国内では逮捕もされたという。
香田さんのイラク行きを止められなかったことを強く後悔し、苦しんでいたが、多くの旅人に励まされ、現在もホテルの従業員を続けている。
サーメルさんの夢は自分の宿を持つことで、そのホテル名に香田さんの名前を入れることだった。
現在働いているマンスールホテルは、別名を香田ホテルという。
このホテルは、サーメルさんがオーナーの宿ではないが、別のオーナーと一緒に、マネージャーとして(マネージャーといってもフロント業務などを行う普通のホテルスタッフ)始める際に、国に“香田ホテル”という名前を申請しさせてもらったという。
しかし、国には認められなかった。
それでも、宿の入り口にはマンスールホテルという名前の他に、コーダホテルという文字の入った看板が掲げられている。
(この文章は、2009年3月現在、マンスールホテルにある、サーメルさんの持つ情報ノートや、旅人たちがサーメルさんの話を訳して活字にした“サーメルストーリー”に基づいて書きました。)

香田さんが最後に宿泊したクリフホテル
P3153270.jpg
当時サーメルさんはここで働いていた。


マンスールホテル(香田ホテル)
P3143251.jpg
クリフホテルと目と鼻の先にある現在サーメルさんが働いているホテル。


僕がサーメルさんと接した感想は、やはりとても親切で優しい。
伝えようとしていることをすぐにわかってくれるし、わかってくれようとしてくれる。
いつも旅人に気を遣い続けている人だと思った。
旅人の間では有名人なので、オーラのある人を想像していたけれど、全くと言っていいほどオーラや驕るような感じはなく、逆に気弱そうで少し頼りなさそうな印象を受けるような人だった。
でも、そこが彼が旅人から慕われるところなのだと思う。

2009年2月には日本人女性と結婚したサーメルさん。
お二人とも、お幸せに、そして、いつか自分の宿を持つという夢を叶えてほしいと思う。
※近日中にサーメルさんはマンスールをやめて、一度日本へ行くとのことで、マンスールを訪ねてもサーメルさんには会えません。
詳しくは、MIXIコミュ「サーメルの宿」や、中東各地の宿にある情報ノートでご確認ください・・・

そんな香田ホテルはとても居心地がいいが、アンマン自体は中東旅行者の中継地点といった感じで、面白みはない。
少し休んで、また次の目的地へ・・・。



■ドバイ・リベンジ
イエメンに行く前に1泊だけしたドバイ。
そして、とても印象の悪かったドバイ。
アンマンに行く前に、飛行機の経由地として、再びドバイに降り立った。
せっかくなので、有名な建物だけ見て行くことにした。

バージュ・アル・アラブホテル
P3133220.jpg
ドバイと言ったらこれ。という感じの、ドバイを象徴する建物。
7つ星ホテルであり、予約者以外は、ホテルに立ち入ることもできない。

僕も何かの間違いでここに泊まりに来ることがあるのだろうか・・・


現在、まだまだ建築中のビルが多かったドバイ。
外国企業、外国人労働者が溢れているドバイ。
華やかだけど色がないこの人工的な町は、これからどういう姿になっていくのだろう。




ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

幸福の地から絶望の空へ


サナアを離陸したのは深夜1時。
シャルジャ(ドバイの隣のUAEの首長国)へ向かう機内は空席だらけでガラガラ。
三列シートで横になる乗客もチラホラ。

登場してすぐ、機内説明のアナウンスが入る。
どうやらアナウンスは機械によってリピート再生されている。
僕の座席の後ろに、しっかりとムスリム服とターバンを着用し、白く長い立派な髭を蓄え、皆から「長老!」と呼ばれそうなおじいさんが座った。
機内アナウンスが一巡し、再び最初から流される。
機械によって「こんばんは」という挨拶が流れる。
すかさず後ろの“長老”が、「こんばんは」と声を出して挨拶を返す。
おじいさん、これは機械の声だよと教えてあげたくなる。
でも誰だかわからない人にも、しっかりと挨拶を返すなんて、えらいなと素直に思う。
アナウンスが再び一巡し、「こんばんは」の挨拶からリピート。
再び、後ろから「こんばんは」と長老の丁寧な挨拶が聞こえる。
一回目より声に力が入っている。
「長老!!悪ふざけが過ぎますぞ!!」
と心の中で突っ込んでみる。
そして三巡目のアナウンスに・・・
長老「こんばんは」
「もうええわ!」

