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  2. 2008年12月

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  • Genre:

ブエノスアイレス~いい空気!?~

ブエノスアイレス
PC270425.jpg
“南米のパリ”と呼ばれる美しい町並みを持つアルゼンチンの首都。
人口278万人の大都市。
都市名は「良い空気」という意味。

アルゼンチン入国に際して・・・

アルゼンチンについて知っていたこと
・サッカーの強豪国
・タンゴの国
・チェ・ゲバラの出身地
・国土がとにかく縦長
・パタゴニア地方の素晴らしい自然
・肉とワインの国

第一印象
・肉が安い
・ワインが安い
・街や雑貨がおしゃれ
・人も建築もラテンというよりヨーロッパっぽい
・やはりサッカーは至る所でやっている
 (しかも気軽にストリートサッカーに入れてくれる!!)
・明るく陽気
・21時でまだ外が明るいくらい陽が長い
・夏だから暑い
・全然“良い空気”でなく、空気が悪い


約48時間の移動時間で、ブエノスアイレスに着いたのは早朝5時。
ターミナルのない広場前に落とされる。
都会は早朝も危険・・・
盗難でガイドブックも失っていたため、住所と通行人を頼りに、日本人宿を訪ねる。

上野山荘別館
PC310663.jpg
SUIPACHA930
ドミトリー$25~28
クリスマス直前で、やはり混み合っていたが、なんとかギリギリ泊めてもらえることに。

そして、ここで、初のプチ沈没宣言!!
クリスマスと年越しは、ここで迎える!!
ここまで、ロケットのように高速で動いてきた体を、ここでやっと休ませる覚悟を決めました。

と、休むつもりが、到着した当日は、なんと今シーズンのサッカー最終戦!!
アルゼンチンといえば、やっぱりサッカー見とかないと!!
ということで、宿のオーナーさんに頼み、ギリギリでチケットをゲット!!

その対戦カードとは・・・

ボカ・ジュニオルス VS ティグレ 優勝決定戦
僕は、ボカ・サポーター側の席をゲット。

ボカ・ジュニオルス
PC240176.jpg
かつてマラドーナやバティストゥータ、テベスも所属していたアルゼンチンリーグの強豪チーム。
トヨタカップでは過去に3度の世界一、
国際大会で18個のタイトルを獲得している。
日本の高原直泰が2001~2002に所属。
現在はリケルメが中心選手。
サポーターが熱狂的でガラが悪いことも有名。

今シーズンは、最終節を終え、3チームが首位に並ぶ混戦。
優勝は、総当りの優勝決定戦に持ち込まれることに。
そして、一勝で迎えた優勝決定戦の最終戦。
0-1以上の結果で優勝が決まる一戦。
相手のティグレには今シーズン一度負けている。
さらに、中心選手のリケルメがカードの累積枚数で出場停止。
不安要素を抱えたボカ。
優勝の行方は・・・!?

試合前のスタジアム周辺
PC240120.jpg
すでに路上で大盛り上がり!!
優勝決定戦のため、どちらのホームでもないスタジアムで対戦。
ボカサポーターはガラが悪いためか、スタジアムに入るまでに、
何度もボディチェックが入る。
ちなみに、酒の持ち込みは禁止で、酔っ払っているだけで、入れないこともある。
サポーターが暴徒化してしまうのを防ぐためだ。

試合前
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試合前からサポーターのボルテージは最高潮!!
みんなギュウギュウで、応援歌を歌いまくる。
体を揺らして、手上げて。
まるでクラブにいるみたい・・・
というか、クラブ以上。

チームカラーの旗がスタンドを飾るのだが、立ち位置によってはこれが邪魔でフィールドが見れない。
そのため、この旗を避けるように、本気のおしくらまんじゅうが展開される。
きつい・・・クサイ・・・苦痛・・・の“3K”が成立。
ほんと、“いい空気”ではないな。

試合開始!!
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僕自身のまわりのサポーターとの戦いも開始。
なんとか試合が見れる位置にと最初は意気込むが、
それよりも将棋倒しにならないように必死に体重移動を繰り返す。
試合は一進一退で、こう着状態。

と、そのとき、ボカゴールが脅かされる!!
 興奮したサポーターたちが身を乗り出す!!
ティグレ選手のシュートォォ!!
 サポーターたちの大体重移動ぉぉ!!
ボールはゴールを外れティグレの選手は地面に倒れこむ。
 サポーターたちは次々とスタンドの前へ前へと倒れこむ!!

ホンモノの将棋倒しである。
ラッシュ時走行中の東海道線のドアが突然開いたかのような勢い。

そして、その中心、一番下にいたのは僕。
骨折をしたことのない僕が、初めて、骨折すると思った瞬間だった。
それだけでなく、一瞬、真面目に頭部や内臓の危機を感じた。
まさかまだ、不幸の日々が続いている!?
なんとか、やさしいおっちゃんに腕を引き抜かれ助かった。

試合は後半に動く。
攻撃陣が精彩を欠くボカは、自由にパスを回され、左サイドからのセンタリングに、ティグレのフォワードが、頭で合わせる。
ゴール・・・
0-1・・・
後がなくなったボカだが、よくある時間を使う守備的なサッカーで、
そのまま試合終了のホイッスル!!

ボカ・ジュニオルス優勝!!
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スタジアムが歓喜で揺れる!!
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鳴り止まない歓喜の歌声。

スタジアムを出てもお祭り騒ぎ!!
路線バスをジャック!!
PC240303.jpg
もうむちゃくちゃ!!

ボカグッズを身に着けていた僕らも、タクシーに乗車拒否される。
そんな災難を乗り越え、なんとか宿へとたどり着きサッカー観戦を終了。
※このサッカー観戦のようすは、ミクシィの日本人宿、上野山荘のコミュニティにも、掲載されました!!



翌々日、サッカー熱が冷めやらぬ中、ボカ・ジュニオルスの地元地区である、
ボカ地区へ
PC280450.jpg

ボカ・ジュニオルス・スタジアム
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ボカのホームスタジアム
チームカラー一色のスタジアム

周辺の土産物屋やレストランもボカ一色!!
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ほんとに、このままボカサポーターになっちゃおうかな。


カミニート
PC280461.jpg
カミニートというのは、通りの名。
ここにある建物や壁は、ボカ生まれの世界的に有名な画家、キンケラ・マルティンのアイデアによって、
カラフルに塗られている。
おもちゃの家みたい。

アルゼンチンタンゴ
PC280506.jpg

港町ボカは、タンゴ発祥の地でもある。
もともとは、約130年前、スペインやイタリアからの貧しい移民労働者の哀歌として、酒場で生まれたダンスといわれる。
今も、カミニート付近では、観光客相手に、何組ものダンサーたちが、路上やレストラン内で、タンゴを踊っている。


クリスマスレポート
PC270440.jpg
なんとかブログが今年中に現在地に追いつきました。
今年のクリスマスはブエノスアイレスで迎えました。
といっても、期待していたほど、街中は盛り上がっていませんでした。
日本はクリスマスはイベントって感じだけど、
クリスチャンの国では、やはり神聖な宗教の行事。
クリスマス当日は店も閉まり、皆、家族と過ごすようだ。

ここ上野山荘別館では、宿泊者で、クリスマスイヴパーティを開催!!
野郎どもで厨房を占領し、シチューやサラダを料理。
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全員昼間っから、重度のキッチンドリンカー!!

みんなで乾杯しました!!
PC250333.jpg
日本人宿入れてよかったぁ~!!

クリスマス当日は、オーナーさんの家で、ホームパーティ!!
PC260401.jpg
肉を食べまくりました!!
ほんとうにオーナーさんに感謝です。

というわけで、「きれそうなわたしの3日間」のあとは、
「お腹がはちきれそうなわたしの2日間」が待っていましたとさ。

めでたしめでたし。

■年末挨拶
さ、もうそろそろ新年ですね!!
みなさん、本年は、私のダラダラなブログにお付き合いくださいまして、
まことにありがとうございました。
来年も、オフィスでの暇つぶしに、家事の合間に、ビールのおつまみに、
チェックしていただければ幸いです。
来年も皆様にとって、良い年によりますように!!

来年もどうぞよろしくお願いいたしいます!!
よいお年を!!

世界一周ダイアリーズ はらだりょーじ



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きれそうなわたしの3日間

クリスマスを都会の街で、そして、日本人宿で迎えたい。
そう考えるようになった僕は、ブエノスアイレスを目指していた。
この時期は日本人パッカーは同じことを考えるのではないかと思い、
クリスマスの数日前に余裕を持って宿に入ろうと急いでいた。

そんな矢先、立て続けに事件は起こった・・・

ことの始まりはウユニ塩湖ツアーの最終日。
ツアー会社のミスからすべては始まった。


■1日目 サンドラ・トラブル
ウユニ塩湖ツアー終了後・・・
僕は、前日に「サンドラトラベル」というツアー会社に、国境の町までの電車の切符の手配を頼んでおいた。
そして、その切符を受け取るため、サンドラトラベルのオフィスで待っていた。
体中塩だらけ・・・。
昨日泊まった塩湖のホテルにシャワーはないから、服や体の至る所に、塩が白く乾いたシミができていた。
シャワー浴びたいな、でも今日も夜行列車だから無理だなぁ・・・。
そんなことを考えていたが、なかなか切符が来ない。
様子がおかしいと思い、スタッフに尋ねると、
「申し訳ないのですが、今日の列車のチケットはありません」
という。
「なぜだ?なぜだ!!」と問い詰める。
しかし、気まずそうにしていてハッキリ答えない。
「お金は払ったし、今日は列車の運行日なのに、なぜ!?」
そう、ウユニから国境までの列車は曜日によって運行されている。
今日は、確かに列車のある金曜日。
今日を逃すと、列車は月曜日までない。
そうこうやりとりしていると、
返金の用意をしながら、「明日のバスで行くしかありません」と言い出した。

