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マナリなり~!! 8月27日~30日

レー~マナリ間は、悪路と絶景で有名。

諸刃の剣か!

そして、レー発が深夜1時・・・

チェックアウト後、宿に居させてもらえず、深夜、野犬に襲われながら、バス乗り場へ・・・。
レーは平和とわかっていながらも、やはり深夜にバックパックを背負っての一人歩きは怖い・・・。
1軒だけ空いていたレストランに避難し、バスを待つ。

遅刻者が出て、深夜1時半発。

悪路には慣れているし、20時間近い移動なんて、寝てしまえばすぐ着くと思ったけれど・・・

そんなレベルではなかった。
席が後部座席で揺れやすかったのもあるけれど、衝撃で腰が宙に浮いてしまうほど・・・
なかなか辛い移動になりそうだと思い覚悟を決めた直後・・・


車が止まる・・・

きゅるるるるるるるる・・・

きゅるるるるるるるるる・・・

きゅるるるるるるるるるる・・・

エンジンかからない・・・。

故障。。。


深夜の移動だから、ほかに車なんて全然通らないし、このバスの会社の人もきっと夢の中。
インドより親切なチベット文化圏といえども、24時間対応サービスなんてしてないだろうし・・・。
結局、いつ出発するかわからないまま、朝を待つ。

朝方、代わりの車が到着。

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再び走り出す。

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噂どおり、なかなかの景色!

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雪がかかった山々は、なぜか神々しさを感じる。


マナリに着いたのは、深夜2時・・・。
宿で1泊分取られるのが嫌なので、朝までバス乗り場で待つことに。

そして、向かった先は、マナリの、バシシュトという地区。


マナリは、主に、3つの地区(村)に分かれている。
旅行者は主に、オールドマナリかバシシュトに泊まることが多い。


ニューマナリ(マナリの町の中心部)
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バシシュト
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オールドマナリ
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行ってないので、バシシュトから撮影。


僕は、バシシュトに泊まることにした。


マナリは、避暑地として有名で、山、森に囲まれた、のんびりしたところ。
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ここでしたのは、主に、同じ宿の旅人とのんびり。
ぜんぜん観光してないので、書くことがあまりない・・・。
というか、ここは観光というよりも、のんびりするところ。
だから、ま、いいか。


そして、バシシュトには無料で入れる温泉がある。
それを目当てでバシシュトに泊まる人も多い。
僕もそれ目当てだったんだけど、いつものんびりしてたら、入りそびれた。

ま、マナリでは、のんびりできたことで満足なり。


次の町では、いよいよ旅の最後を飾るイベントが控えている。



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コルカタ ~マザーハウスでのボランティア~ 8月7日~18日  

ブッダガヤからコルカタへ。

コルカタは、デリーやムンバイと並び、インドの玄関口として利用される大都会であり、かつ経済の中心地でもある。

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混沌と喧騒、インドを象徴する町のひとつとしても有名。


サダルストリート
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サダルストリートは、有名な安宿街。

たくさんの安宿が軒を連ね、世界各国の旅行者が集まる。



僕はこの町を観光する気はゼロだった。

ここに来た目的は、マザーハウスでボランティアをさせてもらうことのみ。



■マザーハウスとマザーテレサ
本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジウ。
カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」(カトリックの女子修道会)の創立者。

インドのコルカタ(カルカッタ)の貧困地帯に住み、宗教にこだわらず、苦しむ人、見捨てられている人のために、献身的に奉仕した人として知られている。

1973年テンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞など多くの賞を受けた。

「神の愛の宣教者会」の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からもケアされない人のために働く」ことであるとされた。

さまざまな苦労を経て、1952年、インド政府の協力でヒンドゥー教の廃寺院を「死を待つ人々の家」を開設した。
これが、マザーハウスのはじまり。
その後、彼女の活動は世界的にも認められ、孤児や障害者の施設も設立され、彼女の活動は彼女の死後も、修道女たちによって、世界に広められている。



■他の施設の簡単な説明
・シュシュババン  約200名の孤児院がいる施設。障害のある子どももいる。
・ダイアダン 10歳前後の障害のある子どもが生活している。
・プレムダン 主に長期療養の老人が多い施設。カーリーガートより症状の軽い人がここで生活している。200~250名が生活している。
・シャンティダン 障害(精神病)を持った女性と、こどもが生活している。男性は入れない。
・ナボジボン アルコール中毒、ダウン症、障害のある少年など、男性限定の施設。シスターではなく、ブラザーにより運営されている。