長老はきっといい人だ。きっとイエメン人だろう。
と、勝手にイエメン人びいきの考えが浮かんでしまうほど、いつのまにか僕はイエメンを好きになった。
夜のサナアの街は暗く、上空から町の灯りを確認することはできなかったが、それでもよかった。
サユーンからサナアに飛行機で夕方に戻り、深夜の飛行機の時間までサナア旧市街を歩き回って、しっかりお別れをしてきたから。
その際、運良く結婚式の風景も見ることができた。
最後の最後まで「幸福のアラビア」に浸りツ続けることができた。

イエメンの余韻に浸りながら、飛行機の3列シートに横になり目をつぶった・・・。


そして、突然の機体の急浮上で目が覚める。
あまり感じたことのない急浮上の感覚だったが、着陸ギリギリまで寝ていたい気持ちが強く、シートベルトを締め座りなおし、もう一度目をつぶる。

しかし・・・
再び目を覚ましたのは機長のアナウンス。
あまり聞き取れなかった。
多分、何らかの理由で旋回するという内容だと思う。
少し機内が慌しくなる。
機体が傾いている。
女性乗務員が機長室に出入りしたのが見えた。
機体は今までに体験したことがない角度に傾く。
機首が極端に上がったり、そのままの状態で左や右へ旋回したり・・・
乗客たちの表情も変わってきている。

ななめ後ろの通路を挟んで向こう側の座席に座っている乗客が、僕の後ろの長老と話している。
話しに割り込んで、機長が何と言ったのか聞く。
すでに機体は左、右に旋回しているのではなく、なんとか平行に安定させようという動きに変わっている。
そして、それができず、左、右に傾き続けたり全く安定しない。
機首と尾翼のバランスもおかしい。
スピードも出ていない。
明らかに空をさまよっている。それ以外に表現のしようがない状態。
長老と話していた乗客が答える。
「何でもない」
こういう状況で一番欲しくない答えだ。何でもないはずがない。
現に、俺とあんたの目線の高さが全然違っているだろう!と思うが、言葉が出せない。
明らかに何か異変が起こっている状況での「何でもない」ほど、怖いものはない。
ただ、明らかに取り乱し始めた僕を、なんとか落ち着かせようとしてくれているのがわかる。
「本当に何もないのか?」と聞き返す僕の言葉にかぶせる様にして、すかさず、「どこの国から来たんだ?」「次はどこへ行くんだ?」「イエメンはどうだった?」などと、聞き返してくる。
全ての質問に一言の短い返答をし、「本当に大丈夫なのか?」と何度も聞く。
「大丈夫だ。何もない。」と何度も笑顔で答えてくれる。
おじいさんも何かを話した。
チラッと「インシャアッラー」と聞こえた。
イスラム教徒がよく使う言葉だ。
神のみぞ知るといったような意味だ。
こんなときにそんなこと・・・。
でもこんなときだから、なのか・・・。

祈り始め、ブツブツ何かを唱え続けているムスリムがいる。
やっぱりそういう状況になってきているんだ・・・
向かい側の座席には、窓の外を見て絶望的な表情を浮かべ天を仰ぐ乗客もいる。
逆の翼に異変が見えるのか!?と不安になる・・・
通路に顔を出し、後方に座る男性乗務員の様子を見てみる。

どこかとつながっている電話で話をしている。
機長室だろうか、空港の管制塔とかそんなところだろうか・・・
その話が終わり受話器を戻すと、下を向き両手で頭を抱えはじめた。
表情は歪みイラついているように見える。
落ち着きがない。