これには、キレた。
ここで怒らないと絶対に向こうは動かない、と思いモーションとして怒り出したつもりだったが、
いつまで経っても、どうにかしようとしない態度に本当に腹が立ってきた。
結局のところ、依頼したチケットを取り忘れていたのだ。

たまたま、横にいた英語の喋れる雇われツアーガイドのジョニーに全てをぶちまけた。
「昨日接客をしたスタッフを呼べ」と言ったが今日は休みでつかまらない。
「なんでもいいから、今日の列車に乗れるようにしろ」と伝え、
向こうは、「切符の販売時間になったら、駅に行って切符を取ってくるから」と言い、
夕食で、いったんスタッフが外に出るから、また後でオフィスで待ち合わせすることになった。

しかし、こんなツアー会社に頼っていてはダメだと思い、自分で駅に行き問い合わせた。
「もう満席で切符はない」の一点張り。
「余計にお金を払ってもダメか?」などと、わいろを試みるが、あっさり撃沈。

この責任は、サンドラトラベルに取ってもらうしかない。
少なくとも、今日の宿代くらいは出させようとツアー会社に戻る。
そこには雇われガイドのジョニーしかいない・・・。
待つこと1時間・・・
待つこと2時間・・・
列車の汽笛が聞こえ、ついに列車の発車時刻が過ぎる。
待つこと3時間・・・
この日、結局サンドラトラベルのスタッフはオフィスに戻ってこなかった。
つまり、逃げられたのだ。

ジョニーは、いつのまにか完全に僕の味方になってくれており、
切符代を立て替えて返金してくれて、紹介してくれた宿では主人に値切り交渉をしてくれて、
最後にサンドラトラベルの机を、派手に蹴り上げてくれた。
引き出し全てが逆さまに床に落ちるほどの、かいしんのいちげきだった。
ボリビア版ちゃぶ台返し、スカッとした。

さらに極めつけはこの一言、
「これじゃサンドラ“トラブル”だな」
一本取られた。
笑っておいた。

ツアー会社に逃げられ、電車に乗れず、肩を落として、ひとり屋台で食べるご飯の冷たさときたら・・・
と思っていたら、もう一人、屋台で食べていたおばちゃんが話を聞いてくれ、
「あそこの会社は評判悪いのよ」と励ましてくれた。

悪いことがあっても、誰かに助けられるんだなぁ、としみじみ思った夜だった。

しかし、これが、ほんの序章に過ぎなかったことを、このときの僕はまだ知らない・・・



■2日目 神の見えざる手
翌朝、国境へ向かうバスは6時発だった。
バス会社に飛び込むが、もう席はないと言われる。
また1日待たなくてはいけないのか・・・!!
焦った。これではクリスマスに間に合わない・・・!!
「通路でいいから乗せてくれ!!」
なんとか了承を得た。
急いでバスに乗り込む。
混み合う車内、すでに通路にも人が溢れている。
「荷物はここに置け」と言われ、荷物を網棚に置き、そこから離れないように、ポジションを死守する。
しかし、相手のプレッシャーも激しい。
スクリーンアウトをかけられる。
ゴール下ならぬ、荷物下を制することができない・・・!!
まるでスラムダンクの世界だ・・・
と、まあそんなこんなでしたが、荷物は無事だった。

発車間際、乗車率200%の車内に、ひとりのおばあちゃんが乗ってこようとした。
しかし、バス会社のスタッフは乗車を拒否する。
驚いたのはその後、乗客が一斉に、
「ばあさん、もう乗れないよ!!早く発車しろ!!」と叫ぶ。

その後、バスが動き始めたため、そのままおばあちゃんは乗れたのだが、
みんな冷たいなぁ~と思った。

そんなこんなで、通路に立ち乗りしながら、
「これで約11時間耐えるのかぁ~」と思いつつ、
本でも読もうかと網棚の荷物に手を伸ばす。
バックを開けて手探りで本を探す。

ない・・・。

ナイ・・・?

71・・・!?

やばい、宿に忘れた・・・!!
僕は、バックの中に、さらに小さなバックを入れていることがある。
それを宿の部屋に置いてきてしまった・・・!!
バスは次の目的地まで2時間ある。もどかしい。
僕の様子がおかしいことに気づいた乗客たちが心配して、
言葉をかけてきてくれたり、みのまわりを探してくれた。
やさしいひとたちだなぁ~と心があたたかくなった。

ついさっきまでは、みんな冷たいなぁと思っていたクセに、自分も調子がいいなと思った。

と、その次の瞬間、自分の胸に突然穴が開いたような感覚とともに、
バスに乗り込んだときの映像がフラッシュバックする。
サスペンス映画のクライマックスのように・・・。

そして気づいた。
盗難されたのだ・・・。
この文章でいう、スラムダンクのくだりのところでだ。

僕がバスに乗り込む。
席がないため通路に立つ。
犯人のひとりが、バス会社のスタッフのふりをして、荷物の置き場を指定する。
そして、もうひとりの犯人が僕の後ろをわざと行き来しながら僕を押し、動けないようにする。
僕が一瞬荷物から目を切る。
そのほんの数秒の犯行だと思われる。
もしかすると、僕を動けないようにさせる人数はもっと多かったかもしれない。

僕に荷物を置けと言った人物も、後ろを行き来していた人物も、いま走行中のバス内にいないのである。
発車間際の混雑を利用した犯行だろうと思う。
もちろん旅行者を狙ったものだ。
おそらく、犯人たちは、前日の列車に乗れなかった国境越え旅行者が、このバスに乗るしかないことを知っているのだろう。
そして、この日は他にも欧米人パッカーの2人組が乗っていたが、
1人だった僕を狙ったのだろう。

いつも警戒はしていた。
人より警戒していた自信もある。
バックは必ず前にかけていた。
いつも南京錠をかけていた。

でも盗られた。
鍵については多分、ナンバーロックをずらしていなかったので、すぐ開いてしまったのだと思う。

主な被害としては、現金、トラベラーズチェック、電子辞書、撮影済みメモリーカード、日記、旅で出会った人のアドレス帳、日本から持ってきた友達や家族の写真などである。
パスポートやクレジットカードなど旅の継続に影響のあるものは、マネーベルトに入れていたので、無事だった。
現金も分散して保管しておいたが、そのバックの中に一番大金が入っていた。

盗られたほうが悪い。
旅人の中ではそれが常識。
そう思うから悔しかった。
この日は一日とことん落ちた。

一応、途中の町でバスを降り、町へ引き返し、宿をチェックしにいった。
当然あるはずもなく、また同じ部屋に泊まった。
昨日も同じ部屋で落ち込んでいたけど、今日はもっとひどかった。
昨日と今日と散々で、疲れ果てて眠りについた。



■三日目 そして不幸は続く・・・
とにかく先へ進むしかなかった。
一日ロスしたとはいえ、クリスマス前にブエノスアイレスに着きたかった。
選んだ交通手段は昨日と同じ時間の同じバス。
犯人が現れたら捕まえてやるという気持ちもあったし、
何より、同じバスに乗ることで、気分的に盗難を乗り越えたかった。

その日は、ラパスで顔を合わせたことのある、大学生の日本人パッカーと一緒だった。
彼はたくさん話をしてくれて、すごく救われた。

しかし、またまた不幸が起こる。
バスが止まってしまい、エンジンがかからなくなってしまった。
どうしてもブエノスアイレスに行くなってことなのか・・・?
修理の間、みなバスを降りて用を足す。
女性も少し離れたところで普通にしている。

1時間近く経ち、なんとか発車。
ウユニ周辺は有名な悪路。
列車だったら楽だっただろうに・・・と思いながら、
11時間、国境まで耐えた。

ボリビア~アルゼンチン国境を越え、日本人パッカーと別れる。
そしてまた、すぐさま、バスに乗り込む。
ブエノスアイレスまで24時間。
あとは、着くまで乗っているだけだ。
あるとしても、バスの乗り換えくらいだ。

と、思っていた。乗るときに到着時刻などを確認していた。
しかし、また、やられた。

夜中の2時、途中の町で降ろされ、バスの乗り換えかと思いきや、
「朝8時までバスは発車しない」

ここはどこだ? 「聞いたことのない地名。」
両替所、ATMは? 「この町にはない。」
アルゼンチンのお金をまだ持っていなかったので、買うにも何も買えない・・・。

なんとか頼み込んで、朝乗る予定のバス内で寝させてもらうことにした。
ドラマみたいに、雨が降っていた。
ひどく孤独に感じる夜だった。

それでも、あまりに疲れていたのか、いつのまにか眠りにつき、
起きた時には、バスはとうに発車し、あたりは明るかった。
窓の外を見ると、広大なひまわり畑を雲間から射し込む陽が照らしていた。
バス内では、乗客の年配夫婦が寄り添って寝ている。
きゃっきゃっと遊んでいた子供が目を覚ました僕に絡んでくる。

急に、幸せな光景が目の前に広がっている。
このとき、やっと悪夢の時間から抜け出せたのだと勝手に確信した。



盗難や強盗は、旅人のほとんどが遭遇する出来事。
僕がいままで会った旅人で、何の被害にも遭っていない旅人はあまり思い出せない。
ついに、僕にも“旅の洗礼”がやってきたのだと思う。
「体が無事でよかったよ」
そう言ってくれる人が多かった。
言われてみると、ほんとにそう思う。
気絶させられたとか、身ぐるみ剥がされて荷物全てを失った旅人もいる。
僕は、今回の被害で“すんだ”と思ったほうがいいのだろう。

落ち込んでいた僕にこんなことを言った人がいる。
「失くなったもの以上に、得ているものがあるはずだよ。」

そうなのかもしれない。
盗難に遭ってから、落ち込むと同時に、本当にいろんなことを考えた。
考えまくった。たくさん反省もしたし、いろんな人に感謝する気持ちも芽生えた。
いま思うと、うまくは説明できないけど、本当に得たものがたくさんある。

あまり引きずらず切り替えられたし、プラスに考えることもできた。
ウユニのツアー会社についても、切符を取り忘れたことと逃げられたことには腹が立ったが、
あの列車に乗れていればこんなことにはならなかったのに、とは不思議と思わなかった。

いま、これも旅のいい経験と本気で思っている。
“神の見えざる手”が、そうしたのだろう。
今回の盗難のことは、しっかり自分の中に吸収して、
また明るく元気に“気をつけて”旅を続けます!!