注:オリエンテーションでメモをした情報なので、少し違っている部分があるかもしれません。



数ヶ所ある施設の中で、僕がボランティアをさせてもらったのは、「カーリーガート(死を待つ人の家)」
上の文章にもあるが、1952年、マザー・テレサが最初に建てた施設。
男女各50名くらいの人びとが生活している。
路上生活者などが、ここに運び込まれてくる。
生死にかかわる状態の人が多く収容され、ここに来てまもなく亡くなる人も多い。


カーリーガート(死を待つ人の家)
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ここで約1週間、仕事をさせてもらう。

施設の入り口
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施設内
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施設の前の通り
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マザーハウスの施設の中で一番最初にできた施設。
マザーテレサが、道端で死にかけている人を施設に連れていき、食べ物を与えた。
もう助かる見込みのない人でも、最期の一時間でも10分でもいいから、愛を与え「あなたは愛されてる」という愛を感じてもらう。
そういうところだ。

まず、訪れてみての感想。
死を待つ人の家という名前から、かなりの重病者ばかりだと思ったが、意識が普通にあり、歩けたりする「負傷者」のような人も多い。

話すことができない、歩けない、自力で動けない人もたくさんいる。


あと感じたのは、施設の簡易さ。
ベッドのまわりには何もないし、ベッドとベッドの間は狭い。


また衛生面も日本人目線だと気になった。
トイレでは尿が足裏に着きやすかったりする。(皆、裸足)


ボランティアがやる仕事は、主に、食事の配膳や補助・片付け、洗濯、着替え、飲用水の補充、マッサージ、トイレの世話(尿瓶の交換、トイレに行くまでの補助、用を足す際の補助)だ。


1日目はとにかくやることを覚えるので精一杯。
気がついたら時間が終わっていた。


2日目はわかっている仕事を素早くこなし、また少しずつ新しいことを覚える。

3日目以降は、要領がわかってきて、スムーズに動けるようになってくる。


少しずつ、患者さんの顔や、よくこちらに求めてくることも覚えてきて、スムーズな動きになってくるが、一生懸命目を見て、英語やジェスチャーや、体に触ったりして、何を求めているのか探しても、どうしてもわからないときもあり、とてももどかしい。

英語がわからない人もいるし、言葉自体を話せない人もいるし、頭に障害を持っている人もいるだけに目から考えていることを読み取るのは非常にに難しい。

でも、それをわかってあげられて、ありがとうの視線やしぐさをもらえたときの嬉しさは大きい。

数日のボランティア活動を行い・・・

最終日…
トイレの世話は、それまで尿瓶の交換や、トイレに連れて行き補助をする程度だった、トイレの世話だったが、ついに、大きい方の処理をするときがきた。
動けない人は、寝たまましてしまうときがあるのだ。

変な表現になってしまうけど、これはここでやっておきたかったことの一つ。

他人の便を処理するのはもちろん初めて。
この日は二回あった。
普通の便と、下った便。

脱がせて、ベッドとその人を拭いてあげて、着替えさせる。
できると思ってたし、ちゃんとできた。
手についてしまっても大丈夫だった。

でも、これは短期ボランティアだから我慢してできたことなのかもしれない。
できたけど、大変だと思ったのは事実。
こういう場面一つだけをとっても、介護・福祉関係で働き続ける人ってすごいなぁと思う。

日本の高齢化社会についても、福祉関係の人に任せるばかりでなく、僕らの世代が、もっと真剣に考えていかないといけないなと思った。



また、寝たきりの人が多いだけに、マッサージを要求してくる人も多い。
体に触れてみると、びっくりするほど細い。
マッサージを強くし過ぎたら折れてしまうのではないかと思うほど…
マッサージの技術はないけれど、その人の目を見ながら探り探りやってみる。
基本的に、表情に変化が少ない人が多いが、「痛い」や「気持ちいい」は、目やしぐさで伝わってくる。


細い足…
この人は、元気だった頃、この足でリクシャをこいでいたのだろうか…


細い腕…
この人は、元気だった頃、この腕で重い荷物を運んで働いていたのだろうか…


動きの少ない目…
この人の目は今まで一体何を見てきたんだろう?
若い頃は、元気な頃は、何をしていたんだろう?
この人の目の奥には、どんな歴史や文化があるんだろう?

そして今、何を思う目なんだろう?