やめてくれ・・・

僕は震えが止まらなくなる。
のどがカラカラでつばが飲めない。
窓の外を見る。
夜中の真っ暗な空と、少し欠け始めた月が見える。
空の色が変に見える。
飛行機の挙動がおかしい。
陸から離れ、海へ向かっている。
尾翼が大きく見える。極端に傾いているせいだ。
今は機首が前に傾き、つんのめっている。
シートベルト着用サイン点灯の時になる音が、連続で機内に響き渡っている。

こんな、どこだかわからない空で・・・
こんな閉じ込められた場所で・・・
自分ができることは何一つない。

認めたくない現実に襲われる。
こわい・・・
“それ”が目の前に迫って来ている。
自分がそれに完全に押しつぶされているのがわかる。
心を静めても受け入れることはできない。
“覚悟”なんてできるわけがない。
大丈夫だろうと思おうとしても、目で見て、体が感じている、この状況という現実にいとも簡単に飲み込まれる。

また水を飲むが、まったくのどが潤わない。
体も震え続けている。
飛行機墜落事故の後に発見された、震えた字での遺書をテレビで見たことがあるが、遺書を書くという余裕なんてない。
書きたくないのではなく、字を書けるほどに落ち着くことができない。

誰か、お願いだから、大丈夫だと言って欲しい。
・・・助けて欲しい。
誰に願えばいいかもわからない。

言葉の通じない、話したこともない異国の乗客たちの目に助けを求める。
「なんでそんなに怖がっているんだ?心配するな、大丈夫だ」
先ほどの乗客と、長老が声をかけてくれる。
僕が欲しいのは、そういう気休めの「大丈夫」じゃない・・・
そしてまた、世間話を振ってくる。
短い一言の回答をするのがやっと。

もう一度、後ろの男性乗務員を見る。
「シートベルトをして動くな」とイライラした表情で言われる。
じゃあ、あんたももっと落ち着いて、安心させるようなしぐさや表情をしてくれ。

いつ堕ちるんだろう。
たまに少し機体が沈み、胃が浮く。
「きた」と、その度に思う。
もうこの飛行機は、ただの鉄の塊だ・・・

しばらくして、機内放送が入り、乗客がみな顔を見合わせながら耳を傾ける。
どうやら、違う空港に着陸を試みるということらしい。
フジエラという地名だ。
聞いた事もない空港だ。
飛行機が大きく旋回するが、そのスピードはものすごく遅く、飛行機の傾きの角度もきつい。
飛行機が苦しんでいる。
フラフラしながら少しずつ高度が下がる。

やっと滑走路が目に入る。
もう少し・・・。
いつも感じる着陸のときとは違った感触が腰から伝わってくる。


助かった・・・
生きている。
他の乗客の表情もやわらぐ・・・
「ほら大丈夫だったろう。」と後ろから声が掛かる。
少し涙が出る。
まるで昔からの知り合いのように感じる。

危うく地獄へ向かいかけた飛行機を降りる。
降りる際、前のほうの座席を見ると、荒れている様子の席がいくつかあった。
揺れによるものか恐怖によるものかわからないが、嘔吐している人もいたようだ。
コックピット付近には数人のエンジニアがうろついていた。
原因はまだ教えてくれない。

着いた空港は、アラブ首長国連邦の首長国のひとつ、フジエラという場所だった。

その後の飛行機会社の対応には驚いた。
なんと、2時間後、同じ飛行機で本来の目的地シャルジャまで再び飛ぶという。
原因は天候で、飛行機は問題ないという。
たとえそれが本当だとしても・・・同じ飛行機に・・・!?

