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さっそく再開予告

もう一カ国、20日間ほどで行ってきました。

そのうち、書いてみます。
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この長い旅を振り返って



日本では、ここ数年、海外に関するテレビ番組が増えているようだが、
やはり、今回また旅に出て感じたのは、写真やテレビには映らないものこそ、旅の醍醐味だということ。
現地人とのちょっとしたやりとり…
旅人との出会いや再会…
目的地にたどり着くまでの試行錯誤、不安…
旅が長くなるにつれ変化していく心境や価値観…
空気、匂い、色、味、音… 
人の目の輝き、表情の変化、声質、間、手の感触…

それら以外のスピリチュアルな何か… 

僕は、やっぱり長旅が好きだ。
長旅でしか味わえないこと、感じられないことはあると思う。
いろんなことから、どんどん切り離されて、
「自分」と「いまこの目の前」しかなくなっていく感覚が好きだ。
あと、恥ずかしながら、自分がすごく大人になったかのような、あの錯覚も好きだ。

ただ、やっぱり、「日本に帰る」ことは自分の旅の大前提。
だから、楽しめる。 
「日本に帰れる」という安心感を背負っているからこそ、
前に踏み出していける。
最後の目的地、日本は、ある意味、一番楽しみな目的地とも言えるかもしれない。


そしてその日本へ帰ってきた今、もう一度、この旅を振り返ることで、この旅を終え、
また前に進んでいこうと思います。




旅を振り返って

今回の旅は、約6カ月間。
もともと予定していたのは約6カ月間だった。

体調が良ければ、東欧、西欧、アジアをあと2カ月ほどでまわってから帰ってこようと思っていたが、
残念ながら予定通りの期間で旅を終えた。

当初は、

南インド~南米~アメリカ~ヨーロッパ~アフリカ

の予定だったが、

南インド~南米~アフリカ

となった。

1月2日に出発。
ブラジルのカーニバルの時期に合わせていたこともあり、南インドは延長することなく3週間ほどでまわった。
印象的だったのは、南インドの人の穏やかさと、北インドとの文化の違い。
バックウォーターのクルーズとゴアやコヴァラムのビーチでの時間は穏やかで極楽だった。
南インドは食も口に合い、食堂めぐりや買い食いをして、チャイで一息。これも極楽だった。

その後、1月末から入ったブラジル・サルバドールでは約1カ月ほどカーニバル一色で過ごし、その時のメンバーとアマゾンの旅へ。
この頃から体調が悪化。アマゾンでは40度の熱を出す。
そして、アマゾンから出たときにはさらに1カ月が過ぎていて、そのまま南下。
2月後半、ペルーからボリビアに一気に移動。それまで不安定だった体調がこのあたりから本格的に悪くなる。
ラパスでは彼女がアマゾンの尾を引いていた感染症で入院。
ウユニ塩湖は薬の効き目もあり、気持ちよく観光することができ、そのままチリのアタカマへ抜ける。
アタカマからは彼女と別々の旅をする。彼女は南のパタゴニアへ、僕はチリ、アルゼンチンを横切り東のブラジルへ出戻り。
この頃には、病院を転々としながら、薬も飲んだり飲まなかったり・・・
薬なしでは症状を抑えられなくなる。
パラグアイの日本人居住地では約2週間療養し、治ったかのように見えたが、その後向かったアルゼンチンで再発。

本来、南米のゴールはコロンビアのボゴタ。南米を南下した後、もう一度北上し、ボゴタからアメリカへ飛ぶ予定だったが、
南下している中で、もう一度北上することが面倒になり、アルゼンチンからアフリカに入ることに。

アフリカには南アフリカから入り、喜望峰から前回の旅の逆再生を開始。
ナミビア一周し、ビクトリアの滝で体調不良に耐えきれなくなり、帰国チケットを買うが、あきらめきれずキャンセルして根性で旅続行。
ボツワナでのサファリ、ジンバブエでのムビラ修行のホームステイをして北上。マラウィで少しだけ癒され、東アフリカタンザニアへ。
ザンジバルでは、きれいな海を前に海風に吹かれ、友達から薬をもらって少し元気になるが、エチオピアの湿気、標高、衛生面の悪さで症状悪化。
帰国を決めた後、一度はあがいて北部のメケレへ行くが、動けなくなりあえなく帰国。