深い…

動きの少ない目の奥で、何かを絶対に見ている…

そんなことを考えながら、患者さんの体に触れ、ゆっくりとマッサージする。


腕や足、体は動かなくても、目と手は違う。
あたたかい温度を感じる。


一番の活気を見せるのが食事時。
「早く持ってきてくれ」「おかわりくれ」という目は、すごく力がある。

そして、さすがはインド人。
食事の手さばきはすごい。
体がそんなに動かない人でも食事のときの手の動きは芸術的。
キレイにご飯とカレーを平らげる。


食欲も旺盛!
たくさん食べている姿や、満腹そうな顔を見ると、本当に安心する。
食欲は生きている証のひとつだと思う。

誰がここを「死を待つ人の家」と日本語訳したのかは知らないが、この人たちは、死を待ってなどいない。
そう思った。

(他国、多言語の呼称は「死を待つ人の家」ではないという)

なんとか歩こうとする人も多いし、歩くのを補助しようとすると断る人もいる。
頑張ってる人がいる。

すぐに贅沢やワガママを言う人もいる。

それも生きる前向きな信号だと思う。

何よりみんな目には力があるし、手も温かい。

始めに持っていた「死を待つ人の家」への、漠然とした恐怖心はいつの間にか、ふっ飛んでいた。



先は長くないのかもしれないけれど、一生懸命に生きてる人、その人たちに愛を捧げる人たち。
マザーテレサの素晴らしい愛の精神は今もしっかり受け継がれ、患者たちにも伝わっているのではないかと感じた。

それを知ることができたこと、そこでボランティアをさせてもらうことができたことを、幸せに思う。
また同時に、この経験を、何かに生かさなくては意味がないとも思った。
忘れずに考えていきたい。





■高橋歩さんの学校へ (IN バラナシ)

話はさかのぼり、バラナシにいたときの話になるけれど・・・

ガンガーの対岸を少し奥に行ったところにある、高橋歩さんが中心になって興した活動により建設された学校があるので行ってみた。

旅の途中、シリアとケニアで会った旅人が、その学校作りに携わっていたため、僕はその学校の存在を知った。

そして、時間はないけれど、訪問してみようと思ったのだ。

高橋歩さんは、ご存知の方も多いと思うが、
自伝出版のために、自分で出版社を設立し、数々の著作をヒットさせる。
そんな社長の肩書きを捨て、世界一周旅行に出たり、沖縄の無人島にパラダイスを作ろうとしたり、登校拒否や引きこもりの人のためにフリースクールを作ろうとしたりする、「自由人」。
現在も、二回目の世界一周に出ている。
バックパッカーのあいだでは当然、有名で、その本をきっかけに旅に出るようになった人も多い。
よく日本人宿の本棚で高橋歩さんの本を見かける。
「毎日が冒険」「人生の地図」など。

今回、訪れたバラナシの学校は、「スクール&ロッジプロジェクト」により建てられた学校。
これは、経済的な問題や、社会制度などの問題により学校に通えない子どもたちのために、無料で通える学校を作り、学ぶ機会を提供するというもの。
現在、ジャマイカのキングストンと、このバラナシの二校が開校されている。

学校全景
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入り口の扉
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教室内の様子
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建設に携わった日本人ボランティアの寄せ書き
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希望の言葉が書かれた紙が壁に貼られていた。
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教室
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屋上からの風景。
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小さなレストラン 日本食が食べれる。
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放課後に残っていた、ここに通うこどもたち
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手作りの校舎の壁
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この学校の運営のしくみは・・・
学校とともに、ここにゲストハウスが併設されており、その宿泊費が、学校の運営費に充てられるとうもの。
旅人が泊まるだけで、寄付になるというものだ。
僕がウガンダで行ったように、旅人が先生をすることもできる。
現在は、日本人の女性ボランティアが常駐して責任者をやっている。

学校もゲストハウスも旅人、日本人ボランティアによって手作りで建設された。


今回、残念ながら僕は時間がなく宿泊することができなかったが、少しの寄付だけしてきた。

困っている人のために何かをするいうのは、本当にすばらしいことだと思う。

この旅で、そういった見返りを求めない慈善活動に本当にたくさん触れた。

いつも、こういう活動には興味は持つけれど、いつも自分の生活でいっぱいいっぱいになってしまい、今までは何も協力してこれなかった。
けれど、日本にいても、遠くからでも、寄付などの支援で関わっていくことはできるのだから、今回の、この旅で訪れたところで、考えに共感できるところへの支援は帰国後、していきたいなと思った。