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ウユニ塩湖

「もう水、張ってるの?」

「そろそろ、張ってるんじゃない?」
「いや、まだ全然早いよ。まだカラカラらしいよ。」


南米を旅する旅人たちの間で、ウユニ塩湖の近況情報はいつも話題に上っていた。
そして、情報はいつも錯綜していた・・・。

南米旅行者は、北上組より南下組が圧倒的に多く、
ウユニを通って北上してきた人は希少だった。
皆が、これからウユニに行くため、必死に情報を集めようとしていた。

皆、「雨期のウユニ」が観たいからだ。

ウユニ塩湖は世界最大の塩でできた湖。
面積は約1万2000k㎡、塩の量は重さにして約20億トン。
乾期は湖面に塩の結晶ができ、見渡す限りの大雪原、ならぬ大塩原。
雨期はその結晶の上に水が張り、湖自体が巨大な鏡と化し、そこに空が写し出される。
その景色が絶景と言われる。

ウユニ塩湖の雨期は12月~2月と言われている。
しかし、雨期に入りたての12月は塩の上に、水が溜まっているかがまだ微妙・・・。
年によってその時期がズレるのだ。
皆、その水のたまり具合を皆、気にしていたのだ。

世界遺産でもないこの地を、旅のハイライトと考えている旅人は非常に多い。
僕もその一人だ。
ウユニを雨期に見るために、僕は東回りの進路を取った。

そして、ついにそのウユニに着いた。

ウユニの町は小さかった。
ナスカの地上絵を持つ、ナスカの町のようだった。
大都会ラパスから着いたから、そう感じるのではなかった。
人口約1万人、標高は3660mと相変わらず高い。

ウユニで目指す先はひとつ。
さっそく塩湖のツアーへ出発。
町から塩湖までは車で30分ほど。
近づくと、遠くからでも白い平原が見え始め、そこが塩湖だとわかった。
残念ながらまだ湖面に水は張っていないようだ。
車で塩湖の上を走り、ついに塩に降り立つ。

ついに来てしまった。
ウユニ塩湖へ・・・
PC190419.jpg
見渡す限り白銀の世界。
これは夢ではない、そして雪でもない。
塩なのだ。

頬をつねる代わりに、地面を舐めて確かめた。
しょっぺぇ・・・。
これは夢じゃない、塩だ!!
そう、僕は今、塩の上に立っている。
PC190385.jpg

ここに来た誰もがそうするように、僕も写真を取りまくった。
PC190510.jpg

小道具が少なかった&人数が2人だったので、おもしろ写真のバリエーションは少ないが・・・
PC190540.jpg
建物を食べてみた。


塩湖をテーマに遊ぶしかやることがなかったので、とりあえず少し歩いてみて、

りょーじは、あしもとをしらべた!!
なんと!「えんこのあな」をみつけた!

てをつっこみますか?
→はい
いいえ
PC190639.jpg
と、塩湖の穴に手を突っ込んでみると、スルスル腕が吸い込まれる。
これがなかなか深くまで手を突っ込めるのである。
もちろん穴の下は、冷たい塩の水。
そして、手で探ると、ゴツゴツしている部分がある。

ちょっとちからをいれればとれそうだ。
とってみますか?
→はい
いいえ

なんと!!りょーじは「しおのけっしょう」をみつけた!!

そうなんです。
塩の結晶が取れちゃうんです。
これに気づいた僕らは、砂場で遊ぶ子供のように、時が経つのを忘れ、結晶採りに没頭した。
その成果がこちら!!
PC190648.jpg
と、こちら!!
PC190657.jpg
塩湖に突っ込んだ腕の水分が乾くと真っ白に!!
もちろん全部塩です。


そして、日が落ち始め、影も長くなり、元から長い僕の足がさらに長くなり・・・
PC190745.jpg
塩平線に沈むサンセットを見届け・・・
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夕食を食べに宿に戻った。


僕が選んだツアーは1泊2日
宿泊するのも、塩の中。

プラヤ・ブランカ
PC190521.jpg
PC190520.jpg
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ウユニ塩湖の中に建つホテル。
建物自体、机、いす、ベッド、インテリア・・・
すべてが塩でできているホテルだ。
PC190459.jpg
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塩の湖の上で、塩で作られたホテルで、塩に囲まれて眠る夜。
ロマンチックかどうかはわからないが、特別な夜になる。

はずだった・・・

このホテルには僕ともう一人の日本人旅行者、
それと、フランス人2人組が泊まっていた。
食事は一緒に摂るため、自然にお酒も一緒に酌み交わすこととなった。
僕らのカタコトの英語に嫌な顔ひとつせず、二人は付き合ってくれた。

はずだった・・・

カードゲームをし、お互いの国の話をし、4人は盛り上がった。
一人のフランス人が俺は先に寝ると言って塩の部屋に戻った。
そこからだった・・・。僕らが「付き合わされた」のは・・・

塩のホテルの中で購入したラム酒と赤ワイン(さすがフランス人)を、残った3人で空けようという「流れ」に何故かなり、
フランス人のマチュが、お酒を煽ってきたのである。
ラムの飲み方は、なぜかストレートかつ一気限定。
飲んだ、とにかく飲んだ。飲まされた。
塩湖の中心で、もう飲めないと叫んだ。

フランス人はお酒強いなと思っていた矢先、
彼は突然変異を起こした。
「ほろ酔い」から「泥酔」への突然変異である。
「月だ月だ!」と騒ぎながら外へ飛び出すし、連れ込もうと思えば抵抗するし・・・
日本での友達内の飲み会を思い出した。
どこの国にも愉快な酔いどれはいるものなのだなと思った。
PC190022.jpg
外から力づくでマチュを宿に引きづりこみ寝かしつけた。というよりぶん投げた。
DSCF0005.jpg
結局、マチュは塩のホテルの塩のベッドではなく、
塩のホテルの塩の床で、“文字通り”床につくことになった。
そして僕も塩湖の真ん中で眠りにつくという感動に浸る余裕もなく、
酔ったままリャマ製の毛布に沈んだ・・・


翌朝、起きるとそこには昨日と変わらず、ただただ真っ白な塩湖が広がっていた。
変わっていたのは、なぜかマチュが僕らの部屋で寝ていたことだ。
そんな彼が起きて最初に発した言葉は、
「ここはどこだ?」
である。
「塩さ」
とだけ、とりあえず答えておいた。
間違いではないはずだ。
そして、この日、彼は一日中吐き続けた。
塩湖を相手に彼のすべてを出し切ったようだ。

彼にとって塩湖はあまり良い思い出にはならなかったことだろう。
というか、そもそもその大半は覚えてさえいないのかもしれないが・・・

そして、翌日は、塩湖の中に浮かぶ(実際には浮かんではいない。こんもりと山がある)サボテンだらけの島へ訪問。
DSCF0066.jpg
うぽぽっ!!


そして、一部、水溜りになっている場所を発見!!
PC200001.jpg
雨期の終わりには、この鏡が塩湖全体に広がり、そこに空を映し出す。
完全に鏡にはなっていなかったが、少し雨期の雰囲気は味わえた。
これが湖一面に広がっていたら綺麗だろうなぁ~。
また、雨期に戻ってこようかなぁ~。
DSCF0061.jpg
なんて欲張りなことを考えつつ、ウユニ塩湖を離れた。


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デンジャラパス

ボリビアの事実上の首都ラパスに到着

標高3650m。世界一標高の高い首都である。 
コパカバーナとは打って変わって超大都市!!
やっとボリビアの色が見えてきた。

ボリビアについて知っていたのは
・南米最貧国
・治安が良くない
・この旅のメインディッシュのひとつ「ウユニ塩湖」がある。

こんなもんでした。

第一印象は
・ペルーより人のあたたかさを感じない。
・明るく陽気な感じがなく、暗い雰囲気。
・米の炊き方が下手。だいぶ水分多め。(標高の関係か?)
・女性(おばちゃん)が立ちションならぬ、座りションを普通にする。
 (長距離バスの休憩中や、街中でも・・・)

そんな良いイメージがないボリビアだけど、見所は多彩。
まずは、ラパス近郊の見どころへ訪問。
ラパスの町は、すり鉢状の地形を持つ。スタジアムのような地形だ。
町の外側から中心に向かって標高が下がっていく。
その中心部に高所得者が住み、働く大都会があり、
外に広がるにつれ、低所得者が住む地域になってくる。
そのすり鉢の一番外側、つまりの縁にあたる部分に、
まるですり鉢から溢れ出てしまったかのように、貧困層の町がある。
その町の名は、「エルアルト」。