今回、前回の旅で訪れたところにも多く訪れた。
まわっていて感じたのは、訪れた国が漏れなく物価が上がっていたこと。
そして、デジタル化が進んでいること。

南米最貧国のボリビアや、エチオピアでさえ、宿が安いとあまり感じられなくなっていたし、
元々物価の高いブラジルはさらに物価が上がっていた。
円が安いということも、感覚的にはあるが、根本的にもどこも現地価格で値上げを行っている。
まだ上がる気配を感じる国も多い。
旅に必要な予算はこれからさらに上がっていくのかもしれない。

そして、もうひとつ驚いたのは、デジタル化の波が全世界に広がっていること。
前回の旅のときは、iphoneが発売されたばかりで、ナミビアのツアーの際、スコットランド人がiphoneを持っていたのは見たが、
現地人がスマホを持っているのを見た記憶はない。
今回の旅の中で、現地人のスマホを見かけなかった国はない。

僕は仕事以外でスマホを持ったことがいまだないので、驚いた。
もちろんまだまだガラケー率が高い国もあるけれど、そんなに裕福でもなさそうな現地人が普通にスマホでfacebookを見たりしている。
海外では、日本の大手3社のようなよくわからない契約方法ではないからだとは思うが、万人がインターネットに気軽にアクセスできる時代はもうすでに来ている。

ついでに言うと、現地人の観光客も各国で増えている印象がある。
相変わらず、中国人はどこにでもいるが、現地人の富裕層はもちろん、中流階級であろう家族や、若者だけの現地国の旅行者をよく見るようになった。

インドや中国が発展しているのは当り前になってきているけれど、その他の、日本ではあまり馴染みのない国も発展してきているのだと思う。
僕もそうだが、英語が話せない、英語の情報が読めない人は、世界から置いていかれる不安さえ感じる。

世界は大きな変動期にあるのではないかと感じさせられた。




もう一度旅の流れを見てみると、6か月の旅で体調が良かったのは、最初の2カ月。
後の4カ月は楽しかったこともあったものの、耐える時間がとても長かった。
途中、何度も「なんの修行だこれ?」とは思っていた。

けど、苦しい時や限界なときにしか考えられないことや、感じることのできないこともたくさんあって、
人の優しさがすごくありがたかったし、そういうときは、相手がどういう人なのかということも感じやすかった。
体が環境や食べ物に対して敏感になっていたので、繊細にならざるを得なかったし、
それで学べたこともたくさんあった。

ネットを見ると同じ症状で壮絶な思いをしている人が多く、日本にいても辛かったと思うけれど、
海外でこの辛さを経験できたのはある意味、貴重だったと思う。
前回の帰国後発症した腸チフスなど比べ物にならないほどの辛さだった。
でも、もっと辛い病気や症状も世の中にはあるんだろうな・・・

目の前にある観光資源とは関係のないところで、
今回は、病院、薬、食べ物、環境、人について、考えさせられることが多かった。
旅とあまり関係ない気もするんだけど、今回の旅の大いなる収穫だったと思う。

帰国して約1カ月ほどが経ち、少しずつ症状が回復して、普通に外出することもできるようになっている。





今すぐには、また旅に出たいとは思わないけど、やり残した感はあるし、行き残したところもある。

まだまだ行けていないところばかりのヨーロッパ。
また届かなかったアメリカ。
また後回しにしていけなかった東南アジア。
ダナキル砂漠という忘れ物を作ってしまったアフリカ。
また行きたい南米。
今いけない中東。
何度でも帰りたいインド。

ほんとキリないや(笑)


とりあえず、どこで生きようか日本。






またどうせ再開するときまで、おやすみなさい。
  

おかえりなさい

エチオピア航空のみでの乗り換えで帰国できるので楽な帰国の途なはずだったが、
エチオピア航空がわけのわからぬ対応(めんどくさいので省略)を繰り返しするせいで、
非常に疲れた帰国の途であり、日本に着いたときにはもはや「想定内」のロストバゲージ(預け荷物が行方不明)。

成田空港に着いた時は、やっと休めるという安堵の気持ちはあったが、
同時に寂しさが強かった。
もはや、あきらめきれるところまで体調が悪かったので、悔しさはなかったのだが、帰ってきてしまった、旅が終わってしまったという寂しさが強かった。

前回の旅で約1年ぶりに帰国したときよりも、今回の半年の旅のほうが、長く遠いところに行っていたような感覚だった。
前回の旅をしたときと、旅のスタイルやすでに持っている考え方が違ったことや、もちろん体調不良のことも大きいと思う。