数人の乗客が、空港から外へ出て行った。
乗客の1人のムスリム女性と話すと、彼らは搭乗拒否をして出て行ったそうだ。
当然だろう。
その女性も同じ飛行機に乗るのは怖いという。
しかし、お金がないし、乗るしかないという・・・

少し悩んで考えたが、どうしても同じ飛行機に乗る気にはなれず、タクシーで予定地のシャルジャまで行くことにした。
次の向かうべき場所はシャルジャではなく、シャルジャの隣町のドバイなのだが、預けていた荷物をフジエラで降ろすのは無理だそうで、着陸予定地のシャルジャ空港まで荷物だけを取りに行くしかないと言われたからだ。

結果的にその飛行機は無事にシャルジャまで飛んできたが、この判断は間違っていなかったと思う。

シャルジャに向かうタクシーの中で、僕は体に巻きつけていたお守りに気づいた。
僕のたびの安全を祈ってお守りをくれた人が何人かいた。
それを貴重品と一緒にいつも体に巻きつけていた。
何かを祈るときや願うとき、お守りがあれば、お守りに願いを込めるはずだけど、今回の飛行機内では、本当に何も考えることができず、お守りが自分の体に巻きついていることも忘れていた。
それでも、助かったのは、このお守りたちのおかげでもあると思う。

今回、死ぬかもしれない状況に突然追い込まれ、何もできず脅えることしかできなかった。
そんな状況でも、人を励ませる人、落ち着いていられる人たちは、本当に強いと思った。
自分が、自分の奥さんや子どもと一緒に乗っていたら、彼らのように落ち着いていられたのだろうか・・・
家族の恐怖をやわらげてあげることができたのだろうか・・・
強く手を握って家族の震えを止めてあげることができたのだろうか・・・
ましてや、今回の場合、彼らから見たら、僕は異国の異教徒。他人の中の他人だった。

イスラムの教えによる強さなのか、単に人間が大きいからなのかはわからないが、あんな状況でも他人に気を配れるほどの精神力の強さが彼らにはあって、僕にはまだまだなかった。
自分はなんて弱くて、なんてちっぽけなんだ。
もっと強くなりたいと思った。


着陸後、飛行機から歩いて降りるとき、機内で着陸まで脅えていた僕を見ていた一人の男性が最後に声をかけてきた。

「ONE LIFE ,ONE DAY」

人生なんて一日のようなもの。
短く儚い。
ジタバタしても仕方がない。
そんなに力を入れずに、流れに身を任せよ。
僕はそう解釈した。

素晴らしい言葉だと思うけれど、そうだとしても、そんなことも、いま無事生きているから言えること。
それだけで、ありがたいことだし、それだけで十分だ。

生きていて、よかった。



ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

シバーム ~砂漠の摩天楼~

砂漠の摩天楼・・・
そんな美しい響きで呼ばれる世界遺産がイエメン東部・シバームという町にある。
シバームは前々回の更新で紹介したサナア近郊のシバームとは別の町。
イエメン最大の州、ハドラマウト州に属する小さな町だ。
ハドラマウト州には、アラビア半島最大のワーディ(涸れ川)、ワーディ・ハドラマウトがある。
幅約2km、長さ約160km、深さ平均約300mの大地の割れ目である。
この地方は、通称ハドラマウトと呼ばれ、独自の建築方式や文化を持っている。

ここは日本出国前から、気になっていた場所のひとつだ。
しかし・・・現在、シバームに行くには、起点となるサユーンという町まで空路を使うしかない。
サナアとサユーンの間に、政府によって通行が禁止されている地域があるからだ。

空路は高い・・・
行こうか行かまいか・・・
優柔不断な僕は、いつものように迷いに迷うこと4日間・・・
そして、イエメン滞在日数ギリギリまで迷って、結局は行くことに。

サユーンの町に到着。

サユーン
P3122932.jpg
サユーンの町は小さい。
そしてなんと言っても暑い。
地形は盆地で、雨や風がほとんどないためだ。

見どころはといえば、15世紀末に栄えた王朝の宮殿くらいだ。

スルタン宮殿
P3112462.jpg
現在は博物館になっている。

このハドラマウト地方は、イエメンの中でも少し変わった文化を持っている。


ハドラマウト座り
P3122926.jpg
ハドラマウト地方特有の座り方。
体育座りの姿勢で、布を背中と膝に巻きつけ固定する。
町中で座っている人は、この格好している人が多い。