エルアルト
ラパス中心部からの距離は約12km、中心部との標高差は約700mである。
人口は60万人といわれるが、いまだに拡大を続けているという。
この町で有名なのは、木曜と日曜に開かれる大規模な市。
市といってもただの市ではない。
世界でも有数の規模の泥棒市だ。
他国の首都や大都市にも、泥棒市があるが、
ここの市は僕も旅に出る前から知っていたくらい。
とにかく広くて、物が溢れている。

売っているものの一例は・・・
・古着などの衣類
・靴
・電機パーツ
・車のパーツ
・家具
・おもちゃ、ベビーカー
などなど・・・
うさぎまで売っているという噂もある・・・。

ちゃんとした新品のものや、新品だけど偽物のアウトドアウェアや靴などもあり、
どこまでが盗品かはわからないが、とにかく安いものばかり。
僕は少しくたびれてきていた靴を買った。
新品同様のナイキのスニーカーが300円~1000円で何足か見つかった。
ただ、一番有名なのは古着。
とにかく量がすごい。
有名アウトドアブランドのアウターが200~300円で出てくることもある。

ラパスで一緒にいた旅人は、
「盗品を買う人がいるから、盗難が減らない。どこかでこの連鎖を止めないとダメなんだ」
と、エルアルトの市には来なかった。

僕は靴を買ってしまったが、その人の考え方は素晴らしいと思った。
安ければ盗品でもいいという考えが自分の中にはあったと思う。
ただ、再利用、リサイクルで、貧困層が商売をできているという考え方ができる部分もあるのかなと思った。
とにかく難しい問題だと思った。


エルアルトの見どころは、市だけではなく、もうひとつ有名なのが、
「おばちゃんプロレス」。
内容は、その辺にいそうな民族衣装のおばちゃんが、普通にプロレスをするのである。
メキシコで、予定が合わず「ルチャリブレ」が観れなかったので、期待して見に行った。

民族衣装のおばちゃんが、マッチョな男を相手を投げ飛ばしたり、急所攻撃をしたり、
ガンガン攻めまくる場面はスカッとして気持ちが良かったが、毎試合、試合の筋書きが同じで、 最後はちょっとマンネリだった。
また、おばちゃんが普通に投げられて、わざわざパンツ丸出しになるのは、衝撃的な映像だった。


デスロードへ
さらに、ラパスでは、有名なツアーがある。
その名も「デスロード」。 訳すと当然、「死の道」。
そんな日本のマンガのタイトルみたいな、恐ろしい名前のツアーがある。
なぜ死の道なのか・・・

それは、年間200人以上が命を落とす危険な道だからだ。
車一台がやっと通れる道幅、未舗装でガタガタの砂利道。
霧雨と濃霧で視界は最悪、道のすぐ横はガードレールなしの約300mの断崖絶壁・・・
この道のうちの約70kmをマウンテンバイクで約5時間かけて下っていく。
そういうツアーだ。

まずは、車でスタート地点まで登る。
スタート地点は標高4000m以上。
曇っており、霧が立ちこめ、気温も低い。
冬用の防寒着が必要なほどだ。
慣らし走行も兼ねて、最初は舗装路をスムーズに下っていく。
30分ほど下って休憩をし、いよいよガタガタの砂利道へ突入。
いよいよデスロード、スタート!!

と、その直後!!

4台前の自転車が転倒!!
続いてすぐ後ろの一台も巻き込まれ転倒!!

ヤバい・・・!!

テレビのハプニング映像などの番組で、自転車が将棋倒しになっていく映像が頭をよぎる!!

が、その後ろの自転車が回避し、何とか難を逃れる。
この地点はまだ直線で傾斜も緩く道幅も広かったが、あと数メートル先だったら、
みんな仲良く谷底へ真逆さま。地獄へ真逆さまだったかもしれない・・・
背筋が凍る・・・

その後も延々とデスロードは続く。
猛スピードで下りながら、横目にはマチュピチュのときのような霧のチラリズムで谷底が見え隠れする。
少しずつ慣れ始め、狭いながらも、他の走者を抜かし始める。

このデスロードのコツは、とにかくブレーキングと、集中力。
どれだけブレーキを握らず急カーブを曲がれるか。
どれだけ集中を切らさず、道のゆがみや大きい石を回避できるかだ。
♪ブレーキいっぱい握り締めて、ゆっくりゆっくり下っていけば、谷底に落ちる心配は少ない。
しかしそれではスリルがなくてつまらない。
さらに、欧米人に抜かれて、久々に負けず嫌いの性格に火がつく。
得意の立ちこぎを駆使し、抜き返してやった。

ふっ、俺もまだまだいけるな。

途中、ランナーズハイだか、ドライバーズハイだかわからないが、自然に頬が緩んだ。
すぐ横には死への道が口を開けているというのに、気持ちよくて顔が笑ってしまうのだ。
アドレナリンが出まくりだったことだろう。
道の途中、いくつもの十字架が横目をかすめる。
しかし、もうすでに、カッパえびせんバリに、“やめられない止まらない”。
その後も、毎回先頭集団に混じって出発し、とにかく攻めた。抜きまくった。

このデスロード。
ツアー名とツアーメインのダウンヒルは恐ろしいが、待遇は最高。
休憩ごとにバナナやチョコ菓子、飲み物が出て、ウェア、手袋、ヘルメットは全部レンタル。
朝、昼とちゃんとしたご飯つき。
下り終えた後の昼食なんてバイキング形式♪
さらに運転中の写真や動画をCD-Rに焼いてくれて、記念Tシャツつき。

死への道だっただけに、終着点は、「極楽」だったというわけだ。


こうして、デスロードツアーにより、
死の道を這い上がり、極楽へ辿り着いたかと思ったが、この後また地獄へ逆戻り。
俺はカンダタかい!!(太宰治「蜘蛛の糸」より)

いや、まじめな話、笑えないのである。


刑務所入り
僕は刑務所へ入ることになってしまった。
入所したのは、ラパスの中心部にある「サンペドロ刑務所」。
収容人数は1500人を越える。(定員は250人らしいが。)
他にも外国人が入っている刑務所。

ブログの更新が遅かったのも、このページに画像が少ないのも、
実はここへの入所が理由です。

入所してすぐ、麻薬所持で捕まったポルトガル人の囚人がいろいろと教えてくれた。
話を聞きながら所内を見てまわったが、ここは僕がイメージしていた刑務所とは全然違う。
刑務所内に一つの社会ができあがっているのだ。

どういう意味か。
食事は自分たちで作り、洗濯も自分たちの手で。
刑務所の中で通貨が流通し、物の売買が行われているのである。
それは、まず牢獄の売買から始まる。
牢獄にもランクがあるようで、ベッドだけでいっぱいいっぱいの部屋もあれば、
テレビのある部屋もある。
良い部屋に入りたければ刑務所内で“稼ぐ”しかないのである。

どうやって稼ぐのか。
商店を営む者、床屋をやる者、レストランで働く者、様々である。

物資も、ハサミもない刑務所でどうやってそんなことが出来るのか?
物資や、ハサミが持ち込めるからである。
家族との面会時に受け取っているようである。
基本的には武器以外は持ち込みがOKということらしい。
さらに驚くのは、家族の持ち込みまでOKということ。
刑務所内で、普通に子供がはしゃいで遊んでいる。
これも収容定員の増えてしまっている一因らしい。

さらに遊べるのは子供だけではない。
刑務所内には、バスケットコート、フットサルコート、ミニライブ会場まである。
フットサル場ではカラフルなユニフォームを着た囚人たちがフットサルに興じている。
ミニライブ会場には、ドラム、ベース、ギター、マイク、アンプなど、しっかりと機材が揃い、 入所記念に演奏を披露してもらった。
この他、ビリヤード場、筋トレの器材もあるし、教会もある。

それでもここは本物の刑務所。
麻薬関係で捕まった人が大半を閉めるらしいが、殺人罪の人もいるという。
数週間前には、囚人同士の喧嘩で死亡者が出たという。

いったいどうしてこんな刑務所が存在するのか・・・
その理由は、国家財政が悪化し、刑務所へ予算が回らなくなり、運営ができなくなってしまった。
それで仕方なく刑務所は服役囚たちの力で運営しなければならなくなった。
そこで、刑務所が一つの社会になったということである。

その運営費を捻出するために、刑務所は観光事業を始める。
観光客相手に刑務所見学ツアーを考え出したのである。
観光客が警備に賄賂を払い所内を見学するのである。

そうして入所したのが今回の僕。
逮捕されたわけではありませんよ~。
ちょっと騙されました?
ただ、中は本物の刑務所だし、本物の囚人。
ガイドも本物の囚人でした。

しかし、本当に変わった刑務所だった。
お金が稼げて、家族も連れ込めて、遊ぶことだってできる・・・。
もちろんそこにはたくさんの賄賂が絡んできたことは言うまでもないが・・・
さらには、上物のコカインまで所内で普通に流通しいていて、ここで買って帰る観光客もいるという。
実際、僕も売買の話を持ちかけられました。

興味本位で見学をしに行ったけど、罪を償う時間を過ごす場所としては、正直どうなのかなと思いました。

普通に町や村のよう
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サッカーに興じる囚人たち
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音楽に興じる囚人たち
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商売をする囚人と買う囚人とその子供
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ラパス中心街にあるため、見上げれば高層ビルの頭が見える。
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このブログ記事は、主にガイドの話を参考に書いているが、
少し解釈が間違っている部分もあるかもしれない。
ということで、内情を詳しく知りたい方は、以下のような有名な著書も出版されている。
“Marching Powder :A True Story of Friendship, Cocaine and South America's Strangest”
かつて麻薬密売人として、ここで実際に投獄生活を送っていたイギリス人による自叙伝である。
残念ながら日本語には翻訳はされていないようですが・・・。


しかし!!
この本を原作とした映画「Marching Powder」が作成されているとのこと。
主演は、ドン・チードルらしいが、公開日、製作状況については不明。。。
日本に帰るころには観れるかな。

というわけで、街も見どころもデンジャラスなラパス。
そんなデンジャラパスを抜け出し、この旅のハイライトのひとつ、
「ウユニ塩湖」のある町、ウユニへ・・・


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神秘の湖 チチカカ湖 ~ボリビア編~

国境を越え、ボリビア側からもチチカカ湖へアクセス!!