空港で、「外国人のみなさま、日本へようこそ!」って感じの写真を見て、やけに日本が不思議な国に思えたし、一瞬母国という感覚が(ないわけではないのだが)おかしくなった。
もちろん、どう考えても世界から見たら日本は不思議で個性的な国なのはわかっていたのだが、なんとなく日本に旅しに来たような感覚があった。

けど、それを吹っ飛ばして、一気に僕を母国に引き戻してくれたのは、

DSC02103.jpg


おかえりなさい。

これ見たとき、思わず涙が出た(笑)

やっぱり日本の挨拶っていい。

グッドモーニングや、グッドナイト、ハロー、
代替えできて、同じ感覚の言葉たくさんあるんだけど、

いってらっしゃい、おかえり、いただきます、ごちそうさま、おつかれさま。

このあたり言葉の代替えは特に、外国語にはできないと思う。
i’m home とかgoodjobとか、似た言葉はあったりするけど、やっぱり感覚が違う。

もちろん、その逆で、日本にはない素晴らしい感覚の外国語もあるんだけど・・・
日本人の僕にとって、母国語にしかない感覚の言葉はやっぱり響く。
日本語はそういうものが多いと聞くし、それはやっぱり日本独特の感覚なんだろうなぁ。

入国審査の簡単さと、空港から出るときの簡単に逆に戸惑いながら、空港外へ。

空港から東京駅までバスに乗り、東京駅から電車で神奈川の実家へ。
バスの中から見えた工業地域の夜景とか、東京のきらびやかなビル街とか、同じバスにいた派手な格好した韓流アイドルのおっかけの若い女の子たちを見ていたら、
余計に寂しさが込み上げてくる。
バスを降りても、客引きが大挙して来ることはないし、モノ売りや物乞いが寄ってくることもない。
電車の中では、みんなスマホに夢中だし、何の邪魔もなく家に帰れる。
そんなの、自分の内で自分の感情に浸るしかやることない(笑)

今回は前回の旅と違って、ほとんど誰にも旅に出ることを伝えずに旅に出たし、
体調不良で帰国しているので、しばらく人に会えないため、帰国も知らせることもできない。
そういう寂しさもないわけではないが、他の種類の寂しさがあったと思う。

体調はいつ良くなるんだろうか?日本でどうやって生きていこうか?
そういう不安はもちろん大きかったけど、なによりずーっと楽しみにしていたのは、実家のご飯だった。

早く帰りたい



メケレは首都アディスアベバよりも晴れ間が多く、街もきれいで過ごしやすかった。

アディスアベバからメケレに着いたのが夜。
そのまま約2日、宿から出ずに過ごす中で、僕はやっと電池が完全に切れた。
動くこと自体がきつくなった。

そしてようやく帰国を決意した。
最後のところで負けた。
精神論だけでどうにかならないときがある、ということくらいさすがに30歳を超えればわかってはいるが、
限界の限界、あきらめても後悔しないところまで行きたかったのだと思う。
そして限界の限界までいってしまった。

正直なところ、ちゃんと帰国できるかも不安だった。
病院に行けと言われそうなのだが、これまでに3度、南米で病院に行っており、そのたびに処方される薬で体調が悪化。
もはやその経緯を説明するのも大変だし、おそらく同じ結果になることがわかっていたので、病院自体頼れる場所ではなかった。

ジンバブエで一度、帰国を決めたときは、帰国を決めたことで気が楽になったのだが、
今回はそうでもなかった。それくらいきつかった。

最後は、もはや「早く帰りたい」と思うようになっていたし、呻くように言葉に出してしまっていた。
そうなったら、もう帰るしかない。帰りたいのだから(笑)
やっとそう思えたことで、自分で納得できた。

こんな状態になるまで旅をするなんて危険だしバカらしいかもしれないが、
医者にもかかりながら、いろいろ調べるうちに原因はわかってきており、持病から派生したものだろうことはわかっていた。
危険な病気の可能性がないわけではないが、環境を変えること、時間をかけることで治るだろうとは思っていた。
しかし症状が辛すぎた。

メケレからエチオピアの首都へ飛び、乗り換えて、香港で途中降機なしの経由をする日本成田行き。
一番早い翌日の便を取った。

結局、メケレでは何もできなかった。
メケレに来なければ、メケレから首都への航空券代も必要なかったのだが、もはやこれは「旅の継続あきらめ代」として必要だったのだと思う。

またいつか、この町へ来て、ダナキル砂漠ツアーにリベンジすることがあるのだろうか。

二度目のアフリカ旅で、忘れ物ができてしまった。

限界の限界の限界?