そして、町を歩き回り宿を確保し、すぐに砂漠の摩天楼へ出発。
アラビア半島最大のワーディというだけあって、やはりその景色は壮大。


ついにシバームに到着。
広大な砂漠の中に、突然、ぬうっと高層建築群が現れるといわれている、シバームの砂漠の摩天楼。

ぬうっ
P3112574.jpg

砂漠のオアシス...
P3112577.jpg

確かに静かに佇むこの高層ビル群の存在感はすごい。

まずは、このシバームの町の中に入ってみる。
シバームへ向かう途中、この地域の家々は、サナア周辺とは建築様式が全く異なっていることに気づく。
ハドラマウトの建築物は、ほとんどが日干しレンガ作りの高層建築。
外見は殺風景で、黄土色の壁に四角くくりぬかれた窓が等間隔に並んでいる。
恐ろしいくらい静かに、しかし今にも動き出しそうな雰囲気を醸し出しながら・・・
まるで、ぬりかべのような、ゴーレムのような。。。
P3112525.jpg


この建物群、実は近年、危機を迎えている。
日干しレンガは水に弱い。
もともと雨が降らない地域のため、耐水性を考慮する必要はなかった。
しかし、近年、水道の普及によって、屋内で水を使う機会が増え、水漏れによって建物が少しずつ崩れ始めているのだ。
その影響は、建物の外壁に顕著に出始めている。
P3112510.jpg

P3112501.jpg

P3112492.jpg

P3112543.jpg
さらに、2008年秋、ハドラマウト地方で豪雨による洪水が起こり、一部の建物が倒壊するなどの被害が出ている。


シバームの町から出て、町の向かいにある岩山へ登ってみる。

これぞ砂漠の摩天楼
P3112655.jpg

P3112628.jpg

P3112669.jpg
シバームが綺麗に見えるのは、この遠景。



さらには夕暮れ時が一番美しいと言われる。
P1012758.jpg
少しずつ...
P1012783.jpg
少しずつ色が夕日に色が塗り替えられていく...
P1012784.jpg
遠くから見ても、この風景は異様。
岩山、谷、砂漠、少しの緑と、突如現れる高層建築群・・・
岩山の上で、大自然に囲まれた砂漠の摩天楼を見下ろしながら日没を待つ時間は、久々にゆっくり自然と対峙する大切な時間になった。

P1012912.jpg
日が沈み、いよいよ幸福のアラビア・イエメンともお別れ。
サナアに戻り、そのままドバイ(シャルジャ)を経由して、中東観光の起点となるヨルダン、アンマンへと入っていく。
中東に入り、初めてゆっくりと滞在したイエメン。
他の国と比べ、イエメンが中東・イスラム圏において、どのような国、文化を持っているのかは、これから中東諸国をまわり、さらにわかってくるのだと思う。

いよいよディープな中東の旅へと突入していきます。



■イエメンで爆弾テロ
先月、イエメンのサユーンで爆弾テロがあり、現地人2人と韓国人観光客4人が死亡しました。
十数名の団体ツアー客に、自爆テロが
日本人と韓国人、間違えられてもおかしくないし、そもそもただ外国人観光客を狙っただけかもしれない。
そう考えると、非常に危険なことだと感じた。