コパカバーナ
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ボリビア側は、この国境から約8kmの町が、チチカカ湖観光の起点になっている。
ボリビア入国後訪れた最初の町だが、明るく陽気な雰囲気はなく、落ち着いた雰囲気の町。
アルゼンチン人の沈没組が多いらしく、レストランの客引きはほとんどがアルゼンチン人で、土産物屋もアルゼンチン人の手作りの土産物屋などを見かけた。
さすがにここはボリビアだから買わなかったけど・・・

コパカバーナからのチチカカ湖観光は、「太陽の島」が有名。


太陽の島
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コパカバーナから太陽の島へは約2時間。

この島では島の奥まで船で行き、帰りの船の出航時間までに島の手前まで戻るトレッキングをした。
またまた歩き続ける旅。
マチュピチュあたりから、歩くこと多いなぁ・・・
旅だから当たり前か。

正直、ここのトレッキングは辛かった。
上り坂中心の3時間トレッキング。
というより、標高の高さによる疲労の早さが原因だ。

トレッキング最中には、こんな似合わない取り合わせを発見!!
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豚に真珠。
じゃなかった、豚と浜辺。
波打ち際で、ブヒブヒとたそがれるブタでした。

どこから見てもチチカカ湖はでっかくて美しかった。
味は無味に近かったけど。


コパカバーナの町で泊まった宿では、展望台のような部屋に宿泊。
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左の窓のところが部屋になっている。
サンセット、サンライズがとても美しかったのだけど、
それ以上に神秘的な現象を見てしまった。
この日はちょうど満月だったのだけど、なんと月のまわりに光の輪ができていたのである。

月の輪
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オーラがムーンムンの月。
標高の高さが関係あるのか、はたまたチチカカ湖の神秘か・・・
よくはわからないが、サンセットやサンライズにあまり感動しない僕でも、
この現象には心を奪われた。

実はこの現象を見たのは、僕のいとこと友人の、結婚式の前夜。
だから余計に神秘的なものを感じた。


チチカカ湖をペルー、ボリビアと、違った角度からのアプローチで堪能した後は、
ボリビアの大都市ラパスへアプローチします。


とうことで、みなさんメリークリスマス!!
ちなみに昨日も申し上げましたが、僕はボリビアにいるわけではありません。
時間差更新お楽しみに!!
よいクリスマスを!!


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神秘の湖 チチカカ湖 ~ペルー編~

チチカカ湖

標高3890m、広さは8300K㎡、琵琶湖の12倍。
ペルーとボリビアの両国にまたがる。
インカ初代皇帝マンコ・カパックが降臨した、インカ帝国始まりの地とされている。
日本のエスニック雑貨屋さん「チチカカ」の店名の由来にもなっている。
ペルー側はプーノ、ボリビア側はコパカバーナという町が観光の起点となる。

プーノ
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標高3855m。
富士山より高いところにある町。
土産物屋は多いが特に町には観光スポットはない。
なので、さっそくチチカカ湖に繰り出すことに。

ウロス島
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「トトラ」という葦を使って作られている浮島。
そう“浮島“なんです!!

その仕組みを簡単に説明すると。。。
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こんな感じ。
最初にトトラの根をまとめ土台を作り、その上にトトラの葉を積む。
そして島が動かないように杭で固定しておく。
大小合わせて約40の島があり、合計約700人が生活している。

昔は杭で固定せずに流れに任せていたとか。
現在、島は、湖畔の町プーノからボートで約45分のところに位置し、観光が大きな収入源になっているようだ。
島ごとに交代で、観光客に島の仕組みなどを説明しているようだった。
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鮮やかな民族衣装に、温かな笑顔。

トトラ舟(バルサ)
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舟までもトトラで作っている。
この舟は「バルサ」という。
トトラ舟にも乗ったけど、すごく頑丈!!
カッチカチやぞ!!

なんでもトトラでやっちゃってるとこがスゴイ!!
トトラの上を歩く感触は、少し柔らかくて気持ちいい。

ウロス島を離れ、さらにチチカカ湖の奥へと進み、次の島へ



タキーレ島
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湖畔の町から離れていることもあり、いまだにケチュア民族が伝統的生活を続けている島。
島に着くなり、約30分間、階段を登り続け、島の頂上へ到着。
頂上には広場があり、島民が縫い物をしている姿が見られた。

タキーレ島は、鮮やかな織物が有名。
異性の織物を、異性が織るという、なんだか心が温まるような文化もある。

おばちゃんも
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おじいやんも
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兄やんも、姉やんも縫い物をしてた。
もちろん、母さんも“夜なべして手袋編んでくれてる”・・・はず。

島の斜面は段々畑になっている。
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自給自足の生活を続けていると聞いていたので、
あまり人擦れしていないかと思ったけど、土産物屋もあったし、写真を撮るときは
皆チップを要求したし(どこの国や地域でもあることだけど)、観光地化されていると感じた。
もちろん、観光は立派な収入源なので悪いとは全く思わなかった。
ただ、ちょっと、予想外だった。


チチカカ湖からプーノへ戻り、国境を越えて、ボリビア側からのチチカカ湖へも訪れる。



■お詫びと訂正
ネット環境の少なさや、高速で南下しているなどの言い訳により、
現在、ブログの更新が大幅に遅れております。
これから連続で更新します。
今の自分の現在位置を、「追いつけ、追い越せ」でがんばります。
追い越されちゃマズイか。
ということで、わたくしがクリスマスにどこにいるのかは、そのうち更新しますので、
お楽しみにー!!




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空中都市 マチュピチュ

翌朝、いよいよ本当にマチュピチュへ・・・
朝一番のバスで、村を出発!!

マチュピチュ遺跡入場口
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我先にと並ぶ観光客


そして、ついに入場!
感動のマチュピチュは…?
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あれ?
霧に包まれて何も見えない…!?

キリピチュ
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最初は、なんだよコレ~!
と思って昼寝までしちゃったけど、ミストに包まれたマチュピチュもまた、幻想的で趣があった。
霧が弱まり、マチュピチュ全景が見えるかと思いきや、また雲隠れ…という見えそうで見えない、いわゆる“チラリズム”にうっとり…。
でも焦らされ過ぎて飽きちゃったので、そのへんにいたリャマに絡むことにした。

リャマ
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あんまり逃げないし、おとなしいし、なかなかかわいい!

と思いきや…
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「ンゴアラァ!!」
いきなり、こんなやんちゃな表情された。

さらに…
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いきなりみんな仲良く放尿脱糞タイム…

すごくマイペースな動物でした。


そうこうしてるうちに、しだいに太陽が昇り始め、雲のカーテンが開き、霧が消え去ると…
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これぞ空中都市マチュピチュ!
まるで「天空の城ラピュタ」の世界にいるかのよう…

せっかくだから、マチュピチュfeat.リャマ
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リャマピチュ♪

ついでにマチュピチュwith俺も公開!!
俺ピチュ♪

・・・は、「いらない」って声が多いと思うのでカットします。


断崖絶壁にある段々畑
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ここで農作業してたのか・・・。
命がけではないか・・・。



ワイナピチュ
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マチュピチュ遺跡の奥に見えている右側の山はワイナピチュ。
マチュピチュ遺跡に内にある標高2690mの山。
マチュピチュとの標高差は250m。
山頂までは約40分。
なんだ、そんなもんかと思い、逆アングルからのマチュピチュを見るために張り切って登頂開始!

30分後…
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なんじゃこりゃあ~
キツイとかのレベルじゃない…
超急勾配!
毎年、落ちる人がいるとか…

僕だって、かつてはバリバリの体育会系!
こんな小山君相手に手こずるわけが…
ありました。
今まで、「膝が笑う」なんてことあるわけないと思ってたけど、今日は僕の膝、大爆笑でした。
何が面白かったのか、ワイナピチュでツボ入ったみたいで。

でも、なんとか辿り着いた山頂からの眺めは絶景!

逆ピチュ!
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気持ちよくて、思わず昼寝。
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気づいたら山頂に2時間もいてしまった。
その間に日本人の年配の方々が登ってきたのだけど、余裕の表情で45分で登ってきたとおっしゃってました。
恥ずかしながら、私は一時間以上かかってしまった。

ワイナピチュの隣に、ワイナピチュよりは、少し小さめの山がもう一つある。
たいていの人はワイナピチュで疲労困ぱいになってしまい登らないが、こちらの山のほうが、マチュピチュに近く、逆ピチュの近ピチュが見れると思い、ちょっと頑張って行ってみた。
案の定、登る時も降りる時も誰ともスレ違わず、山頂で韓国人のおじちゃんと会っただけだった。

逆ピチュの近ピチュ
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このアングルもまた、いとをかしでした。

さらに下山し、晴れピチュを撮影!
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最高のショット♪

こうして、マチュピチュを満喫してきました。


しかし、1つだけ心残りがあります。
それは、「グッバイボーイ」をやり忘れてしまったこと。

・「グッバイボーイ」とは
マチュピチュから村に帰るバスに「グッバイ」と言いながら見送る少年のこと。
この帰り道というのは、いろは坂のように、クネクネと同じ形のヘアピンカーブが続く。
これをグッバイボーイはショートカットしながら駆け下りて、何度もバスに手を振り、最後にチップをもらうというもの。
しかし、チップ目当てで子供が学校に行かずグッバイボーイをやりまくってしまったため、現在は、学校が長期休暇のとき以外は禁止されている。

これを日本人で大人である僕もやりたかったのだ。
実際、一緒に行った仲間は、やって帰ってきたという。
僕はやらずに先に帰ってきてしまったので、後悔…

今後、マチュピチュへ行く人がいたら、やってみては…?