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ブッダガヤ 仏教最高の聖地 8月5日~6日

目的地だったブッタガヤにやっと到着。


ブッタガヤ
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のどかな雰囲気の小さな村。
インドの中でも貧困という面で、底辺地域にあたるという。


ここに来た目的は、紛れもなく仏教徒最高の聖地へ参拝すること。


村のすぐそばに聖地はある。


マハーボーディ
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ブッタガヤは仏教最高の聖地、に建てられた寺院。


仏教徒の僕にとっての最高の聖地・・・
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恥ずかしいことに信仰心は厚くないが、仏教徒としてここに来れたことは幸せなこと

と、自分に言い聞かせる。


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巨大なわけでもなく、壮麗さもない。
だけど、ここに近づくにつれて、心が落ち着き、安らいでいく不思議な現象が僕の中で起きた。
やはり自分は仏教徒なのだと自覚する。
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本殿
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高さ52m。
内部には、黄金の仏像が置かれている。

この中の空気も、とても静かで、今までに訪れた、他の宗教の寺院とはまったく違った、落ち着く感覚を受けた。


寺院のまわりを歩く。
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ブッダの歩いた場所でもある。

この寺院の裏にブッタが悟りを開いた場所がある。


菩提樹
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ブッダが覚りを開いた場所。
全仏教徒にとって最高の聖地。
約2500年前、出家したゴータマ・シッダールタは、苦行の旅の末、この菩提樹の下で瞑想に入る。
そして49日目に覚りを得て、ブッダとなる。


当然、巡礼者、参拝者も多い。



■四大仏跡
・ブッダ誕生の地、ルンビニ
・大悟の地、ブッダガヤ
・ブッダによる初転法輪(最初の説法)の地、サールナート、
・ブッダ入滅の地、クシナガル(80年の生涯を閉じた場所)

ブッダの生涯において重要な地とされ、仏教徒の重要な巡礼地とされている。
※仏教の聖地は他にも何ヵ所かある。

蓮池に浮かぶ仏陀の像
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そして、夜もここへ足を運んだ。


夜のマハーボーディ
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夜も夜でまた昼とは違った落ち着いた雰囲気を持つ。

菩提樹の下では、僧たちがお経をあげていた。
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イスラエルのエルサレムに行ったとき、あまり何も感じなかったのだが、ここに来たとき、なぜか気持ちがものすごく落ち着いた。
いつまでもここに留まっていたい気分になった。
僕は信仰心が深くないけれど、やはり自分は仏教徒なんだと自然に感じることができた場所だった。
仏教について、少しは勉強しないといけないな、という気になった。


翌日は、早朝から日本山妙法寺へ座禅をしに訪問。
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毎日、朝5:00から座禅が行われるとのことだったが、一時間経っても、お坊さんは現れず。
これが本当の「寝坊」ってか?
ちょっとガッカリしたけれど、「どんなことにも惑わされずに静かに座禅せよ」、みたいなメッセージなのかと勝手に解釈し、自分で勝手に座禅しておいた。
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■噂!?

噂に過ぎないのかもしれないが、日本人の旅人の間で、こんな話が噂になっていた。
この菩提樹にオウム真理教の麻原が登り、引きずり下ろされたとか。
また、どこか他の地で、座ってはいけない神聖な場所に座ろうとし止められたという話も聞いた。

これらは、あくまで噂に過ぎないものかもしれないが、彼らがまだ日本で問題になる前にインドに修行に来ていたのは事実で、僕はその写真も見た。

まだまだ終わらないオウム真理教関係の裁判や、いまだ捕まらない容疑者、忌々しい事件の数々を、久々に思い出した。




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メメント・モリ ~ガンガーノムコウ~

R指定!!
※今回の記事には、かなりグロテスクな写真を載せています。
苦手な方は、この記事自体を見るのをやめてください。
見る方は自己責任で。



日食の衝撃は凄まじかった。

心を打たれ過ぎて、何も手につかないような放たれた感覚と、自分の体に宇宙のパワーが宿って、何でもできてしまうような開いた感覚が同居した不思議な感覚で、数日を過ごした。


その宇宙を浮遊しているかのような僕の心を「現実」へと着陸させたのは、聖なる河ガンガーだった。

早朝、ガンガーへボートで繰り出したときに、そこにあった光景が、僕を思いっきりリアルへと引き戻したのだ。


※今回の記事内の写真は、過激な内容のものがあります。
グロテスクで生々しいものなので、そういった類のものが苦手な方や、食前、食中、食後の方は、この先を読む、見るのを止めてください。