エチオピアがアフリカ旅最後の国。
なかなか体調が良くならないので、エチオピアの首都アディスアベバに着き、1週間宿にこもって療養した。

エチオピアは前回の旅のときに、ケニアから陸路で入り、南部の少数民族の村めぐりをして、
とても印象的だった国。
帰国後、よかった場所を聞かれ、必ず挙げていた国。

今回、その南部の民族めぐりと、さらに6年前は入れなかった北部の「ダナキル砂漠」に行く予定でいた。
南部もダナキルも気候や旅の環境が過酷なところ。
南部は交通や宿などインフラが発達しておらず、いつ来るかわからない車を延々と待ちながらヒッチハイクをしたり、学生ガイドを雇ったり、
衛生面でも苦労した。
北部のダナキル砂漠へは、近くの町からツアーで行くが、そのツアーが過酷なことで有名。特に今の時期は酷暑で気温が50度にもなるという話。

どちらも今の僕には、明らかに過酷で、このままでは南部も北部も行けない。
南部へ行くことをあきらめ、彼女と他の旅人が南部へ行っている約1週間、アディスアベバに留まり安静にすることを決めた。

症状は主に皮膚に出ていたが、胃腸にも影響が出ており、自ら数日間の絶食や食事制限も行った。
しかし、体調は回復しなかった。
その理由はおそらく、アディスアベバは約2400mと標高が高く、朝晩の寒暖差が大きいことや、気圧による体への負担が大きいこと、
また、この時期アディスアベバは雨期に入っており、毎日雨で、もともと衛生面で問題があるエチオピアの宿の状態がさらに悪かったためであると思う。
停電が多いことに加え、晴れ間が見えることが少ないことで、精神的にもきつかった。
さらに北部へ出発する前日には原因不明の下痢に襲われた。
もはや北部へ行ってもどうにもならないと思い、やむなく帰国を決意した。

決意しながらも迷ったがどう考えても体調が悪すぎる。
次の町へ辿り着いても、ダナキル砂漠のツアーへ行けるかはまた体調次第になる。
根性で乗り切れるくらいに体調が回復する可能性はある気がするが、ツアーの過酷は生半可なものではない。

迷いに迷うが、
彼女と旅人たちの乗るタクシーを見送る。。。

この旅で実は帰国を決断したのは今回だけではない。
ジンバブエのビクトリアフォールズの町にいた時にも体調が最悪になり、帰国の飛行機を取った。
しかしいざ飛行機を取ると、少し精神的に落ち着き、冷静になり悔しさが先行した。
そこでは悔しさのあまり、飛行機をキャンセルした。
そのあとも体調は不安定なままだったが、なんとかここまで来た。

そうやってなんとかここまで来たことや、あと最後の一箇所だけを残して帰ること・・・
そして、アフリカに彼女を残して帰ること・・・
悔しすぎる。

すでに彼女と旅人たちは北部行きのバスが出発する広場へ出発した。
まだ早朝で真っ暗な部屋に残される。まだ日が昇っておらず、さらに停電していることもあり、本当に真っ暗の朝。
敗北感がすごい。
このまま帰って本当に後悔しないか?
本当に限界の限界の限界なのか?

体調は最悪で、精神的にもかなりやられている状態なのだが、悔しさを感じるときだけは頭がクリアになる。
そしてこの時は一晩中お腹を下し切り、
たまたま体もクリアになっていた。

北部行きのバスの出発時間まで時間がない。

一時的な感情だけで体を無理やり動かした。
帰国するためにまとめていた荷物を持ち、急いで一人でタクシーを拾い、北部行きのバスが出発する広場へと向かった。

不安は大きかった。
この最悪な体調の中、エチオピアで一番日本に帰国しやすい首都から離れること。
そして、いつもなら慣れている14時間のバス移動も今の状態では不安が大きかった。

でも、もはや自分は動けなくなるまで旅を続けないとあきらめられないのだとも思った。
あきらめが悪い。

北部の都市メケレへバスは出発した。
もはや、自分の体を使った人体実験をするような気分だった。

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プロフィール

原田 諒二                                     (はらだりょ-じ)

Author:原田 諒二 (はらだりょ-じ)
あの海の向こうには何があるんだろう?
どんな人たちがいるんだろう?
そんな単純な想いを胸に
いろんなものを見て
いろんな人と触れ合う旅の
真っ最中!!

2008年10月21日 世界一周出発

2009年9月28日 帰国

2015年1月2日 世界二周目に出発!!

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