僕がサユーンにいたのは、事件の三日前まで。
1人でいたので、団体客よりは爆弾テロの標的にはなりづらいが、危険なニアミスだ。
実は、事件の1週間前、首都サナアにいたとき、ある信用できる情報筋から、危険喚起があった。
その内容は、「明日から三日間のあいだに、サナアで非常に高い確率で外国人を標的にした犯罪が起こるので、気をつけてください。」とのことだった。
次の日、サナアの町中で、欧米人らしき観光客には、その情報がさらに「アルカイダ絡み」だと教えられた。
アルカイダを身近に感じるときが来るなんて・・・
自爆テロ、ジハード、誘拐など、中東情勢絡みの悪いニュースが思い出される。
そんな情報の中、ビクビクしながら動いた2日間。
町中の警察の数は明らかに増えていたし、検問などチェックを受けている場面もよく見た。
そして、最終日の3日目にサナアからサユーンへ飛んだ。
サナアで事が起こると思っていたので、サユーンへ来たときは「脱出した」という安心感があったし、警察も全く警戒していない様子で、僕はのんびり町を歩いたりしていた。
しかし・・・
僕がサユーンを離れた3日後、危険情報があってから約一週間後に事件は起きた。

普段は親切な人ばかりで、路地に入ると必ず子どもの笑い声が聞こえてくる、穏やかで平和なイエメンだけど、やっぱり何かと忌まわしいニュースで世界を揺るがしている中東の地なんだと再確認した。
また、改めて、情報をしっかりと集め、危険な行動は絶対に避けるという、旅の基本であり、大前提であることを、しっかり自覚し続けていこうと強く思った。

注;現在地と記事は時間差があります。


ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

サナアの休日 

サナアからの日帰り観光を繰り返すあいだに、サナア周辺もウロウロと観光。

イスラム教の休日は金曜日。
その金曜日はさぞかし盛り上がっているだろうサナアの遊園地へ出かけてみたのだが・・・
P3061373.jpg
入園できなかった。
今日は家族連れオンリーとのこと。
曜日によって、誰でも自由に入れる日と、家族のみの日があるという。

遊園地内は人もまばらでガラガラなのに、入場制限を食らった。

それでも写真を少しだけ撮らせて欲しいと頼み、少しだけ中を覗かせてもらう。

サナア唯一の遊園地らしいのだが・・・
P3061377.jpg
正直たいしたことない・・・

しかも・・・
P3061386.jpg
アレ?
いいの?これ。
まずいって。中国みたいに叩かれちゃうって~。


遊園地の外の公園に出てみる。

まったくほんとに・・・
P3061413.jpg
大丈夫なの?これ。
右からPカチュウ、Mッキー、TムとJェリー、あと、一番左のあなたは確か・・・えっと・・・炭酸飲料7UPの人?
それとも、ひ弱なガイル?ストⅡの。



その周辺を見渡すと、衝撃の映像が飛び込んできた・・・
P3061424.jpg
P3061417.jpg
ムスリム女性がブランコでハッスルしてるぅ~!
ブランコのゆれ幅がハンパない。相当強く漕いでた。
あの黒いベールの下では、満面の笑みを浮かべているのだろうか?


この公園内では、昼間から至るところでテントが張られ、イエメン人が家族で休日のピクニックを楽しみにきている。
P3061412.jpg
テントのまわりでは、たくさんの子どもたちが、走り回って遊んでいる。
テントを張る理由は、どうやら日光と砂を避けるためのようだ。
カラフルなテントから真っ黒なムスリム女性がゾロゾロ出てきて、芝生の上で楽しそうに(顔見えないけど)話している(かどうかもわからないけど)姿は微笑ましいような、ちょっと異様な感じがした。
P3061411.jpg
ここに人が集まるのは、ピクニックのしやすい整然とした公園だからという理由は大きいと思うが、すぐ近くに、大きなモスク(礼拝堂)があることも理由のひとつだろう。


大統領モスク
P3061445.jpg
イエメンで一番大きいモスク。
10年かけて作られたという。


イスラム教のアザーン
イスラム教徒は、1日に5回、礼拝をする。
この礼拝のことを「サラート」という。
時間になると、モスク(礼拝堂)から礼拝の時間を知らせ、モスクに集まるよう呼びかける放送が町中に響き渡る。
これが「アザーン」である。
その後、続けてコーランの朗誦が放送される。
敬虔な信者は必ずモスクへ行くようだが、僕の見ている限り、放送が流れている間も皆、普通に活動していた。
これは宗派や地域にもよるだろうと思う。