そんなこんなで、帰りは途中まで列車を使いつつ、クスコへと戻ってまいりました。
そして、大好きだった町、クスコを離れ、チチカカ湖へと向かいます!!



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マチュピチュへの道

ついにあのマチュピチュへ…

海外旅行で行ってみたい場所ランキングとかで、しょっちゅう1位になる、
ご存知、空中都市マチュピチュ。


そんなマチュピチュに行くためには、まず、マチュピチュのふもとにある村、マチュピチュ村(アグアスカリエンテス)を目指す。
村に行くには、主に3つの行き方がある。
1、クスコから列車で行く
2、途中まで車やバスで行き、途中から歩く
3、インカトレイル(クスコ郊外から、全長30Km以上を3、4日かけて歩く、超人気トレッキング)
※インカトレイルはマチュピチュ内まで行きます。

僕が選んだのは、2番目の途中から歩くコース。
途中から歩くと言っても、その距離やコースはいくつかある。
僕は途中から、マチュピチュ村までの約10kmを歩くコースで行くことにした。


朝、コレクティーボ(乗り合いのワゴン車)でクスコを出発。

さっそく山道へ突入~!
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なんか電車が模型みたいに見える。

オリャンタイタンボ
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約二時間走り、途中の村へ到着。
ちょっと休憩し、激しい山道へと入っていく。
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激しい悪路で右へ左へ持っていかれる体、砂ぼこりで窓を開けられず、熱気ムンムンの車内…。
うぅ・・・

また酔ったぁ~!!(ナスカ以来この旅2度目)
高山病をバカにした罰!?

景色がキレイなのが、せめてもの救い
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雨でも降った日にゃ、スリップして谷底へ真っ逆さまだろうと思われる崖スレスレの道を、ボロイ昔の営業車みたいなやつで、アグレッシブに攻める。

崖下の眺め
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怖ぃ。
ところどころ落石や土砂崩れの跡もあった。

そして、マチュピチュ村(旧アグアスカリエンテス)へ向かう列車の線路に到着!
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ここからは、「スタンドバイミー」さながらの、線路を歩き続ける旅。
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線路は続くよ、どこまでも♪
あ、どこまでも続かれちゃ困るけど・・・。

途中、ちょっと撮影
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途中、ちょっと昼寝
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途中、ちょっと危険
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途中、ちょっと黄昏
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途中、ちょっと嫌悪
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「マチュピチュなんてたいしたことねぇ」みたいな意味。
「でもそんなの関係ねぇ」って感じ!!
途中、三ヶ所に書いてあった。
たいしたことないか見に行ってやろうじゃないの。
でも、こういうラクガキもちょっと雰囲気出てしてくれてたりする。


さらに歩き続けると、遠くの山の上に、微かにマチュピチュが見え始める。
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この画像じゃわかりづらいけど、あの山の向こうには…!!


ついに村が見えてきた
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先の方に微かに村の灯りが・・・


マチュピチュ村(アグアスカリエンテス)
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到着!
村と聞いていたけど、かなり観光地化されていたことに驚いた。


さらに驚いたのは、日本人観光客の多さ!
ツアー客も多いようだけど、なんでもこの日、ピースボードの3ヶ月世界一周船旅の260人が来ていたらしい。
ここは日本の温泉街かと思うくらい。
彼らは日帰りでマチュピチュという、超強行日程で来たという話を聞いた。
(かなり格安のツアーのため、マチュピチュ村には安く260人が泊まれる宿泊施設がないんだとか)


僕は翌日の早朝から観光するため、宿を探し、そのあと温泉へ。
ちなみにマチュピチュ村の昔の名前は、アグアスカリエンテスというが、これはスペイン語で、温泉って意味でもある。

しかし、「ぬるい」と有名なマチュピチュ温泉
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本当に、ぬるい。寒い。

温泉に浸かっていると、フレンドリーなペルー人男性が話しかけてきた。
お互い、名前を名乗り、はじめましての握手。
うん♪いつもの流れ♪
うん?いつもの流れ?

今の握手ちょっと違ったような…
今、握手した後、引っ張られたような…

まさか…
「ゲイですか?」

「はいっ♪」(笑顔)

ペルーで一番の笑顔を、ここで見てしまうとは…


明日は早いし、はよ帰って寝よっと!
またあした~!
(注:ゲイにまたあしたとは言ってません。せっかくだったけど、好みじゃなかったから、さよならを告げました。)



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インカ帝国の首都 クスコ

かつてのインカ帝国の首都
クスコ
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インカ帝国の言葉であるケチュア語で、「クスコ」は「ヘソ」という意味。
15世紀に、アンデス周辺の王国を統一したのがインカ帝国。
その中心、すなわち都だったのがクスコである。

標高3399mの町。
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空気が非常に薄く、三人に二人が軽度の高山病を起こす。
この町で出会った旅人のほとんどが体に違和感を感じていた。

予防策としては、
・到着後は激しい運動を避ける。
(到着日に元気に動いた人ほど発症しやすい。)
・アルコール、喫煙を控える。
(呼吸を抑制してしまう。)
・食べ過ぎに注意
(消化機能低下のため。)

が挙げられるのだけど、私、全部やっちゃいました。
夜行バスで朝に着いて、炎天下の中、すぐに歩いて市内一日観光。
夜は同じ宿の方々と食事。
食べきれず残してしまった人の分を全ていただく。
それを、ビールで流し込み、酔っ払いモード突入。
ここまで来たら全てやってみようということになり、喫煙。

しかし次の日の体調は快調!
どうやら高山病には強かったみたいです。
ただ運がよかっただけなので、よい子のみなさんは、マネしないでネ。
でも、さすがに空気が薄くて、息が上がるのは早いなと感じました。

石組の町並み
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「カミソリの刃も通さない」と言われるインカの石組。

12角の石
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4角で作れるものを、あえて12角で作ったと言われる。
ここに12人の王族が済んでいたから、1年の月の数を表す、など、なぜわざわざこんなに難しいことをしたのかは、諸説ある。

近くには14角の石まである。
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ここまでやらなくてもと思うけど、すごい。


インカ帝国は16世紀にスペイン人に征服されてしまう。
スペイン人はインカの神殿を破壊し、教会や修道院を次々と建てていくが、その際、インカの石組は簡単に壊すことができず、石組の上に教会などの建設を行った。
数々の地震にも耐え、現在も当時のままの石組が残されている。

現在は、路上で物売りをするおばちゃんたちが警察に追い払われている。
急に取り締まり始めるポリさん
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おまえら、年貢の納め時だ。

逃げるばぁやたち
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やべっ、見つかっちまったよ。
ズラかろうぜ!!


クスコは、マチュピチュへの起点となる都市で、観光の町という感じはしたけど、町並みや景色はキレイだし、市場は大きいし、帽子被った民族のおばちゃん達はかわいらしいし、食事は安いし美味しいし、バーやクラブも安いし、居心地が良くて、とても気に入った。
沈没できちゃうなぁ。
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と思ったけど、
そうだ、マチュピチュへ行こう!



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ナスカの地上絵

「誰が、何のために…」

ナスカの地上絵ほど、この言葉が似合う遺跡は他にないだろう。

■ナスカの地上絵
100~800年頃に栄えたナスカ文化。そのナスカの人々がパンパ・インヘニオという大平原に約300の線を引き、図形、動物などの絵を描いたもの。
暦や星座を表したという説や、宇宙人、鳥人説など、様々なぶっ飛んだ説があるが、謎だらけ。
正式に発表されたのは1939年。


ナスカ
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ナスカの町に到着

ナスカの地上絵は、ナスカ空港からの、セスナ機でのフライトで見ることができる。
地上絵は、世界的に有名だが、その空港のあるナスカの町は、こじんまりとした小さな町。
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町中に、これといってみどころはないが、アルマス広場のベンチにはいつも、たくさんの町の人が腰掛け、談笑していて、平和な光景だった。

さっそく次の日の朝、ナスカの地上絵を眺めるために空港へ

ナスカ空港
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ナスカの地上絵を見るためのフライトのみ発着する、小さな空港



セスナ機(4人乗り)
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これで飛びます!
セスナなんて、こんなときしか乗れない。
それだけでも価値ありかも。
約30~40分間のフライトで、5000円くらい。


コックピット
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狭い。
操縦席、助手席に人が乗るだけでギュウギュウ!


フライト開始!
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いきなり飛行機が90度近い角度に…写真で傾きが伝わるかな?
ちゃんと地上絵が見やすいように、アクロバティックでアグレッシブな運転してくれるんです。



そして…
次々と見えてくる地上絵たち!
とくとご覧あれ!!

ナスカの地上絵「宇宙人」
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ナスカの地上絵「スパイダー」
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ナスカの地上絵「ハチドリ」PC014056_convert_20081202061024.jpg

これ以外にも全部で12個の地上絵を見た。
少し線が薄いもので写真に写りにくいものがあったり、発見遅れで、いくつかの絵は、シャッターチャンスを逃してしまった。

30~40分間のフライトだったが、
飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで~♪
回って回って回って回~る~♪
してたら・・・

とにかく酔うた…。

大のジェットコースター好きの意地とプライドで、最後まで必死に写真撮りまくっていたけど、完全に酔った…。
気づいたら冷や汗かいてた。
朝飯抜いといてよかった…。
隣の席の、ふくよかな欧米人女性は、僕よりも重症で、

ビフォアは、「ワァーオ!ヒュー!」と上機嫌だったのに、
アフターは、「……………うっぷ」と、噴火寸前!!