早朝のガンガー沿いは気持ちがいい。
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沐浴する人、じっと祈りを捧げる人、商売の準備を始める人…
1日が「始まる」という臭いがプンプンする。

ガンガーの向こうの空を見上げると、二日前に同じ時間帯に起きた日食の映像が蘇ってくる・・・。


ボートがガンガーへこぎ出される。
ガートの喧騒が遠ざかり、オールが立てる水の音に浸る。
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メインガートを過ぎると、さらに静かになっていく。
火葬場の前を通る。
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先日、何本も上がっていた煙の柱は一本もなく、束の間の静寂を迎えているようだった。
ちょうど、一体の遺体がガンガーに浸されるところが見えた。
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今日もまたたくさんのヒトがかえっていくんだろうな…


次はガンガーの対岸へ渡ってもらう。

今日まで二週間弱、毎日眺めたガンガー。
そして、その対岸。
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ガート側の喧騒とは対照的な静寂。

しかし、ただの静寂ではない・・・

そこには、強烈なリアルが転がっていた。



誰かが見ている…。

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ナニヲミテイル?
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コチラヲミテイル?
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いや、見ている先は火葬場か…

荼毘にふされなかった無念なのか・・・


何かが流されている・・・
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何かが流れついている・・・
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僕と同じ種類に属する生き物だろう・・・。

これも・・・
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これも・・・
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カレも・・・

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何かが喰われている。
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あれもきっと、僕と同じ…

近くへ寄ってみる。
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争うことはない。
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食べるところならたくさんある・・・


完全に、藤原新也氏の「メメントモリ」の世界。
「死を想え」・・・か・・・。


そんな光景を見て、僕はまたただただ見つめ、淡々とカメラのシャッターを切った。

人間は、食い喰われる、ヒトというただの生き物であることを感じる。

自分と同種の、仲間の生き物であるヒトが、イヌによって喰われるのを、ただ呆然と見つめていた。



ガートに戻ると、たくさんの生きている“ヒト”が“水浴び”をしていた。
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それを、“ヒンドゥー教徒”の“沐浴”と、ここでは呼ぶことに気づいたとき、ボートと僕はいつもの世界に戻ってきた。

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ふぃ~~!!  

さっ、今日もチャイでも飲んでボーっとしよ~っと。




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ヒンディーのかえりかた 7月16日

ここに来たら、行かなければいけない場所。

バラナシに着いて5日。

ガンガーを眺めて過ごす日々…
薄れてしまった旅への好奇心…


それでも、そこに行くことはいつも意識していた。

そこに行ったら、何も感じないはずがない。



火葬場。

ヒトのカタチがなくなるところ。


写真はないですが、文章内にグロテスクな表現・描写があるかもしれません。
苦手な方は、読まないでください。


マニカルニカーガート
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↑↓※火葬が行われていないときに撮影
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ここは、日本の火葬場とは違う。

室内ではない。
野外だ。
薪を並べ、その上にヒトを置き、そのまま火をつける。


ヒンドゥー教徒は亡くなると、皆、ここに運んでこられ、一度、ガンガーに浸され清められたのちに、ここで荼毘に付される。
そして、遺灰はガンガーへ流される。
金が無い人、赤ん坊、妊婦、蛇に噛まれて死んだ人はそのまま流される。
(ガンガーの中心までボートで行き、おもりをつけて沈めるらしい)



この火葬場は旅行者でも訪れて見学することができる。
しかし煙が上がっているとき(火葬中)の写真撮影は禁止されている。
※上に載せた写真は後日、早朝にボートに乗った際にガンガーから撮影。このときは、火葬が行われていなかったため、撮影できた。


ちなみにこんな場所でも「うそつきインド人」は健在で、様々な嘘で旅行者から法外な値段を請求してくる。
僕が仲良くなったインド人は、何を言われても払う必要はないと言っていたので、それを信じることにした。

僕が立ったのは、火葬が行われているところから3mほど上にある段差の上。

旅行者は、火葬場のそばにある寺に連れていかれ、展望台のようなところから見ることが多いというが、それも断っていいと聞いていたので、なるべく近くで見ることにした。

が、予想通り来た。

「ここは家族以外、いてはいけない場所だ。」

「いや、もうここに来るの三回目だし。前もずっとここにいたし。」

「はぁ?ダメなんだよ!本当はツーリストはそこにある寺の上からしか見ちゃいけないことになってるんだよ。
ここは遺族の場所だ。遺族に敬意を払え。あと金も払え。さもないと俺らのボス呼ぶぞ。」