そんなこんなで、今日は、しっかりとお祈りをして、家族でピクニックをしながらのんびり過ごすイエメン人の穏やかな休日を垣間見ることができた。




ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

マナハ、ハジャラ、マナハジャラ☆

またまたサナア近郊へ出かけた。
今日の行き先はサナアから南に車で2時間ほどのところにある山間部の町、マナハ。


マナハ
P3071809.jpg
山の中腹に作られ、周辺には段々畑が広がる。
P3071833.jpg
山道の途中に町が作られているため、道の両脇に店が並ぶ縦に長い形をした町。
P3071951.jpg
マナハの町には特に見どころはなく、この町の先にあるハジャラという村が、この地域の一番の見どころ。

マナハからそのハジャラ村へ自力で行こうと道を歩き始めると、通りかかったトラックから、乗っていけと声が掛かる。
P3071834.jpg
ありがたい、やはり、あたたかい。
荷台でのほほんとしている間にハジャラ村に到着。

このハジャラ村は、子どもも大人も人擦れしていて、物売りやガイドの声かけが激しく、ひつこいと悪評だった。
行ってみると案の定・・・大人も子どもも
「儲かりまっか」
「ボチボチでんな」
を連発。
そして、そこからガイドや物売りのお決まりトークへ。
彼らも生活がかかっているし、どこの国でもしつこいのは一緒だけど、イエメン人にしては珍しいしつこさ。
断っても断っても、ガイドしてやると言って僕が自分の意志で進んでいる進行方向の前を、「こっちだこっちだ」言いながら、さもガイドしているかのように歩いている。
仕方ないので、歩を緩め、さっと横道に入って、まいてやった。
遠くから、「そっちの道は危ないぞ」と負け惜しみの声が響いてきた。

そして、この村の見どころへ到着。


ハジャラ村
P3071869.jpg
P3071873.jpg
P3071912.jpg
岩山に肩を寄せ合うように数十軒の高層住宅が軒を連ねる。

この村は非常に賢いつくりになっていて、外部から侵入ができないようになっている。

まず、建物自体が高く作られており、建物の株には窓がなく侵入できない。
さらに村自体が岩山のてっぺんにあり、周囲は崖、侵入は不可能。
そして、村人たちが出入りする唯一の村の入り口には頑丈な門が構えられている。
さらには、村のまわりにはサボテンが植えられており、動物の侵入に対する対策も万全というわけだ。


高層住宅群の中
P3071897.jpg
P3071896.jpg
住宅群の裏側はもちろん崖。

住宅群から出て、歩くたびに寄ってくるガイドを拒み振り切って、村の向かいの小高い山に登り、ハジャラ村を一望。
P3071922.jpg
ここで休憩がてら、村をポーと眺めながら考えてみた。
もしかすると、この村のガイドがしつこいのは、昔から、外部からの訪問者に対しての警戒心が高いため、勝手に村を歩き回られたくないというが自然にはたらいているのではないか。
伝統的な感情が形を変えて表れているものではないだろうかと思った。
今は、もちろん一番に営利目的なんだろうけど。
そう考えると、しつこいのは仕方がないというか、自然の流れなんだなと思った。

イエメンは町によって、景色が全然違う。
町の地形、建物の高さ、建築様式、窓の形・・・
それでも共通して変わらないのは人の温かさ。

次は、サナアから離れた違う地方の町にでも行ってみようかな。



ブログ村のランキングに参加しています。
よかったらクリックお願いします!
     ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ

Page Top

プロフィール

原田 諒二                                     (はらだりょ-じ)

Author:原田 諒二 (はらだりょ-じ)
あの海の向こうには何があるんだろう?
どんな人たちがいるんだろう?
そんな単純な想いを胸に
いろんなものを見て
いろんな人と触れ合う旅の
真っ最中!!

2008年10月21日 世界一周出発

2009年9月28日 帰国

2015年1月2日 世界二周目に出発!!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。