危うく、ウップス!!!!なシーンを見てしまうとこだった。


パイロットと記念撮影
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このパイロットさんは当たりだったみたいで、絵の近くでは、日本語で何の絵か言ってくれたり、必ず地上絵のまわりをセスナを傾けながら飛行してくれた。
パイロットによっては時間も短く、サービスが悪いこともあるらしい。
サービス精神も旺盛で、最後にはさらにアクロバティックな操縦を試みようとしてくれた。
が、僕のとなりのウップスさんが、かなりのウップス状態だったので、これは断念。
正直、「GO!!GO!!」と強がってみたものの、自分もちょっときつかった。



飛行機から降りて、今度は地上絵の近くまで行き、高さ約20mの観測台からも見てみた。


観測台 ミラドール
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地上絵「足」
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近くで線を見るとこんな感じ
近くだと車のわだちのようにしか見えない…
絵の線は、黒い石や砂を取り除き白い地面を出すことによって描かれている。
雨がほとんど降らない気候が地上絵を残してきたとされるが、だからこそ、そもそもこんな絵を描いたんだろうなぁ。


正式に最初に発見したのは、米国の大学教授ポールコソック氏という方らしいが、地上で見てみると、これが上から見たらデカイ絵に見えるなんて想像もつかない。
この氏の発見前にも高速道路の建設のために航空測量が行われていたらしいが、地上絵は重要視されず、一部が消されてしまったものもあるという。
それを保存しようと必死に訴えたのが、コソック氏の後を継いだマリア・ライヘ女史。


マリア・ライへ女史
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なにやら、普通のあばあちゃんかと思いきや、この方の地上絵保存への執念はすごかったらしい。
この方がいなかったら、今、地上絵が見れていない可能性もあった。
観測台ミラドールも彼女が観察のために建設した。
そのミラドールの近くにはマリア・ライヘ博物館があり、地道な保存活動の様子や使用した道具が展示されていた。

そして、ここで衝撃の事実を聞くことに!

マリア・ライヘさんは、人生の大半の時間を、この地上絵の保存・解読に費やしたそうだが、その途中、事故で手の指を一本失ってしまう。
つまり手の指の数は両手で合計9本になってしまったのだ。

地上絵の中には、指が描かれている絵もある。
地上絵「猿」の手に注目!
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そう、9本なのである。
他の手がある絵も全て9本。
これは偶然なのか運命なのか…
鳥肌立った…。

これはあまり知られていないようだが、かなりの衝撃的事実だった。
(実際のマリア・ライヘさんの手の写真もチラッと見せてもらった。)



ナスカの地上絵は、あんまりよく見えないとか、写真には写らないとか、良くないウワサを聞いていたけど、全然キレイに見れたし、写真もキレイに撮れた。
カメラの腕がいいんだろうけどね。


しかし、ほんとに
「誰が、何のために・・・」



そんな謎だらけの地上絵の余韻に浸りつつ、かつてのインカ帝国の首都クスコへ向かう。




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ペルー上陸

南米大陸へ上陸!!
中米諸国、コロンビアやエクアドルをすっ飛ばして一気にペルーのリマまで来ました。

ペルーについて知っていることといえば…
・マチュピチュやナスカの地上絵など大規模な世界遺産
・先住民が多い
・フジモリ元大統領
・トゥパク・アマルによる日本大使公邸占拠事件
・大学時代のスペイン語のメリダ先生がペルー人

そんな程度の知識
首都リマの印象は…

・予想以上に人や物や交通量が多くパワーがある
・オシャレな建物が多い
・街中に国旗が多い
・以外にリゾート地
・食べ物が安くてボリュームあり
・街の警備が厳重
・教会や広場が多い


首都リマ
リマも旧市街、新市街がある。

リマ旧市街
アルマス広場
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町の中心の広場
南米の都市の中心には、だいたい「アルマス広場」がある場合が多い。
広場を囲むように、ペルー政庁、カテドラル、リマ市役所、リマの中心


カテドラル
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アルマス広場に1535年に建てられたペルー最古のカテドラル。
当時の征服者フランシスコ・ピサロが、リマ建都の日に自ら磁石を置いた。


ペルー政庁
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毎日12:00には、演奏隊の音楽と共に、衛兵の交代式が行われる。
この周りは、警察がウジャウジャで、とにかく警備が厳重だった。
ペルーには国の警察と、観光地用の警察がいる。
このあたりは両方の警察が目を光らせていて、安心だか不安だかよくわからない感情になった。


リマ市役所
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市役所が真っ黄っきなんて、オシャレ。


トーク・ダクレ宮殿(現外務省本館)
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1730年トーク・ダクレ公爵のために建てられた。
外務省がピンクだなんてショッキング。
ショッキングピンク。


サンフランシスコ教会
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教会群の中でも規模が大きく美しいサンフランシスコ教会。
とにかく町中に教会や広場が多く、半径500m以内に7~8ヶ所、教会があった。

とにかく人が多い
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渋谷か!

街並みはオシャレ
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リマ新市街(ミラフローレス地区)
旧市街を5~6km南下すると近代化された新市街に出る。
その新市街を南に歩くと…
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ビーチリゾート!?
ここもリマなんです!
リマに海があるなんて知らなかった…

海のロマンチックな雰囲気には、やはりデートスポットが。


恋人達の公園
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ヒューヒュー熱いねぇ!
お盛んだねぇ!

ちょっと盗撮。
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き、きわどい!!
も、もうちょっと···!!

···っていうか、襲ってるようにしか見えない…
公園の名前と、このモニュメントが示すとおり、ここはカップルだらけ。

リアル版
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みんなイチャイチャしやがって
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いじけてみました。

近くでは海の上を飛ぶパラグライダーのアクティビティもあって気持ち良さそうだった。


ラルコ・マル
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レストランやショップが集まる、海沿いの複合商業施設。
やはり首都の新市街、観光地化されていて、都会でした。

思いがけない海の景色の出現。
海岸通りにポツリとあった果物屋で、マンゴーを1つ買い、日本とは逆から見る太平洋を、しばし眺めました。
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そして、海から内陸へ戻り、これらの街と海を一気に見渡せる丘へ登ろうと歩いていたら…
地元民に、危ないから1人歩きでは行くなと言われる。


サン・クリストバルの丘
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この丘の麓は、かつてスラム街だった場所。
現在も治安が良くないという。
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真っ昼間だったから大丈夫かと思ったけど、危ない危ない…。
気をつけますm(__)m



気を引き締めながら、ナスカの地上絵で有名なナスカへ向かいます!



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南米大陸上陸前に・・・

今日は、いつもとはちょっと違った更新です。

ペルーのリマへ飛ぶために、メキシコシティに戻り、世界の日本人宿の中でも、かなり有名な「ペンション・アミーゴ」に2泊した際の話。

そこで、ある夫婦と出会った。
600ccバイク(ビックスクーター)で北米、中米、南米を旅してきた夫婦だった。
次は、ヨーロッパへ飛ぶという。
ヨーロッパでは、またバイクを購入し、バイク旅行をするという。
そのため、今まで旅をしてきたバイクを誰かに譲ろうとしていた。

そこで、バイク旅行の話を聞いているうちに、
「君も中南米をバイク旅行してみては?」
という話になり、かなり心が揺れた。


なぜ、その話に魅かれたかというと、
”南米をバイクで縦断する”ということには、
自分の中では特別な意味があった。

前回のブログ更新の際に、写真をアップしていた、
キューバの英雄的革命戦士エルネスト・チェ・ゲバラが、
若かりし頃にバイクで旅をした南米縦断の道筋をなぞることができるからだ。

実は、このブログのタイトルは、そのエルネスト・チェ・ゲバラの旅を映画化した
「モーターサイクルダイアリーズ」から取ったものである。

チェに関しては全く興味がなかったが、ロードムービーが好きで、その映画を観たのがきっかけだった。
チェに関しては、今でも自分はよく知らないし、特に尊敬、崇拝はしていないが、
その南米縦断の旅には、すごく影響を受けた。



バイクは破格、免許の問題も何とかなる、時間だって3ヶ月、なくはない・・・
とにかく迷った。
絶対に面白い旅になる!!
人生変わるかも!!

問題は「お金」・・・
ガソリン代、バイクの輸送費がかかることもある・・・
普通の旅より費用がかかる。

そして、なにより問題なのは、「安全」だった。
安全性のあるビックスクーターとはいえ、
1万km以上を走らなければならない。
できないことではないが、事故らない保証はない。

「若いうちは、選択に迷ったら、困難な道を選ぶんだ」
「細かいこと考えずに突き進むんだよ」

と言われ、確かにそう思った。
その夫婦は押し付ける感じも全くなかったし、ものすごく親切に丁寧に
バイク旅行について教えてくれた。

そして、一晩考え、苦悩の末に辿り着いた決断は、
「このままの旅を続けよう!!」
という選択。

正直、旅をしていると、何が安全かわからなくなる。
バス強盗、スリ、ひったくり、暴行・・・
バイクの方が安全な場合だってある。

でも、背伸びをし過ぎるのは、やめることにした。
待ってくれている人たちだっている!
このまま自分に合った旅を続けていこうと思った。

そんな出来事を越えて、南米はペルー・リマへと、飛び立ちます!!



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ビバ·クバ·リブレ!!