「OK.呼べば?俺、ずっとここにいるし。」

彼らの一人が電話をし始める。

何とも思わない。

こういうのは本当に慣れた。

インドは人がうるさいとよく言うけれど、どこの国にもこういう輩はいる。



僕がインドに入ってあまり衝撃が大きくないのは、すでに他のたくさんの国を見てきて、いろんな汚さや人のうるささに慣れているからだろう。


旅に慣れてなかったら、ここでお金払ったりしてしまってるのかな…


さて、そんな輩を三組ほどかわし、火葬に集中。

※もちろん「ボス」は来ず。


火葬場では、すでに数ヶ所から煙が上がっていた。
何ヵ所あるんだろう?


ざっと数えただけで10ヶ所弱はある。

大きく分けて、三ヶ所あり、それぞれ横ならびに四列、三列、三列、と、火葬を行う場所がある。
並んだ火葬場の幅は、1~2m。

次の火葬に向けて準備されているところ、もう燃え終わっているところ、今、まさに燃えているところ…

火葬は次々に行われている。



今まさに始まろうとしているところがあり、それを終わりまで見届けることにした。


遺体は布に包まれたまま、積み上げられた薪の上に仰向けに寝かされる。

そして、たいして間をおかないうちに、何も儀式的な動きはないまま、無造作に薪の下に火が投げられる。

火は体の下で炎を出して燃えはじめる。

しばらくは、そのまま、特に変化はない。

やがて炎が体の横に登り始め、体を包んでいる布にも火がつきはじめる。

体の背面部はきっと燃えはじめている。

体にかぶさった布が黒く焦げ、上半身が露になってくる。

体が完全に炎に包まれ、インド人の褐色の肌が、黄色へ変色していく。

体の場所にもよるのだろうけど、ヒトの体が燃えると黄色くなるのは、このとき始めて知った。


僕が立っていたのは風下で、煙や灰が直撃してくる。
ヒトが焼かれる臭いというのは、特にない。



ここに来るとき、臭いは直接鼻から体に入ってくるものだから、“人を焼く臭い”には少し抵抗があった。

でも、特に鼻につく臭いはなかった。

灰は…“ヒトは灰になる”というけれど、飛んでくるこの灰は薪の灰なのか、それとも本当にヒトの灰なのか…よくわからない。

けれど、いま自分が人を焼いている煙と灰にまみれていることは確かだ。




黄色くなった肉体は、その後、黒く変色していく。

それまでは“溶けている”感じだったが、いよいよ本当に燃えているということを実感する。


ただただ、ボーッと見ていると、突然…


何かが体から出てきた。

腸だ。

明らかに、そのカタチ。長さ…

お腹が破裂して出てきたのだ。


やがて腸も黒くなり始め、足は骨が見えはじめ、頭部も黒く、そして、全体的に小さくなり始める。


二時間ほど立ち、体はすっかり小さくなり、火葬場の係のような男が、棒で体の位置を動かす。
ヒトのカラダを扱っているようには見えないほど、淡々としている。

全ての動作が淡々として見える。

泣き崩れる遺族も見なかったし、火葬中も遺族は淡々と待っている。


僕もただただ立ちつくしている。


いよいよ、ヒトのカタチがなくなろうとしている。


思っていたような衝撃や恐怖はなく、当たり前の光景をただ見ている。
そんな感じだった。


でも、自分が見ていたそのヒトの火葬が終わるまでは、何故か立ち去ろうという気にはなれなかった。

やがて、喪主らしき人が、遺灰をガンガーへと投げ込んだ。

ヒトがひとり、かえっていった。


それでも、そのまま動けずにいると、インド人に話しかけられる。

彼は「よくここへ来る」と言う。

そして、「自分もいつかここへ来るから」とも言っていた。



僕はヒンディーではないからここへは来ないけれど、火によって送られるとはどういうことなのか、しっかり目に焼きつけた。

その日はしばらくガンガーを眺めてボーっとしていた。

いつもとは違う風景に思えた。


あとは、ただ日食を待とう。




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原田 諒二                                     (はらだりょ-じ)

Author:原田 諒二 (はらだりょ-じ)
あの海の向こうには何があるんだろう?
どんな人たちがいるんだろう?
そんな単純な想いを胸に
いろんなものを見て
いろんな人と触れ合う旅の
真っ最中!!

2008年10月21日 世界一周出発

2009年9月28日 帰国

2015年1月2日 世界二周目に出発!!

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