カンクンからカリブ海を飛び越え、やってきましたキューバ!
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キューバというと…
・社会主義国
・カリスマ的指導者フィデル·カストロ元議長
・エルネスト・チェ・ゲバラとキューバ革命
・ヘミングウェイが愛したの国
・野球が強い
・ラム酒の国
(クバリブレ・ダイキリ・モヒート・ピニャコラーダなどの発祥地)
・高級な葉巻の国(コイーバ)


キューバ発祥の文化や、有名な人物はある程度知っていたけど、その土を踏んで見た景色、風俗には驚くばかり。
カリブの島国とは思えない…


その第一印象は…
・町が暗い(夜は街灯が極端に少ない)
・壊れた建物が多い
・アメ車が多い
・やたらと「いい葉巻があるぞ」と声をかけられる
・やたらと金をせびられる・サービスの質が低い
・通貨のシステムが面倒
・野球やってる姿をみない・マズイ食べ物がある


首都ハバナ

■町並みについて
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建物がボロいとか、壊れたままとか、道がゴミで汚ないとか、町ですぐ声をかけられるのは他の国でもあるけれど、何か他の国とは質が違う…。
建物は中途半端に壊れているものが多いし、ゴミは食べ物などの生ゴミが多い。

車もボロいけど、なぜかアメ車が多い。
中にはピカピカのクールなアメ車も。
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アメ車はタクシーとして使われていることが多い。



■キューバ人について
声をかけてくる人のパターンも様々。
一番多いのは、「日本人!アミーゴ!葉巻!コイーバ!安いぞ!」
みんなこればっかり。
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キューバには「コイーバ」という有名な高級葉巻があるが、このように町で声をかけてくる人についていくと偽物を売りつけられるという。


他には、民宿やレストランの勧誘である。
フレンドリーに声をかけてきて、「泊まるところは決まっているか?」「安いレストランがあるぞ?」といった感じ。
キューバでは安宿はなく、バックパッカーは政府公認の民宿(民家)に泊まる。
中には政府に公認されていないが安く部屋貸しをしている「闇カサ」もある。
自分が泊まったのは公認宿。
メチャクチャ優しくもてなしてくれる夫婦だったが、何かしてくれた後には必ず、「日本人宿でウチを薦めてね」を忘れない。

レストランについても、「パラダール」という、公認制で自宅をレストランにしている家もあり、客引きをしてくる。

さらに驚くのは、道で会って少し話をして、いきなり「金をくれ」とか「ウチの子にミルクを買ってくれ」と言ってくる人もいることだ。
子供や老人が「金くれ」と言ってくる国はあったが、普通の身なりをした大人が金くれと言うのには驚いた。
「一緒に飲みに行こう」と言って、飲んだ後は勘定を払わされることも多いらしい。

こうなると、悪い人ばかりの嫌な国に思えてしまうが、いい人もたくさんいた。
ウロウロしていると道を教えにきてくれる人もいれば、勧誘の人でも、二度目に会うときは、久しぶりに会った友達のように喜んで声をかけてきてくれるし、ダンスパーティーをしている家を通りがかりに覗けばノリノリで誘ってくれる。
おじいちゃんやおばあちゃんも、ちょっと心配になるくらいガンガン踊ってるし…。
やはり明るいラテンの気質は誰もが持っているようだ。

これらの良いことも悪いこともひっくるめて、その空気、雰囲気が面白い国だ。
町をプラプラしているだけで面白い。
他の旅人は、「ちょっとキレイなインド」と形容していた。


観光地にも訪問した

モロ要塞
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かつて国営警備隊の兵舎だった施設。


カバーニャ要塞(からの眺め)
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チェ・ゲバラが執務を行っていた場所。
モロ要塞の防衛強化のために併設された。
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試しに貨物船、撃沈しときました。


革命博物館
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かつての独裁者バチスタの大統領官邸として使われていた建物
革命に関する武器や資料が展示されていた


革命広場
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広場前の内務省の建物には、英雄チェ=ゲバラの壁画が



また、キューバは文豪ヘミングウェイゆかりの地でもある。
1939年から晩年に至る21年間をハバナ郊外で暮らしたヘミングウェイ

彼がよく通ったバー&レストラン「フロリディータ」
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カウンターのかつて彼が座っていた席には銅像も設置されている。
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「隣、空いてますか?」
「どうぞぅ」

左からダイキリ、クバリブレ、ピニャコラーダを注文
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バーは暗いから色はわかりづらいけど…
違いのわからない男ですが、おいしかったと思います。

モヒート
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キューバの国民的飲み物だが、フロリディータでは注文したができないと断られた。(写真は他の店で)
混んでたし、作るのが面倒なカクテルだからか…?
使用するラムはもちろん「ハバナクラブ」。
しかし、地元民はカクテルなどにせず、そのまま飲むことが多い。


ヘミングウェイが常宿としていた
「ホテル アンボス ムンドス」
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ヘミングウェイが泊まっていた511号室はミュージアムになっていた。
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ここで「老人と海」を執筆したそうな。
読んだことないけど。



■喫煙について
葉巻に挑戦
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チェ様(チェ・ゲバラ)みたいに、ちょっとスカしてみた。
世界で最も良質の煙草を生産するキューバは、喫煙事情もすごい。
いつでもどこでもじいちゃんもばあちゃんも喫煙する。
しかもキューバ人の多くが吸っているタバコはフィルターがなく、ものすごく重いもの。
挑戦してはみたが、普段タバコ吸わない自分は、軽く吸い込むのがやっと。
(葉巻は吸い込まない)



■通貨について
通貨のシステムも変わっている。
キューバには2種類の通貨がある。
観光客用の通貨cuc(セウセ)と、
人民用通貨cup(ペソクバーナ)である。日本人通称、人民ペソ。
1cuc=24cup
1cuc=約130円
1cup=約6円
おおよそ、このようなレート。
場所によって支払う通貨が違うので2つの通貨を使い分ける。
大まかに分けると
観光地の入場料、宿代、スーパーやレストラン、タクシー代は[セウセcuc]で、
屋台や路線バスは[人民ペソcup]で支払う。
もともとは、観光客用と人民用で通貨を分けていたようだが、今では観光客も人民も両方の通貨を使っている。
最初は訳がわからずめんどくさいが慣れてくると、食べ物が激安なことに気づく。



■食べ物について
レストランやスーパーでの支払いは、食べ物も飲み物もセウセ払いで、物価の安さは感じない。
しかし、人民ペソで払う屋台は激安。
一例をあげると…

アイス1cup(約6円)
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トロピカルジュース1cup(約6円)
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ピザ7cup(約42円)
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ハンバーガー5cup(約30円)
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ピザは、もう少し小さくて2cup(約12円)、ハンバーガーは1cup(約6円)のものもあった。
屋台で食べる分には、1日300円あれば普通に食べれる。
1週間いても2100円という計算である。
ただ、中にはゲロマズな食べ物もある。
超がつくほどの味覚音痴な自分がいうのだから、普通の皆さんは一口も食べれないくらいだと思う。
魚や肉が焼けてない、噛んでも歯形もつかない堅い肉、砂糖水でベチョベチョのパンケーキなどなど…。
久々に食べ物を「マズイ」と思った。
それでも空腹を満たすために、全部食べてやった。


■ウルティモルール
キューバではこんなおもしろおかしいルールもある。
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やんややんや。
写真のように、お店などの順番待ちで並んでいるとき、一列に並んでいないことがよくある。
でもキューバ人は自分の順番がわかる。

これにはこんな仕掛けがある。
自分がその人だかりに着いたときに、皆に向かって、
「ウルティモ!」と言う。
“ウルティモ”とは、“最後”という意味で、「今一番最後に並んでいるのは誰?」と聞いているのである。
すると、一番最後の人が「俺だよ」と言ってくれるので、その人の次に自分が行けばよいのだ。
だったら最初から一列に並べばいいのに…と思うけど。
日本のデパートの婦人服売場のバーゲンで取り入れたらいいかも。


そんなキューバに慣れてきたところではありましたが、やはり首都ハバナだけでは、どんな国かはわからない!
というわけで、ハバナから 南東へ約280km,トリニダーへ


トリニダー
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石畳の道、平屋のカラフルな家々、町中で遊ぶ子供たち…
これぞ中米の町の景色!


とは言うものの、トリニダーは世界遺産に登録されている町にしては、インパクトに欠ける。
そもそも世界遺産の基準って、よくわからん…。


それはさておき、首都から離れて地方の町に着くと、どこか落ち着くが、キューバに関しては、ハバナのおかしな雰囲気のほうが魅力的だった。
何の目的もなく歩き続けるだけで、いろいろな発見があった。

キューバに来るために、航空券代、空港使用税と、かなりお金を浪費してしまったが、その空気を吸えて、本当によかったと思う。
言葉ではうまく説明できない魅力がたくさん詰まった異質な国だった。
キューバの政治、経済、文化…もっと知りたいことだらけになった。
独自の社会主義制を貫いてきたキューバのカリスマ的な指導者・カストロ議長ももう高齢で、弟のラウル·カストロに実権を譲り、すでに変化の中にあるというこの国が、今後どう変わっていくのか、すごく楽しみに思えるようになった。
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キューバで中米を締めくくり、メキシコシティからペルー・リマへ飛び、いよいよ南米大陸へ…



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プロフィール

原田 諒二                                     (はらだりょ-じ)

Author:原田 諒二 (はらだりょ-じ)
あの海の向こうには何があるんだろう?
どんな人たちがいるんだろう?
そんな単純な想いを胸に
いろんなものを見て
いろんな人と触れ合う旅の
真っ最中!!

2008年10月21日 世界一周出発

2009年9月28日 帰国

2015年1月2日 世界二周目に出発!!

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